045_0151 【短編】ヘッポコ諜報員剣風録Ⅵ ~ある時は、民俗学者(エセ)~


 むかぁし昔、あったそうじゃ。

 峠に人をって食う、恐ろしい猫又が棲んでいたと。


 猟師が弓矢を射かけても、音を立てて跳ね返す。

 罠で捕えることも出来ず、反対に猟師が獲って食われる有様だった。


 ある時、ひとりの旅の忍者が、この猫又を退治するために、峠を訪れた。


 峠の入り口には、小屋があった。

 忍者は不審に思いながらも、おとないを告げると、やがて住まう婆様が出てきた。


 婆様は忍者に問うた。


「どこへ行かっしゃる」


 忍者は答えた。


「恐ろしい猫又が、この峠に棲むと聞いたでゴザル。それを捕えてやろうと思うで来たでゴザル」

「そうかぁ……じゃが、お前様の手に負えるかのぅ……? あの猫又ァ、どんな事ァあっても捕れん思うがのう……」


 婆様はそんなことを言いながら、忍者に茶を出した。


「いや結構でゴザル」


 忍者とは、闇に生き、闇に消える者。生まれた時と財布をなくした時にしか泣けない宿命を背負う者。

 他人を容易に信用などせず、人様の手に入った飲食物など口にしない。


「まぁまぁまぁ。茶ァでも飲んで行きなされ」


 しかし婆様は、見知らぬ忍者相手にしきりに薦める。


「時にお前様。まさか、そんな刀一本で猫又を獲ろうというのか」


 それどころか、忍者にこんなことを訊いてきた。


「そのつもりでゴザル」

「どうなさるおつもりかな」


 忍者は婆様を奇態きたいに思った。どうも様子が妙だ。

 心配しているから、というのは違った。婆様は

 確かに忍者は背に差した刀を持っていないように見える。しかし忍びたるもの、常に備えは万端だ。

 そして策を自らバラすような真似をするはずもない。


「刀一本でゴザルよ」


 忍者は嘘をついたが、聞いた婆様はニタァリとネコのように笑った。

 

 忍者は用心し、婆様が目を離した隙に、出された茶をそっと捨てた。地面にこぼれた茶は小さな火を吹いて、しゅうしゅうと煙を吹いた。飲めば一口でコロっと死ぬところであった。


「婆様、邪魔をしたでゴザル」


 しかしそんなことなど知らぬとでもいうように、忍者はそ知らぬ顔で声をかけて、小屋を出た。


 忍者が峠を登り、日暮れを待っていると、それはやって来た。

 峠の枝という枝がザワザワと揺れ、それがピタリと止んだと思えば、木の枝に大きな大きな、まなこが鏡のように光る、恐ろしげな猫又が止まっていた。


 忍者は背負った刀を抜いた。侍のように構えるのではなく、片手で行う刺突に構えた。


 それを見た猫又はニタァリと笑った。理由はすぐにわかった。

 止まる木の枝は刀で届く高さではない。忍者の身軽さで枝に上がろうと、猫又はヒラリヒラリと枝から枝へと飛び移る。


「ヒヒヒ」


 やがて忍者が疲れたところを、喰ろうてやる。猫又がそんなつもりなのは明らかだった。


 その時、隠者は毒を塗った手裏剣を懐から出し、ヒョッ、ヒョッと放った。

 当たった猫又は


「ギャーッ」


 と叫んで木から落てて、唸ってどこかへ消えたと。


 忍者は夜が明けるのを待って峠を下り、婆様の小屋に声をかけた。

 

「婆様、いるでござる」

「昨夜から病みだした。うどころか」


 内から弱々しい声で言うが、忍者は構わず婆様の寝床へ押し入った。

 そして婆様の着物をひき向くと、腹に手裏剣が刺さった痕があったと。

 婆様は間なしに死んだ。寝床から蹴り出したら、それは猫又に変わったと。

 寝床の下を探ったら、床下に人間の骨があった。

 猫又はここの婆様を食うて、成りすましていたのだと。




 △▼△▼△▼△▼



 いつしか雲が空を覆い、風も吹いていた。天気予報でもあまりいい天気ではなかったが、思ったよりも悪くなりそうな重苦しい空気だった。

 雨も降り始めた。屋根を叩いたと思いきや、すぐに雨足は強くなる。


「ツッコミどころが多すぎて、リアクションに迷いますね。『旅の忍者』ってなんですか。あのお決まり黒装束で旅してるんですか。しかもゴザルって。正体隠す気ナッシングじゃないですか」

「まぁまぁ。昔話なんてそんなものだよ」

「確かにリアルに考えれば、桃太郎とかかぐや姫とか、パッカーンとやった時にバッサリして、初っ端でデッドエンドですけど」


 本題は物語のリアリティではない。ナージャは探偵助手のような、真面目な見解に切り替えた。


「忍者バンザイな改変がされてますけど、完全な作り話じゃなくて、半分くらいは史実だと思いますよ。わたしも民俗学や歴史を研究してるわけじゃないので、ハッキリとは言えませんが」

