035_0140 【短編】修学旅行に必要なものは?Ⅴ ~気持ちよくなるおクスリ~


 翌朝。


【やはり変です。あれは違います】


 ホテルから出ると、聞き覚えのある女性の声を捉えた気がした。

 しかしバスのトランクルームに荷物を詰め込む人垣で、南十星なとせが首を巡らしても、声の主は見つからない。

 出発前の中学生たちのものに加え、都会の喧騒もある。耳を済ませてももう聞こえない。


(空耳かなぁ……? なんか昨日からこんなこと続きっぱだけど)


 首をひねりつつも強引に納得し、マネキンを詰め込んでパンパンのスポーツバッグを押し込んだ南十星は、アタッシェケースを手にバスに乗り込んだ。



 △▼△▼△▼△▼



 本日の隣席は、所属班の長たる公平少年だった。

 ちなみに牛乳と水を大量に飲んで、歯も舌も磨いて、朝から汗も流しているので、ニンニクの匂いを指摘されることはなかった。


「なぁ、堤君……? まさかこれ、君じゃないよな……?」


 声を潜め、恐る恐るSNSのアプリが起動したスマートフォンを見せてきた。

 『東京タワーになんかいた』という書き込みと一緒に、画像が投稿されている。そこには早朝の薄暗い東京タワーの特別展望台上で、両手を大きく広げ片足立ちした、荒ぶる鷹のポーズを取る謎の人物がいた。遠方から撮影したものを無理矢理拡大したらしく荒いため、小柄な人物である以上は、性別も服装も判然としない。

 だが公平少年は、直感したらしい。


「……にはは」


 南十星は予想的中だと笑いやがった。頭をかいて照れている場合ではない。


「なにやってるんだ君は……!?」

「いやー、国会議事堂は無理っぽかったし。朝練にちょーどよかったし? カメラには気ぃつけてたけど、遠くからあの時間で撮影されてるとは思ってなかったなぁ」

「不法侵入だろう……!」


 東京タワーはエレベータだけではなく、外階段を使って登ることもできるが、投稿時間は施設オープンよりも遙かに早い。しかも一五〇メートル地点の大展望台までで、二二三.五五メートル地点の特別展望台までは行けない。

 不法侵入していないと不可能なスパイダーマン行為だ。充分すぎるくらい警察の逮捕案件だ。


「大丈夫だいじょぶ。それくらいならバレないって」

「なにを根拠に……!」

「あたしらがテロリスト退治した時の映像、出回ってるじゃん。でもフツーに出歩いてて、なんもないよ?」

「あぁ……」


 信憑性ある言葉だった。


 夏休み直前、神戸市内で不発弾が発見された。しかし実は日本に潜伏したテロリスト壊滅のための自衛隊の作戦で、南十星が所属する総合生活支援部も協力した。市民を巻き込むほどの激しい戦闘になったが、死傷者はなく、神戸市は平穏を取り戻した。

 そういうことになっている。一部の者しか知らない真実は違うが、公平少年が知る世間では。


 その事件の際、市民が撮影した映像があり、なにかと本性が明らかにならない《魔法使いソーサラー》の人智を超えた能力が、部分的とはいえ明らかになったため、世界に激震が走った。公平少年も夏休み期間、そういった特集番組が放送していたのを覚えている。それも著名人に政治家まで加わった、バラエティとは程遠い真面目な討論番組だった。

 《魔法使いソーサラー》は危険だ。しかも人間兵器が一般市民の中に混じって生活しているなど正気か。

 そんな排他的意見がある一方、直接触れ合う機会がある神戸市民や修交館学院の学生にとっては、『そんなもの』程度だ。もちろん危険視する者もいるが、《魔法使いソーサラー》が近くにいることで発生する、直接的な脅威に晒されたことがないため、危機感が刺激されない。


 多くの神戸市民にとっては、単に見分けがつかないだけだろう。映像で風体が広まっているだけで、《魔法使いソーサラー》の個人情報まで公表されたわけではないのだから。エキストラとして数多くのドラマ出演経験がある俳優と実際に街で出会って、果たして何人が気づくだろうか。

 近しい部外者のひとりである公平少年の場合、事件映像の中で、血に濡れた顔見知りの少女を見つけても、映画を見ているような非現実感が勝った。夏休み期間を挟んだこともあるだろうが、学校で再会してヘラヘラした顔を見ても、それまでと違う特別な感情は全く抱かなかった。せいぜい平凡なクラスに有名タレントが混じっているくらいの感覚でしかない。外から見れば特異に思えても、当事者たちにとっては『普通』の範疇だ。


