060_0810 手探りながらの宝探しⅤ ~暴走~
盛大に鳴り響いた腹の音で我に返った。ショックを受けている樹里だけでなく、彼の時間も停まっていたことに、彼自身が軽く驚いた。
「あぅ~……」
窓に張りついて、珍しそうに生産設備を見ていたはずのアサミが、腹を押さえて悲しそうにうつむいている。
(そういえば、この子……)
『管理者No.003』のステータスたちには、Lilith形式プログラムの記載もある。
『千匹皮』はもちろん、『歌う骨』『ガラス瓶の中の化け物』『がちょう番の女』『ホレのおばさん』『つぐみの髭の王様』『鉄のストーブ』など――十路が知らないものが大半だったが、これまでの傾向から考えて、全て童話のタイトルだろう。
すぐに見つかったが、『現地登録名称』の記載がない。《塔》と市役所のデータベースが繋がっているとは思えないから、どういうプロセスを経て入力されているのか不明だが。
(『管理者No.003』であることは確認できたけど……なんで名前がない?)
少女自身がそう呼んでいたから、十路たちも呼んでいるに過ぎない、自称の名前らしい。
(
内心で首を捻りつつ、ジャケットのポケットから、ナージャから渡された飴玉をいくつか取り出し、少女に手渡そうとした時。
『そこは飲食禁止でお願いできるかね』
突然、男の声が響いた。十路より年上なのは間違いないが、何歳ほどなのか読めない、落ち着きあるテノールだった。
先ほどから《塔》とのやり取りは、全て脳内で第六感的に行われているが、これは違う。どこかにあるスピーカーから流れた、直接鼓膜を震わせる音波だ。
「パパっ!?」
途端、少女がバネ仕掛けのような勢いで、輝かせた顔を上げた。
しかし男の声は、少女を無視して、十路たちへと語りかける。
『初めまして、だね。イェンのところの《魔法使い》たち。人類の秘密のひとつに触れた感想はどうだい?』
十路は、皮肉げな苦笑を作って返した。半分は確証のないカマかけだが、残り半分はその名前から思い出した確信がある。
「初めてじゃないだろ。
『ほぅ? よくわかったね?』
音声が一方的に放送されている可能性も考えたが、そうであれば飲食禁止などと、ジャストなセリフは言えないだろう。
聞こえているのなら、なぜ『パパ』と呼ばれる立場で少女を無視したのか。疑問は深まるところではあるが、今は関係ない。
「一度パーティで顔を合わせてるだろ。
『覚えていたのか。
以前、顧問たるつばめの代理で、支援部員はある企業のレセプションパーティに参加したことがある。
その時、つばめの不在について、訊いてきた男がいた。彼はその時、彼女のことを『
日本人からすれば特徴的なあだ名のため、特徴のない男のことも記憶に残った。後でつばめに報告するためにも、誰なのかを調べた。
《魔法》に関わる電子機器を扱う大企業のトップと、《
だが、想像を超えた関係のようだった。
(理事長は『ママ』で、今度は『パパ』? 独身こじらせてる、あの理事長の様子だと、夫婦って気しないんだが)
樹里の件だけでも常軌を逸脱しているのに、相関図が次々と複雑化していくことに、顔をしかめてしまう。
「あのね、パパ――」
『黙れ。割り込んでくるな』
「え……」
しかも、アサミと成されているのは、やはり少女の名前は自称であることを示す、とても親子とは思えない会話だ。
かといって赤の他人とも異なる。なにも関係がなければ、そんな冷たい態度はむしろ取らない。
再婚した親が、相手の連れ子を自分の子と認めないような。不本意ながら結ばれてしまった
情報が足りない。事態がわからない。
トラブルは御免したいが、既に巻き込まれている。
だから仕方なく、十路の側から問うて、情報収集を行う。
「アンタが俺たちをここにおびき寄せたみたいだが、どういうつもりだ?」
『簡単なようで難しい質問だね。簡単な部分から答えると、君が目当てではない』
カメラの類は見当たらない。だが、言葉が途切れたわずかな間に、相手の視線が動いたのを感じた。
『
「……声、全然違いますけど、五月に私を誘拐した人なんですね」
警戒心とわずかな戦意を覗かせて、樹里が上を向いて応じる。
愛想笑いで自分の感情を出さなかったり、確定事項でないことは疑念として、曖昧にする悪癖のある彼女には珍しい、やけに確信を持った言い方だ。中国語での名指しを理解していることを含めて、不思議に思う。
(あの時の、ライダースーツ野郎が、XEANEの責任者? しかも《魔法使い》だったはず……)
誘拐事件の黒幕と、またもや思わぬ線が繋がっているらしい。
「私のなにが目的ですか?」
胡乱な目で天井を見上げる樹里は、なぜ確信しているのか。十路は一瞬姿を見ただけだから、知らないなにかあったのか。
『……見ても、わからないか』
そしてなぜ相手も、樹里の態度に失望したような色を
『その説明が難しい……その様子ならば、君に語っても無駄だろうとも思う』
