045_0210 【短編】ヘッポコ諜報員剣風録ⅩⅡ ~ある時は、総合生活支援部員~


「そんなこんながありました」


 ナージャが淹れた紅茶を飲みながらの話が終わった。キャンプ用品のマグカップが丁度空になったタイミングだった。

 それをテーブルに置き、十路とおじは嘆息ついた。


「やっぱりあちこちでボロ出してそうだな?」

「あーはいはい。どうせ『役立たずビスパニレズニィ』ですよ-だ」


 甘いというか、裏社会の住人である自覚がないというか。

 やはりナージャは非合法諜報員イリーガルには向いていなかったと、元陸上自衛隊特殊隊員だった十路は改めて呆れた


「で。探偵事務所のバイトは? それで辞めたのか?」

「いえ。さすがにすぐ辞めるわけにはいかなかったです。主に和真くんの屋根の修理費で」

「天引きだったのか……」

「バレかけてハイさよならは、あまりに無責任だと思ったから、二年生に進級するまで続けました」

「よくやるな」


 正体がバレかけて尚、怪しんだ人物の近くにいるなど、十路からすれば信じられない愚行だ。

 だが彼女にとってはそうでもないらしい。


「まぁ、現地協力者と思えば。じんさんも言ってましたけど、探偵も半分裏社会なそういう商売ですからね。そこら辺の線引きはキチンとして、お互い利用し合ってたって感じです」

「利用って……向こうはナージャをペット探し要員としてしか見てない気がするぞ」

「あはは~。確かに、ごく普通のアルバイトとして扱われてましたよ。バイト辞めた今でもちょくちょく手伝ってますし」


 ナージャの人間関係は、意外と恵まれていたらしい。

 好奇心や嫌悪を自制できる者は貴重だ。公私混同はよくないと社会人なら誰もが思うだろうが、実際完全に切り分けられる者などまずいない。


 そもそも、ロシア対外情報局SVR所属 《魔法使いソーサラー非合法諜報員イリーガル役立たずビスパニレズニィ』は、なかば都市伝説の存在だった。十路でさえナージャの正体が判明するまで、判然としない噂以上を知らなかった。

 きっと《魔法》のデタラメさや、諜報員としてのダメさ加減だけではなく、恭一郎のように察しながらも口をつぐんだ者がいたからではないだろうか。


(そういや、ナージャの師匠も、その口だったか)


 兵器扱いされる《魔法使いソーサラー》が、人間扱いされている。そんな話に十路はほんの少しだけ口元をほころばせた。


「それにしても和真のヤツ、最初っから今みたいな感じだったのか。よくまぁナージャに邪険にされてもりないな?」

「根性だけは認めざるをえません。根負けしてお付き合いすることは、ありえないでしょうけど」


 話を変えて、いまだ床にダンボールの上で寝ている和真をふたりして見やる。


「呼び方が『高遠くん』から『和真くん』になったってことは、その根性か」

「作ったわたしが言うのもどうかと思いますけど、よく激辛料理アレを完食したものだと思いますよ」

「呼び方を変える程度なのに、決死の覚悟で化学兵器に挑むとは……それこそ引き換えに付き合うとか要求しないか?」

「わたしが断るの、わかってたからじゃないですか? だから着実に段階を踏んでいこうと」


 彼の周囲には、鑑識標識――刑事ドラマの事件現場で必ず出てくる文字が書かれたV字の板が置かれ、そして彼の寝姿を取り囲んで人型に切り抜いている張縄が。殺人事件現場の様相をなしていた。もちろんナージャのイタズラで、写真撮影も既に行われている。


「それにしても、和真くんはいつになったら起きるんでしょーねー?」

「さぁ? ナージャとの馴れ初めの話が出てきて、起きるに起きれないんだろ」

「ほえ? そんな恥ずかしい話でもないでしょう?」

「いや、どうだろう? いざって時に役に立ってないから、男としちゃ情けないかもしれないぞ?」

「ちゃんと役に立ってくれましたよ? 武器として」

「ヒデェ勝ち方だよな……」


 いつからまでは不明だが、和真が寝たふりをしているのは、ふたりとも気づいていた。

 じっと見つめていても、和真は起きない。視線を感じる緊張からか、本当に寝ている時には動かない喉が動いたが、それでも起きない。


 ならばとナージャはスマートフォンを取り出して操作する。すると和真が握っているスマートフォンが着信音を鳴る。


「うぅ……?」


 きっと和真当人も無駄だと理解しているだろうが、さも『いま目が覚めました』と言わんばかりにうなり、スマートフォンを顔の前に持ってきた。


「うぇ!?」


 そして飛び起きながら投げ出した。

 床に転がった液晶画面には、いい感じに暗い市松人形の顔と、本来送信者の名前が表示される部分に『コノ恨ミ晴ラサデオクベキカ…』とある、呪いの着信履歴が表示されている。