 納得したか。当事者がそんな態度だから諦めたのか。警察沙汰になった時はその時だと腹をくくったのか。公平少年からSNSの投稿について、それ以上の話はなかった。


「それで、君はなにをしてる?」


 代わりに、南十星の手元を覗き込む。

 彼女はアタッシェケースのダイヤルロックをいじっていた。その手を止めることなく説明する。


「荷物の取り違えが起こってさ」

「どこで?」

「……まぁ、ちょっと? 昨日、抜け出した時?」

「君は……」


 これが単に盗まれたのなら話は変わるが、取り違えられたのは、昨夜、ラーメン屋を訪れた時しか考えられない。

 空間制御コンテナアイテムボックスはこの旅行中、リュックベルトをつけて背負っているから、下ろした場面はかなり限られている。

 その限られた場面のひとつがラーメン屋だ。下ろして足元に置き、しかも隣にアタッシェケースを持った客が座った。南十星たちよりも早く食べ終えて店を出えたから、その客が間違えて持って行ったと考える他ない。


 アタッシェケースに付属しているダイヤルロックがかかっているだけなので、さほど厳重なセキリュティではない。ひとつひとつ数字を増やす総当りで試せば、時間さえあれば開けられてしまう。


「ならば警察に行って相談を――」

「時間かかるじゃん。直接連絡取って交換したほうが早いって。でも手がかりないから、ケースこれ空けて連絡先でもないか探るしかないじゃん」

「そうかもしれないが、窃盗を疑われるだろう?」

「そうだけど、あれは早いところ取り戻さないといけないのさ」


 《魔法使いの杖アビスツール》の紛失など発覚すれば、兄や部長からどれだけ怒られるか。実際怒られても彼女は気にしていないような態度を取るが、好きで怒られたいわけではないし、盗まれたものを悪用されることを考えないほど無責任ではない。


 昨夜点呼が終わるのを待って、再びホテルを抜け出してラーメン屋を訪れたのだが、その客について情報は得られなかった。

 その時点で夜九時には寝てしまう南十星は電池切れしてしまったため、捜索活動を中断したが、早朝から再開した。今度は『ランニングが日課だから』と堂々フロント前を通ってホテルを出た。


「てか、なーんか変なんだよね。あたしのアタッシェケース、GPS付いてるから、ケータイで追跡できんだけどさ。東京のあちこちから反応あるんだよ。地下使ってんのか途切れ途切れだから、ハッキリしないけど、間違って持ってった人、一晩中移動してるみたいに見えるんだよ」

「営業マンとか、そういう仕事……?」

「真夜中に営業するわけないっしょ」

「だろうな……違うか」


 無駄だと思いながらも、GPSの反応があった場所を、修学旅行のスケジュールが許される範囲で捜索したが、やはりなにも得るものはなかった。

 東京タワーにも登ってみたが、なにも見つけることはできなかった。誰もが『当たり前』と言うだろうが、この辺りが常人には理解できないアホの子の発想だった。


(単に荷物間違ったんじゃないのかなぁ……?)


 昨夜、南十星がラーメン屋を出ようとした時、アタッシェケースからリュックベルトが外れていた。ケースに溶接された留め具にガッチリ固定するものではなく、ベルトで締め上げて簡易的に固定するものなので、なにかの折に外れることもあるかとその時は気にしなかったが、こうして考えてみれば変だ。


(ワザと入れ替えて、あたしの《魔法使いの杖アビスツール》パクった? でもそー考えるのも変なんだよね。なんでタカトビせずに東京ウロチョロしてんの?)


 その疑いは口にすることなく、南十星はダイヤルの数字をひとつひとつ増やしていると、やがてロックが解除された。

 ケースに詰め込まれていたのは、透明ナイロンに包まれた白いブロックだった。大きさを揃えられた薬剤結晶だけでなく、粉砕したものが入る小さな袋もある。こちらはサンプルとしてでも作られたのか。

 こういった形態で包装された代物は、ニュースで押収品として映し出されることがままある。警察に協力した部活動で、実物を目にしたこともある。

 それと同じ物ではなかろうか。


 さすがの南十星といえど、動きが止まった。《魔法使いソーサラー》絡みで盗まれた想定をしていたところに、全く違う線と考えるべき、この中身は完全に予想外だった。


「ねー。はんちょー。これなんだと思う?」


 他の生徒たちに気づかれないよう、隠しながらケースの中身を見せると、公平少年も固まった。


「まさか……麻薬?」


 彼も嫌な想像を肯定してくれた。



 △▼△▼△▼△▼



 東京スカイツリーの四階入り口フロアで固まって座り、入場を待っている際、南十星は唐突に仁王立ち、声を張り上げる。


「あたしは今、三億円を手にしている!!」


 観光地が一瞬静寂に包まれた。

 二年A組のクラスメイトたちは、それぞれのおしゃべりを止め、『コイツなに言ってんの』的な目を向けた。彼女がワケわからんことを言い出すのは、今に始まったことではないので、すぐに興味を失った。

