000_1500 ドン・キホーテは、狂いきれていない


 つつみ十路とおじはそうして、修交館学院に転入し、総合生活支援部に入部した。

 深い山側からイノシシの鳴き声とは違う、文字にしがたい別の悲鳴がまた聞こえたことで、考えにふけっていた自分に遅れて気づいた。


「…………」


 同時に、向かいのソファに座る南十星の視線にも気づいた。

 十路が義妹を苦手とする理由のひとつが、この視線だ。『察しがいい』というレベルではなく、理屈も経緯もすっ飛ばして直感で結論に辿たどりつくこの妹だと、顔色だけで心の内が読まれる予感がした。だから十路はソファの背もたれに体重を預け、首の後ろで手を組んで、天井を見上げる。


 まだ半年たっていない過去から、現在までのことを思い出すと、なんとも言えない気分になる。

 『普通の学生生活を送る』という作戦目標遂行は、順調とは言いがたい。

 学生は未来を選択できる立場であるから、『将来のため』という曖昧あいまいかつ未確定な役目に備え、実際社会に出れば使わない知識まで、広く浅く詰め込められる。対して自衛官に求められる役割は既に決まっていて、勉強に取れる時間などしれている。余計なものをぎ落とし、狭い深い知識を最小高効率で吸収しなければならない。

 大きすぎる違いには、戸惑いしかなかった。常に緊張感を強いられた立場から、ゆるい生活環境に放り込まれて、苛立いらだちすら覚えたこともあった。学校という場において、十路の考えが異質という自覚はあったので、元々希薄な社交性を切り捨てた野良犬の態度で乗り切ることにしたが。


 だが唯一、他の、多くの、普通の学生たちと同じと思うこともある。


(俺は結局、なにをしたいんだろうな……?)


 漠然とした未来予想図しか描けず、将来と現在を不安に思いつつも、流されるように生きている。


 十路は、他の部員たちほど、今の生活に執着していない。少なくとも彼自身はそう思っている。

 支援部の立場や、取り巻く情勢は、あまりにも危険だから。人間兵器扱いされる《魔法使いソーサラー》を一般人の中で生活させて、その影響を調べるという、社会実験チームとしての建前は危険で無理がある。

 いつ『普通の学生生活』が終わりを向かえるか、わからない。だからいざトラブルを迎えた時、彼は生活を切り捨てて逃げることも視野に入れている。これまでの大規模な部活動において、結局のところ学生生活を死守しているので、矛盾した考え方ではあるが、現実を見据えた選択肢としては常に存在している。

 一年後、三年後、五年後の将来を考えた時、『これでいいのだろうか?』と不安を覚えつつも、漫然とした現在を生きるしかない。


 なによりも、守りきれると思っていない。


 空想的理想主義者の騎士ドン・キホーテを名乗るには、まだまだ狂いきれていない。

 常人の異常こそが、十路の平常だったから、正常性バイアスが発動しない。

 《魔法使い》が普通の学生生活という幻想に、ドップリ浸かりきってしまうことに、危機感を覚えてしまう。

 もしかしたら、物語のドン・キホーテも、そうだったのだろうか。


「食うでありますか?」


 架空の人物の真実など、作者以外は誰も知ることはできない。だが、野依崎が意味不明に差し出す煎餅せんべいを、手を使わずかじりながら、ふとそんなことを考える。

 物語で描かれているのは、騎士道物語に憧れて遍歴の旅に出て、様々なトラブルを巻き起こす、現実と妄想の区別がついていない老人の姿だ。

 しかし彼は、騎士道とは無関係なところでは、理性的で思慮深く描かれている。

 だから想像の余地がある。

 ドン・キホーテは最初から最期まで正気で、騎士という名の道化師を演じていただけではなかろうか、と。


――The most difficult character in comedy is that of the fool, and he must be no simpleton that plays that part.(喜劇で一番難しいのは愚か者の役であり、演ずる役者は愚か者ではない)


 作品の中でも、そんな言葉が出ていた記憶がある。


「…………」


 コゼットに話したら、部室の本棚にある本を渡されたので、覚えがある。今はなぜか彼女は、鼻をつまむと変身するキノコでもなく、押した者の姿をコピーするロボットでもないのに、十路の鼻をつついてくる。

