060_0900 真実のカケラⅠ ~怒涛~


 その鍋は

 「煮て。鍋よ、煮て」

 と言えば、おいしいおかゆを作り、

 「止まって。鍋よ、止まって」

 と言えば、作るのをやめるのです。

 女の子は魔法の鍋を母親のところに持って帰り、好きなだけおいしいおかゆを食べ、貧乏と空腹から救われました。


 女の子が出かけたある時、母親は

 「煮て。鍋よ、煮て」

 と呼びかけました。

 それで鍋はおかゆを煮て、母親は満腹になるまで食べました。

 母親は鍋に作るのを止めて欲しかったのですが、止めるための言葉を知りません。

 だから鍋はおかゆをどんどん作り続け、ふちを越えて溢れてきました。

 台所と家中がいっぱいになりました。

 隣の家が、それから通りが、おかゆでいっぱいになり、まるで世界中の空腹を満たしたいかのようでした。

 とても困りましたが、誰も鍋の止め方を知りませんでした。


 (グリム童話 おいしいおかゆ)



 △▼△▼△▼△▼



 雲がかかった暗い空に、鳥が一斉に飛び立った。鳴き声と羽音が悲鳴のように、淡路島に響き渡った。


「ん?」

「何事ですの?」


 《ヘーゼルナッツ》の修理と補給を行っている支援部員と、作業を査察している各国の代表たち、その護衛役である自衛隊員と在日米軍関係者は、みな首を巡らせる。


「なんですか、あれ……?」


 そびえ立つ《塔》の根元、先山のいただき付近に、明確な異変が進行中だった。

 木々の緑や赤黄色が、土煙の白にがかるかかる。その代わりのように、赤ともピンクともつかない色が広がっていく。

 徐々にではあるものの、離れた場所から土地の色が変わるのが目に見えるということは、その場ではとんでもない異変が起こっていることを、果たしてどれだけの人数が理解しただろうか。


「最悪……」


 理解しているひとり、長久手ながくてつばめは、童顔を歪めて舌打ちし、のほほんとした普段とは一線を画す、毅然とした態度を作る。


「緊急事態! 自衛隊と在日米軍は上層部に連絡して! 査察団の非戦闘員を島から脱出させるのを最優先にすることを進言!」


 国籍がバラバラな人間が集っているので、続けて英語でも同じ指示を出す。彼女はただの案内役であって、兵士たちに命令できる司令官ではないが、事態の詳細が把握できれば内容は順当なもの。すぐさま迷彩服を着た者が応じて動く。


「支援部は撤退を援護する! 急いで《ヘーゼルナッツ》を本格稼動させて!」


 唯一命令権らしきものがある少女たちに指示を出すと、便宜上艦長である少女は、なにも言わずに艦内に飛び込んだ。残る部員も、搬入途中の中途半端な物資を、取るものもとりあえず貨物カーゴスペースに放り込んでゆく。


「あれは、なんですの?」


 その作業をゴーレムを操って行っているため、当人は手隙なコゼット・ドゥ=シャロンジェが、美貌を険しくする。

 つばめは険しい顔のまま、異変が起こる先山から視線を動かさず、端的に応えた。


「《おいしいおかゆズューセブライ》が起動した」



 △▼△▼△▼△▼



 それは正に『肉』だった。牛肉よりかは鶏肉のイメージが近い、白寄りの色をした体組織の塊だ。おかげで生理的嫌悪感を抱く生々しさは薄く、木がなぎ倒され、山が侵食されていく様には、映画でも見ているような非現実感が漂う。

 もっとも非現実に思うのは、安全が確保された場所から遠まきに見た場合のみだろう。雪崩に巻き込まれまいと必死に滑走するスキーヤーの気分で、中途半端に乗った大型オートバイを操って斜面を降りるつつみ十路とおじは危機感に舌を打つ。


(細胞の自由操作……! 増殖も無制限……! これがアサミの能力プログラムか……!?)


 己の肉体を操作し、質量と体積で押し潰し、飲み込んでいく。単純だが、これほどの規模ともなれば、戦略規模の圧倒的破壊力を発揮する。

 特に増殖に関しては、普通の《魔法》内に収めるには、度が過ぎている。《ヘミテオス》由来の特殊な細胞だからと考えていいだろう。

 Lilith形式プログラムを起動した少女に、コードネームをつけるとすれば、さしずめ《スライム》といったところか。国民的ロールプレイングゲームで登場する弱いモンスターではなく、古典的な物語に出てくる非常に厄介な不定形クリーチャーとしての。


 南十星とナージャの報告にあった、海底の痕跡と水生生物の激減。

 十路がイクセスと話していた、山中の不自然な空き地。

 野依崎がいぶかしんでいた、《ヘーゼルナッツ》への侵入方法。

 これらは腹ペコと、樹里が話していた隠匿性能と合わせて、アサミが能力の一端を示した結果ではなかろうか。


(それにしても、これはヤバいぞ……!)


