035_0130 【短編】修学旅行に必要なものは?Ⅳ ~抜け出すための私服~


 修学旅行初日の夜など、生徒たちはまだまだ元気いっぱい。浮かれ気分で騒がしい。外出禁止でホテルに閉じ込められているのだから、食事が終われば無法地帯のような惨状だ。

 探検と称してホテルが宿泊客の出入りを禁止している変なところに入り込んで大目玉を食らう。

 ある部屋ではテレビのチャンネル争いが勃発し、他の部屋への移動が余儀なくされる。ある部屋では普段と違って持ち込みOKだからとスマートフォンで一斉にゲームしているのでそれはそれで静かだが、家庭用ゲーム機を持ち込んでいれば大目玉を食らう。

 女部屋ではドライヤーを一度に使ってブレーカー落として大目玉を食らう。女子が男子の部屋に入るのは意外を多目に見られたりするが、男子が女子の部屋に行くと大目玉を食らう。

 先に寝ればイタズラされたり寝顔を写真に撮られたりする。だからと言って遅くまで起きていると大目玉を食らう。


 中学生とはいえ、まだまだ子供の相手をしなければならないのだから、引率の先生たちは大忙しだ。少なくとも生徒たちがはしゃぎ疲れた深夜になるまでは、ゆっくり休むことができない。


「こらーーーー! なにやってる!」


 班長だけでなく、宿泊室の室長も任命された公平少年も、ゆっくりすることができない。



 △▼△▼△▼△▼



 そんな中、勝利少年だけは違っていた。ひとりホテルから飛び出し、自由を満喫していた。学生服とジャージだけでなく、私服の普段着も荷物に詰めた彼は着替え、夜の東京に繰り出していた。

 とはいえ、なにか目的あっての脱走ではない。あの騒がしい空気が苦手だから、外に逃げ出しただけだ。知らない夜の街を闇雲に歩くのを避け、まだ人通りある繁華街をブラッと見物し、年齢的に夜の店に入れるわけもなく当人も興味がない様子でスルーした。

 悪いことをしたいわけではないが、闇雲に現状から逃げ出したい。そんなお年頃の真下勝利一四歳は、散歩の末にラーメン屋に入った。企業化されたチェーン店ではなく、背の高いビルに挟まれながらも、この場に根付き何十年も愛されているような、そんな店だ。仕事帰りの客だけではなく、これから夜の仕事に行くかのような客もいる、神戸の繁華街の店とは違う雰囲気がある。


「はぁ……」


 半分ほどの席が埋まるカウンターに座り、オーダーを伝え、軽くため息をついた勝利少年がお冷を口に運ぶと。


「どーしたマッシー? チ●コまだムケてないの気にしてんの?」

「ぶふぅぅぅぅっ!?」


 聞き覚えある声による、あんまりな発言内容に、口に含んだ水を思い切り噴き出した。咄嗟に横を向いて店主にも設備にも他の客にも声をかけてきた人物にも水をかけなかったのが、せめてもの礼儀か。


「おっちゃん! ラーメン大盛り! ニンニクもたっぷり! あとギョーザも!」


 勝利少年が体を折り曲げてむせているのを気にせず、いつ入店したのかわからない少女が、隣に腰掛ける。


「なんで堤がいるんだよ……!」


 はなをすすった勝利少年は、隣に座る南十星なとせに涙目を向ける。

 背負ったアタッシェケースを隣の空き座席に置き、さっそく醤油と酢とラー油を小皿に乗せる南十星は、私服だった。


「晩メシ少なかったから、夜食食わなきゃ寝れないって。で、なに食べよーかなーとフラフラしてたら、マッシーがここに入るの見えたから」

「オイ……脱走していいのかよ」

「マッシーもダッソーしててよくゆーよ」


 関西圏だと既にブレンドされた餃子のタレが常備されているのが普通で、関東圏では別々にセットされて自分でブレンドするのが普通なのだが、彼女は戸惑う素振りもなくタレを箸でかき混ぜている。

 それはともかく、南十星の私服姿を横目で盗み見る。風呂で裸を見られたのが尾を引き、真正面からは見えず、また顔色を見られたくない。


「服まで用意して……最初から抜け出す気マンマンじゃねぇかよ」


 Tシャツにミリタリーベストを重ね、ショートパンツでむき出した足は膝上ストッキングで隠している。髪を下ろした頭には、キャスケット帽を乗せている。

 中性的で活動的な格好だが、アイテムが少し大きめのサイズのため、少女らしい愛らしさを作っている。彼女がよくやるファッションだが、学校でしか顔を合わさない勝利少年には、初めて見る新鮮なものだ。


