第12話 神母祭
二日後。神母祭当日。
王都シャベラに各地方から繋がる道はどれもごった返していて、天地がひっくり返ったような騒ぎとなっていた。照りつける夏の日差しの中、出店の荷を運ぶ者や、遠い街から物見遊山に来た地方貴族などが、目的はさまざまに、大陸の中心を目指していく。
しかし、これだけの人がいようとも、都の門を潜るには王立軍の発行した許可証と、荷の検査が必要不可欠となっている。大渋滞の原因でもあるそれだが、反乱を企む輩がいないかを確かめなければならないのは平時と同じ。もしもが起きてからでは遅いのである。
「止まれ。許可証を出せ。このまま荷の検査も行う。離れていろ」
門の衛兵が商人の荷馬車を止め、偉そうな態度を見せる。この忙しいときにと愚痴を零しながらも、大人しく許可証を提示し、商人は荷から離れていく。
衛兵は錠を外し、品物を確認するため荷台の中に乗り込む。奥に積み込まれたいくつもの木箱の中から一つを選び、手を伸ばそうと屈んだ瞬間——。
「うおぉ⁉ ……くそっ! 床が傷んでやがったのか」
「どうしました⁉」
荷台から聞こえた突然の叫び声に驚き、荷主は慌てて荷台に駆けつける。そこで目にしたのは、左足が床にめり込み、動けなくなった男の姿だった。
「お前の荷台の床が抜けたんだ! ぼさっと見てないで早く助けろ!」
「は、はいぃっ!」
商人は熱の籠った荷台の中で汗の球を額に浮かばせつつ、足をやっとの思いで引き抜く。
気まずい沈黙の中、荒い息遣いだけが荷台の中で反射している。衛兵は礼も言わず黙って荷台を降りると、つかつかと次の荷馬車に向かう。
「あの……検査の方は?」
「構わん! さっさと行け!」
許可証を投げるように返却すると、衛兵は他の荷馬車の陰へと消えていった。やれやれと肩を竦め、商人は荷馬車に乗り込み、門を潜り抜ける。
そのまま商人専用の駐留所に向かい馬車を止め、荷が到着したことを伝えるべく仲間の元に向かう。一人でどうにかなるような量ではなく、荷卸しを手伝って貰わなければならない。門でのいざこざを含め、予定より相当遅れていて、商人が急いでその場から走り去ると——荷台の木箱の蓋が、ひとりでにがたりとずれていく。その中から勢いよく飛び出してきたのは猫耳の少女だった。
「ふー! 流石にあっつい!」
「こら! 静かにしろって。周りに誰がいるかわかんないだぞ」
次々と木箱の蓋が外れ、中からテルンとプシノ、そしてテディが現れる。
「でも本当に暑かったです……
若干疲れを見せるプシノは、マリーディアから王都シャベラに着くまでの間、テディと同じ木箱の中にいて、二人を包む空間の温度を下げ続けていた。身体の小さいテディは簡単に木箱に収まったもの、荷台の中は温度は湿度とともに高く、すぐに体調が悪化してしまう。
「ごめんね、プシノ姉ちゃん」
「いえ、大丈夫ですよ。最後にちょっとスカッとしましたし」
プシノはふふふと悪い顔で笑う。基本的に偉そうな態度を嫌うプシノは、ああいった輩がいると大抵不機嫌になり、まるで事故のような、相手に気づかれないような悪戯をすることが多々あった。
「いやいや、助かったよー。足音が近づいてきたときはもうほんとドキドキで――」
「話は後だ。早く出るぞ」
テルンは会話を遮り、全員に降車を促す。人が居ないこと確認すると、ここまで連れてきてくれた馬に感謝しながら、あわただしくその場を離れた。
「それにしても、早く来すぎたんじゃない? グリーの処刑って、夜だよね?」
どこから手に入れたのか、骨付きの肉を頬張りながら計画立案者のテルンに問いかける。
「まあそうなんだけど――」
それに答えようと振り向き――テルンは言葉を詰まらせた。
メロンはいつものフード付きケープを深く被ったその奥で、小さな口をもぐもぐ動かしている。唇は肉の油で艶やかに光り、それを舐め取る舌はまるで誘惑しているようで――。
「どしたの?」
「な、なんでもない……」
メロンの言葉で我に返ったテルンは、少し顔を赤くしてそっぽを向く。じっと見つめられていたメロンははてな? と首を傾げたが、そのまま肉をもぐもぐとやっていた。
