FF0_0020 真実への門扉Ⅱ ~レストランバー『アレゴリー』~


 扱いとしては部の備品であるため、部活外では部長や顧問にお伺いを立てていたのだが、最近はもう私用でも勝手に使うようになってしまった。

 赤黒ペイントの大型スポーツバイクに擬装された、特殊作戦用軽装輪装甲戦闘車両 《バーゲスト》を、ジーンズ・ジャケットのライダー姿で駆るつつみ十路とおじは、神戸市の繁華街から一本外れた通りに乗り入れる。

 少し外れただけで、マンションも複合型オフィスビルも乱立する。『閑静な』と枕詞を付けていいほど様子はガラリと変わる。まだ深夜にもならない時間ともなれば、明かりの数で明確な差となる。


【ジュリは実家に居ますかね……?】


 《使い魔ファミリア》と通称される車輌が、ただのオートバイとは一線を画す要素のひとつ、人工知能イクセスの女性の声による疑問に、十路はまずブレーキで応える。

 駐車するのは、都市部ならばどこにあっても変哲ないビルの脇だ。

 建物内部とは独立した、地下へと続く階段がある。降りる途中に筆記体で『allegory』と書かれた看板が、小さな明かりで闇から浮き上がっている。

 訪れるのは初めてではない。その時も扉には今のように『CLOSED』の札が出ていた。しかし曇りガラスから淡い明かりが漏れ、店内のざわめきが聞こえるような、人がいる時に来たのは初めてとなる。


「どうだろうな。だけど、他に探すアテもないし――」


 オートバイから降り、機体後部横のアタッチメントに脱いだフルフェイスヘルメットを引っ掛けて、十路は応じる。

 その反対側には、赤い追加収納パニアケースが載せられている。内部の空間を圧縮することで、見かけよりも遥かに巨大な容量を持つオーバーテクノロジー・通称アイテムボックスは、彼の持ち物ではない。

 木次樹里。同じ部活に所属する、学年ふたつ下の、考えると複雑な感情が沸き起こる、後輩の少女の所持品だ。

 顧問であるつばめが神戸に戻ってきた途端、呼び出されたと思えば、同時にこれを渡されて、樹里の捜索を頼まれたため、十路の姿はここにある。

 つばめには訊きたいことが山ほどある。他の部員たちよりは多少知っているとはいえ、ある程度実体験している分だけで、知らない情報はさほど変わりない。政府関係者への対応などの事後処理で、事情聴取が後回しになっていたのに、更に引き伸ばされることになるため、頼まれた時には舌打ちした。


「どうせ来る必要もあった」


 だが、他にも話を聞ける――聞かなければならない相手はいる。つばめに確認を取ると、彼女同様に事後処理に走り終わり、神戸に戻っているという話なので、彼は樹里の実家であるここを訪れた。


 階段を降りて扉を押すと、抵抗なく動きドアベルが軽く鳴った。すると酒場特有のざわめきがハッキリと耳に届く。

 電光色で照らされるアイリッシュ・スタイルの落ち着いた店内は、テーブルもカウンターも人が席を埋めていた。高校生がこのような大人の店に入ることなどないが、十路の場合は少し異なる理由で、ややおっかなびっくり足を踏み入れる。

 やはり目を引くのは、カウンター内部の壁一面を埋め尽くす、大量の酒瓶だろうか。客の多くが飲んでいるのはほとんどビールだが、カクテルやウィスキーを楽しんでいる者も多い。


「すみませーん。今日貸切なんですー」


 カウンターの中で、ノーカラーベストにネクタイを締めた、バーテンダーユニフォームの女性がいた。彼女の目線は水割りを作る手元に注がれていて、十路を見ていない。

 ブランデーグラスを客の前に置き、ようやく十路の顔を見て、遅れて動きを止めて、微笑を浮かべた。


「……はじめまして、かしら?」

「そう、なりますね……」


 初対面というと変だが、顔を合わせて言葉を交わすのは、初めてとなる。

 彼女はカウンターから出て、入り口に立ちすくむ十路の前に立つ。


 初めて会った時は見上げていたが、中学相当の年齢になれば、十路が追い抜いてしまった背。わずかに視線を下げる角度は、変わらない。

 束ねてひとつにまとめているので、正確な長さはわからないが、長い黒髪も同じ。決して美人ではない、年齢の割に残る幼さが強調されている顔は、記憶にあるそのままだ。

 だが――


「……やっぱり、違う」

「えぇ。君が知ってるじゃないわよ」


 安堵と失望が入り混じった、自然に漏れた呟きなので、主語なんてない。だが彼女には正確に伝わった。やはり記憶にあるそのままの声で。

 なにが違うと問われると、返答に窮するが、直感的に理解した。双子の見方でもなく、よく似た赤の他人だという理解が働く。


 彼女は十路の知る衣川きぬがわ羽須美はすみではない。

 樹里の姉、ゲイブルズ木次きすき悠亜ゆうあだ。


「ね? カクテル作れる?」

「は?」


 なんら関連のない唐突な言葉に、十路は普段からよくない目つきが悪くなるのを自覚したが、悠亜は全く頓着しない。


「やー、人手足りないのよ。今日はしばらく閉店したせいで迷惑かけちゃった、仕入先の人を呼んだ内輪の飲み会だから、そんなに人手いらないと思ってたんだけど、見込みはずれちゃって……だから手伝ってくれない? バイト代ちゃんと出すから」