 無視して天井を眺めていると、彼女も諦めたか、やがて手を引っ込めた。『なにしたいんだか』と呆れつつ流し、十路は上を向いたまま、怠惰に大欠伸する。


「てい」


 そのタイミングで、ナージャが口に飴を投げ入れてきた。


「んご!? ごほ!? げほっ!?」


 無防備に両手は後ろ頭で組んでいたから、防ぐこともできない。吸い込む息と一緒に丸飲みしかけた。

 咳と一緒に飴玉は宙に飛び出した。天井近くまで飛んで放物線を描いて。


「んあ」


 落下地点で待ち構えていた、南十星の口にホールインワンした。


「なとせ……いくらなんでも、俺が吐き出したのを食うの、どうかと思う……」


 本来ならば、危険なタイミングでイタズラを仕掛けたナージャを怒鳴るのが筋だろう。他はどうか知らないが、十路にとっては。

 しかし今は、妹の行為のほうが気になった。間接キスを気にすることなく、飲み回し・食べ回しは今更だが、口に入れたそのものを食うのはどうなのか。


「アメじゃん。気にするほどでもないっしょ?」


 飴玉を舌で転がし、片頬を膨らませる南十星は、全く気に留めていない。

 これ以上ツッコめば、『兄貴とならグッチャグチャに噛んだのでも口移しで食えるけど?』などというドン引きモノのセリフが出てくる予感を覚えた。想像の斜め上を行くアホの子なのはもう諦めているが、妹の変態加減まで確かめる勇気はないので、十路は口を閉ざすことにした。空気を読んだのではない。トラブルを回避した。


「さっきからなんなんですか? 俺にちょっかいかけてきて?」


 代わりに疑問をぶつけると、彼女たちは一様に呆れたような顔を作る。


「なーにひとり黄昏たそがれてんですわよ?」

「小難しい顔しちゃって。十路くんはただでさえ人相悪く見えるんですから、やめたほうがいいですよ?」

「兄貴。またなんか、ロクでもないこと考えてるっしょ?」

十路リーダーはいつもそうでありますね」


 コゼットが、ナージャが、南十星が、野依崎が、口々に不満未満懸念未満の言葉をかけてくる。義妹はともかくとして、こういう言葉が出てくる程度には、彼女たちとの付き合いも深まってしまった。


「ただ単に、俺が入部してから、色々あったなぁ……と思ってただけだ」


 打ち明けつつ、十路は体を捻って、ひとりひとりを見やる。


 まずはコゼット。

 誤解から、初対面で交戦した仲だ。そんな出会いなので、王女サマに対する気遣いは最初から持っておらず、彼女の側も望んでいない。

 今でも仲がいいかと問われれば、傾げた後に首を振る。時に意見をぶつけ、言い争うこともある。先輩後輩の会話をすることよりも、対等に事務的な会話内容のほうが遥かに多い。