「夕方になると馬車は道を通れなくなるんだ。人で溢れかえって危ないからな。商人の荷馬車に潜んで王都に乗り込むには、この時間帯しかないんだよ」
「ねえテルン兄ちゃん。私も何か食べたいよ」
テディは目立たないよう鮮やかなブロンドの髪をメロンと似たフードの中に押し隠している。テルンの腕を引っ張り、碧色の瞳で見上げる様子は、まさしく『おねだり』そのもので。メロンが食べている肉は香辛料がとてもよく利いていて、どうしようもなく空腹を刺激してくる。それをちらちらと見ながら、口元からは今にもよだれが垂れそうになっていた。
「わかったよ。といっても、あんまり顔を見られたくはないな」
うーむと唸りながら、マリーディアより遥かに絢爛な街並みを見回す。
王都は城壁によって三つの地域に分けられている。今テルンたちのいる場所が最も外側に当たり、多くの国民が住んでいる外周区。その中には商人達が活発に売買を行う巨大市場や超小規模の特区が散在している。マリーディアの特区のように大きく部分分けされ、まとめられていない。なぜなら、以前のある事件をきっかけに、王室が軍に命じ特区の住人を虐殺。特区を事実上、消失させたからである。逃げ延びた人々は街の目立たない場所を見つけ、ひっそりと暮らしている。あまりの非道さに様々な非難の声が挙がったが、時間が経つにつれそれも忘れ去られていった。
中央と二つ目の城壁に挟まれた区域は貴族街。王都に住む貴族や、国教の司祭など、身分の高い者達が住まう場所である。それぞれの見栄や自己顕示欲からか、どの邸宅も大きく、高価な資材が惜しげもなく使用されている。外周区との差異を嫌でも感じさせる場所であり、普段はそこに通ずる門も閉じられているのだが、神母祭が開催されている今だけは、全ての者に解放されている。
そして、王都、王国の中心であり、三つ目の最も分厚く高い城壁の内側に中央に高くそびえるのが、王の住まいである王城、グロリアスローディア。それを見上げれば、まるで天を衝くかの如く、中より見下ろせば、多くの国民が蠢いているのを見渡すことが出来る。大陸を統一してからは改築に改築を重ね、王城は権威の象徴と化していた。
テルンはそれをお金の無駄遣いでしかないと切り捨てていたが、いざじっくり見ると、ただの外周区でさえ他の街とは違うということ認めざるを得なかった。
「テルン兄ちゃん、あれ食べてみたい」
テディはテルンの上着の袖を引っ張ると、一つの屋台を指さした。
「あれは……りんご雨か。なかなか良いものに目を付けたな」
りんご雨。お祭りの時以外屋台に並ぶことのない、珍しい水飴。作っている過程で飴を高く上げ、穴の開いた容器に流し込みながら空気を混ぜていく。それがまるで雨が降っているようだということでつけられた名前だ。
「面白いしおいしそうだもん」
「あ、あれ私も食べたい」
「私も少し興味あります」
「お前らなあ」
テルンは続く言葉を飲み込み、ぼりぼりと頭を掻きながらなんとか手に入れる方法はないものかと考えていたが、結局メロンに任せるのが一番だと結論づけた。
「というより、どうやってそれ手に入れたんだよ?」
最後の一口が残った骨付き肉をじろっと見ながら。視線に気づいたメロンはにゃはははと気まずそうに笑いながら、それでもぱくりと肉を食べ終え、骨を隠した。
「難しいことは何もしてないよ。お店の人が目を離してるときにぱっと取ってぱっとお金を置いていくだけ。たまに失敗してばれちゃうけど、お金を置いていくから止められることもないし」
「あー、なるほどな。じゃあ、今回もよろしく」
「え? 随分突然、なんでそんな雑なの?」
テルンはメロンの慌てた声を無視して興味なさそうにふわっとあくびをした後、ポケットに手を突っ込み、銅貨と布に包まれた小さな何かを放る。
「これで買ってきてくれ。あと、そのちっさいやつ。例の
「これが……? うん。任せて」
メロンは受け取った
「……ああ。さて、いつまでも立ち止まってると通行の邪魔になるからな。手早く買ってきてくれ」
「らじゃ!」