「ほぉ?」


 柳葉翁が目で先を促してきた。話の内容ではなく、それを話すナージャに興味を持った風にも思えたが、気にすることなく自説披露をそのまま続けた。


「この辺りで修行してたかお坊さんか、旅をしてたお侍さんが、山賊を退治したお話じゃないでしょうかね? 婆様というのは、村に潜んでいた内通者とか、そんなのだと」


 史実が形を変えて創作として伝わることは珍しくはない。

 例えば八岐やまた大蛇のおろちは川の氾濫、それを退治した須佐之男すさのおのみとこあめの叢雲むらくものつるぎを得たのは、製鉄技術の伝導だという説もある。桃太郎も、大和やまと朝廷と対立していた吉備きびのくに吉備津きびつひこのみことが平定した話がモデルという説がある。


「悪役が妖怪っていうのは、ご婦人・お子様が聞いても安心な工夫ですね。悪党とはいえ、人間ぶっ殺しちゃった話だと引かれますけど、人外ならなーんの遠慮もりません」


 なんか明けけな言葉に引かれた気がしないでもなかったが、ナージャは気にしなかった。


「それで、これは忍者の表の顔と裏の顔、どっちが本性かって話になってしまいますけど……忍者を語る上で、日本の宗教は切り離せません。だから武者修行中のお侍だけでなく、お坊さんまで選択肢に入ってきます」


 厳しい修行は、常人ならざる身体能力をはぐくむ。

 托鉢たくはつなどで怪しまれることなく情報収集にいそしむことができる。

 一般人が旅行など一生に一度あるかないかの時代、修行と称して旅していても不審に思われない。

 七方出しちほうでと呼ばれる忍術、七つある変装術において、三つは宗教関係者――虚無僧・比丘びく・山伏だ。

 忍術を使う際に印を結ぶ描写も、密教の影響を受けているとしか思えない。

 宗教関係者が忍者のようなことをしていたか、忍者が宗教関係者に化けていたかは、ケース・バイ・ケースであろうが、信仰とは違う部分で近しい関係にある。


「肝心の手裏剣ですけど、一般の方が想像する十字手裏剣ではないでしょう。小刀とか、場合によっては針とか釘とか、もっと言えば手裏剣から完全に離れて、その辺に落ちてた石とか弓矢かもしれません」


 十字手裏剣は、忍者を象徴する武器だろう。しかし時代劇やアニメのように、いくつも持ち歩けるものではない。鉄製で大きく嵩張かさばるので、下手な持ち方をすると自分にも刺さる。なので潜入先から逃げる時の牽制手段として、あるいは毒を塗って必殺を期すために、必要時のみに、それでも一、二枚しか持っていなかったというのが通説だ。


 柳葉翁の話に登場した忍者の正体が、ナージャが想像したとおりだとしたら、そんな武器を持っていたとは考えにくい。投擲とうてき武器として作られた棒手裏剣を持っていたかも怪しい。


「他に手がかりないなら、それらしいものを探し出したところで、正解か否かもわからないわけ……ですよね?」

「大事にまつっていたなら、こんにそれなりの形で保管しちゃったとは思うがなぁ……」


 依頼主である柳葉翁も、困難であると理解していたに違いあるまい。長い顎ヒゲをしごきながら、自信なく補足しただけ。


「なら、少なくとも歴史や古美術に詳しい人がいないと、どうにもならない案件じゃ?」


 恭一郎に念を押すと、彼も弱ったような顔でうなずいた。


「後は神さんというか、マーガレット探偵事務所としての判断ですけど」

「丹波まで足を運んだこともあるし、今日一日は探さないと、どうしようもないかな? 紹介先の伝手つてがないわけじゃないけど、僕も全然わからないままじゃ相手側に説明できないし、完全な丸投げも難しいからね」

「わたしも今日一日バイトのつもりでしたから、構いません」

「ということですが、いかがでしょう? 法外な額を請求するつもりはありませんが、いくらかは代金が発生してしまいますが?」


 恭一郎が最終確認すると、元々のつもりだったというように、柳葉翁は大きく頷いた。


「じゃあ、おうちを拝見させてください。あと倉の中も」

散らかるさんこにしてるが、それでもよければ」


 玄関は玄関としてあったが、母屋と繋がる渡り廊下もあった。柳葉翁がそちらへと矍鑠かくしゃくと先に立ち、恭一郎とナージャも立ち上がり追おうとした。


「俺を忘れないで……!」


 そこで若い男の声がかけられた。

 振り返ると、式台にようやく這い上がった風の和真がいた。


「あ」


 恭一郎は『やべ。忘れてた』的な声を上げたが、ナージャは違った。


「ほえ? 忘れてませんよ? ちゃんと覚えてる上で放置してただけですよ?」

「…………」


 消極的な害意に、和真はガタガタと震えて始めた。だがナージャは、外に転がっていたから雨に打たれて寒いのだろうと気にしなかった。割と素でヒドかった。

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