「ナージャ……なに俺で遊んでんだよ?」

「えー? だって和真くんがこんな変なところで寝てるってことは、そういうことでしょう?」

「どういうことだよ……」

「しかも、割といつものことじゃないですかー」

「そうだけど! どうせなら俺遊んで!? 俺遊ばないで!?」


 ネコ科動物のように背もたれにダラリと上体を預けるナージャと、イヌ科動物のようにノソリと立ち上がる和真。ふたりの間に流れる空気は、いつもと変わらない。ただの友人ではない気安さで、けれども恋人よりかは遠い距離で。


 答えはわかりきっているが、それでも十路は問う。


「お前ら、付き合わないわけ?」

「十路もそう思うよな!?」

「冗談やめてください」


 賛意を得たと鼻息荒い和真と、真顔で冷淡なナージャとのコントラストが目に痛い。訊いた十路自身も『だよなー。こうなるよなー』と思うくらいに。


「たまには十路抜きで、二人きりになりたいとか思わない?」

「全然ですね。十路くんがいないと、もっと地獄突きがうなっちゃうと思いますよ?」

「俺が他の女の子と一緒にいると嫉妬しない?」

「全然ですね。早く和真くんの彼女というとうとい犠牲が現れることを願っています」

「俺に触ってもらいたくならない?」

「全然ですね。地獄突きのあと、ウェットティッシュで手を拭いてるくらいなのに」

「ナージャさん!? なんで俺に優しくないの!?」

「優しくする必要性を感じないからですけど?」


 当然のように和真の想いは、ナージャには全然届いていない。いや届いてはいるのだが、闘牛士のように避けられている。

 とはいえ、めげずにアピールを続けていられるのはすごいと、十路は純粋に感心する。


 和真はナージャが裏社会の人間だったことを知るはずがない。支援部の部外者に、そんな真実を明かしはしない。ナージャが支援部に入部した経緯は表立って、幼少期の検査では見つからなかったが、今になって《魔法使いソーサラー》と判明したからとしている。

 だがなにかは察してもおかしくはない。《魔法使いソーサラー》と呼ばれる人間が、生体万能戦略兵器として扱われることを考えると、部員たちの過去をなんら考慮しないほうが不自然だ。しかも和真はアホゥな言動が多いが、にぶくもないし無神経でもない。

 

 好意の一方通行を本当のところどう思ってるかは知らないが、ナージャも和真も、こんな気取らないやり取りを、楽しんでいるのではないだろうか。ごく普通の学生の立場では、ごく普通の《魔法使いソーサラー》ならば、本来ありえるはずのないやり取りなのだから。


「しつこいですよ~? ごっつこ~♪」

「を゛!?」


 ふざけているようにしか見えないが、振り上げられたゲンコツシステマ・ストライクがドゴッと和真の体にめり込んだ。地獄突きとは違って、のたうち回ることもできない。激痛に耐えるようにプルプル痙攣けいれんしながら床に膝を突いた。


(ナージャ楽しそうだな……うん。ナージャ


 十路は改めて自分の推測が、半分は当たっていることを確信した。残り半分、和真が楽しんでいるか否かはあえて考えない。考えるまでもない。


 直後、携帯電話が鳴り響いた。十路だけでなく、ナージャのものも同時に。

 放課後の高校生らしい抜けた空気は一瞬で吹き飛んだ。その切り替えは、元とはいえ特殊作戦要員と非合法諜報員らしい。


 同じ内容を無線ででもあったのか、ずっと黙っていたオートバイが声を上げた。


【消防から支援部に出動要請。中国自動車宝塚東トンネル内で事故発生。渋滞の列に後続車両が突っ込み、玉突き事故を起こした模様。尚、現状では火災は未確認であるものの、その可能性あり】