 知らんわ。

 咄嗟にそう答えそうになったのを自制し、十路は別の言葉を紡ぐ。


「……俺、お宅の妹さんを探しに来たんですけど?」

「うん。ヘルプ頼んだけど、音沙汰ないのよ。だから手伝って」


 あ。これ、なに言ってもダメなパターンだ。

 トラブル回避本能がそうささたいた。


「私たちに聞きたいこと、色々あるんでしょ? でも今はその余裕ないの」


 ダメ押しのような、悠亜の言葉どおりでもある。情報料代わりの労働と思えば、納得もできる。


 樹里の行方不明も、一日も経っていないのだから、切羽詰った事態ではない。普通の子供なら一分一秒が未来を変えるかもしれないが、装備がなくても《魔法》が使え、支援部員としてハードな事態も経験している彼女なら、少々遅れる程度で心配する必要もないだろう。

 薄情と言われるやもしれないが、そもそも相手がどこにいるかもわかっていない。こうなればしばらく働いたところで、結果に大差はないと判断する。


「有名どころのカクテルだけなら」


 幸いにしてというべきか、十路はこういう場での動き方は知っている。後ろ暗いパーティーに潜入してウェイターをしたり、場末の酒場で後ろ暗い商談をするやからを待ち受けるためと、あまりマトモではない『校外実習』で。

 加えて、彼の特異な武器交換戦術の元であるジャグリング芸とも無関係ではないため、シェイカーを振る真似事程度なら経験ある。


「ビールは? ちゃんとサーバーで入れられる?」

「ハーフ&ハーフが作れる程度には」

「上出来。私キッチン入るから、カウンターお願い。そこに服あるから、テキトーに合うの着替えて」


 忙しさからか一方的にそう言って、悠亜は店と厨房を仕切っているカーテンの奥に消える。


『リヒトくーん。ヘルプ来たから、私もキッチン入るわね』

『ア゛ァ!? ヘルプ? ンなの来る予定あッたか!?』


 修羅場中なのか、どこかイントネーションが違う、荒い男の声が応じている。


『例の《騎士ナイト》くんが、手伝ってくれるって』

『ぬァァァァにィィィィッ!?』


 直後、なんかヤな音がして、会話が不自然に終わった。例えるなら意気込んで包丁でも手に飛び出そうとしたのを、張り倒して止めたかのような。


「…………」


 トラブル回避本能に従い、十路は『STAFF ONLY』の札がある扉を開く。日頃空気が読めないと言われる彼でも、こういう時には空気を読む。

 初源の《魔法使いソーサラー》、ドクター・リヒト・ゲイブルズと顔を合わせるのは、閉店後のほうが都合いいのは、なんとなく察した。あとオーナーシェフよりも実権 (物理)を持つバーテンダーに逆らうと、より面倒になることも。



 △▼△▼△▼△▼



 結局、閉店まで働かされた。平日の夜、しかもいい歳した家庭を持つ大人たちばかりで、夜通し飲み明かそうとする客はいなかったのが幸いか。


「やるわね~。まさかフレアまで出来るとはね」


 ビールサーバーを洗い終えて、悠亜が全然関心していない声を出す。


 太陽表面の爆発現象や、ミサイルの赤外線誘導を回避する欺瞞兵器デコイではなく、フレア・バーテンディング。ボトルやシェイカー、グラスを用いてバーテンダーが行うパフォーマンスのことを言う。大抵は純粋な曲芸ではなく、リズミカルにカクテルを作る実務プラスアルファを指すことが多い。

 十路は片手で持ち上げられる物なら、大抵ジャグリングできる。敵の意表を突くため、得物を放り捨て意外なタイミングで交換するには、その程度は当然のようにできなければならない。その一環で体を捻りながら中身の入ったボトルを放るフレアも訓練している。


