000_1500 ドン・キホーテは、狂いきれていない
「…………」
同時に、向かいのソファに座る南十星の視線にも気づいた。
十路が義妹を苦手とする理由のひとつが、この視線だ。『察しがいい』というレベルではなく、理屈も経緯もすっ飛ばして直感で結論に
まだ半年たっていない過去から、現在までのことを思い出すと、なんとも言えない気分になる。
『普通の学生生活を送る』という作戦目標遂行は、順調とは言いがたい。
学生は未来を選択できる立場であるから、『将来のため』という
大きすぎる違いには、戸惑いしかなかった。常に緊張感を強いられた立場から、
だが唯一、他の、多くの、普通の学生たちと同じと思うこともある。
(俺は結局、なにをしたいんだろうな……?)
漠然とした未来予想図しか描けず、将来と現在を不安に思いつつも、流されるように生きている。
十路は、他の部員たちほど、今の生活に執着していない。少なくとも彼自身はそう思っている。
支援部の立場や、取り巻く情勢は、あまりにも危険だから。人間兵器扱いされる《
いつ『普通の学生生活』が終わりを向かえるか、わからない。だからいざトラブルを迎えた時、彼は生活を切り捨てて逃げることも視野に入れている。これまでの大規模な部活動において、結局のところ学生生活を死守しているので、矛盾した考え方ではあるが、現実を見据えた選択肢としては常に存在している。
一年後、三年後、五年後の将来を考えた時、『これでいいのだろうか?』と不安を覚えつつも、漫然とした現在を生きるしかない。
なによりも、守りきれると思っていない。
常人の異常こそが、十路の平常だったから、正常性バイアスが発動しない。
《魔法使い》が普通の学生生活という幻想に、ドップリ浸かりきってしまうことに、危機感を覚えてしまう。
もしかしたら、物語のドン・キホーテも、そうだったのだろうか。
「食うでありますか?」
架空の人物の真実など、作者以外は誰も知ることはできない。だが、野依崎が意味不明に差し出す
物語で描かれているのは、騎士道物語に憧れて遍歴の旅に出て、様々なトラブルを巻き起こす、現実と妄想の区別がついていない老人の姿だ。
しかし彼は、騎士道とは無関係なところでは、理性的で思慮深く描かれている。
だから想像の余地がある。
ドン・キホーテは最初から最期まで正気で、騎士という名の道化師を演じていただけではなかろうか、と。
――The most difficult character in comedy is that of the fool, and he must be no simpleton that plays that part.(喜劇で一番難しいのは愚か者の役であり、演ずる役者は愚か者ではない)
作品の中でも、そんな言葉が出ていた記憶がある。
「…………」
コゼットに話したら、部室の本棚にある本を渡されたので、覚えがある。今はなぜか彼女は、鼻をつまむと変身するキノコでもなく、押した者の姿をコピーするロボットでもないのに、十路の鼻をつついてくる。
無視して天井を眺めていると、彼女も諦めたか、やがて手を引っ込めた。『なにしたいんだか』と呆れつつ流し、十路は上を向いたまま、怠惰に大欠伸する。
「てい」
そのタイミングで、ナージャが口に飴を投げ入れてきた。
「んご!? ごほ!? げほっ!?」
無防備に両手は後ろ頭で組んでいたから、防ぐこともできない。吸い込む息と一緒に丸飲みしかけた。
咳と一緒に飴玉は宙に飛び出した。天井近くまで飛んで放物線を描いて。
「んあ」
落下地点で待ち構えていた、南十星の口にホールインワンした。
「なとせ……いくらなんでも、俺が吐き出したのを食うの、どうかと思う……」
本来ならば、危険なタイミングでイタズラを仕掛けたナージャを怒鳴るのが筋だろう。他はどうか知らないが、十路にとっては。
しかし今は、妹の行為のほうが気になった。間接キスを気にすることなく、飲み回し・食べ回しは今更だが、口に入れたそのものを食うのはどうなのか。
「アメじゃん。気にするほどでもないっしょ?」
飴玉を舌で転がし、片頬を膨らませる南十星は、全く気に留めていない。
これ以上ツッコめば、『兄貴とならグッチャグチャに噛んだのでも口移しで食えるけど?』などというドン引きモノのセリフが出てくる予感を覚えた。想像の斜め上を行くアホの子なのはもう諦めているが、妹の変態加減まで確かめる勇気はないので、十路は口を閉ざすことにした。空気を読んだのではない。トラブルを回避した。