 地形から見て、《ヘーゼルナッツ》の停泊場所とは反対側、南側の斜面を降りてしまっている。確認する間もなく肉の津波に追い立てられたのだから、仕方ないことではあるが、他の部員たちとの合流が難しくなった。

 《バーゲスト》は相変わらず機能停止しているから、無線で支援要請することもできない。

 まともな交戦はもちろん論外だが、時間稼ぎ程度なら全く見込みがないわけでもない。


(頼む……使えてくれ)


 先ほど空間制御コンテナアイテムボックスが勝手に動いたのは、《バーゲスト》のシステムに介入してなのか、そのものを直接操作されたのかで、話が変わる。左腕が動かないから苦労しながら、十路は祈るような気持ちで体を捻り、後部の追加収納パニアケースに触れる。

 手ごたえがあった。脳機能が接続できたことを『手ごたえ』と呼ぶのも変だが、とにかく反応があった。


 十路は脳内で指令を出し、空間制御コンテナアイテムボックスを開けさせて、圧縮解凍された消火器を手に取る。


「吸い込むなよ!」


 乗っているというより、引っかかってる木次きすき樹里じゅりに警告し、レバーを引いて放り捨てる。ホースから噴出する土煙に混ざって白い粉末が広がり、追いすがってきた肉の塊に触れる。


 するとぬめりを増した肉塊が、声なき悲鳴を上げてもだえる。ナメクジに塩をかけたような光景は、人体に無害な消火剤の効果ではない。

 追ってくる肉が一時足を弱めたことに、力なく樹里が問うてくる。


「なに、いた、ですか……?」

「吸水ポリマーだ」


 高吸水性高分子ポリマーの一種、ポリアクリル酸ナトリウムを使っているもので、一番知られているものは、紙オムツや生理用ナプキンだ。親水性が非常に高く、ゲル化することで自重の数百倍もの水を蓄える。その状態ならば増粘剤つなぎとして食品添加物としても使われている。

 なので安全が保障されている物質だが、乾燥したものを大量に、皮膚に守られていない細胞むき出しの肉塊に振りかけたら、その限りではないだろう。白煙に触れた部分の肉は、ゼリー状の物質をまとわりつかせて、動きが鈍くなっている。


「なんで、そんなのを……!」

捕獲用非致死傷兵器スティッキーフォームの代わりだ。アサミがどう出るかわからなかったから、水溶液を吹きかけた後に追加して粘性を上げて、のりみたいな状態になることを期待して準備した」

「水溶液って、要するにローションですよね……!?」


 応用範囲の広いポリアクリル酸ナトリウムは、アダルトグッズの潤滑剤にも使用されている。


「小さな女の子にブッカケるつもりだったんですか……!?」

「結果的にやってないから、青少年保護条例違反な絵面にはなってない。それより――」


 言葉が途切れる。道路を駆け抜けているとはいえ、三〇年近く放置された道だ。動力がなく、しかもふたりとも不自由な体で乗っているのだから、容易なことで転倒してしまいそうになる。

 咄嗟に足を地面に突いてバランスを保ってから、あとついでに落ちかけた樹里も体で受け止めながら、十路は言葉を続ける。


「あんなのに巻き込まれたら、俺たちが十八禁になるぞ」


 もちろんエロではなく、グロ方面で。押し潰され、引き千切られ、すり潰され、モザイクなしでは見せられない死に様をさらすに違いない。実際、逃げ遅れた野生動物が巻き込まれたらしい、悲痛な絶叫がたびたび聞こえる。


 しかもそうなるのは、遠くない未来だ。肉の進行速度は人間が走る速さよりも早く、吸水ポリマーは時間稼ぎにしかならない。一部分に吹きかけて動きを鈍らせても、両脇から溢れ出る肉で関係なくなってしまう。

 しかも時間稼ぎすら、安心はできない。細胞をそのまま海水に浸けると、浸透圧で干からびるはずだが、海の中でも異変が起こっていた。《魔法》での対処なり、皮膚に該当する変化ができるはずだ。