「そーゆーわけじゃないよ? 着替えいっつも空間制御コンテナアイテムボックスに入れてるだけだし」

「いっつもカバンに入れてる謎ケースか……」


 南十星の背後側から、隣の席に置かれたアタッシェケースを見てしまう。

 女の持ち物など詮索するべきではないかもしれないが、アタッシェケースをスクールバッグから出し入れしているのを目にすれば、嫌でも印象に残る。

 とはいえ中身までは知らない。彼女は教室内で開けない。普段空間制御コンテナアイテムボックスを持ち歩いている支援部員は、その使い方もそれぞれで、私物を入れている者もいるが、南十星は物理的にも日常・非日常を区切っているタイプだ。

 だからアタッシェケースの見た目と容積が全く釣り合っていないことなど、勝利少年は知らない。


「ま、点呼までには戻るつもりだし。万一遅れても、部室から応援連れて来てるから、だいじょーぶっしょ」

「?」


 タレの出来に満足したのか。行儀悪く舐めた箸を置いた南十星は、ベストのポケットから取り出した、リップクリームをもてあそび始めた。『応援』の意味が理解できずに深く考えることなく、『堤もそういう女らしいもの持ち歩いてるのか』とボンヤリ考えてしまう。


「堤ってさぁ……なにしたいんだ?」


 このまま黙っていると、無言でラーメンを待つ気配を感じ取ったため、勝利少年は無理矢理質問を作った。普段騒がしい癖に、必要なければ口を開かないというか、意外と南十星は黙り込む時がある。


「なに? あたしにキョーミシンシン?」


 南十星が笑う。普段の無邪気な笑顔とは違う、イタズラ好きのネコの気をびた女の顔だった。

 図星だけでなく意表まで突かれ、勝利少年は顔を背けた。


「興味というか……なにしたいのか、わからん時がある。お前さぁ、女連中だけでなく、三枝さえぐさとかとも仲いいじゃん。だけど俺みたいなのともつるむし」

「ガクセー生活エンジョイ。それがあたしのやりたいことだよん?」


 確かに彼女はエンジョイしているだろう。いつも実に楽しそうにしている。勝利少年もそこに異論はない。巻き込まれてイジられるので結構迷惑だから別の言葉があるが、ここで口にはしなかった。


「あたしはさ、フツーじゃないんだよ。中二病じゃなくガチでね。今はフツーに学校通ってるけど、この先どーなるかわかんないから、今のうちに楽しんどけって、兄貴からサンザン言われてるんだ。最初は行く気なかったけど、修学旅行に来てるのもそれ」


 教室ではお騒がせ娘の印象が強くて意識しないが、当人が転入初日で明かしたことなので、二年B組の誰もが知っている。 

 南十星は《魔法使いソーサラー》と呼ばれる、本来一般人が関わらない稀少人種だ。

 そして実体があまり明かされていないため、一般人が持つ《魔法使いソーサラー》の認識は、虚実交えて様々だ。修交館学院には《魔法使いソーサラー》たちの部活動なるものが存在し、いくらかは近しいが、それでも正確に実体を知っているかというと否だ。だからどうしても不気味さや危うさが付きまとう。


 勝利少年が知る《魔法使いソーサラー》は、南十星ひとりだ。人間兵器など称される存在と結びつかないので、いまひとつピンと来ないが、彼女自身が『普通ではない』というのなら、相当のことなのだろう。

