055_1080 【短編】DIGITAL PIXY DIALY Ⅸ ~HDDの中身を消すまで死ねない時代になってきた~


 とある高級マンションの一室。一般家庭どころか家電販売店でもなかなか見られない、高性能パソコンのモニター前で。

 空調が効いているにも関わらず、汗を流す少年が、必死に事態を把握しようとマウスやキーボードを操っていた。無意識なのだろう、『マズいマズい』と口内だけで呟き続けている。


 彼が操るパソコンのディスプレイには、素人目には見たことのない情報が表示されている。少年は眼鏡を外して流れこもうとする冷や汗を拭い、必死に素っ気ない文字を視線で追いかける。


 だが不意に、強制的に終わらせることになる。

 突然パソコンが重くなったと思いきや、インストールしていないはずのビデオチャットツールが勝手に起動したから。


『やり方が素人くさいとは思ってたでありますが……どこかで拾った違法ツールを使ってだけの三流ハッカースクリプトキディでありますか』


 映像はノイズしか表示されず、音声だけがスピーカーから流れる。声は変換されて性別も年齢もわからないが、言葉遣いは当人が特定できそうなほどかなり特徴的だ。


『お前のように興味本位で悪意あるプログラムマルウェアを使うヤツが、一番厄介なのであります。火消しも満足にできないのに、火薬庫の周囲で火遊びをするような真似を、平然とやるのでありますから』


 録音された音声データが一方的に再生されているのではない。リアルタイムで誰かが会話している。

 しかも相手は、男の行動を把握している。


 変換された音声が吐き出しているものを、警告や注意と称するには、優しすぎる。

 喩えるなら、地図を持たずサバイバルの経験のない素人が、ネットの知識だけで得意げに極地に入り、苦難におちいってしまった者へ向けるあざけりだ。


 そもそもハッキング、あるいはクラッキングとは、こんな便利な代物ではない。特定の動作を行わせたり、動作不良に追い込む程度ならまだしも、自在な遠隔操作となるとフィクションめいている。

 なのに声の持ち主は、それをリアルタイムで行っている。異常だとわかる程度には、男もコンピュータシステムの知識を持っている。

 

 彼女の名は《妖精の女王クィーン・マブ》。

 人の世ならば異なることわりに縛られたとしても、妖精が住まう隔絶した領域では絶対の支配者となる。


『クソガキの分際で』

『そのセリフ、一〇年早い。相手はお前よりかは年上だ』

『あうち!?』


 別人のものとわかる、変換されてもダルそうな声が唐突に混じった。その直後になんかゴスッと鈍い音が鳴った。


主犯ホンボシは別だってわかってるだろ?』

『だからであります……! しつけが重要なのであります……! コイツに釘を刺さないと、絶対将来ロクな大人にならないであります……!』

『だから、お前が言うには一〇年早いんだよ』


 プルプルした涙声 (推測)に代わり、平坦な印象の変換ボイスが話を引き継ぐ。


『今そこに人を向かわせてるが、抵抗せずに大人しく、あったことを洗いざらい素直に話せ。証拠となるデータの隠滅とか絶対にするなよ。警察の拘留期間が長引くだけで、なんの得もないぞ』


 少年はそれは困る、と反射的に思ってしまったが、復活したプルプル涙声 (推測)がバッサリやる。


『Dドライブに入っているお宝映像もそのままであります』

「いやぁぁぁぁぁっ!?」

『そのままなら『お年頃だし』と捜査員ひとりの生温かい笑みでスルーされるだけでありますが、消去されたのは重大データではないかと人手と時間をかけた末に復元され、多数の人物が知るであります。『復元したデータはネット上から集められたエロ画像』などと捜査資料にも残るかも』

「もっといやぁぁぁぁぁっ!?」


 少年は膝から崩れ落ちた。

 お宝から性癖が人に知られるのは嫌だ。嫌だが、消去したら長時間拘束された上に性癖がもっと多くの人々に知られるのはもっと嫌だ。天秤にかけるまでもない。


『あー……どこかから拾ってきた違法プログラムを中継にして、利用されていた証拠は、こちらで掴んでる。サイバー犯罪としては事情聴取だけで、お前は罪に問われないだろう』


 片割れは男なのか。どこか同情的にも聞こえる変換音声の話題転換に、少年は冷静になる。


 そちらのほうが問題だ。

 アンダーグラウンドなことに憧れる『お年頃』な少年が、ネット上でハッキングツールを拾い上げて実行したら、よくわからないメッセージが表示されて、マシンが操作を受け付けなくなった。


『基地局の不法侵入や器物損壊があるから、小言は間違いなく食らうだろうが、そこまで酷いことにはならないだろう。基地局の設備にパソコン繋いだの、なんとかしようとしたからだろ? それもプログラム作成者の意図で、お前はまんまと載せられただけだ』


 同時に手に入れたワクチンプログラムをサブマシンで使おうとしたら、事態はもっと酷くなった。


 そんな真相を知っている者がいる。少年は安堵してしまった。大人が聞けば『こいつらのほうが百万倍怪しくね?』と思うようなことだが、人生経験もなく、いっぱいいっぱいだった少年は、救われた気分になった。


『本当の主犯はアメリカであります。ま、お前よりは多少知識のある二流といった程度でありますが。さすがに太平洋越えの案件なので、こちらからすぐにどうこうできるものではないでありますが、対策は打ってるであります』


 完全にプルプル涙声の雰囲気が消えた声に、少年はもっと安堵した。少年をなにかに利用しようという風には考えることができない内容だった。


『そいつのマンションはオートロックの上にIoT化されていたので、閉じ込めてエアコンをガンガンに稼動させて部屋全体を冷蔵庫状態にしてるであります。あとそいつのパソコンを当局に目をつけられるようなヤバイ検索ワードを自動乱発させるようにして、口座の中身を福祉団体に移したであります』