 だが部内で十路が一番信頼しているのは、やはり彼女だ。


「部長って、初めて会った頃と比べて、少し丸くなりましたね」

「体重キープしてますわよ!?」

「人間性の話です。よく俺に『嫌い』って言ってたのに、最近は聞いた記憶がないですし」

「あ、あれは……! そりゃ、その……」


 コゼットは咄嗟とっさの声を上げたが、けれども言葉は続かない。浮かんでいる表情は、少女のような焦りと不安だった。

 そんな顔を見せる人物ではなかった。穏やかで完璧な王女の仮面を外せば、中途半端にガラが悪いだけ。なのにそんな『弱み』を見せるようになった。


 次にナージャ。

 彼女とも敵対したことがあるが、コゼットとは意味が異なる。それより前に居座っていたようだが、支援部に正式入部したのは、十路よりも後だ。

 だから部内で彼女の世話になることは、お茶汲みや茶菓子以外ではあまりない。しかし同じクラスに所属しているため、日常生活において、彼女に一番世話になっている。


「ナージャは……あんま変わってないよな。入部前からこの部室に居座ってたし。俺に対しても、なんか初対面から、やたら馴れ馴れしかったし」

ロシア対外情報局SVRのお仕事中だったんですから、突然日本の《騎士ナイト》が出てくれば、調査くらいしますよ」

「くっついて胸押し付けてくるかと思いきや、やたらウブいし……不自然な部分が明け透けだし……お前がスパイかどうか判断するにも、時間がかかったもんだ」

「どーせ落ちこぼれ非合法諜報員イリーガルですよ」


 ナージャは、唇を尖らせてねる。

 とはいえ十路からすれば、彼女が『役立たず』だったからこそ、今のような関係に落ち着いているのだが。


 続けて南十星。

 彼女は部に関わる前後で変化はない。というより、それより以前に変わっている。まだ両親が健在だった頃、突然できた義理の兄を恐れていた幼い少女の面影はなく、強くなった。

 とはいえ十路が一番心配し、守りたい相手であることに変わりない。


「なとせは………………………………………………少しは変われ。成長しろ」

「そんだけタメてセッキョーかい!」

「だってなぁ……お前見てると、不安しかないぞ? 説教しても無駄な気するから、これ以上は言わないけど」

「なんて言われようと、あたしという人間は、あたし以外になれないのだよ」

「架空の他人を演じてた元俳優のセリフとは思えんぞ。とりあえず人外行為はヤメロ」


 幼児体型はどうしようもないとしても、とりあえずアホの子なのと狂気的な《魔法》については、変化してもらいたい。

 十路もなかなかに無茶をするが、この愚妹に関してはブレーキ役をし続けねばならないのか。未来を想像すれば、ため息しか出てこない。


 気を取り直して、野依崎。


「…………」

「?」


 無言で『なんでありますか?』と訊いてくるソバカス顔をまじまじと見ても、十路の口から言葉が素直に出てこない。


「フォーが一番変わったはずなんだが、なぜか変化してる気がしない……?」

「これでも成長してるであります……最近ハベトロットが窮屈に感じるので、改造を考えているところなのに……」

「わかってる。お前が色々変わってるのは、わかってるんだが……」


 出会った頃はモッサモサの赤毛頭に額縁眼鏡で、常に色あせた偽ブランドジャージという、恰好も生活もヒキコモリ全開だった。それが最近では小奇麗にし、ちゃんと地下室から出てくるのだから、間違いなく一番変化している。

 なのになぜか、ずっと前からこの姿で部室にいたような気がしてならない。存在感がないゆえの錯覚なのか。逆に存在感がありすぎる故なのか。

 まぁ、なりは子供とはいえ、大人顔負けの技術を持つので、なんだかんだで頼りになることに変わりない。


 最後に、と首を動かすと、向かいの席からズレてソファに座る、木次きすき樹里じゅりと目が合った。


「……っ」


 彼女は驚きよりも怯えの感情を浮かべ、小さな肩を震わせて、それとなく視線をらした。


 樹里との人間関係は、変わった。

 近しい先輩後輩、部活仲間と一言で言い表せる間柄ではなくなった。

 十路が変えてしまった。

 だとすれば、今の関係は、なんと評するべきなのか。


 視線を察知しているのか、顔を戻すことなく縮こまっている樹里を見ながら、十路はボンヤリと考える。


(とりあえず、木次の姉貴とその旦那に会って話を聞かないことには、な……)



 △▼△▼△▼△▼



 その『木次の姉貴』はというと、同じ頃、インドのスラム街にいた。

 発展いちじるしいゆえの国は、貧富の格差が非常に大きい。かつて存在した身分階級に法的根拠はないが、今でも目に見えない場所に依然とある。

 街中でも一目瞭然だ。高層ビルのすぐ横に、スラム街が広がっている地域など、当たり前にある。日本都市圏の下町などとは、意味が違う。

 だから社会の闇も、深い。


 街乗りライダースタイルのゲイブルズ木次きすき悠亜ゆうあは、粗末な小屋が立ち並ぶ小路を足早に歩く。本来旅行客、それも女性ひとりで来るような場所ではないから目立つが、気に留めない。物乞いの声は無視し、良からぬ思惑を瞳に浮かべた者は軽くいなし、ジャケットのポケットに手を突っ込んだまま、奥まった場所へと進む。