 しばし迷ったものの、そのことについては触れるのを避けた。


「その挙句が脱走か……?」

「おおっぴらに言えない悪いコトって、ドキドキして面白いじゃん? もちガチの犯罪まで走っちゃうと、笑い話にならんけどさ」


 男風呂を覗く行為は、軽犯罪法に触れる立派な犯罪である。しかし多少なりとも法に詳しい彼女の兄とは違い、勝利少年の口からそんなツッコミは出てこなかった。


「あたしはヒンコーホーセーな悪いコでっせ? 酒もタバコも売春もキョーミないけど、ダッソーくらいは平気でやるよ」


 品行方正な少女は、壁をよじ登って男風呂を覗いてチ●コなどと言わない。

 勝利少年は思ったものの、やはりツッコむのはやめておいた。


「あと、イジメは嫌いだけど、ケンカはジョートー」


 握った拳を突き出して見せてくる。学校で気にしたことがないが、彼女の拳が、中指の付け根がわずかながら盛り上がっている。大きなものではないが、拳ダコが出来ている。

 実に男前だ。


「お前、本当に女か……?」

「おぉ~? 確かめてみるぅ~?」

「バ……!」


 思わずこぼした感想が、またもネコ型笑顔になって戻ってきて、しかもシャツの首を引き下げながら身を寄せてくるものだから、公平少年は赤面してしまう。


 思わず身を離した際に、店が混んできていたことに気づく。

 ちょうどアタッシェケースをぶら下げたスーツの男が入ってきたので、空席を占有していた荷物を足元に移動させながら、今度は南十星から問うてくる。


「マッシーはさ、なんで悪ぶってんの?」

「別に悪ぶってはねぇよ……」

「えーでも、なーんかロンリーウルフ気取ってるじゃん。今だって誰かとつるんで夜の街繰り出そうぜーじゃないし」

「ただ、なんとなく合わないだけだ……」

「徳永●明? 尾●豊?」

「どこから出てきたその名前?」

「壊れかけのラジオに本当の幸せ教えて欲しいのか、行く先も解らないのに盗んだバイクで走り出したいのか」

「あー……どっちかっつーとラジオ? 古くてよく知らねーけど」

「若いねー。青春アオハルしてるねー」

「いや、同い年だからな?」


 そんな取り留めない話をしていたら、カウンターの向こうから、湯気を立てるドンブリと、まだ油が小さく音を立てる皿が突き出された。


「あり? おっちゃん。あたし煮卵追加してないよ?」

「修学旅行で東京来て、抜け出してるんだろ? それ食ってさっさと帰りな。あんまり先生に迷惑かけんじゃねぇぞ?」

「にはは。ケーケンシャのおコトバは素直に聞いときまーす」


 ふたりの会話を聞いていた店主からの、おまけのサービスを無邪気に受け取る南十星を見て、勝利少年も割り箸を取る。



 △▼△▼△▼△▼



「ヤベェ……」


 ホテルに戻ってきた公平少年は、扉をガチャガチャやって、肩を落とす。


「もしかしてマッシーがホテル抜け出したの、ここから?」

「あぁ……」


 ホテルの正面玄関ではなく、従業員用の裏口だ。表のフロントとは違い人気ひとけがない分、暗証番号によるロックがかかっていて、従業員の危機意識はちゃんとなっていた。


「そりゃーイカンよ。夜遅くになったら閉めるだろうし」

「そういう堤はどこから抜け出したんだよ?」

「五階の窓から飛び降りた」

「……………」


 南十星は『いや、窓枠掴んで落下速度チョーセーしてだよ?』と続けたが、そういう問題ではない。そこまでして修学旅行中に宿泊施設を脱走する中学生は、きっとこのアホの子しか存在しない。


「んじゃま、付いて来て」


 しかも施設に戻るのに、壁を登り始めるのも、このアホの子くらいだろう。

 客室がある側に場所を移り、十星はスルスルと垂直の壁を登って行く。窓枠や排気ダクトの凹凸に指をかけ、タイルの目地に靴を引っ掛けて体重を支え、上へ上へと危なげなく体を持ち上げていく。黒くてカサカサして縦横無尽に走り回りたまに飛ぶGな虫とまでは言わないが、ヤモリ並みではある。


「付いていけるかぁぁぁぁっ!?」

「え? 男なのにムリなの?」

「当たり前だろ!?」

「兄貴なら文句ブーたれながらも付いてくるんだけどなぁ……」


 どんな兄貴だ。

 三階相当の壁に貼りつき、心底意外そうな顔を向けている南十星に、勝利少年は心の中でだけツッコんだ。


 南十星がブラコンというのは、二年B組では有名な話だ。なにせ当人に隠す気が全然なく、好意があからさまなのだから。

 しかしその兄がどういう人物なのかは、あまり知れ渡っていない。

 とにかく、男の基準にされては困る、妹に追従できる超人へんたいであることは理解した。


「あたしが中からカギ開けるから、ちょっち待ってて」


 勝利少年は、兄妹のどちらが真の超人へんたいであるかは知らない。

 だから見知った妹を真の変態だと誤解するしかなかった。



 △▼△▼△▼△▼



 鍵が開いている場所を探して壁面を移動していると、やがてひとつの客室に辿りついた。他の宿泊客に気を使わせないよう、男女別でツーフロアが修交館学院の貸切状態だから、そこは誰の部屋かあまり気にせず、靴を脱いで南十星はネコのように部屋の中に入る。