 ひでぇ。冤罪だったらどうする気だ。

 ハッキングの常識を超えた離れ業よりもまず、『犯罪者に人権なんぞねぇ』な容赦なさに戦慄する。



 △▼△▼△▼△▼



 リンクと一緒に、野依崎が《魔法》で作り出していた仮想空間から切り離された。

 目の使い方を忘れたかのように、十路は瞼をシパシパさせてしまう。暗いところから急に明るい場所に入った時よりも混乱が激しい。

 しばらくして、ここが家電量販店のフロアで、ケーブルが接続された《バーゲスト》のハンドルを握っていたことを思い出す。仮想空間内では宇宙旅行までしたが、肉体は移動しているわけはない。


「とりあえず、これで部活は終了であります」


 パソコン前に座る野依崎が、ネコミミ単眼ディスプレイを外し、椅子の背もたれに体を預ける。ネコのように拳でグシグシこする目には、もう《魔法》の光は宿っていない。

 十路が見慣れた小学生女児だ。野性味ある美女の面影など、色彩以外に残っていない。


「ウイルスの開発者にちょっかいかけたのはともかく、感染の踏み台にされた中学生にまでコンタクト取ったのはなんでだ?」


 それにホッとしたような、残念なような。複雑な気分で赤毛頭に手を乗せると、彼女は仰け反って顔を見上げてくる。


「言ったとおりでありますが? あんな調子に乗った中学生ちゅーぼー、釘を刺さないとロクな大人にならないと思ったからでありますし、目ざわりな三流ハッカースクリプトキディなど、減るに越したことないであります」

「よく言うよ……」


 あの様子ならば、第一段階のマルウェアが起動した際に、盛大に打たれただろう。救いと思ったワクチンプログラムが、実は二段構えのマルウェアだと知った時、彼はきっと生きた心地がしなかったに違いない。

 今回の事件で、せいぜい神戸市内の中学生Aくんとか発表されないであろう彼は、散々懲りたはず。そんな経験をしても尚、誰も動作保障をしていない闇プログラムを使う気があるやからは、釘を刺しても無意味な引き返せない段階だ。


 頭のいい野依崎が、そんなことわからないはずがない。


「ならば何故、自分は接触コンタクトしたと?」

「あー……もういいや」


 どうせ彼女は認めやしないと思い直した。

 不安になっているだろう彼を安心させるために、経緯を説明したなどと。仮に十路が指摘したところで、『この後の捜査をスムーズにさせるため』とかなんとか返すに違いない。

 この残酷のようでいて心優しい、ひねくれ者の《妖精》は。


「それにしても、わかりきってたことだけど……俺、なんも役に立たんかったな」


 以前の部活動で飛行戦艦に同乗した時にも思ったこと。

 彼女の戦いは独特すぎる。戦闘に関しては一家言ある十路でも、まるで役に立たない。


 いくら野依崎が兵器として生まれ育てられたとしても、本来守られるべき歳の子供に全てを任せてしまうのは、やはり本位ではない。他の部員たちとは違う、参戦への忌避感がある。

 だが現実問題どうしようもできないため、苦い思いを抱いてしまう。


「そうでもないでありますよ。今回の件、自分ひとりではスタートラインにすら立てなかったでありますし」


 強化服ハベトロットに接続されたケーブルを引き抜きながら、野依崎が興味なさそうな口を利く。

 クレジットカードの買い物もできない小学生では、十路がいなければ設備を徴収できなかったのは推定でも事実で、しかも連れて来られた理由でもあるが。


「それに、十路リーダーの仕事は、これからであります」

「まぁ、事が終わればハイさよなら、はできんよな」


 非常時だから仕方ないとはいえ、家電量販店の売り場を占拠して営業妨害したのだから、相応の事後処理が必要となる。金銭的な補償などは大人たちの話し合いだが、捜査の証拠提出と片付け、報告は十路たちが行う必要がある。


「更に自分をハーロウに連れていく義務があります」


 全てハンドメイドにこだわり、フレーバーが個性的なアイスクリームショップだ。焼き菓子やコーヒーも人気なのだが、写真映えするということで神戸ではアイスの店として知られている。

 出不精にしか思えないが、いつもアイスを食べているような気がする野依崎は、神戸市内の専門店もチェックしているらしい。センター街から少し歩けば着く距離にあるので、この機会にということか。


「義務なのか」

「今回自分、頑張ったと思うでありますが?」


 ジロッと見上げて奢りを強要してくる。高校生の財布なら結構痛い出費になるが、なにか頼みごとをする際、野依崎のご機嫌取りにアイスを渡すことも珍しくもないので、その程度ならばと許容する。


「ピスタチオ&クルミウォールナッツとチョコ&ブラウニーのダブルの気分であります」

「部長からオヤツの一個にしろって言われてるだろ? パフェも食ってたんだし、シングルにしとけ」


 ただしブレーキも忘れない。

 アイスそのものは間食としては標準的なカロリーだが、量を食べれば当然摂取しすぎだし、しかもフレーバーがチョコやナッツ類ともなれば話が変わる。


 仮想現実内で見た、大人になった野依崎を思い出す。

 ただでさえ出不精なこの少女を放置すると、あの未来は泡沫の夢に終わる気がする。それは余りにももったいない。


 おおよそは口うるさく世話を焼くコゼットに任せればいいが、十路もそれとなくこの少女に節介を焼くことを心に決めた。

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