《魔法使い》と次世代軍事学事情/野依崎編

050_0000 ピノキオ


 ピノキオの冒険。

 一八八三年初版。イタリアの作家カルロ・コッローディの児童文学。

 長年読まれ続ける物語でありますから、発行された時代ごとに差異が存在するでありますが、要は不思議な丸太から作られた人形が、人間になるまでの物語であります。


 それを読んで、自分は疑問を抱いたのであります。

 ヒトの形をしたものは、人間にならないとならないのか。


 某映画会社が作ったアニメの影響か、ピノキオは人間になるために冒険したと思われてがちでありますが、原作では結構違うのであります。

 冒険は優柔不断の結果。自業自得な危機の連続。自由となにかを履き違えた、愚かな経緯なのであります。

 結果的にはそう見える風に描かれてるでありますが、決してピノキオは、人間になりたくて冒険したのではないであります。


 そもそも借金まみれの作者が原稿料欲しさで作った、子供向けの新聞小説でありますし。

 返済できたら、ピノキオ殺して連載終了してるでありますし。

 エグい終わり方へのブーイングと、またギャンブルで借金を作ったために、仕方なく連載を再開。復活させる際に『いい子になって人間になる』と約束させたという、作者のリアル事情で作られた展開でありますし。


 そんな豆知識トリヴィアはどうでもいいので話を戻して。


 ピノキオの冒険では、人間の定義を良心としてるであります。

 それが自分には理解できないのであります。

 言葉としては理解できても、実感がないのでありますよ。


 それをモラルと訳すならば。

 それを道徳観念と訳すならば。

 それを正義感と訳すならば。


 自分には到底理解不能であります。


 それを心情と訳すならば。

 それを初心と訳すならば。

 それをこころざしと訳すならば。


 ほんの少しだけ理解できるような気がするであります。


 ……あぁ、思い出したであります。

 そういえば昔、質問したことがあったでありますね。


 ――知るか。自分テメェで考えろ。


 ……普通ではない回答だったでありましたね。

 ピノキオの物語で言うところの『ゼペット爺さん』は、ロクな男じゃなかったでありますから。まぁ、原作でも最初は金儲け目的でピノキオを作った、ロクでもない男でありますが。


 童話ではありますが、ピノキオの冒険は、自分には他人事ではないのであります。

 オルガノン症候群発症者――通称 《魔法使いソーサラー》は、果たして人間と呼べるのでありますか?

 仮に違ったとして、人間になる必要が存在するのでありますか? 

 そして、自分の場合はどうなのでありますか?


 その問いに、あの男は言ってたであります。


 ――兵器になろうが、人間になろうが、勝手にしろ。

 ――どちらで居たいかくらい、自分テメェで選べ。


 そしてあの日。

 自分が何者なのか、実体験として理解した日。

 飛び出して、今はここにいるであります。


 最近、強く思うのであります。

 自分は何者なのか。


 日本の学校に通う小学五年生としては、中途半端であります。

 しかし《魔法使いソーサラー》としても、中途半端であります。


 なのに彼らは違う。

 確固たる個を持って、矛盾したどちらもを両立しようとしてるであります。

 どちらか片方を選ぶこともなく。どちらも選ばざるをえないから。

 それに引き換え自分は、なにをやっているのだろうと、迷うのであります。


 この地に来て、社会実験チームに協力するようになったのは、金銭的な問題、交渉の肩代わり、衣食住の提供など、説明できる諸々もろもろがあったはずであります。

 でも、もしかすれば。

 あの男に問うた答えを知りたいがためとも思うのであります。


 果たして自分は、人間になりたいのでありますか?

 そして自分は、人間になれるのでありますか?



 △▼△▼△▼△▼



 その日、世界の異なる場所で、異なる複数の出来事が起こった。


 ハワイ島沖。

 日本の遠洋マグロ延縄はえなわ漁船乗組員が、夜の海で船影を見た。

 しかしそれは静かな波間を割って、海中から出現したとしか思えなかった。

 更に甲高い音を立てたと思いきや、その船影が波を蹴立てて一気に加速し、水平線の彼方へ消えていった。

 とても船のものとは思えない、新幹線のような速度で。


 スイス永世中立国、ジュネーブ。

 非合法活動や犯罪者をテーマとしたフィクション作品で、時折出てくる『スイス銀行』は実在しない。しかし匿名性と守秘性の高く、司法の手が及びにくい、高額取り扱いを行うプライベートバンクというものは実在する。

