050_1210 必要は無知なる人々をも走らせるⅡ~手形・小切手安全活用マニュアル~


 ナージャ・クニッペルは、あるイベント企画会社の応接室にいた。高校生離れした女性らしい体を地味なスーツに包み、妖精めいた色彩の美貌に化粧と釣り目モンロー型の眼鏡を乗せて。


「すんませんよー。ないがしろにしてるわけやないとう、対応悪かすなってしもうて」


 向かいに座るのは、すっかり頭部がさびしくなり、腹部は立派になりかけている、中年男性だった。


「いえいえ。会社の始業時間には早いとわかっていながら、押しかけたのはこちらですから」


 テーブルに茶がないことも、言葉の内容も方言も気にせず、ナージャは笑顔を向ける。理解できる語学力を持ってるというか、コゼットや南十星なとせのほうがなまった日本語なので、それを思えば個人差の範囲だ。


「あらら。社長さんでしたか」


 受け取った名刺にある『代表取締役』の文字に、内心ガッツポーズを取る。

 決定権を持つ人間にまで話を持っていくのに、どう説得するか悩みどころだったが、対応してくれた中年男性が、最高意思決定決定権を持っていた。はからずとも第一関門は突破していた。


「そんで、どないしたです? 話題の《魔法使い》はんがウチに来なさるとは」


 まだ自己紹介もしないうちからの言葉に、ナージャは思わず眼鏡に触れてぼやく。


「まぁ、正体隠せるなんて思ってませんけど……」


 昨今さっこんでは外国人など、日本国内でも珍しくないとはいえ、白金髪紫眼白皙はくせきというナージャの色彩は、やはり異質だ。コスプレイベントにでも行かないと、お目にかかることはできない。隠してもいないのだから、知ってる人間ならばすぐわかる。

 そもそも彼女は変装のつもりで、スーツを着ているわけではない。少々難しい交渉を持ってきたため、学生服だと子供相手と舐められると思って気合を入れたからだ。


「急ぎのお仕事をお願いしたいと思いまして」

「ほぅ? 急ぎおるとは、こりゃまたなんでっしゃろ」


 気を取り直して切り出すと、大阪弁とも京都弁とも異なる言葉で、中年男性は興味と不審と当惑を見せる。

 興味と不審は当然だろう。始業前から押しかけて、どんな話を持ってきたのかと。

 当惑も当然だろう。修交館学院の《魔法使いソーサラー》が、なんでも屋のようなことをしているのは、個人情報と一緒に広まっている。


「今日の夜に……そうですね、テーマパークのナイトイベントくらいですかね? それくらい大規模なことをするために、機材や人手を貸して頂きたいのですよ」


 ナージャの言葉に、中年男性の顔が険しくなった。


「……詳しいところ、聞かせてもらいよります?」


 だが門前払いにはならなかった。第二関門は突破したと、ナージャは内心で安堵した。



 △▼△▼△▼△▼


 

 《魔法使い》たちの演劇で、人々の注意をきつける方針は定まった。となればと、十路とおじはテーブルに地図を広げ、指先で円を描いた。


「時間と目的を考えたら、イベントホールとかじゃなくて、神戸のド真ん中でゲリラ公演するしかない」


 エンターテイメントで金稼ぎするのとは異なる。不特定多数を引き込める場所と状況でないとならない。下手に建物に立てこもると、崩壊させられ轢死れきしき目に遭うかもしれない。


「そうなると、行政との折衝せっしょうが必要ですけど……その辺りは理事長に丸投げするとして」

「ヲイ。ホントに丸投げだね」


 しばらく考える間を置いたが、方針や具体案などを出さなかったので、つばめが批難の声を上げてきた。とはいえ、そちらは十路ではどうしようもないので、丸投げする他なかった。