ぴゅーっと風が吹き抜けたかのような勢いで屋台に向かい店の前で急停止——そのままテルンの下にとぼとぼと帰ってくると、両手で真っ赤な顔を覆い隠した。
「お店、準備中だった……」
* * * *
王都から離れた地に、宙を舞う幾つもの小さな影。住人が王都に向かったことでもぬけの空になった、小さな集落というべき場所。
日暮れが近くなり、目的の場所へと移動を始める。空高く舞い上がったり、大きく円を描いたりと、まとまりのない集団を一人の指揮官が声を張り上げ注意する。人間たちが見れば卒倒してしまいそうな光景だが、日の光を受けかすかに輝るそれらは、幻想的な空間を作り出していた。
「本当によろしかったのですか? このような作戦の総指揮などをとってしまって」
「なあに、わしも無駄に長く生きてきたわけではない。うまく収めてみせるでの」
全体が編隊を組んだのを確認しながら、セシヤとキコは最後方を飛ぶ。セシヤは憂いを、キコは期待を胸に秘めながら、先にいるはずのテルン達のことを考えていた。
「どう考えても無謀です。一度攻め始めてしまったら、もう全滅するまで彼らは止まりませんよ。いくら人間側に大きな被害を出せるとはいっても、武神団の相手をするには数が少なすぎます」
セシヤはキコだけに聞こえる声で話しながら、前方を飛ぶ若い同族たちをじっと見ていた。
「だからわしらがついてきているんじゃ。議会の奴らは若いもんに死んでほしいと思っとるらしいが、そんなことをしておったら妖精界そのものが老いてしまう」
キコは考え込むような様子で、豊かに蓄えられた自慢の白い髭をゆったりと撫でる。
セシヤはそれでも心配なのか、暗い表情は晴れず、行く先をじっと見つめていた。
* * * *
地平線にじりじりと太陽が沈んでいく。それに合わせ、空は鮮やかな夕焼けから底の見えない黒の夜空に変わり、都の光をより際立たせる。
王都は隙間なく灯りに包まれ、祭を楽しむ人々の声や、今日のために作られた簡易的な舞台の上で、王立管弦楽団が奏でるしとやかな音が途切れることなく聞こえてくる。
「さあて、これからだ。お祭りも。作戦も」
人の寄り付かない路地の奥。ましてや華やかなお祭りの日にそのような場所に足を踏み入れる者など、そういない。暗闇のなかで、大小四つの影がその時を待っていた。
「……ちょっと、緊張してます」
「私も……あぅ……お腹がキリキリしてきた……」
「お昼よりもっとすごいんでしょ? 早く行こ!」
不安を臭わせ、体調を崩しかけているメロンやプシノとは対照的に、テディはどんどん元気になっていて、まるで二人のエネルギーを吸い取っているかのようだった。
「テディ、さっきも言っただろ? 遊びに来てるわけじゃないんだって」
「大丈夫! テルン兄ちゃんと一緒に居るだけでしょ?」
テルンは心配そうにテディを見ていたが、当の本人は任せておけとばかりに親指を突き立てる。
本当なら相手の懐にテディを連れて行きたくなどなかったが、確実にグリーを救出し、全員が助かるにはテディの力を借りないわけにはいかなかった。
「もうすぐグリーの処刑が始まる。あそこに見える高い台があるだろ? 恐らくあそこだ」
外周区と貴族街を隔てる巨大な木扉の前に設置されていたのは、周囲の建物より頭一つ高い『処刑台』。今年の神母祭の最も大きなイベントである公開処刑を行うのは、人間たちの間でも賛否両論だった。ただ残念なことにその内容は、神聖なこの日に血を流すのは好ましくないといったところで、『処刑すべきでない』という意見は一つとして出ていなかった。
「手筈通り、合図が来たら俺が武神団の奴らを引き付ける。その間に二人でグリーを助け出してくれ。俺は時間を稼ぎながら、安全に異世界に渡れる場所を探すから」
「でも……」
メロンはどうしても心配なようで、テルンの顔をちらりちらりと見ては様子を伺う。
「大丈夫だって。俺はミイラ取りになんかならないから」
テルンは安心させようと、強く微笑んで見せる。それを見て、メロンはなんとか自分を納得させたようだった。フードを深く被りなおし、処刑台をじっと見つめた。
「プシノ、メロンをサポートしてやってくれ。きっとへまするからさ」