樹里の顔が、不快感も加わって更に歪む。
やはり彼女には珍しい表情だ。
『だから、ここに呼んだ用事を済ませてもらおう』
一方的な言葉の直後、四者四様の変化が訪れた。
まずは十路自身に。
《上位権限有者によるアクセス――確認》
《準管理者No.010権限――暫定凍結》
《セフィロトサーバーバックアップ――切り離し》
《緑の上衣を着た兵士.lilith――起動》
「な!?」
脳裏に新たなシステムメッセージが点ったと思えば、左手が意志とは無関係に動いた。
同時に《バーゲスト》に搭載していた黒い
またも勝手に動き、それを受け取った腕が、形を崩す。小銃を包み込み、一度も使用していない金属の部品を材料に、新たな腕へと作り直す。
世界最硬物質の皮膚と、合金の鱗が生えた、悪魔の腕へと。
【な、ぜ……!】
《バーゲスト》も。明滅させたディスプレイを黒くし、誰も支えていないのにバランスを保っていた機体が、音を立てて転倒した。
なにも触れていないのに、
「これ……!?」
樹里が
それでは終わらない。普段着の下で肉体が、不自然に
「あの時と、同じ……!」
金色の獣瞳を驚愕で見開いているが、彼女は我を失っていない。なのに《千匹皮》が暴走している。
「う……! う……!」
アサミもまた、樹里と同様に倒れ伏して、ブカブカな急造の服を
そして立つ場が風洞であるかのように、通路に突風が吹き荒れた。大型オートバイすら動かす風圧なのだから、人間がとても耐えられるものではない。十路たちは成すすべなく風に押し流される。
『マーメイ……早く――』
まだなにか言葉が続けられていたが、最後まで聞くことはできなかった。
△▼△▼△▼△▼
「がっ!?」
周囲が明るくなり、宙に投げ出されたと思った時には、固い地面に投げ出された。まともな受身を取ることもできなかったが、幸いにも横方向に投げ出されたので、致命的な衝撃を受けることなく、斜面を転げ落ちる。
「外……?」
木に引っかかって止まった十路は、痛みに息を詰まらせながら身を起こす。
だが、それすら難儀した。変化したままの左腕が全く動かない。《
(このまま腕が戻らないんじゃないだろうな……)
以前と同じ危機感を脳裏の隅に押しやりながら、十路は動く右手で木を掴みながら、斜面を移動する。左腕が重くバランスが取りづらく、ただ歩くことすら難儀する。
「うぐ……!」
うめき声を頼りに足を進めると、すぐに樹里が見つかった。木に体を預けたまま、動けない様子だった。
一緒に吹き飛ばされてきた《バーゲスト》も、見える範囲にひっくり返っていた。
「先輩……! 離れて……!」
脂汗を流しながら、琥珀色の瞳を向けて、近寄る十路に警告する。
彼女の体は今も、不自然に
今の状態で彼女に襲いかかられたら、ひとたまりもない。
――もしも私がまた暴走したら……どうやっても止められないなら、私を、殺してください。
――もし、ぶつかることになって、《ズューセブライ》が生き残るようなことになったら……その前にジュリちゃんを、殺して。
樹里と、つばめの願いが、リフレインする。
「キレるんじゃねぇぞ……! 我慢しろ……!」
だが今はまだその時ではないと、彼女に肩を貸して立ち上がらせる。いくら細身の少女とはいえ、さすがに右腕一本では抱え上げられない。
「
十路の左腕も、樹里の暴走も、ただの嫌がらせで終わるわけはない。
アサミは、直接的な敵ではないかもしれない。だが敵に送り込まれた駒のは、疑いようがない。
彼女は爆弾だ。そのものの意思などどうでもよく、被害を広げてしまう。
十路の《
十路は斜面を使って《バーゲスト》を引き起こし、樹里をシートに腹這いで乗せる。やはり左腕が使えない状態で、右腕一本ではそれが精一杯で、彼女も己を押さえ込むのが精一杯のようで、成すがままだった。
「くそ……!」
キーシリンダーを捻っても、ディスプレイを叩いても、《バーゲスト》はうんともすんとも言わない。イクセスだけでなく、機体のシステムそのものが働いていない。電気的に破壊された可能性までも考えられる。
斜面ではまだしも、平地では荷車以上には使えない。
「木次、無線使えるか……!」
「無理、です……! それどころじゃ……!」
《塔》の外に出て通信可能な状態になったも、救援要請できる状態ではない。
ならば今できる行動は、撤退のみ。十路は左腕を機体に預け、右手でだけフロントブレーキだけを操り、一緒に斜面を滑り降りる。
「あ……あ……」
だが途中で、出くわしてしまった。子供の体格のためか、十路たちよりも遠くに吹き飛び、太い木の枝に引っかかっていた少女に。
虚ろな目を見開き、体を
大きく開いた口から。手足が形を失って。即席の服を引き剥がして。
「あああああああああぁぁぁぁぁぁっっ!!」
肉が噴出して、怒涛と化した。
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