000_1400 そして彼は――Ⅴ ~カワサキZ2 ティアドロップフューエルタンク~


 十路とおじが目覚めたのは、翌朝になってからだった。


「…………?」


 病室ではないのは、横になったままのひと目で理解できた。カーテン越しの朝日に浮かぶ、薄暗い室内に、勉強机や本棚やクローゼットといった家具が見えたから。それらしい飾り気はあまりないが、それでも置かれている鏡や化粧品から、女性の部屋だと推測できた。


「う……」

「!」


 もっと状況を確認しようと、上体を起こそうとしたら、呻きが洩れた。

 同時にバネ仕掛けのように、少女の顔が視界に入ってきた。どうやら十路が寝かされていたベッドに、突っ伏して寝ていたらしい。


「動かないでください」


 寝ぼけた様子もなく、彼女はペンライトを取り出しながら、十路のまぶたを押し開いた。ちなみに部屋着なのか普段着なのか、学生服からラフな恰好に着替えていた。


「お名前、年齢、ご自分のことを教えてください」

「堤十路……一八歳。陸上自衛隊富士育成校所属訓練生……」

「私が誰かわかりますか?」

木次きすき樹里じゅり……一五歳。修交館学院高等部一年生……民間緊急即応部隊『総合生活支援部』所属の《魔法使い》」

「ここはどこですか?」

「知るわけないだろ……気絶してる間に運ばれたんだし」

「あ、そっか……私が言う言葉を繰り返してください。『今日の天気は晴れです』」


 言語反応を見る質問が終わると、運動反応を確認させられた。言われたとおりに動かし、自分の体が随分と重いことに気づく。


「なぁ…………俺、なんで生きてる?」


 診察が終わると、水差しが差し出された。十路はうるおす前のガラガラ声で、聞かねばならない質問をした。


「……覚えてますか?」

「俺は、間違いなく死んだ……いくら《治癒術士ヒーラー》でも、治療不可能だったはずだ……」


 服は寝ている間に、簡素な病衣に着替えさせられていた。胸元を覗き込むと、そこに空いていなければならないはずの大穴は、痕跡すらなかった。


 樹里は言いよどんだ。訊かれるべき当然の疑問を前もって準備していたが、教えるのはやはり迷う風情で。


「……私の心臓を移植しました」


 けれども結局は、真実を語った。


「気管支、肺、胸椎きょうついのほとんどが損壊。そちらはなんとか再生可能でしたが、心臓は無理でした……」

「ちょっと待て……」


 十路の脳裏に浮かんだのは、樹里への疑問だった。心臓を失って尚、なぜ彼女が普通に動いてしゃべっているのか。そんな荒事をして彼女自身は問題ないのか。そういった疑問を口にしようとした。


「すみません……謝って許されることではないのは、わかってますけど……」


 しかしさえぎるように、先に樹里の口から謝罪と不安が出てきた。


「正直、なにが起こるか、私にも想像できません……生き返るかどうかも、かなりの賭けでしたから……堤さんの意識や体に異常は見当たりませんが、今後も何事もないか、保障できません……」

「…………」


 次いで脳裏に浮かんだのは、金瞳で暴れ、異形の者と化していた姿。

 人外の心臓を移植して、なにも問題ないのか?

 樹里の懸念を、十路も遅れて理解した。

 学年が離れているから限界があるとはいえ、十路の転入・入部以来、なにかと樹里が行動を共にしていたのは、これがあったからだろう。


 だから、なにを言えばいいか、全くわからなくなってしまった。

 感謝を口にするべきか。しかし危険な不確定要素を己の肉体に植え付けられてしまったのは、変えようのない事実だ。なかったことにはお互いできない。

 ならば批難するべきか。しかし彼女の決断がなければ、蘇ることはなかった。甘受だけは当然とし、受けたマイナスだけを批難できるほど、十路は厚顔無恥ではない。

 もとより社交性ではなく、無愛想な十路の引き出しには、このような状況で使える言葉がストックされていなかった。


 だが、考えるまでもないと、思い直す。


「ここは? 誰の部屋だ?」

「私の部屋です」


 なぜ年下の少女の寝床を占有しているのか。

 いや、なぜ彼女は、年上の男に自分の寝床を使わせたのか。

 少し考えれば、不確定要素の強い心臓移植で、普通の病院に運べなかっただからだろうが、一瞬十路は考えた。結局口にすることはなかったが。


「俺の任務は、終了か?」

「私じゃよくわからないので、なんとも言えませんけど……まぁ、私は家に戻ってきてますから、達成なのでは?」


 神戸における自分の役目が終わったなら、もうこの少女と関わることはないから、と。

 もしも体に異変が起こった場合を、真剣に考えなければならないはずだが、寝起きのせいもあり、ボンヤリとした考えしかなかった。『とりあえず、なとせに遺言くらい残すべきだろうな。あとは自決用に手榴弾持ち歩くか? 死んだ後に研究用に、宇宙人みたいに解剖されるとかヤだし』などと、ボンヤリでもなかなか破滅的な危険思想だったが。


