050_2030 巨兵Ⅹ~破壊的イノベーション~


【トージ……!!】

「は、ははっ……げほっ、これ……やばい」


 十路とおじは空虚な笑いをイクセスに返すしかない。

 重傷を負うたびに味わってきた欠乏感だが、今回は段違いだった。加えて自分の存在が希薄になりながら、どこかの奥底に引きずりこまれるような錯覚も。

 大量出血によるショック死が近づいている。

 陸上自衛隊の非公式特殊隊員であった時、任務中によく誰かに押し付けていたものだ。それが自分に回ってきただけのこと。そう思えるから、不思議と静かな気持ちだった。

 やたら心拍が気になる。送り出す血液がなくなっても、しばらく動くのだろう。


(幻覚まで見えてきた……)


 合わせて急速にまぶたが重くなったのは、まだ極限と呼べる状況で《魔法》の生命維持がなくなったからか。それとも脳にも血と酸素が足りなくなったからか。目の前の風景とは合致しない光景が目に浮かぶ。


(だれ……? どこだ……?)


 どこかの研究室を思わせる薄暗い部屋に、二人の人物がいた。

 ひとりは隣の部屋に繋がっているガラス窓を覗き、マグカップを傾けている。白衣の背中を向けているが、体形や肩にかかる程度の髪の長さから、どうやら女性らしい。

 もうひとりは部屋の中央で、速いテンポでパソコン『らしきもの』を操作している。斜め後ろから見るアングルなので、顔ははっきりわからないが、まだ若いと思える眼鏡をかけた男性だった。

 それを見ている『十路』の視線は、なぜかずいぶんと低い。


――ねぇ……もうやめない?


 女性が振り向かず隣の部屋を眺めたまま、唐突に口を開いた。どこかで聞き覚えがあるその声で。


――やめられない、だろう?


 ディスプレイから目を外さないまま、男が答える。


――そもそもキミは、なにをしたいの?


 女性がカップを持ったまま、振り返る。振り向いても薄暗い室内では、顔がよく確認できない。ただ声からすると、沈んだ表情を浮かべているように思う。


――ねぇ? キミは神サマになるつもり?


 彼女は問う。返答を期待していない態度で。言わずに済まないといった態度で。


――だったらその時、わたしはキミを止めるよ。

――ならば、その子をどうするつもりだい?


 彼は問う。興味のなさそうな態度で。裏腹に義務感に駆られた態度で。


――このままでは、先はない。だけど、なんとかしないとならないだろう?

――そうは言うけどね……でも、このまま続けるのも、虚しいよ。


 女性がカップを手近なデスクに置いて、こちらに歩み寄り、膝を折る。

 そして苦もなく『十路』を抱き上げた。その際、『十路』はなにかを持っていたらしく、手から零れ落ちて、床で軽い音を立てた。


 表に描かれている文字は、『Grimms Marchen noch einmal(グリム童話名作集)』。手にしていたのは、本だった。


――それに上手くいったとしても、この子も巻き込んでしまう。だったら……


 彼女は男に振り向いた。だが間近でならば、少ない光量でも女性の横顔が確認できた。

 そこで『幻覚』は終わった。


「……は……はは、はははは……げほっ!」


 そんな場合ではないのに、血を吐きながら十路は噴き出した。いつも無愛想などと言われているとおり、声を上げて笑ったのは、彼自身でも久しぶりのような気がする。


「イクセス……本格的に、ヤバい……走馬灯で、なぜか理事長が……見えた、ぞ」


 女性の横顔は、長久手ながくてつばめのものだった。

 なぜ最期が彼女なのだ。問題というわけではないが、もっと他にありそうなのに。

 今の彼には、つばめよりも関わりが深い人物は他にいる。彼の人生に与えた度合いで言えば、やはり他にいる。


「……!?」


 思いにひたる暇もない。下から高速飛翔体が飛んできたと思いきや、倒れた十路が見える範囲の気嚢底面に、振動と轟音と共に突き刺さった。

 何度も辛酸を舐めさせられた、あの《棺桶》だった。

 《死霊》で直接制圧しようというのか。《魔法》のゴーレム程度では、野依崎が負ける心配などしないが、現状ではまずい。《ヘーゼルナッツ》への被害を考えれば、派手な戦闘はできないだろう。さらに内部と外部、同時に攻撃を加えられれば、彼女ひとりで対処は無理だと判断せざるをえない。


