11

 休日を開け、また神罰が来る日々に戻った。

 少し気が重くなるが、人の生き死にが関わってくる以上、そんなことは言っていられない。

 午前の授業は行かずに、俺はグラウンドで天羽々斬を振るっていた。刀身から溢れ出す白煙を操りながら練度を上げていく。

 前回の神罰では牛鬼相手に苦戦こそしたがどうにか勝つことができた。仙術や天羽々斬があってこそだ。しかし、それでさえ最後まで使い続けるのは厳しい状態にあった。まだまだ修練が必要だ。

 たとえ戦闘技術が他の生徒よりも多少秀でていたとしても、俺は父さんに剣術や仙術を指南してもらっていただけで、他の生徒のようにがむしゃらに修練に取り組んでいたかと言えばそうではない。

 神罰が終わり、一つわかったことがあった。

 神罰において、終了とともにあらゆるものが神罰が始まったときの状態にまで戻るが、戻らないものがある。

 神罰において死んだ生徒以外に、もう一つ。

 それは、神罰において消費した神力である。

 神罰が終わった後、仙術の連続使用で神力を著しく消費し、傷や肉体的な疲れはまったくないのに、だるいような疲労感を感じた。

 初日の神罰のときもそうだったが、神力は減ったとしても数時間も経てばすぐに回復する。しかし、消費すると疲れとはまた別の倦怠感のようなものを覚えるのだ。

 牛鬼の神罰を終えたとき、俺は神力を消費し過ぎた疲労を隠すために平然と振る舞っていたが、玲次は疲れなどを微塵も感じさせなかった。いや事実感じていなかったのだろう。

 他の生徒も、地面に座り込んでいたり倒れていたりしていたものはいるにはいたが、それは疲れではなく二回目の神罰を死者なく終わることができた安堵感から来ているものだった。

 彼らは仙術を使っているわけではないので、神力の消費が激しいということはないが、それでも神降ろしで得た神器を使用すればそれなりの神力を消費する。だから俺と同じように疲れを示している生徒がいてもおかしくなかった。

 しかし、そんな生徒はほとんどいなかった。

 近くで玲次が、雷上動を空に向けて何度も撃っている。

 あれほど神力を使っているにも関わらず、玲次は様々な撃ち方を繰り返しているが、表情一つ変えずに幾度も銃弾を撃ち出している。

 まったく、鍛え方が違うことを思い知らされる。

 額に浮いた脂汗を拭いながら天羽々斬を鞘に収める。白煙はすぐに霧散して消え、小さく息を吐く。

 グラウンドには降ろした神器の練習をしている人や、神降ろしをしている人たちがいる。

 神降ろしには才能や技術なども深く関係し、長ければ数ヶ月続けても成功しないこともある。そういう人たちがグラウンドに何人か散らばって、授業のない先生が指導をしている。

 俺はやったことないからわからないが、結構難しいのは間違いないのだろう。

 でも禁術に指定されていると玲次は言っていた。そんなものを使って本当にいいのだろうか。

 そして正午はチャイムだけが鳴り、神罰は起きることはなかった。

 全校が安堵に包まれ、再び動き出そうとしたとき、それは起こった。

 グラウンドの一角から空を突き抜かんばかりの光の柱が飛び出し、辺り一帯を光で埋め尽くした。

「なんだこれ神罰か?」

「いや、違う」

 俺と玲次は目を腕で覆いながら光が収まるのを待つ。

 次第に光が一ヶ所を中心に収束していき、光を放っていたものが露わになった。

 そこには、一振りの刀が陣の中心に突き刺さる形で存在していた。

 神降ろしによって降ろされた神器のようだ。

「【鬼切安綱】だ!」

 その声を上げたのは、神降ろしを近くで見ていた生徒だ。柴崎たちとよく一緒にいる生徒である。

「あの野郎やりやがった……」

 横で玲次が頭を押さえながら呻いている。その瞳には面倒事を抱え込んでしまったという嫌気のようなものが揺れていた。

 地面に刺さっている刀は、光沢のある紫色の刀身に、峰はノコギリのようにえぐい形になっていた。

 呼び出した人間は、この島では珍しい真っ赤に髪を染めた男だ。耳にピアスやリングを付け、赤髪や着崩した服なども相まって不良にしか見えない。つうかあれは不良だな、うん。