「もちろんです。みんなの命がかかっていますから、慎重にいきましょう」
「ちょっと! 私だってやるときはやるんだから!」
二人のやり取りに異議ありと、メロンは抗議の声を上げる。
「メロン姉ちゃん、頑張ってね……」
「テディまで⁈ お願いだから可哀想なものを見る目はやめてよお」
メロンは半泣きのような声でテディに縋り付き、そのまま頭を撫で始めた。
「お前達は人混みに隠れて待っててくれ。ほら、始まるぞ」
顔に袋を被せられ、両手を縄で縛りあげられた男が二人の兵士にかかえられて処刑台へ向かっていく。大衆の視線を一身に集め、処刑台の階段を上る。最後の一段を登り切りると、袋を外され、乱暴に膝をつかされた。
「おいおい。もうちょっと優しく——」
「無駄口を叩くな」
今から処刑されるとは思えないほど落ち着いているグリーの様子に、兵士二人は気味の悪さを覚えた。誰もやりたがらない処刑の仕事を押し付けられ、貧乏くじを引かされた上に牢からここまでの道のりで、男は全く暴れも、騒ぎもしない。仕事がやりやすいといえばそれまでだが、それはあまりに人間味が薄いと言わざるをえなかった。
「お前、死ぬのが怖くないのか?」
「なんだ急に? 無駄口を叩くなと言ったばかりじゃないか」
「いいから答えろ」
自分の中に苛立ちと恐怖を感じ、兵士の語気は、知らず強いものになった。
「そうだな……。怖くはないな。ただ、いろいろ心残りではある」
「心残り?」
「おうよ。無駄死になんてごめんだな。俺は未練なく死にたい」
それも叶わんかなあと諦めたように俯く姿は、少し寂しそうにも見えた。
「ま、そういうことだからさ。別に怖がらないでくれよ」
グリーは兵士の顔をじっと見ると心を見透かしたように、にやりと笑う。
兵士は気圧されたようにぐっと一歩引く。
「もういい。前を向いていろ」
それきり会話はなくなり、聞こえるのは処刑を見に来た観衆の騒ぐ声。グリーへの罵倒と世間話、噂話、あることないことが聞こえてくる。
しかしそれも、四人目の男が処刑台に上がるとすぐに掻き消え、代わりに男への大歓声が空気を震わせた。
「今日この日、この場にお集まりの皆さん。遠方から来た方もいらっしゃいましょう。ようこそ、王都シャベラへ! フィーネル武神団団長、エドバ・エリトと申します。僭越ながら、私がこの公開処刑を仕切らせて頂くこととなりました」
エドバの声は耳に心地よく、夜の街に響き渡った。その声によって場は静まり、それが終わればまた、引いた水が戻ったように歓声が爆発する。
「今宵は王に感謝し、王を敬い、讃える、特別で神聖な祭典、神母祭が開かれています。その余興の一つとして、また、大切な戒めとして。過去、現在、未来、
わっと沸いた観衆の声が、怒号の波となって押し寄せる。王の敵、すなわち人間の敵であると宣言された者に対する感情は、紛れもない負のものだった。何も考えず、ただた目の前に吊るされた悪を、一方的に痛めつける快感。自分達が正義であるという優越感と、許された言葉の暴力は、止められることもなく溢れ続ける。
エドバが壇上から下がっていくと、入れ替わりに身の丈の二倍もある鎌を軽々と持った屈強な兵士が現れた。しかし、その人相はとても兵士といったものではなく、王立軍の鎧を着ているほかはほとんど無法者といったものだった。これが常時なら彼を見た途端、観衆は罵声を浴びせただろう。だが、『処刑人』という役割を与えられた途端、それは興奮した狂喜のような歓声に変わった。
「恨みはねえが、金をもらっちまったからな。悪く思うな」
「気にすんなよ。お互い肩身の狭い者同士だ。俺の分まで精一杯生きろ! なんてな」
「……あばよ」
高く鎌を掲げ、力を溜める。せめて確実に首を飛ばして、少しの痛みも感じないように。
空気を裂く、一閃——その直前に、男の手から力が抜け、鎌が処刑台の床を打つ。震え、揺れる処刑台を、呆然と眺める者たち。
その中で
「さあさあ、余興の始まりってな」
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