 彼女の人柄など知らない観光客たちも、『子供がなんか叫んでる』と真に受けることなく、場は元のざわめきを取り戻す。


「堤君……!」


 例外は、末端価格でそれくらいの物を背負っている事実を知る、公平少年くらいだ。慌てて長袖ブラウスの袖を引っ張って座らせ、小声でたしなめる。


「いっつもそれ以上のブツ持ち歩いてるから、別に焦るようなことでもないけど?」


 大量の麻薬より《魔法使いの杖アビスツール》が高価だ。支援部員は何気なく扱っている電子機器だが、部品単価換算は戦車の調達価格よりも高い。

 だが、そういう問題ではない。


「これ以上は先生と、警察に相談しよう……!」


 事故のようなものとはいえ、禁止薬物を持ち歩くなど、彼にとっては正気の沙汰ではないだろう。日常の世界しか知らない普通の人々は皆そうするに違いない。

 残念ながら、南十星は違う。


「そうするべきか確かめるために言ったんだよ」

「どういうことだ……?」

「尾行がついてる」


 南十星はポケットから鏡を出して、髪を整えるていで、振り返ることなくもう一度後ろを確かめる。


「あたしが本当に三億円そーとーの麻薬ブツ持ってるって知ってる連中が張りついてんだよ」


 チケット購入を検討している体で、南十星を注視している、離れた場所に立つ二人組の男を映し出す。スジ者まる分かりの格好をしているわけではなく、人相も至って普通だが、彼らは南十星の三億円発言に明らかに顔色を変えた。


 昔の刑事ドラマのように、舐めて判断できるものではないから、本当に麻薬かどうかも怪しかったが、これで本物だと証明されてしまった。

 そんな物がどういう経緯で南十星の手に渡ってしまっているのか、いまひとつわからない。ただ、知らないままにあちこちで捜索活動したので、取り違えたケースを女子中学生が持っている情報が広まっていても、全く不思議はなかった。

 情報をキャッチして追いかけてきたのが警察関係者なら、渡して事情聴取されてホテル脱走を怒られて、ついでに空間制御コンテナアイテムボックス捜索をお願いできるのだが、状況から考えて本来の持ち主側――ヤクザやマフィアの手合いだ。


(どーすっかなぁ……)


 南十星は頭をポリポリかいて考える。結構ピンチな状況だが、この落ち着きっぷりを彼女らしいと思うべきか、支援部員らしいと評すべきか。


「とりあえず、テニモツケンサあるから中に持ち込めないし、預けてくる」


 テロが警戒されている昨今、手荷物検査が行われているのに、怪しい白い粉ギュウギュウ詰めのケースなど開けて見せたら、問答無用で南十星が御用されてしまう。公平少年に言い置いて、彼女はすぐ近くのコインロッカーへと向かう。

 すると視界の隅で、追っ手の片割れがついてきた。


(兄貴のマネ、やんなきゃなんないかぁ……)


 南十星は空いているロッカーにアタッシェケースを放り込んで、なにも気づかず小銭を探るていで身構える。

 やがて予想通り、横から突進してきた。南十星を跳ね飛ばし、ケースを奪い取って、そのまま逃げるつもりか。


「ふ――ッッ!!」


 インパクトの瞬間、ふたり分の体重以上を受け止めたタイルにひびはしり、人間同士の衝突と思えない音が発生した。

 鉄山こうと称されることが多いが、八極拳での正式名称は貼山靠ティエシャンカオという。超至近距離からの突進技で、小柄な少女が逆に大の大人を吹き飛ばした。


「おっちゃん、どしたん?」


 ロッカーに鍵をかけてから、なにも知らない態度で南十星は問いかける。だが靠撃をカウンターで、しかも腹に肘も突き込んだため、男は悶絶してリアクションできない。

 そうこうしているうちに、人が集まってきた。


「誰かー。このおっちゃん、急にぶっ倒れたんだけど」


 職員の制服を着た者も駆けつけてので、後を任せて学生服集団に戻る。

 ロッカーの鍵を指先で回しながら、確認することも忘れない。追っ手のもうひとりは、スマートフォンに慌てた様子で電話していた。問題なのは引ったくりして逃げる時で、子供からアタッシェケースを取り戻すこと自体は簡単だと思っていたに違いあるまい。


「君は……」


 ずっと見ていなければ、なにが起きたか理解できるはずない。彼は一連の様子をずっと見ていたか。隣に座ると公平少年から半無意識の唖然とした言葉が来たので、肩をすくめて見せる。


「《魔法使いソーサラー》ってのは、これくらいニチジョーサハンジなのさ」

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