 そして一軒の小屋に入った。シート一枚で仕切っているだけなので、気分を出して扉を蹴り開けることもできない。


「ハロー? ミス・インセクト&ミスター・ニンジャ」


 小屋の中には、疲れた風情ながら、反応した男女がいた。

 キャサリン・ワン――通称『蟲毒』。

 ゲーリー・ナシモト――通称『ニンジャ』。

 もちろん知り合いなどではないから、元フリング社Sセクションの工作員たちは、突然の闖入者に警戒している。


「やー、インドに伝手つてなんてないし、探すの苦労したわ」


 ふたりの警戒に構わず、悠亜は小屋に足を踏み入れて、視線でのみ物色する。

 まともな家具などない屋内には、ジャンク品であろう電子部品や、統一性のない容器が大量にある。


「ま、サイボーグ虫HI-MEMSなんか再現しようとしてる人なんて、そうそういるはずがないし、断片情報集めるだけでなんとかなったけど」


 『蟲毒』が裏稼業を行う手段として、虫を養殖して、操作するための電子機器を、独力で再現しようとしているのだろう。

 それを言い当てるユーアも、アンダーグラウンドに生きる者だとわかっただろうが、『どの筋の者』かまではわからない。

 だから『蟲毒』は、相手が使っている言語に合わせて、問う。


「アンタ……誰?」

「あなたたちが日本で誘拐した、女子高生の姉」


 返答に『蟲毒』だけでなく、『ニンジャ』も顔を引きつらせる。

 彼女らがこんな場所で、こんな生活を送っている原因は、間違いなくその事件に関わっていたから。


「ナゼ、今更……」


 『ニンジャ』が問いを重ねる。その事件は五月で、五ヶ月が経過している。そして事件当日、彼らが逃亡したことは、当然のように発覚している。兵庫県で活動する学生 《魔法使いソーサラー》の証言と、コンテナの部材に括りつけられていた死体の数が、合わないのだから。


 消えた彼らの行方を掴むのに、時間がかかったとも考えられるはず。しかし『ニンジャ』はそう考えなかったようだ。

 実際、悠亜はもっと早くに行動できた。彼女は|動く実行戦力であって、指揮・情報部門たる者の判断なのだが、もっと早くから確保に動くことはできた。

 それなりに名の知れた暗殺者であろうとも、彼女たちにとっては、そこらにいるチンピラ程度にしか考えていない。


 なのに長久手ながくてつばめが、悠亜をインドに派遣したのは。


「《ヘミテオス》のこと」


 ふたりが禁忌に触れる行いをしたから。


「ヘミ……テオス?」

「あら、名前までは知らなかったのね。でも、《魔法使いの杖アビスツール》なしで《魔法》を使う《魔法使いソーサラー》のこと、話したでしょ?」

「…………!」


 心当たりがあると言わんばかりに、『蟲毒』が顔を歪めたが、悠亜は気にしない。ポケットから手を出さないまま、大仰に首を振って鼻で笑う。


「や~。あなたたちに樹里ちゃんの誘拐を頼んだ黒幕が、普通の人間じゃなかったからって、強請ゆすろうとするのはマズいでしょ」

「仕方ないじゃない……!」


 思わず感情を発火、相手の思惑が読めないから、すんでのところで耐えた。そんな風に『蟲毒』が反論しかけたが、やはり悠亜は聞く耳を持たない。


「はいはい。要点まとめれば、どうせ生きるのに金がいるからってこと、言いたいんでしょ? そういうのはご近所さんと比べてから言いましょうね?」


 彼らがそれまで、どのような生活をしていたかなど、どうでもいい。

 加えて、『命があるだけ儲けもの』と考えて、出しゃばった真似をしなければ、ふたりの身柄などどうでもよかった。


XEANEジーンに本気になられちゃ、私たちも色々と困るのよ」


 ただ、彼らの行いを発端として、彼女の側にも不利益が生まれるから、悠亜はポケットにずっと入れていた両手を出した。



 △▼△▼△▼△▼



「みんな~。揃ってる~?」


 支援部員全員が一斉に、気の抜けた女性の声が聞こえた方角を振り向いた。

 ダンボール箱を両手で抱え、いつものレディーススーツ姿で、顧問であるつばめが、ようやくにしてやって来た。支援部員たちが部室に集まっているのは、彼女が集合をかけたからだが、遅れに遅れて最後にやって来た。