 だが、全て無用になる言葉が、ノックと共に部屋に入ってきた。


「ジュリちゃーん。目が覚めた~?」


 スーツのジャケットを脱いで、ブラウスのボタンをいくつか開けた、少々だらしない格好のが部屋に入ってきた。


 十路も樹里も、彼女の夜半の行動は、なにも知らない。だから彼女の登場に、特別疑問は抱かなかった。もう少し正確に言うならば、なぜ学生である樹里の個室に、学院理事長たるつばめが入ってきたか、いささか疑問を持ったが、気にするほどでもなかった。

 ベッドの上で上体を起こす彼を見ての、挨拶と共に放たれた言葉のほうが、重要だったから。


「おはよう。堤トージ一等陸曹」

「一等……?」


 十路の階級は、三等陸曹だ。陸自の正式名称にはないが、いわゆる伍長、分隊長クラスだ。

 それがなぜ小隊長クラスとして呼ばれるのか。


(二階級特進……?)


 考えられるとすれば、単なる昇任ではなく、殉職――任務中に死んだことを意味する暗語として。

 十路がそこに理解が及べば、以降は早かった。


「それが俺の、新しい任務ですか……」

「違う。けど、キミが納得できるなら、そう取ってもらって構わない」

「俺も色々としがらみがあるんですけどね」

「わたしに任せてくれれば、悪いようにはしないよ?」

「任せるしかないんですけどね……アンタが散々ハメてくれたから」


 自衛隊の規律で縛られぬよう、秘密の作戦行動のために退官扱いされることは、ままある。

 十路は初体験だが、死んだことにして、一度経歴を抹消することも、裏社会ではままある。

 転入と入部は、それだと考えた。


 だから十路は、入部後も自衛隊装備を使っている。隊員装備は、個人の持ち物ではない。自衛隊、ひいては国から貸与されている物だ。退官時には返却しなければならない。

 任務中の事故で死亡、その装備は書類上破棄扱いされた、管理上存在しないものを、十路は今でも持っている。


 一度死んだことになって、名前を変えなくていいのかと、入部後に一度つばめに訊いたことがある。

 彼女は、わかる場所にはすぐにバレることだと、変える必要性を唱えなかった。


「ようこそ。修交館学院・総合生活支援部に。せいぜい楽しんでよ。『普通の学生生活』を」


 たったこれだけで、富士駐屯地に戻ることはなく、少ない私物が郵送されて、そのまま神戸で生活することになった。

 唐突すぎる人事に、十路はこの時、顔を盛大にしかめた。


「駄目だぞ、ドン・キホーテ? 人生の息吹を深く吸い込んで、いかに生きるべきかを考えよ」

「はぁ……」


 足掻いても仕方ないのは理解してたが、それでも他人のてのひらで転がされている感覚は、好ましいものに思えるはずはない。一度死んだ影響もあり、気だるい顔をしていたら、つばめにそんな言葉をかけられた。


(普通の学生生活、ね……)


 かの古典小説の一節であることは、ボンヤリした頭にはどうでもよかった。

 ただ、十路がほとんど知らない、なにかの折で垣間見ただけの、『普通の学生生活』を考えただけ。

 それは幸福なものではなく、むしろ漠然とした不安を覚えた。


「なにか必要なものある?」

「とりあえず……電話ですかね」


 つばめとの会話は、かなり内容を省いていたため、理解できない風に樹里は小首を傾げていた。十路の言葉に気を取り直し、彼女は机にあった固定電話の子機を差し出した。


「なにか軽い食べ物、用意してきますね――」


 そして、目で促されたつばめに頷き返し、樹里は自室を出て行った。言葉どおりの用意をするためでもあろうが、電話を聞かないよう気を遣ったのだろう。


「堤


 子犬の笑顔で、呼びかけを残して。


(先輩、なぁ……)


 一般的にはなんら変哲ないだろうが、十路にとっては新鮮で困惑を生む、それまで言われたことのない敬称だった。肩書きだけならそれなりだが、単独で作戦行動する独立強襲機甲隊員に、部下も後輩もいない。縦の人間関係があっても上のみ、立場や役職で呼びかける相手しかいなかった。

 普通の学生生活を送る上では、他の下級生からもそう呼びかけられるのだろうか。

 そんなことをボンヤリ考えつつ、十路は電話機のボタンを押した。必要な番号は携帯電話に登録され、いざ別の電話機で連絡する時に困ることもあるが、この番号だけは記憶に刻み込まれている。