「新名神開通で渋滞解消したんじゃなかったかよ……?」


 神戸市の隣にある、西日本屈指の渋滞ポイントで多重事故、しかも更なる大惨事になる可能性を考えれば、支援部に要請が出るのも納得ではある。とはいえ面倒とかそういう感情ではなく、事故発生そのものに思わず舌打ちしてしまう。


「現場の映像であります」


 のんびりパソコンを使っていた野依崎が、すさまじい勢いでキーボードを叩いたと思えば、ディスプレイに監視カメラ映像を表示させた。


「ハッキングしたのかよ……?」

「今回は合法的手段であります」


 理屈はさっぱりわからないが、地方整備局監視センターのカメラ映像のようなトンネル内の様子に、十路は再び舌を打つ。


「全員がるな。しかも超特急事案」


 玉突き事故そのものは、貨物トレーラー同士の衝突によるところが大きい。幸いにも人的被害はあまり大きくなさそうだった。

 しかし巨大な障害物によって完全に道は塞がれている。さらには火花が散っているのが見える。映像ではわからないが、燃料がこぼれていても不思議はない。

 小僧・小娘に頼るプライドなどといってられない、犠牲者はもちろん、二次被害が起きる可能性も高い事案だ。換気システムや非常口だと


「緊急走行と飛行を関係省庁に連絡」

「了解」


 支援部員は立場上、ただの民間人だ。《魔法》を使って移動すると、民法・道路交通法・航空法・小型無人機等飛行禁止法他、既存の法律に引っかかる可能性がある。それを特例的に無視して面倒ごとをなくすよう、野依崎に指示を出す。彼女は緊急の部活時、現場に出ないのだから、それくらいやれと。


「わたしと十路くんは現場に直行します。到着からすぐ作業に入ると思うので、責任者の方に話つけといてください」


 手早くレギンスをはいたナージャは電話していた。相手はきっと部長だろう。

 そして彼女もオートバイに乗るつもりらしい。ナージャは《魔法》を使っても空を飛べない。三次元移動は行えるし、音速突破も可能だが、時間の流れが違う空間の中で普通に動いているに過ぎない。だから十路と共同で備品のオートバイを使う。

 実際、ジャケットとヘルメットを装着して、空間制御コンテナアイテムボックスも積載し、自分で充電コードを抜いて向きを変えた《バーゲスト》にまたがると、やはりヘルメットを被ったナージャはその後ろに飛び乗った。


「頑張ってこーい」


 十路とナージャがいなくなっても、和真は部室に居座るつもりのようだが、彼は部外者だ。とはいえ野依崎がいるから問題ないかと、アクセルを開いた。


「こんなことしてたら、バイトなんてしてられないな」


 構内を駆け抜け、ふもとへの坂道を下り、安定して飛ばせるようになってから、十路はヘルメットの無線越しに語りかけた。

 なにせ支援部の緊急活動は、いつ来るかわからない。授業中はもちろん、風呂に入っていても寝ていても呼び出されることがある。

 常に気の抜けない状況にいるのと、のん気にカツカツの極貧生活を送るのと、果たしてどちらがいいものか。十路はどちらもどちらだと思うが、ナージャは後ろで屈託なく笑う。


『生活できる奨学金きゅうりょうが支払われているから、別にいいんですけど。一年前のことを思えば天国ですよ』

「でも結局、バイトやるんだろ? 料理研究部の先輩の店で」

『あれは単なるお手伝いで、人付き合いの範疇はんちゅうです。緊急で部活の召集があった時は知りません』

「いいのかよ、それで……」

『そんなものですよ』


 人懐こく、誰とでもわけへだてなく話す彼女だが、意外とドライだと思ってしまう。まぁホンワカ笑顔を浮かている腹は結構黒いので、『らしい』と言えばらしい。


『いろんな意味で、支援部の入部は、引退のしどころだったんですよ』


 対外情報局SVRの離反も。彼女の生活スタイルも。非合法諜報員イリーガルとしても。


「ナージャが納得してるなら、それでいいけど」


 彼女の問題なのだから、当人がそう言う以上、十路がとやかく口を出すことではない。

 彼女も似たようなことを思ったか、腰を掴んでいた手が、背中にそこそこの力で叩きつけられた。


『はい。お話はここまでです。結構ガチな部活ですから、急ぎましょう』

「わかった。飛ばすぞ」


 そんな気配は微塵も出さないが、意外と彼女は苦労人だ。

 願わくば、彼女のこれからに、幸あらんことを。

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