「理事長? んで? なにやろうってんですの?」

「まずはコレ」


 先に『面倒ゴトは御免ですわよ』と言外に言うコゼットに、つばめは持ってきたダンボール箱を押しつけてくる。

 疑問符を浮かべて受け取ったそれをテーブルに置き、デニムジャンパーのポケットから十徳ナイフを取り出して、彼女は封を切る。女子大生の持ち物とは思えないが、理工学科在籍ならば関係ないのだろうか。あと日本国内では職務質問される可能性があるので、持ち歩かないほうがいいのだが。


「あ、これ……」


 中でも小分けにされていた包装をぐと、内部に電子回路が封入された、大量のプラスティックシートが出てきた。

 先の戦闘ぶかつどうで消費してしまった、コゼットの整備用本型 《魔法使いの杖アビスツール》――《パノポリスのゾモシス》の部品ページだった。


「どうやって用意しましたの?」


 彼女は空間制御コンテナアイテムボックスから、ゾモシスの表紙を取り出して、装着しながら問う。

 極薄フィルム状電子回路は、医療をはじめ様々な分野で期待されている技術だが、まだ『厚さ何ミリの電子回路の開発に成功』と科学ニュースになるくらいなのだから、実用段階には至っていない。

 そんなものを大量に渡されれば、疑問を抱くのは当然だろう。


「もちろん予備を用意してたに決まってるじゃない。保管場所が遠かったから、届くのが今日になっちゃったけど」


 つばめからの返答も、当然だった。ゾモシスのページは半ば消耗品だから、用意してしかり。

 名誉のために付け加えておくと、持ち主の上に《付与術士エンチャンター》たるコゼットも、予備の準備はしていた。それも先の戦闘ぶかつどうで使い切ってしまっていたから、こんなことになっていた。


「皆さんの装備、ようやく整備できますわ」

「壊れたとかなかったよね? だったらすぐ使うから、最低限、電池交換だけにして」


 部長兼備品管理責任者と、顧問の言葉で、部員たちはそれぞれバッテリー切れしている装備を取り出す。

 野依崎は、自力でバッテリー交換可能な装備仕様なので、特に動かない。

 十路は、装備そのものが大破しているので、特に動かない。


【早く私も修理してください!】


 半壊しているオートバイは自己申告しているので、十路がなにか言う必要もない。


 コゼットは本に《魔法》を与え、分離させる。装着したばかりのページたちが渦を巻く、万能工場と化した中に《魔法使いの杖アビスツール》を取り込み、外装を分離させる


「ガチな戦闘やったから、結構ガタ来てますわね……どっかで時間とって整備しないと……」


 電池交換だけだから早い。コゼットはぼやきながら、次々と応急作業を終わらせていく。

 続けてプラスティックシートの渦は、《使い魔ファミリア》を包む。


【なぁっ!? このまま修理!?】

「いちいち分解バラすの、めんどいんだっつーの」

【ちょちょちょちょっと――ぎゃああああぁぁぁぁっ!?】

「動くんじゃねーですわよ。フレームに金属疲労ストレス溜まるでしょうが」

【穴ぁ!? ボディに穴がぁっ!?】

「バッテリー交換させろっつーの。どうせ塞ぐんですし、既にボロボロなんですから、穴空けても今更でしょう」

【ちょ、部品を押し込――ぐぇふぉっ!?】

「なんで機械の分際でえずくんですわよ」


 整体や足ツボマッサージどころではなく、麻酔なしで手術を受けるようなものなのか。絶叫するオートバイを、無情にもメキメキ音を立てて復元させる様に、部員たちは引いた。お世辞にも仲がいいとは言えない彼女たちの関係を考えると、この程度は序の口かもしれないが、それにしてもコゼットは容赦がない。