 だが重傷を負った今、普段のように動けるはずはない。

 わずかに首を動かして、《バーゲスト》を見上げるが、気嚢の底面に立てかけられている彼女も、戦力としては期待できない。

 しかし戦術出力デバイスはまだ無事だ。身につけていた弾倉やバッテリーは、ほとんど消費しているが、空間制御コンテナアイテムボックス内にはまだある。なにをするにしても、なにもできないにせよ、《魔法使いの杖アビスツール》を拾い上げ、オートバイに近づかないと話にならない。


 文字どおりの死力を絞って、片腕で這いずって触れるより前に、彼女は存在しない口を開く。


【トージ……! どうして……!】


 致命傷を負った十路に対して、イクセスはなにかの感情を抱いているのかと思っていたが、違っていた。

 心配しているのでも、絶望や悲嘆にくれているわけではない。人間くさい感情に溢れた人工知能の声は、怒りと、なにかの不安と、未知への恐怖を含んでいた。


【あなたはジュリからなにを与えられたのですか!?】


 直後、生体コンピュータが、見たこともないメッセージを吐き出した。《魔法使いの杖アビスツール》を手放しているにも関わらず。


《選択言語――日本語》

《ヘミテオス管理システム――起動》

《セフィロトNo.9iサーバーとリンク》

《適合管理者情報――なし》

《管理者No.003による命令1確認》

《『この人を助けて』》

《現状況は該当命令準拠に順ずると判断》

《特例措置――準管理者No.010として処理》


「は?」


 死にそうな状況なのに、彼自身間抜けな声が出たと、冷静な部分で考えてしまう。


《生体情報同一性チェック――JP-00051と合致》

《外部接続先取得 システムNo.0540067454確認 割り当てポート(165.85.547.02)》

《外部接続先取得 システムNo.0057860147確認 割当先進波通信マイナス6.54ギガヘルツ》

 

 目では見えていないのに脳で視ている、《魔法使いソーサラー》以外には経験できない、常人には説明しにくい第六感覚。《魔法使いの杖アビスツール》や《使い魔ファミリア》と機能接続を行えば、似たようなシステムメッセージが出る。

 しかし『ヘミテオス管理システム』『セフィロトNo.9iサーバー』という名前は初めて見た。《魔法》とは個人のシステムなのに、『管理者』とはどういうことだ。

 自身に起こっている奇妙な状態に、戸惑うことしかできない。しかし構わずシステムは、メッセージをどんどん追加していく。


《アバター形成万能細胞情報――確認 管理者No.003と合致 ただし273グラムのみ》

《生命維持に致命的損傷を確認――危険域》

《例外的緊急措置を適用》


「ぐ!?」


 直後、全身に熱がともった。呼吸器官や傷から《マナ》を取り込んで、造血機能を強化して失われた血が強制的におぎなわれ、折れた骨が接合され、裂傷がふさがれ、潰れた臓器が修復されていく。

 そんな《魔法》を十路は持っていない。応急処置程度ならばまだしも、《治癒術士ヒーラー》のような本格的な医療措置は行えない。


《重大な機能障害――左腕欠損》

《アバター形成万能細胞 増殖生産 欠損補填》


「なん、だ……!?」

 

 ゆっくりだが、現実を考えれば超高速で。微速度撮影された植物のように、失われた左腕が根元から再生していく。


「俺の体で……なにが……! 起こってるんだ……!?」


 なにかが命を永らえようとしているのはわかるが、いだく感情は恐怖しかなかった。あたまだけでなく、体までもが勝手に、しかも自分にわかるように、理解のつかない行動をしている。

 それどころか、堤十路を別のモノへと変えようとしている。


《管理者No.001による命令1確認》

《『この子たちが生きるのに望む力を』》


 なんのことか、理解がつかない。


《lilith形式プログラム生成プロトコル起動》


 十路の術式プログラム形式はdtcなのに、違うものが生み出されようとしている。そんなことはありえないはずなのに。

 拡張子が変わるという経験をした彼でも、とても受け入れがたい。


《管理者No.003による命令2確認》

《『私を、殺してください』》

《該当命令と判断 lilith形式プログラム機能に統合》


 なにもわからない中、そのセリフだけは記憶にある。

 あれは一月ほど前だったか。異能が他の部員たちにもばれ、明かした彼女は、周囲の反応を恐れるようになった始まり。

 以前より知っていた十路に、彼女は静かな声で頼んできた。


 ――先輩……私と堤先輩が一蓮托生だって言うなら、お願いがあります。

 ――もしも私がまた暴走したら……どうやっても止められないなら。

 ――私を、殺してください。


 流れるシステムメッセージから薄々察していた。確証はないが。


(管理者No.003ってのは、木次か……?)