「さっきからなんなんですか? 俺にちょっかいかけてきて?」
代わりに疑問をぶつけると、彼女たちは一様に呆れたような顔を作る。
「なーにひとり
「小難しい顔しちゃって。十路くんはただでさえ人相悪く見えるんですから、やめたほうがいいですよ?」
「兄貴。またなんか、ロクでもないこと考えてるっしょ?」
「
コゼットが、ナージャが、南十星が、野依崎が、口々に不満未満懸念未満の言葉をかけてくる。義妹はともかくとして、こういう言葉が出てくる程度には、彼女たちとの付き合いも深まってしまった。
「ただ単に、俺が入部してから、色々あったなぁ……と思ってただけだ」
打ち明けつつ、十路は体を捻って、ひとりひとりを見やる。
まずはコゼット。
誤解から、初対面で交戦した仲だ。そんな出会いなので、王女サマに対する気遣いは最初から持っておらず、彼女の側も望んでいない。
今でも仲がいいかと問われれば、傾げた後に首を振る。時に意見をぶつけ、言い争うこともある。先輩後輩の会話をすることよりも、対等に事務的な会話内容のほうが遥かに多い。
だが部内で十路が一番信頼しているのは、やはり彼女だ。
「部長って、初めて会った頃と比べて、少し丸くなりましたね」
「体重キープしてますわよ!?」
「人間性の話です。よく俺に『嫌い』って言ってたのに、最近は聞いた記憶がないですし」
「あ、あれは……! そりゃ、その……」
コゼットは
そんな顔を見せる人物ではなかった。穏やかで完璧な王女の仮面を外せば、中途半端にガラが悪いだけ。なのにそんな『弱み』を見せるようになった。
次にナージャ。
彼女とも敵対したことがあるが、コゼットとは意味が異なる。それより前に居座っていたようだが、支援部に正式入部したのは、十路よりも後だ。
だから部内で彼女の世話になることは、お茶汲みや茶菓子以外ではあまりない。しかし同じクラスに所属しているため、日常生活において、彼女に一番世話になっている。
「ナージャは……あんま変わってないよな。入部前からこの部室に居座ってたし。俺に対しても、なんか初対面から、やたら馴れ馴れしかったし」
「
「くっついて胸押し付けてくるかと思いきや、やたらウブいし……不自然な部分が明け透けだし……お前がスパイかどうか判断するにも、時間がかかったもんだ」
「どーせ落ちこぼれ
ナージャは、唇を尖らせて
とはいえ十路からすれば、彼女が『役立たず』だったからこそ、今のような関係に落ち着いているのだが。
続けて南十星。
彼女は部に関わる前後で変化はない。というより、それより以前に変わっている。まだ両親が健在だった頃、突然できた義理の兄を恐れていた幼い少女の面影はなく、強くなった。
とはいえ十路が一番心配し、守りたい相手であることに変わりない。
「なとせは………………………………………………少しは変われ。成長しろ」
「そんだけタメてセッキョーかい!」
「だってなぁ……お前見てると、不安しかないぞ? 説教しても無駄な気するから、これ以上は言わないけど」
「なんて言われようと、あたしという人間は、あたし以外になれないのだよ」
「架空の他人を演じてた元俳優のセリフとは思えんぞ。とりあえず人外行為はヤメロ」
幼児体型はどうしようもないとしても、とりあえずアホの子なのと狂気的な《魔法》については、変化してもらいたい。
十路もなかなかに無茶をするが、この愚妹に関してはブレーキ役をし続けねばならないのか。未来を想像すれば、ため息しか出てこない。
気を取り直して、野依崎。
「…………」
「?」
無言で『なんでありますか?』と訊いてくるソバカス顔をまじまじと見ても、十路の口から言葉が素直に出てこない。
「フォーが一番変わったはずなんだが、なぜか変化してる気がしない……?」
「これでも成長してるであります……最近
「わかってる。お前が色々変わってるのは、わかってるんだが……」
出会った頃はモッサモサの赤毛頭に額縁眼鏡で、常に色あせた偽ブランドジャージという、恰好も生活もヒキコモリ全開だった。それが最近では小奇麗にし、ちゃんと地下室から出てくるのだから、間違いなく一番変化している。
なのになぜか、ずっと前からこの姿で部室にいたような気がしてならない。存在感がない
まぁ、
最後に、と首を動かすと、向かいの席からズレてソファに座る、
「……っ」
彼女は驚きよりも怯えの感情を浮かべ、小さな肩を震わせて、それとなく視線を
樹里との人間関係は、変わった。
近しい先輩後輩、部活仲間と一言で言い表せる間柄ではなくなった。