 動かないオートバイで斜面を下っているのだから、無事山を降りたとしても、平地に出たらいずれ追いつかれるだろう。

 物量からして、生半可な火力でなんとかできる相手ではない。


 そしてなによりも、肉はどこまで広がるのか。このまま広がり続ければ、どうなるのか。

 考えれば考えるほど、絶望的になる。


「……くっそ」


 それでも諦めたわけではない。十路はこれまでの人生で得た経験と知識をフル動員している。だから吸水ポリマー入りの消火器をありったけ投げ捨てた後も、空間制御コンテナアイテムボックスに操作する。装着したままの無線機ヘッドセットの出力では、他の部員たちに無線が届かないにも関わらず、もう一度確かめる。


「木次、落ちるなよ」


 発煙筒を取り出して、十路は走行中の車体で立ち上がる。こうなったら動かない左腕に難儀しながら操るよりも、《使い魔ファミリア乗りライダーらしく曲芸して足で運転したほうが早い。



 △▼△▼△▼△▼



「やっぱりなんです? これ」


 代表して、ナージャ・クニッペルが怪訝な声を上げた。

 《ヘーゼルナッツ》から発進した偵察用無人航空機UAVが、リアルタイムで送ってきたのは、カビの繁殖を微速度撮影したような影像だった。


「こんな時だっつーのに、堤さんたちは、どこ行きましたのよ……」


 飛行戦艦がいまだ発進できない理由を、コゼットが苛立ち半分心配半分で、金髪頭をかきむしりながら呟く。


「アレがなにかはともかく、まともじゃねー事態なのは間違いねーっつーのに……」


 一日別行動をしている最中、《使い魔ファミリア》が定時連絡に応えていたのだが、それも途切れた。今も無線で呼びかけているが、反応がない。

 つまり居残り組からは、十路たちは行方不明と認識されている。


「……ん?」


 映像の中で、赤色の煙が上がった。土埃とは異なる、白か黒以外の煙など、自然現象ではありえない。

 そして、色つきの煙は、攻撃支援の位置を指示する目的でも使用する。


「フォーちん」

「了解であります」


 つつみ南十星なとせに言われるまでもなく、野依崎のいざきしずくRQ-7Cシャドー200を操作し、煙の発生源へと降下させる。

 すると確認できた。辛うじて道路と呼べる山道を走るオートバイと、シートに力なく引っかかっている少女、そしてハンドルバーに足をかけて発煙筒を手に立つ青年が。


「こっちもなにが起こってんの……?」


 今度は南十星が代表して怪訝な声を上げる。

 シートに横たわる樹里は、不自然に背中がうごめき、露出している腕が様々な人外の変化を行っている。南十星だけでなく、部員が全員知っている、以前見た異形を否応なく思い出させる。

 問題は、異形と化した十路の左腕だろう。こちらは野依崎しか知らないのだから。


十路リーダー。なにが起こってるでありますか?」

 

 向こうも無人航空機UAVに気づいたため、中継器にするため更に接近させて、野依崎は無線で呼びかける。


『時間がないから質問は無視する! 戦略規模の攻撃支援を要請する!』

「戦略、攻撃?」


 野依崎は『本気で言ってるのか?』と訊き返したが、多少の事態説明があっただけで、変わらない。


『いま俺たちは《魔法》が使えない! 《バーゲスト》も機能停止してる! あとアレに生半可な攻撃は効かない! だったら俺たちは防空壕にでも逃げ込んで、一気に殲滅させるしかない!』