 それに現場レベルの話では、もっと大事な問題がある。


「俺もなとせもナージャも、《魔法》が破壊工作に傾向してる。だから演出を《魔法》でやるとなると、部長と……あとフォーも? 負担を押し付けることになる」


 野依崎が持つ《魔法》が不明だからの疑問形だったが、彼女は首を振って、こんな場合の有用性を否定する。だからコゼットが嫌がった。


「わたくしも出演しなきゃならねーんでしょう? その上で《魔法》で全部まかなうって、勘弁しやがれっつーの」

「ですよね……ある程度は仕方ないですけど。それにもっと切実に、バッテリーの問題があるんですけど」


 《魔法》はあまり効率がいいものではない。家電製品ができることなら、《魔法》で仮想再現するより、店で買ってきたほうが遥かに安上がりで済む。

 しかも交戦しないとならない。舞台演出に電力を消費すると、肝心の戦闘で遅れを取りかねないから、本末転倒と言える。


「簡単にバッテリー交換できれば、ンなこと悩まずに済むんですけど……」

「俺の《杖》はできますけど、他は無理ですよ。ナージャのも作りは民生用ですし、フォーのは……《ハベトロット》は簡単に交換できるみたいですが、《ピクシィ》は数のせいか、再装填そうてん機構がないみたいですし」

「ちなみに戦闘中のバッテリー交換なんて、期待すんじゃねーですわよ」

「俺たちがフォローして、どうにかできる問題じゃないですか……」


 《魔法》が『なんでもできる』ため、絶対の事情ではないが、《魔法使いの杖アビスツール》のバッテリーは充電できない物理電池だ。軍事用として作られている、十路の《八九式自動小銃・特殊作戦要員型》と野依崎の《ハベトロット》以外は、《魔法使いの杖アビスツール》に内蔵されていて、交換には《付与術士コゼット》の手をわずらわせることになる。


「なんでバッテリー簡単にコーカンできないのさ? いちいち分解バラすなんて、すげー面倒じゃね?」


 言っても仕方ないコゼットとのやりとりに、南十星が口を挟んできたので、脱線を理解しながらも十路が答えた。


「簡単にバッテリー交換できる《杖》は、軍用扱いになる。俺たちは名目上、民間の社会実験チームだから、そんなブツ持ってるはずないんだ」


 競技用や狩猟用のライフルと、軍用ライフルを分かつ根拠は、それだけではない。だが弾倉マガジン交換による容易な再装填そうてんが含まれるのは、間違いない。兵器として使える《魔法使いの杖アビスツール》にも、似たような理屈が存在する。

 時として戦わなければならない宿命でありながら、総合生活支援部にはこんな足枷あしかせも存在する。搭載しているのが発電所よりも巨大な電力を発生するバッテリーなのだから、普段ならば大して気にする必要もないが、今回ばかりは話が違う。


「だから劇に関しては、できるだけ普通の手段でなんとかしたい。イベント企画会社とかと協力して」


 十路は話を戻して、ほぼ決定事項の提案と問題点を挙げた。


「だけど飯時にネットで調べてみたけど、仕事依頼しようとしても、メールの返信に時間がかかるみたいなことが書かれてる。普通に考えても、昨日今日でどうにかできることじゃない」

「当然ですわね。機材の発注やら人手の手配、ちゃんと計画作ってるでしょうし」

「だったらもう会社に押しかけて、直談判するしかない」


 そこで十路はつばめを見た。視線の意味に気づいた彼女は、童顔を歪めて手を振った。


「無理。役所だけでなく、警察とか消防とかと折衝せっしょうして、体制作らなきゃいけない緊急事態だし。今日東京に行って下準備はしてるけど、急に首相官邸に呼ばれても不思議ないから、時間足りない」


 責任者は責任者の仕事がある。つばめ以外にできない役割だと納得できるから、部員たちで行うしかない。


「わたくしが交渉するっきゃねーですわね……」

「あ、いや、部長は別の仕事をお願いしたいんですよ」


 気の進まない様子で、コゼットが髪を指に巻きつけながら口を開いたが、十路が即刻却下した。


「わたしが行きましょうか? 得意ってわけじゃないですけど、交渉術も勉強させられましたし」


 仕方ないので自分でやるかと考えたところに、ナージャが先に左手を挙げたので、思わず十路は確認した。


「元ヘッポコ非合法諜報員イリーガルが大丈夫なのか?」

「わたしへの扱い、ヒドくないですか!? 特に支援部に入部してから!」

「前からこんなもんだろ?」

「事実だとしても、それはそれで傷つくんですけど……」


 本当に疑っているわけではない。かつてナージャが『役立たずビスパニレズニィ』と呼ばれた理由は、暗所恐怖症と国家・組織への忠誠心だ。欠点が致命的で際立っているため、三流非合法諜報員イリーガルであったのはくつがえせない事実だが、習得している技術だけを見れば、彼女はむしろ優秀と言ってもいい。