 十路はそれを客前で披露する羽目になった。なぜか。

 酔っ払い相手にウケはよかったが、経験があるというだけで慣れてはいない仕事、しかもなにがどこにあるか探す必要がある初めての場で、十路は疲れきった。


 更にもうひとつ、現在進行形で疲れる要因がある。

 まかないを作るということで、ひとつだけ片付けていないテーブル席に着き、まだ着替えていないバーテンダーユニフォームのまま、十路は指をぶっきらぼうに突き出す。


「俺のことはどうでもいいですから……お宅の旦那さんをどうにかしてもらえませんかね?」


 厨房からまかない料理を持って出てきた、『不本意』とデカデカと書かれた仏頂面の男に。

 これで科学者とは恐れ入る。初めて見た時、直感したものの、なぜ彼がそうだと見抜けたのか、思い返せば十路自身でも疑問を抱いてしまう。厨房に入っていたのだからコックコートなのはいいが、覗いている右顔と腕には炎のようなトライバル・タトゥがびっしり覆っている。耳と唇にはピアスが揺れている。料理人として働いていることも意外な見かけをしている。


 これが十路も使っている《魔法》システムを開発した祖、人類史上初の《魔法使いソーサラー》、リヒト・ゲイブルズなのかと、別の意味で感心する。


 今は愛する義妹に近しい男を牽制する重症患者シスコンにしか見えないが。悠亜により厨房でなんらかのしつけが行われたか、威嚇以上の実力行使がないのが幸いだった。

 テーブルに置かれたのが、大皿料理ばかりなのも意外だった。皿を分けることで、あからさまな差を作るものと予想していた。


「ややややや。心配しなくても、毒なんて入っていないから」


 冗談ではなく、席に着く悠亜がほがらかに言う懸念も考えた。

 だが本当に毒が混入されるよりも、何気なく続けられる言葉のほうが、心臓に悪い。


「《ヘミテオス》だから、並の毒なんて効かないと思うけど」

「……どうですかね。自分の意思で、そっちのシステムが起動したことないですけど」


 心構えがない状態で、知りたい秘密をポンと投げ込まれたことに、心臓が跳ね上がった。十路はいつも仏頂面をしてるだけで、ポーカーフェイスが得意なわけではない。平素の平坦な受け答えができたか、自信がない。


「オイ、小僧」

「なんだよ、オッサン」


 こういうぞんざいな応対のほうが、まだ安心できる。

 不遜な呼びかけに不遜な言葉で応じたが、リヒトは気を悪くした様子もなく続ける。


「これ以上ユーアに殴られたくねェから黙ッとくが……オレはテメェを認めていねェ」


 一方的に言い捨てると、リヒトはラム酒をボトルごと持ってきて乱暴に腰を下ろす。これ以上彼の口からは言葉は出てこないと、ラッパ飲みが物語っている。

 既に好感度最底辺だからこれ以上は下がりようがなく、彼も十路と仲良くするのはお断りということか。

 だが荒っぽい言葉は、真剣味があった。

 リヒトが十路に向ける害意は本物だ。病気シスコンとは無関係に。


 そしてそれは、裏社会に生きてきた十路には、納得ができることでもある。

 知りたいのは、知ることで今後の人生に関わると察せられる、重大な機密だから。


「さて。《ヘミテオス》のことを教えるのは、やぶさかじゃないんだけど……」


 そんな情報を悠亜は、ボロネーゼに手を伸ばしながらの何気なさで明かそうとしている。多分こっちがおかしい。


「その前に、キミの目から見た《女帝エンプレス》のこと、教えてくれない?」

「羽須美さんの話を? 要ります?」

「うん。どこまでキミが知ってるか、確かめたいから。それによって説明も少し変わってくるし」


 管理者No.003による記憶封鎖――《塔》の中で見た、十路の状態ステータスにそう記されていた。彼女の最期である日付と共に。

 ずっと忘れていたことがある。思い出せないことすら気づくことができなかった。

 麻美の欠片No.003のひとり、羽須美に、シナプスの活動を部分的に抑制されていた。


 それは樹里によって解除されている。まだ完全とは言い難いが、時間を経たことで、キチンと時系列に沿って思い出せるようになってきた。

 十路が羽須美を殺した時の真相を。


「まず、そうですね…………」


 どこから話せばいいのか。十路はマルゲリータの一片を手にしたまま、そよ風を送る天井扇風機シーリングを眺めて話の筋道を立てようとしたが、早々に諦めた。


「ロクでもない人でしたね」


 思いつくままに話すのが一番だと割り切ると、フォークを宙に止めた悠亜の顔は変な具合に歪んだ。


「……私が聞いてた話と、違うんだけど?」

「戦闘員としちゃ間違いなく優秀でしたよ? でも自衛隊員以前に、人間としちゃどうかと思う場面多かったですよ?」


 もしも樹里が、ひいては『管理者No.003』たちが、『彼女』の娘なのだとしたら、今なら納得できる。


「そういう部分、理事長に似てましたね……」

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