防空壕シェルターのアテはあるでありますか?」

『ない! けど、なんとかする!』


 つまり、生き残るためには運に任せるより他ないと、彼は言っている。

 野依崎は脳内でシミュレーションする。地形、査察団の避難時間、十路たちの移動速度、肉の進行速度、戦略攻撃の準備時間を何パターンか分けて作る。

 残された時間はほぼない、という結論しか出なかった。数値によっては既に間に合わない。


「自分たちがそっちに行って、十路リーダーたちを回収して、落ち着いてから対処すればいいのでは?」

『ダメだ! 絶対に近づくな!』


 十路の拒絶に示すように、樹里がこらえていたものが、一部溢れ出てた。パーカーを突き破り、無眼の蛇や鳥の翼や獣足が背中から飛び出した。

 彼の指示が正しい。暴走しかけた彼女を収容すれば、下手すれば艦が内部から破壊される。片腕が変貌して制御できていない十路も、どう行動するか予測不可能だ。

 そもそも飛行戦艦の接近を、大量の肉が許してくれる保障もない。低空飛行の最中、あんな大質量に襲われたら、ひとたまりもない。


 察することはできる。十路は限られたリソースを活かし、精一杯生き延びようとしていると。

 だが、正気を疑わざるをえない、絶望的かつ破滅的な作戦だ。

 確認の意味で、野依崎は首を巡らし、つばめを見る。査察団の撤退には護衛役たちに任せてしまい、彼女も《ヘーゼルナッツ》に乗り込んでいる。


「……それしか、ないね」


 次いでコゼットにも視線を向ける。彼女は野依崎には応じず、無線で十路を呼びかける。


「堤さん。死ぬんじゃねーですわよ」

『俺が死亡フラグ立ててヘシ折るのは、いつものことでしょうが』


 一応なれど野依崎が『上官』として認めているふたりの同意を受けて、彼女は緊急発進を行う。ワイヤーを回収してアンカーを引き抜き、気嚢部エンベロープ内の浮力を上昇させ、プロペラを駆動させると、途端に艦が揺れて浮遊感が生まれる。


「ナトセさん、どちらへ?」


 ナージャの声に、他全員が振り返る。

 南十星は背中を見せ、戦闘指揮所CICを出ようとしていた。扉に手をかけたまま、首だけで振り返ってみせた。


「兄貴んトコ」


 動きを止めたのは一時で、それだけ言って外に出ようとした。


「なにすんだよ」


 だがナージャが肩を掴んで振り返らせた。軍隊格闘術システマらしい虚を突く、いつ間を詰めたかわからない足取りで近づいて。


「さっきの十路くんの指示、聞いてましたよね?」

「だからなに?」

「素人考えで無視するつもりですか?」

「どー考えても無理じゃん。あれで納得なんでできやしないね」


 ナージャと南十星はよほどウマが合うのか、先輩後輩という間柄を超えて仲がいい。

 同時に、ナージャが支援部に入部する以前、本気の殺し合いを繰り広げた、敵対関係でもあった。

 彼女たちらしくなく、彼女たちらしく。南十星は敵意を、ナージャは戦意を。ふたりの間に緊張の糸が張られる。


「ぶっ――!?」


 だから本気になる前に止める意味も含んでいるのか、コゼットも近づき、南十星の鼻っ柱に拳を叩き込んだ。格闘技術に関しては素人ではない彼女でも、ここで殴られるのは想定外だったか、まともに受けてよろめいた。

 平手で頬を張るのではなく、腰と肩を入れた渾身のストレートを叩き込む辺り、性格が表れている。自身もダメージを受けたか、顔をしかめて手を振りつつ、コゼットが低く吐き捨てる。


「ボケが……ちったぁアタマ働かせやがれ」

「ナトセさんの気持ちはわかりますけど、十路くんの指示どおりにするのが正しいです。わたしたちが救援に向かったら、むしろ邪魔になるでしょう」


 省かれた言葉を、ナージャが替わって、鼻を押さえる南十星に教える。


 ベストなのは、十路たちが退避場所に逃げ込んだと同時に攻撃し、一気に肉を殲滅させる、ギリギリのタイミングだ。攻撃が早すぎるのは論外としても、遅くても駄目だ。逃げ込んだ場所にも肉が押し寄せてしまう。

 しかも、十路自身の不確定要素はさておいても、暴走しかけた樹里の危険性は無視できない。当人の意思とは関係ないとしても、安全地帯に交渉不可能な敵と一緒に飛び込むことになるのだから。


「ミス・キスキを殺してでも十路リーダーを助けるつもりならば、やはり邪魔する結果になると推測するであります」


 さすがに南十星の行動をそこまで想定していなかった。野依崎の言葉に、ナージャとコゼットはギョッとした顔で振り返る。


 十路のことを考えるならば、それがベストになる。うれいを断ち、協力して事態に当たることができる。

 だが彼が、そんな真似を許すとは到底思えない。


「……わかったよ」


 不貞腐れたように鼻血を拭い、南十星は近くのシートに乱暴に腰を落とす。

 樹里を殺すことを本当に考えていたか否か、その態度からはわからない。だが彼女ならば考えても不思議ない、嫌な信憑性があった。


 ひとまず致命的な決裂をすることなく、行動は決まった。


理事長プレジデント。少しは顧問らしいところを見せたらどうでありますか?」


 呼びかけたが、つばめは聞こえていないのか、無視しているのか。艦外カメラが捉える《おいしいおかゆズューセブライ》を全貌を、じっと見つめて反応しない。


「最大戦速で上昇。同時に艦内に窒素を充填じゅうてん。隔壁を降ろして戦闘指揮所CICを封鎖するであります」


 仕方なく、野依崎も操艦に集中した。

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