 その一行の本部サーバーで、金額を示す数字が減った。

 プライベートバンクの口座には、常に一億円程度の残高が必要となる。目減りした金額は、それよりも遥かに多い。

 しかし口座残高も多く、維持には全く影響ない送金だった。


 ヤコブ・イスラエル国、パルマヒム空軍基地。

 マーシャル群島共和国、ロナルド・レーガン弾道ミサイル防衛試験場。

 ラアス・アル=ハイマ部族長国、RAKスペース・アドベンチャー宇宙港。

 インディア共和国、サティシュ・ダワン宇宙航空センター。

 太平洋上、シーローンチ社所有海上発射システム船、オーシャン・オデッセイ号。

 数日間隔で世界各所から打ち上げられた、最後のロケットが発射された。


 北中アメリカ連合NCA、バージニア州アーリントン郡。

 『五角形』の名で知られる建物に緊張が走った。

 国土を守る早期警戒システムの一つが、乗っ取られた。

 否、そう称するのは正確ではない。

 システムが本来の管理者と判断しただけだから。


 日本、東京。

 まずは首相官邸執務室での電話で。

 続いて緊急で閣僚が呼び集められた会議室に。

 大激震が走った。


 そして、更に日本。兵庫県神戸市。

 性別も年齢も職業も関連性のない大勢の人々により、『死霊』が目撃された。


『脱走兵ってのはお前か……』


 その近場で、全身黒ずくめの男が苛立ちを漏らした。

 フルフェイスヘルメットにライダースーツで肌を完全に隠したその男は、穂先に湾曲する枝刃を持つ鎌槍をたずさえている。

 何気ないようで油断ない仕草で近づくのは、ビル屋上の縁に立つ、小さな後姿だった。


「『フィクサー』が言ってた迎え?」


 高い声と共に、その影が振り返る。

 一言で表現するならば愛らしい。動物園を訪れたようにまなこを開く、無邪気さを発散している。きっと女性ならば本能がくすぐられ、抱きしめたくなるような風貌だった。

 ただし山高帽を被り、身長には長いステッキを突き、体形に合わせた燕尾服を着た、街中で見かけぬ姿であるために、印象は異なるものになるだろう。それも服そのものが、普通とは異なる。メカニカルな印象の追加パーツが付随された、異形の礼装だった。


『クソ……また面倒事の予感しかしねぇ……』


 ライダースーツの青年は、変換された音声でぼやく。きっと彼はヘルメットの中で、顔をしかめているに違いない。

 厄介だと思っているのは、この状況と服装だけではない。

 本性を垣間見たから。

 瞳の奥に幼さに似つかわしくない、沼のようなよどみを見たから。

 その子供を動物に例えるなら、蛙。

 小さなものならば愛らしさも感じるが、大きな種になれば気味悪がられ、見る面見る者によって印象を変える。

 しかもそれだけではなく、華々しさと猛毒を持つ面も持つ。


『とにかくそいつを止めろ。余計な騒ぎ起こすな』

「嫌ってったら?」

『俺とり合おうって解釈でいいのか?』


 子供は返答の代わりに、先端に宝石にも見える球体がはまったステッキを構えた。

 応じてライダースタイルの青年も、槍の穂先を向けて脇に構える


 傍から見るだけでも、異様な睨み合いだった。

 突き殺そうとする現代の槍騎兵はまだしも、相手は奇術師のように芝居がかった子供なのだから。


「…………今日のところはわかったよ、ミスター」


 しばしの後、子供が破顔し、ステッキを軽く振る。


『『今日のところは』だ?』

 

 だが青年は、槍を下げない。


「聞いてないの? ボクがここにいる理由」

『あぁ……『アイツ』のところにツラ出した途端、なんの説明もなく迎えに行かされたからな』

「そ」


 軽く流し、子供は説明しない。青年の警戒は気にも留めない。

 その代わりのように、顔を上げる。

 街の夜は明るい。その明かりを受ける、山中に建つ白い建物群に視線を向けて。


「Don't free...bastard 《Queen》.(今度は逃げないでよ、出来損ないの《クィーン》)」


 幼い顔に似つかわしくない、混濁と憎悪に染まった笑顔でつぶやいた。

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