十路が変えてしまった。
だとすれば、今の関係は、なんと評するべきなのか。
視線を察知しているのか、顔を戻すことなく縮こまっている樹里を見ながら、十路はボンヤリと考える。
(とりあえず、木次の姉貴とその旦那に会って話を聞かないことには、な……)
△▼△▼△▼△▼
その『木次の姉貴』はというと、同じ頃、インドのスラム街にいた。
発展
街中でも一目瞭然だ。高層ビルのすぐ横に、スラム街が広がっている地域など、当たり前にある。日本都市圏の下町などとは、意味が違う。
だから社会の闇も、深い。
街乗りライダースタイルのゲイブルズ
そして一軒の小屋に入った。シート一枚で仕切っているだけなので、気分を出して扉を蹴り開けることもできない。
「ハロー? ミス・インセクト&ミスター・ニンジャ」
小屋の中には、疲れた風情ながら、反応した男女がいた。
キャサリン・
ゲーリー・ナシモト――通称『ニンジャ』。
もちろん知り合いなどではないから、元フリング社Sセクションの工作員たちは、突然の闖入者に警戒している。
「やー、インドに
ふたりの警戒に構わず、悠亜は小屋に足を踏み入れて、視線でのみ物色する。
まともな家具などない屋内には、ジャンク品であろう電子部品や、統一性のない容器が大量にある。
「ま、
『蟲毒』が裏稼業を行う手段として、虫を養殖して、操作するための電子機器を、独力で再現しようとしているのだろう。
それを言い当てる
だから『蟲毒』は、相手が使っている言語に合わせて、問う。
「アンタ……誰?」
「あなたたちが日本で誘拐した、女子高生の姉」
返答に『蟲毒』だけでなく、『ニンジャ』も顔を引きつらせる。
彼女らがこんな場所で、こんな生活を送っている原因は、間違いなくその事件に関わっていたから。
「ナゼ、今更……」
『ニンジャ』が問いを重ねる。その事件は五月で、五ヶ月が経過している。そして事件当日、彼らが逃亡したことは、当然のように発覚している。兵庫県で活動する学生 《
消えた彼らの行方を掴むのに、時間がかかったとも考えられるはず。しかし『ニンジャ』はそう考えなかったようだ。
実際、悠亜はもっと早くに行動できた。彼女は
それなりに名の知れた暗殺者であろうとも、彼女たちにとっては、そこらにいるチンピラ程度にしか考えていない。
なのに
「《ヘミテオス》のこと」
ふたりが禁忌に触れる行いをしたから。
「ヘミ……テオス?」
「あら、名前までは知らなかったのね。でも、《
「…………!」
心当たりがあると言わんばかりに、『蟲毒』が顔を歪めたが、悠亜は気にしない。ポケットから手を出さないまま、大仰に首を振って鼻で笑う。
「や~。あなたたちに樹里ちゃんの誘拐を頼んだ黒幕が、普通の人間じゃなかったからって、
「仕方ないじゃない……!」
思わず感情を発火、相手の思惑が読めないから、
「はいはい。要点まとめれば、どうせ生きるのに金がいるからってこと、言いたいんでしょ? そういうのはご近所さんと比べてから言いましょうね?」
彼らがそれまで、どのような生活をしていたかなど、どうでもいい。
加えて、『命があるだけ儲けもの』と考えて、出しゃばった真似をしなければ、ふたりの身柄などどうでもよかった。
「
ただ、彼らの行いを発端として、彼女の側にも不利益が生まれるから、悠亜はポケットにずっと入れていた両手を出した。
△▼△▼△▼△▼
「みんな~。揃ってる~?」
支援部員全員が一斉に、気の抜けた女性の声が聞こえた方角を振り向いた。
ダンボール箱を両手で抱え、いつものレディーススーツ姿で、顧問であるつばめが、ようやくにしてやって来た。支援部員たちが部室に集まっているのは、彼女が集合をかけたからだが、遅れに遅れて最後にやって来た。
「理事長? んで? なにやろうってんですの?」
「まずはコレ」
先に『面倒ゴトは御免ですわよ』と言外に言うコゼットに、つばめは持ってきたダンボール箱を押しつけてくる。
疑問符を浮かべて受け取ったそれをテーブルに置き、デニムジャンパーのポケットから十徳ナイフを取り出して、彼女は封を切る。女子大生の持ち物とは思えないが、理工学科在籍ならば関係ないのだろうか。あと日本国内では職務質問される可能性があるので、持ち歩かないほうがいいのだが。
「あ、これ……」
中でも小分けにされていた包装を
先の
「どうやって用意しましたの?」
彼女は
極薄フィルム状電子回路は、医療をはじめ様々な分野で期待されている技術だが、まだ『厚さ何ミリの電子回路の開発に成功』と科学ニュースになるくらいなのだから、実用段階には至っていない。