【ト、トージに、整備される、ほうが、マシです……!】

「……うん、まぁ、なんだ。応急処置だから、そのうち本格的にメンテするからな?」


 十路の手による整備を嫌がるイクセスが、息も絶え絶えにそう言うのなら、相当なのだろう。


「はい。じゃあ予想ついてると思うけど、街の復興、お願いね。細かい指揮はコゼットちゃん、よろしく」


 そんな暴虐など全く気にすることなく、つばめが顧問として指示を出す。


「細かいところはいいから、今日一日で復興させてね」


 いくら《魔法使い》といえど、なかなか無茶な内容だったが。


「復興需要、多少は作っておかないと」

「手抜きはいくらでもできるでしょうけど、ライフラインの復旧とかも?」


 作業中のコゼットに代わり、十路確認すると、なにを企んでいるのかわからないタヌキ顔で、つばめは説明する。


「各地域に水・ガス・電気を送る主要施設まででいいよ。そこから各建物に引き込むのは、事業所に任せよう」

「なんでそんな、中途半端に急ぎで?」

「明日から秋休みいっぱい、支援部は無人島生活することになったから」


 あっけらかんと明かされた予定に、部員たちは大なり小なり困惑を示す。


「サバイバル生活……!」


 目を輝かせ、拳を握り締める野生児なとせを除いて。


「詳しいことは後でメールするから、まずは復旧を急いで。こっちを終わらせないと、神戸を離れられないし」


 なんの説明もなしに事態に巻き込むのが、この顧問の常だ。訊いてもほとんど情報は与えられない。

 だが直近で必要な情報は与えられるので、今回もそうだろうと、部員たちは目配せで、詳しい説明を求めても無駄だと判断した。


「じゃあ、わたくしたちは市街地へ。細かい指示は現場で、ですわね。フォーさんは学校に残って、保存している破損前のデータを、適宜送信してくださいな」

「朝から山で起こってる悲劇、どうするんです?」


 作業を終えたコゼットの指示に、ナージャが口をはさんだ。

 丁度よく山の方角から、獣の鳴き声と、誰かの悲鳴がまたも聞こえてきた。


「フリーのジャーナリストか、どこかの諜報員か、探偵か暗殺者か知りませんけど。イノシシに襲われてるの、放置ですか?」


 監視は前々からのことだが、先日支援部は全世界レベルで名が世に出ることになったので、民間 《魔法使いソーサラー》の情報を得ようとする人間が増えた。真正面から来るマスコミだけでなく、陰からも情報を狙うやからも激増した。

 修交館学院周辺は魔境という情報は、得ていなかったようだが。イノシシが闊歩かっぽするなど、神戸の山手では日常の光景だというのに。


 部員たちの視線が、また顧問に集中すると、つばめは軽く肩をすくめて、新たなの指示を下す。


「余裕があるなら、確保しといて。色々と使い道あるし」

「了解。んじゃあ、堤さんと木次さんに任せますわ」


 装備を片付け、アタッシェケースを手にするコゼットに言われ、思わず十路は顔をしかめた。

 その人選が適切であろうことは、理解できる。相手が負傷している可能性があるため、《治癒術士ヒーラー》を。確保や連行が力づくになろうであろうから、男手を。

 しかし今、樹里と二人一組ツーマンセルになるのは、やはり避けたい。


 それはわかっていると、すれ違い様、コゼットが耳に唇を寄せる。


「木次さん、早いとこ、なんとかしなさいよ」


 遠回しに『仲直りしろ』と言い捨て、コゼットは部室を出て行く。南十星もナージャも、彼女に同意するように一度視線を向けて続く。


「じゃ、あとよろしくねー」


 つばめも手を振って背中を向ける。

 学校に残る野依崎は、デスクの下から、十路の空間制御コンテナアイテムボックスを出して渡してから、部室を出て行く。現役非公式自衛官だった時の装備も中に入っているため、他の部員たちのように普段は持ち歩かず、彼女に管理を頼んでいるのだが。まさか部室に無造作に隠しているような杜撰ずさん管理ではなかろうかと、危機感を抱いた。