 そして二七三グラムの『アバター形成万能細胞』なるもの――つまり五月、まだ十路が入部する前に死に瀕し、彼女に与えられた心臓が、この事態を引き起こしていると確信した。



 △▼△▼△▼△▼



《セフィロトNo.9iサーバーより管理者No.003にメッセージ》

「……?」


 脳裏に届いたシステムメッセージで、意識が飛びかけていた少女は我を取り戻した。

 極超音速で太平洋を縦断する今の彼女には、通常の無線電波は受信できないはずなのに。


《緊急的特例措置としてJP-00051を準管理者権限No.010として対処》

「五一……? 準管理者……?」

《ヘルプと認証――現地登録名称 堤十路》

「先輩……!?」


 我を取り戻して尚、朦朧もうろうとしていた意識が、不完全ながらも更に覚醒する。

 十路の身になにかが起こったが、詳しい状況はわからない。このシステムはあまり融通が利かないから、知ることはできない。

 そこまでは知っている。


《最終確認――JP-00051に準管理者権限を正式付与 ヘミテオス管理システム駆動 lilith形式プログラムを生成 承認/未承認?》

「どういう、こと……? 承認しなかったら、どうなるの……?」

《ヘルプと認証――未承認処置の場合、機密保持によりアバター形成万能細胞をアポトーシス》

「じゃぁ……!?」


 だがそれ以上は。震える声で驚愕する以上のことは、今の少女では気が回らない。

 理解できるのは、承認しないと、十路が死んでしまうという確定のみ。


 理性が消えかけた金色の瞳を見開いて。


「……堤先輩を――」


 それがどれほどのなのか、考えもせずに。


「――助けて!」


 少女は



 △▼△▼△▼△▼



 青年の側では、全て理解できるはずはない。


《管理者No.003承認を確認》

《No.010準管理者に正式登録 lilith形式プログラム作成》


 ただ理解できないことが理解できただけ。


《システムNo.0540067454 システムNo.005786147 使用履歴確認――》


 《魔法使いの杖アビスツール》と《使い魔ファミリア》を調べられた。


《JP-00051生体演算装置内メモリー走査 dtc形式プログラム参照――》 


 脳内に圧縮保存されている術式プログラムを調べられた。


《lilith形式ファイル作成――》


 作業経過を示すバーが表示され、大して待つまでもなく一〇〇パーセントを示す。


《――完了》

《最適化処理実行》


 そして、灼熱した。


「がああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!?」


 まずは頭脳が。

 無茶な《魔法》の使い方をした以上に、『頭痛』などと呼ぶには生易なまやさしい感覚が襲う。生体コンピュータの限界駆動どころか、破滅的としか思えない駆動を開始し、過負荷に演算装置プロセッサーが絶叫する。


 続いて身体が。

 治療を感じた熱など生ぬるい。気付けば視界が激しく上下左右している。痛みは奥底からの熱で吹き飛んでいるが、転落の危険も考える余裕もなく、意思とは関係なく七転八倒している。


 最後に金属が。

 体に突き刺さった金属片が排除される。治療には当然の処置だから差し支えない。

 大問題なのは、そんな変化では済まなかったこと。


《システム不順 構成材料不足》

《緊急措置 システムNo.0540067454および内包システム 直接接続》


「!?」


 感覚は吹き飛んでいるが、苦しんでいていた十路も、その光景には無意識に動きを止めたというより、息を呑んで固まった。

 左腕が勝手に動き、転がっていた突撃銃アサルトライフルを、

 そう呼ぶしかない光景だった。まだ手首まで完成していない腕が、タコかアメーバのように広がって、金属の塊を包み込んだ。その感触は返ってこないが、金属や樹脂の部品を押しつぶして咀嚼そしゃくするのがわかる。

 金属の骨が形作られ、ファイバーケーブルの神経が通され、金属繊維が筋肉となる。装填されていた残りの銃弾も、《魔法使いの杖アビスツール》たらしめる重要部品も取り込んで、形だけは左腕の再生が完了した。

 ただし変化は終わらない。


《カーバインコーティング作成》


 いつの間にか仰向けになり、天に掲げた裸の左腕が、色がにじむように黒く染まっていく。メラニン色素量による肌の黒さとは到底違い、日常生活で見られない物質の反射だった。