 十路が憎まれ口を叩きたくなるのは、なんとなくナージャとの関係が、そういうものと認識しているからに過ぎない。彼女にとっては迷惑だろうが。


「じゃぁ、ナージャちゃんにコレ渡しとくね」


 人選に異論を挟まず、つばめはスーツの内ポケットから、メモ帳のような小冊子を出した。

 その意を汲むと、ナージャは邪悪な笑みを作った。


「お代官様……ワルですなぁ」

「越後屋よ……山吹色の菓子を好かぬ者はおらぬでのぅ」

「ヌフフフ」

「グフフフ」


 もっと大事な話がまだあったので、二人の緊張感ないショートコントに、誰もツッコまなかった。出資が役と逆のような気がするのも、ロシア人が時代劇のお約束を踏襲とうしゅうすることも、大事な冊子をポンと学生に渡すのにも、いくらまでが限度なのかも。



 △▼△▼△▼△▼



「――そういうわけで、急ぎの上に危険なお仕事になると思います。わたしたちが全力でお守りしますが、どこまでできるか、正直わかりません」


 具体的な固有名詞は出さずとも、《魔法使いソーサラー》同士の戦いに巻き込むことを、ナージャは正直に打ち明けた。


「《魔法使い》なんて呼ばれていても、わたしたちだけでは無理なんです。この街を守るためには、社長さんたちのお力が必要です。お願いします」


 話に絶句する中年男性に、ナージャは深々と頭を下げた。

 しばらくはなにも反応がなかったが、ややあって、苦笑するような声が発せられた。

 第三関門突破か。荒唐無稽こうとうむけいな話を信じてくれたか。


「あんたさん。そないに弱み見せると、交渉に向いてまへんな。同情買お思うてるなら、別でっしゃろうが」

「あはは……よくヘッポコ扱いされます」


 失笑と共に、ナージャは頭を上げた。

 裏社会の人間としては、この分野でも彼女は失格になるかもしれない。


「でも、こんな無茶苦茶なことに、なにも言わずに巻き込むのは、フェアじゃないですから」


 腹黒くなりきれない。かたって信頼を得ようとしない。真摯しんしでありたいと思ってしまう。

 『邪術士ソーサラー』などと呼ばれていても、彼女は根がすぎる。


「でもなぁ……あんたさんが言うことがホンマとしても、さすがに無理ありまっせ?」

「どんなスケジュールか存じ上げませんが、無意味になりますよ。今夜大事おおごとが起こるのに、他のイベントができるわけないですし、明日以降も中止になるでしょう」

「今日のイベントは、設営も済んどう。なにも起っとらんのに引き上げたら、ウチらも信用問題になりよる」

「そちらの交渉もわたしがけ負います。こちらには、急ぎ仕事以上のご迷惑はおかけしません」


 ただ精一杯の誠意を見せるだけ。


「ホンマにそんなことが起こるなら、仕事どころやないいうんは、わかるが……」


 中年男性が腕を組んで悩んでいる。

 ここまで言葉が届いたならば、もう一押し。つばめに渡された冊子を取り出す。

 既に必要事項が印刷され、金額さえ書き込めば使える、小切手帳だった。ナージャは下敷きを挟んで向きを変え、ペンを添えて差し出す。


「これ、人生で一度は、言うか言われてみたいセリフですよね」


 先ほどまでのしおらしさを消し、いつものホンワカ笑顔で、しかし紫色の瞳に雪豹の挑戦的な光をたたえて。


「この小切手に、お好きな数字を書いてください。お仕事を引き受けるのに、納得できるだけの金額を」

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