そんなものを大量に渡されれば、疑問を抱くのは当然だろう。
「もちろん予備を用意してたに決まってるじゃない。保管場所が遠かったから、届くのが今日になっちゃったけど」
つばめからの返答も、当然だった。
名誉のために付け加えておくと、持ち主の上に《
「皆さんの装備、ようやく整備できますわ」
「壊れたとかなかったよね? だったらすぐ使うから、最低限、電池交換だけにして」
部長兼備品管理責任者と、顧問の言葉で、部員たちはそれぞれバッテリー切れしている装備を取り出す。
野依崎は、自力でバッテリー交換可能な装備仕様なので、特に動かない。
十路は、装備そのものが大破しているので、特に動かない。
【早く私も修理してください!】
半壊しているオートバイは自己申告しているので、十路がなにか言う必要もない。
コゼットは本に《魔法》を与え、分離させる。装着したばかりのページたちが渦を巻く、万能工場と化した中に《
「ガチな戦闘やったから、結構ガタ来てますわね……どっかで時間とって整備しないと……」
電池交換だけだから早い。コゼットはぼやきながら、次々と応急作業を終わらせていく。
続けてプラスティックシートの渦は、《
【なぁっ!? このまま修理!?】
「いちいち
【ちょちょちょちょっと――ぎゃああああぁぁぁぁっ!?】
「動くんじゃねーですわよ。フレームに
【穴ぁ!? ボディに穴がぁっ!?】
「バッテリー交換させろっつーの。どうせ塞ぐんですし、既にボロボロなんですから、穴空けても今更でしょう」
【ちょ、部品を押し込――ぐぇふぉっ!?】
「なんで機械の分際でえずくんですわよ」
整体や足ツボマッサージどころではなく、麻酔なしで手術を受けるようなものなのか。絶叫するオートバイを、無情にもメキメキ音を立てて復元させる様に、部員たちは引いた。お世辞にも仲がいいとは言えない彼女たちの関係を考えると、この程度は序の口かもしれないが、それにしてもコゼットは容赦がない。
【ト、トージに、整備される、ほうが、マシです……!】
「……うん、まぁ、なんだ。応急処置だから、そのうち本格的にメンテするからな?」
十路の手による整備を嫌がるイクセスが、息も絶え絶えにそう言うのなら、相当なのだろう。
「はい。じゃあ予想ついてると思うけど、街の復興、お願いね。細かい指揮はコゼットちゃん、よろしく」
そんな暴虐など全く気にすることなく、つばめが顧問として指示を出す。
「細かいところはいいから、今日一日で復興させてね」
いくら《魔法使い》といえど、なかなか無茶な内容だったが。
「復興需要、多少は作っておかないと」
「手抜きはいくらでもできるでしょうけど、ライフラインの復旧とかも?」
作業中のコゼットに代わり、十路確認すると、なにを企んでいるのかわからないタヌキ顔で、つばめは説明する。
「各地域に水・ガス・電気を送る主要施設まででいいよ。そこから各建物に引き込むのは、事業所に任せよう」
「なんでそんな、中途半端に急ぎで?」
「明日から秋休みいっぱい、支援部は無人島生活することになったから」
あっけらかんと明かされた予定に、部員たちは大なり小なり困惑を示す。
「サバイバル生活……!」
目を輝かせ、拳を握り締める
「詳しいことは後でメールするから、まずは復旧を急いで。こっちを終わらせないと、神戸を離れられないし」
なんの説明もなしに事態に巻き込むのが、この顧問の常だ。訊いてもほとんど情報は与えられない。
だが直近で必要な情報は与えられるので、今回もそうだろうと、部員たちは目配せで、詳しい説明を求めても無駄だと判断した。
「じゃあ、わたくしたちは市街地へ。細かい指示は現場で、ですわね。フォーさんは学校に残って、保存している破損前のデータを、適宜送信してくださいな」
「朝から山で起こってる悲劇、どうするんです?」
作業を終えたコゼットの指示に、ナージャが口をはさんだ。
丁度よく山の方角から、獣の鳴き声と、誰かの悲鳴がまたも聞こえてきた。
「フリーのジャーナリストか、どこかの諜報員か、探偵か暗殺者か知りませんけど。イノシシに襲われてるの、放置ですか?」
監視は前々からのことだが、先日支援部は全世界レベルで名が世に出ることになったので、民間 《
修交館学院周辺は魔境という情報は、得ていなかったようだが。イノシシが
部員たちの視線が、また顧問に集中すると、つばめは軽く肩をすくめて、新たなの指示を下す。