 カーバインとは、現状 《魔法》をもちいらなければ作成不可能な、炭素同素体だ。原子が鎖状の繋がりを持つことで、同じ炭素同素体であるダイヤモンドやカーボンナノチューブよりも数倍強固な物質である。衝撃に対しては無力で、強力なエネルギーに対しても相応だろうが。

 鎖帷子チェインメイルとしては充分すぎる。


《簡易装甲 超硬合金使用》


 さらに金属が隙間からにじみ出てて、黒いコーディングを覆っていく。体内にも存在する、ありふれた材料である炭素とは違い、これは取り込んだ部品を分子単位で加工したものに相違ない。

 鉄やチタン、モリブデンなど、元の材料を考えたら、これしか作れなくても仕方ない。ただし兵器の装甲ならばそれでいいかもしれないが、人間が身につけるものとしては、一概に固ければいいというものでもない。

 だから小型プレートを鱗状に重ねて並べて衝撃を分散する、鱗鎧スケイルアーマーを形成した。


《不定形システム・ウェポン準備》


 感覚はないのに、腕の中で動きを感知できる。

 レーザー発振器が接続され、弾丸が装填された。なにかに繋がり、どこからどういう風にエネルギーや物体や送り込まれるのか、理解できないのに理解した。


《電力不足》

《緊急措置――非接触電力伝送システム使用 仮想レクテナ展開》


 基本的に《魔法》は個人の力で、リンクして演算や通信を共有でもしない限り、そういったことは起こりえない。

 しかしどこかから、エネルギーが送られてきた。勝手に動いた左腕が、高出力のマイクロ波ビームを手の平で受け止めた。

 《魔法》に関するものは、なんにしても高エネルギーだ。こんなものが照射されれば、人体は沸騰どころか蒸発しかねない。

 なのに《魔法回路EC-Circuit》を表面に浮かべた左腕は耐えた。十路の体もなんともない。狭い面積に正確に照射され、マイクロ波が電流へと変換され、蓄積された。


(まさか――)


 ビームが飛んできた方角は、北西方向だった。

 神戸市内から南下し、和歌山県の真西で《トントンマクート》と交戦してから、落下してくる戦略兵器を迎撃する起動で南下している。そして垂直になっている《ヘーゼルナッツ》は今、そちらに腹を向けている。


(《塔》から!?)


 《魔法》に関することで、これだけ意味不明の現象が続けざまであれば。現代科学では不可能な、瞬間的には日本全土の電力をかき集めても足りない高出力ビームが放たれたなら。

 いまだ正体不明の、《魔法》の発生源が直接関わってるとしか思えない。


《最適化設定完了》


「かはっ……!」


 急に体の感覚が戻った。一気に現実味が増したためか、精神的な疲労が襲いかかった。

 重くなった気がする左腕を動かすと、十路の意思で。異形のものなのに、完全に自身の一部となってしまったことに、驚きと恐怖を感じてしまう。


《lilith形式プログラム 自動命名――Baerenhaeuter.lilith》


 システムメッセージは尚も続く。《魔法》でもありえないはずのこの異能に、名前が授けられる。


《設定言語に再設定――緑の上衣を着た兵士.lilith》


 その言葉を最後に、脳裏を占めていたシステムメッセージのほとんどが消去された。《魔法使いソーサラー》としての能力システムが、正常に稼動している状態になる。


「!?」


 待っていたかのように、脳内センサーが改めて警告を吐き出した。


【トージ……?】

「そうだった……!」

 

 イクセスの不安そうな声になど、構っていられない。戦闘中ありえないが、さすが出来事が強烈すぎたため、脳裏から飛んでいた。

 《棺桶エスクデス》が直撃したのだった。見ると黒い金属粒子を噴出し、いつでも《死霊》の軍団を作り出せる段階だった。

 それを放った雲下の《トントンマクート》からも、強いエネルギーを感じる。先ほどミサイルと爆弾で行った時間稼ぎは終わったようだった。

 十路は一挙動で跳ね起きる。


(やれる)


 『やるしかない』でもあるのだが、異なる言葉が記憶野から引き出された。

 頭の中は澄んでいる。生体コンピュータは一度初期化したようなクリアな駆動をしている。重傷を負ったのが嘘のように体は軽い。

 だから未来が見えるわけではなくとも、これからの展開を、確定事項として捉えることができる。


【ちょ――!?】


 イクセスの狼狽ろうばいにも構わず、十路は躊躇ちゅうちょなく足場から飛び出た。

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