 部屋には誰もいなかった。既に布団が敷かれ、使用権を示すようにバッグが半端に開かれた状態で置かれている他、特になにもない。女子の階は洋室でベッドなのだが、男子の部屋は和室で布団なのかと思った程度だ。

 宿泊客たちは、どこか別の部屋に遊びに行っているのだろうか。同級生ならそこまでとやかく言われないだろうが、誰もいないなら説明が省けてちょうどいい。

 だが、バスケットシューズ片手に部屋を出ようとした時、戻ってきた宿泊客と鉢合わせした。


「おいッス」


 とりあえず南十星は、シュタッと軽快に手を挙げてみた。


「あ、あぁ……」

「んじゃ、そーゆーことで」

「――って、そうじゃない! なぜ堤君が!?」


 品行方正な公平少年は、男子部屋への不法侵入女子をスルーしてくれなかった。

 仕方ないので南十星は、指でチョイチョイして、見上げる位置にある年の顔を下げさせた。嫌そうというか警戒しているが、それでも彼は屈んだので、吐息でくすぐったそうにする耳元に唇を近づける。


「よ・ば・い?」

「…………」

「…………」


 なぜ疑問形なのかを考えるような、それともピンクな声を演技してみた反応を待つかのような、なんともいえない沈黙が流れること三秒。ゆっくりした動作で姿勢を戻し、ふたりは再び向かい合う。


「…………堤君。非常に言いにくいのだが、言っておかなければならないことがある」

「ん?」


 公平少年は紳士だった。淑女にほど遠い南十星でも気遣いをするジェントルマンだった。だから言いよどんだ。

 口をつぐむことで別の相手や当人が不快な思いをする前にと、自分が悪評を被ることをいとわず、心構えを作らせた上で年頃の少女に無残な現実を突きつけるところも、客観的に見れば好感を持てる。下手に感情を乗せるよりも、事実を伝えることに特化したように、声にも顔にも感情を乗せていないのが尚いい。

 冗談半分でも『女』を見せ付けられた感想を完全に避けたことは、賛否分かれるかもしれない。


「息がニンニク臭い」

「…………」

「…………」


 ふたりの間になんとも言えない沈黙が流れること六秒。ラジオだと放送事故と判断される時間の後。


「んじゃ。そーゆーことで」


 南十星は再びシュタッと軽快に手を挙げて、そのまま部屋を飛び出した。


「待ちたまえ! 私服でホテル抜け出してなにか食べてきたんだろう!?」


 公平少年の声が追ってきたが、無視した。説教を面倒と思ったのか、外に待ち人がいるためなのか、いくら南十星といえど口臭を恥と思ったかは、誰にもわからない。当人にもよくわかっていない。



 △▼△▼△▼△▼



「たっだいま~ん。点呼まだだよね?」

「ちょっとなっちー! これなんとかしてよ! 横になったら目が合うんだけど!」

「恋が始まりそう?」

「コワいんだって!」


 女子部屋に戻った途端、隣のベッドを使う予定の少女が、『部室から連れてきた応援』を指差して南十星に文句をつける。


 支援部の部室は、建物はガレージだが、元は物置として使われていた。改装した今も、ガラクタとしか思えない物まで残っている。

 例えば用途不明の、バラバラになったマネキン。粗大ゴミとして捨てるしかないのだが、こうして身代わりに丁度いいため、いまだ地味に現役で活躍している。


 自動販売機で買ったパック牛乳を一口飲んで、南十星は布団をめくり、栗色ショートヘアのカツラを被る、ジャージを着せられたマネキンを片付ける。


 そして収納しようと、背負っていたアタッシェケースを下ろし、取っ手を握ったが。


「あり?」


 変化がない。ガションとシリンダー音を響かせて開かない。それ以前に脳機能接続が行われない。

 故障かと思い確かめると、おかしかった。ケースのサイズも色も材質も一見同じなので、疑問に思わず背負っていたが、存在しないはずのダイヤルロックがあり、前使用者が貼った肉球ステッカーがない。


「これ、あたしの空間制御コンテナアイテムボックスじゃない……?」

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