「余裕があるなら、確保しといて。色々と使い道あるし」
「了解。んじゃあ、堤さんと木次さんに任せますわ」
装備を片付け、アタッシェケースを手にするコゼットに言われ、思わず十路は顔をしかめた。
その人選が適切であろうことは、理解できる。相手が負傷している可能性があるため、《
しかし今、樹里と
それはわかっていると、すれ違い様、コゼットが耳に唇を寄せる。
「木次さん、早いとこ、なんとかしなさいよ」
遠回しに『仲直りしろ』と言い捨て、コゼットは部室を出て行く。南十星もナージャも、彼女に同意するように一度視線を向けて続く。
「じゃ、あとよろしくねー」
つばめも手を振って背中を向ける。
学校に残る野依崎は、デスクの下から、十路の
部室には、ふたりと一台が取り残されることになった。
十路は小さくため息をつき、樹里を見やる。先ほどのように肩を震わせることはなかったが、目を逸らしている。
完全に避け、逃げるわけでもない。
けれども、現状打破しようと向かってくるわけでもない。
不選択という、この
『魔法使い』は、誰かの願いを叶える者。差し伸べられた手を、その時の気分で握り返すしかない。
彼女の態度にそう判断すると、十路はオートバイのアタッチメントに、
山に潜んでいた相手がどう反応するか、わからない。逃げることも考えるなら、なら足が欲しい。確保したところで、人力だけで運ぶのは勘弁してもらいたい。
【これから山に入るのに、私に乗る気ですか?】
「タイヤをオフロードに変えれば、走れる」
【分類上、《バーゲスト》はオンロード車なんですけど……】
「スクランブラーっつー都合のいい分類があるだろ」
【どうせなら、高速道路カッ飛ばしたいですね……】
なんだかんだいいつつも、機体が修理された嬉しいのか。普段よりも少し口が軽いイクセスと話しつつ、オートバイを外へ出す。
振り返ると、樹里はノロノロと立ち上がったところだった。
同行まで拒否するつもりとは思えないが、移動をずらす意図は
「仕方ないから、いくぞ」
「……はい」
言葉どおり、本当に、仕方なしに声をかけ、共に動いた。
△▼△▼△▼△▼
二人乗りで
会話はない。さすがになだらかな斜面とはいえ、アスファルト舗装の道路とは快適さが比べ物にならない。下手に口を開けば舌を噛む。
たとえ平坦な道を走っていても、苦もなくクッションを取る同乗者と、会話はなかっただろうが。
【それで、トージ? どうするつもりですか?】
音ではなく、《魔法》を使うために行った脳機能接続で、音声データを直接
ヘルメットに仕込まれた無線機を使わないのは、樹里に聞かせられない話ということなのか。彼女が被っているヘルメットにも無線機があり、それ以前に《ヘミテオス》の彼女は電波を直接観測できるから、有線でと。
十路も口を開かず、生体コンピュータで音声データを作って送信する。
(どうするって、なにがだ?)
【わざわざ個々に言う必要あります? あなたの身の回りで起こった変化
(と言ってもなぁ……)
なにも、どうしようもない。どの問題も、すぐには解決できない。
きっと一番手近なはずの、樹里との関係など、完全に後回しに考えてしまっている。
【なら、言い方を変えましょう。五月――初対面で私がトージに言ったこと、覚えてますか?】
(どれのことだ?)
反射的に疑問を返したが、どの話かはおおよそ、直感的にわかった。
あの時も、イクセスは樹里には聞かせない話をするために、そういう措置を行っていた。
【私はジュリのために製造されました。あなたが私の、ジュリの不利益になるならば、どんな手段を使ってでもトージを破壊します】
製造責任者に会っていないので、正確なところは知らずとも、
十路と樹里が対立した時、イクセスは彼女の味方をする。場合によっては殺すことも視野に入れる。
(それでいい。お前は木次の味方をしてやれ)
断言されて、十路はむしろ安心した。
間違っているのは己だと、自覚しているから。
ドン・キホーテは、なんのために旅に出た?
(
【……その発言の経緯も意味も理解できませんが、不名誉なことを言われてるのは、なんとなく理解できます】
間違っているとは思っても、簡単に正すことはできない。
ドン・キホーテとは、愚か者の代名詞なのだから。
(なんとかしないと、いけないんだろうけどな……)
音声データ化してイクセスに伝えることはせず、十路は心の中でだけ嘆息ついた。
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