 部室には、ふたりと一台が取り残されることになった。

 十路は小さくため息をつき、樹里を見やる。先ほどのように肩を震わせることはなかったが、目を逸らしている。

 完全に避け、逃げるわけでもない。

 けれども、現状打破しようと向かってくるわけでもない。


 不選択という、この曖昧あいまいな現状維持を選ぶなら、仲直りなど到底できない。

 『魔法使い』は、誰かの願いを叶える者。差し伸べられた手を、その時の気分で握り返すしかない。


 彼女の態度にそう判断すると、十路はオートバイのアタッチメントに、追加収納パニアケースを載せた。

 山に潜んでいた相手がどう反応するか、わからない。逃げることも考えるなら、なら足が欲しい。確保したところで、人力だけで運ぶのは勘弁してもらいたい。


【これから山に入るのに、私に乗る気ですか?】

「タイヤをオフロードに変えれば、走れる」

【分類上、《バーゲスト》はオンロード車なんですけど……】

「スクランブラーっつー都合のいい分類があるだろ」

【どうせなら、高速道路カッ飛ばしたいですね……】


 なんだかんだいいつつも、機体が修理された嬉しいのか。普段よりも少し口が軽いイクセスと話しつつ、オートバイを外へ出す。

 

 振り返ると、樹里はノロノロと立ち上がったところだった。

 同行まで拒否するつもりとは思えないが、移動をずらす意図はうかがえた。


「仕方ないから、いくぞ」

「……はい」


 言葉どおり、本当に、仕方なしに声をかけ、共に動いた。



 △▼△▼△▼△▼



 二人乗りで不整地走トライアルなど、普通なら危険すぎる。だが《魔法使いソーサラー》や《使い魔ファミリア乗りライダーは普通でない人種なので、普通にやる。崖でもなければ、木が密集した原生林ほどでもない。《魔法》で作り変えたオフロードタイヤとマシンパワーにものを言わせ、グイグイ進んでいく。


 会話はない。さすがになだらかな斜面とはいえ、アスファルト舗装の道路とは快適さが比べ物にならない。下手に口を開けば舌を噛む。

 たとえ平坦な道を走っていても、苦もなくクッションを取る同乗者と、会話はなかっただろうが。


【それで、トージ? どうするつもりですか?】


 音ではなく、《魔法》を使うために行った脳機能接続で、音声データを直接あたまに送りつけられた。

 ヘルメットに仕込まれた無線機を使わないのは、樹里に聞かせられない話ということなのか。彼女が被っているヘルメットにも無線機があり、それ以前に《ヘミテオス》の彼女は電波を直接観測できるから、有線でと。

 十路も口を開かず、生体コンピュータで音声データを作って送信する。


(どうするって、なにがだ?)

【わざわざ個々に言う必要あります? あなたの身の回りで起こった変化諸々もろもろひっくるめてですよ】

(と言ってもなぁ……)


 なにも、どうしようもない。どの問題も、すぐには解決できない。

 きっと一番手近なはずの、樹里との関係など、完全に後回しに考えてしまっている。


【なら、言い方を変えましょう。五月――初対面で私がトージに言ったこと、覚えてますか?】

(どれのことだ?)


 反射的に疑問を返したが、どの話かはおおよそ、直感的にわかった。

 あの時も、イクセスは樹里には聞かせない話をするために、そういう措置を行っていた。


【私はジュリのために製造されました。あなたが私の、ジュリの不利益になるならば、どんな手段を使ってでもトージを破壊します】


 製造責任者に会っていないので、正確なところは知らずとも、本来バーゲストは樹里のために作られた《使い魔ファミリア》であろうことは、予想できる。十路に対してはキツい物言いの多いイクセスも、樹里に対してはどこか甘いのだから。

 十路と樹里が対立した時、イクセスは彼女の味方をする。場合によっては殺すことも視野に入れる。


(それでいい。お前は木次の味方をしてやれ)


 断言されて、十路はむしろ安心した。

 間違っているのは己だと、自覚しているから。


 ドン・キホーテは、なんのために旅に出た?

 妄想の貴婦人ドゥルシネーアを守るためではなかったか?


ロシナンテは、従者サンチョ・パンサを兼ねてたか)

【……その発言の経緯も意味も理解できませんが、不名誉なことを言われてるのは、なんとなく理解できます】


 間違っているとは思っても、簡単に正すことはできない。

 ドン・キホーテとは、愚か者の代名詞なのだから。


(なんとかしないと、いけないんだろうけどな……)


 音声データ化してイクセスに伝えることはせず、十路は心の中でだけ嘆息ついた。

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