 国際電話であることを示す番号と、国番号も打って、特定の携帯電話を呼び出す。


 かなり長いコール音を聞くことになり、電話に出れない状況だろうかと考えた。相手がいるのはオーストラリアで、プラス三時間の時差があり、昼前のなんとも言えない時間だろうから。


『――もしもし?』


 しかしコール音が二〇を超えた後、薄い警戒をびた少女の声が聞こえてきた。


「すまん、なとせ。俺だ。今日は携帯じゃないんだ」

『なーんだ。兄貴か。番号が表示されないから、誰かと思った』


 相手がわかると、離れて暮らす妹は、安心したようにいつものほがらかな声になった。


『で、どしたの? こんな時間に珍しいじゃん?』

「ちょっとな……話せば長くなるんだが……」

『別に長話でも、あたしは問題ないけど?』


 電話越しでは伝わらない、南十星の状況は関係なかった。ただどう伝えればいいか、迷っただけ。

 家族として、曲がりなりにも保護者役として、けじめとして。ちゃんと自分の口から伝えなければならないと思い、電話をかけたはずだとしても。


 昔はもっと色々と考えや望みがあったはず。でなければ、過酷な訓練や戦闘に耐えることなどできなかった。

 しかし『彼女』はもういない。師で、上官で、憧れだったその人物は、彼自身が存在を否定してしまった。

 だから妹だけが、十路が自衛隊で戦い続ける理由だった。彼女を《魔法使いソーサラー》としての生き様から遠ざけ、普通の生活を保障させるために、十路は穢れ仕事を引き受けていた。


 それももう、なくなってしまった。十路の力が及ぶところではない、政治的なやりとりだったとしても。

 無力感と、申し訳なさと、悔しさが複雑に入り混じった言葉を、重い重い口を動かして、なんとか伝えることができた。


「俺はもう、なとせを、守ることができない……」

『………………そっか』


 短い近況変化を知らせても、様々な憶測が行き交ったと思える長い沈黙を挟んだ末に、静かな相槌が返っただけ。この頃の南十星が、十路に黙ってつばめとメールでやりとりをしていても、前日の夜になにが起こったか、まだ知らなかったはず。なのに彼女は理由も経緯も訊かなかった。

 ただ静かに、顔を見ずとも大人の微笑を浮かべているとわかる声を、伝えてきた。


『兄貴。今までありがと。あたしは大丈夫だよ』


 その言葉で、折れた。

 『堤十路』を形作っていた、最後の、なにか大事なものが。


「………俺は、自分が《魔法使い》であることが、嫌いだ」

『うん』

「育成校で寮生活させられて、軍事訓練受けさせられて……物心ついた時には、立派に人間兵器の卵だよ……」

『うん』

「やりたくもない裏仕事やらされてよ……俺はいろんな場所で、何人も殺してきた……」

『うん……』

「でもさ……仕方なかったんだよ……俺は戦うしか能のないガキなんだ……大人の言いなりになって、なにかを壊さなければ、妹ひとり守ることもできなかった……」

『うん……』

「それももう、できなくなった……」


 守秘義務だけでなく、どんな任務を行っているか、触りだけでも南十星に語ったことはない。薄々勘づいている様子は伺えたが、十路が人を殺すことで妹を守っているなど、とてもではないが己の口から語ることはできなかった。

 なのに、洩れ出た。感情が決壊した。重かった口は言葉をせき止められず、瞳からは涙が溢れて止められなかった。


「なんだよ、《魔法》って……! ふざけんなよ……こんな力があっても、俺はなにもできない……! 俺の望みはなにひとつ叶えられない……!」


 二度目だった。

 お前はなにも守れない。誰かかそう突きつけられた事実を、認めならなければならないのは。

 物理的には思いのままに環境を操る超能力者であろうと、社会的には権力も財力もない、ただ流され翻弄されるだけの、無力な子供でしかなくて。

 おとぎ話に出てくる『魔法使い』のように、神の奇跡にも等しい超常現象を引き起こし、現実を望みのままに変えられる存在ではない。

 たったひとりの、ごく普通の生活を守る。そんな小さな望みすらも、ままならない。


「すまん……ごめんな……頼りない兄貴で、本当にごめんな……」

『うぅん……謝らないで。誰がなんて言おうと、あたしにとって兄貴は、最高の兄貴だよ』


 加えて、家族に弱みを見せてしまうことが。

 己の情けなさを責任転嫁してしまうことが。

 彼女には泣き言を言っても、受け入れているとわかっていたから。

 くだらないと思ってしまう矜持きょうじが、彼の中にも存在していたことが、悔しくて。


 手早く粥を作った樹里が知り、声もかけずにそっと戻ったことも気づかずに。

 十路はしばらく、泣いた。

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