 取り巻きのようにいた柴崎たちは結構喜んでいる感じなのだが、その周りにいた生徒たちは微妙に戸惑った表情だ。

 降ろした当の本人は、無感動な様子で地面から刀を引き抜いていた。

「うわーなんか強そう……てかあいつ誰?」

 神罰からは基本逃避禁止なはずなのに、戦っている姿を見た覚えもなければ学内で見た覚えもない。あんな頭をしているので印象に残らないはずもないのだが。

「あいつは御堂准。この島では古い家系の次男で、上に兄と姉がいる。二人は立派な人なんだがあれはちょっと問題ありでな。今までの神罰もふけてたみたいなんだよな」

 そう話す玲次の目は険しく、多くの生徒同じように戸惑っている感じだ。

「なんかまずいのか?」

「まずいもまずい……というか、あの神器自体がよくないんだ」

 玲次は雷上動を消して、刀を遠目に見る。

「前にも言ったけど、神降ろしは禁術だ。なんで禁術かって言うと、本来神降ろしってのは元々文字通り神を降ろすために作られた術だからだ。それが変わり変わって武器も降ろすようになった。でもそれで必ずしもいい神や武器が降りてくるかはわからない。どういう意味か、意味はわかるだろ?」

「……ああ」

 日本神話には絶対悪はいないという考えがあると聞いた気がするが、それでも神がこの世界に実体化し、その神の行いが人間に必ずいい効果を及ぼすかどうかはわからない。

 悪影響や被害が出る可能性も十分にある。

「神罰で被害を減らすために神降ろしに改良を加え、武器だけに限定することである程度は危険を減らせた。メリットがデメリットを上回ったんだ。でも稀に、危険な妖刀や魔剣などと呼ばれる類いの神器が降りることがある。あの鬼切安綱もその一つだ」

「鬼切安綱……」

「ああ、あのけいじょうは俺も見覚えがあるから間違いない。別に、あの刀自体には嫌な逸話とかはない。刀の能力自体も悪くないことが多いから分類的には強い刀に入る。だが、過去あの刀を降ろした人間にはほぼ確実に災いが降りかかっている」

「災いって、どんな?」

 恐る恐る尋ねると、玲次はしかめっ面のまま答える。

「神罰の関係ないところでの事故や事件で死んだり、再起不能になったりだ。この手の話は有名だからあいつも知ってるはずなんだけどな」

 当の本人である御堂は鬼切安綱をじっと見ていたが、やがてそれを手にしたまま校舎の方へ歩き出した。

 神降ろしの禁術たる所以に恐れなど抱いていないといった様子だ。

「ちょっと話してくるわ。あいつの神力の多さなら降ろし直して他の武器にすることも可能だから」

 玲次は足早に御堂に近寄って説得を始めたが、御堂は取り合わずに俺はこれを使うと言い張り、大して相手にもされなかったようだ。

 そして数日後、再び神罰がやってきた。

 グラウンド中を彷徨う妖魔。今回の神罰の妖魔は死霊だ。

 ゾンビのような、体がボロボロの人型の妖魔がそこら中を徘徊している。

 刀や剣を持った武士のようなやつや、ぼろを纏った半裸のやつ、四つん這いで獣のように走ってくるやつなど、様々な資料がいた。

 戦力自体は大したことない。

 ただいかんせん、数が多かった。

「らあっ!」

 俺は天羽々斬で数体の死霊をまとめて斬り裂き、押し寄せてきた死霊の上に跳んで回避する。

 着地する場所にいた死霊を踏み潰し、力任せに刀を振り抜き周囲の死霊を一掃した。

 横目に、大量の血飛沫が波のようになって通り過ぎている光景を見る。

 降り立った近くを、刀を手に閃光の如く駆け抜けたやつがいたのだ。

 鬼切安綱を手にした御堂だ。

 あいつも数人しかいない仙術使いの一人だった。恐ろしい速度で死霊の中を駆け巡り鬼切安綱を振るっていく。

 だが無表情で淡々と敵を倒すその光景は、ただの作業を行っているようで背筋が寒くなった。

 俺は、押され気味になっている生徒がいるところへと飛んでいき、すかさず周りの死霊を薙ぎ倒す。

 甲冑姿の死霊が振り下ろした剣を受け止め、胴に蹴りを叩き込む。死霊は吹き飛んで後ろのやつらを巻き込んで転がっていった。

「ここは俺がやるからお前は向こうのやつらと合流してくれ!」

「あ、ああ、わかった」

 同じAクラスの剣を持った男子が、俺の指示を受けて他の戦場へと移動して行った。

 だがその背中を追いかけて大量の死霊の群れが押し寄せていったため、すぐにそれを阻もうと足を動かしたが、それより先に死霊たちは一様に体を硬直させてその場に停止した。

 何が起きたのか疑問に思ったのも束の間、周囲の死霊の首が、石柱をへし折ったような音を立てて一斉に曲がる。頸椎が折れた死霊たちは地面に崩れ落ちた。

 その死霊の向こうに、右手に槍を持ち、左手を前に突き出している青峰の姿があった。

「助かる!」

 一番初めの神罰の際にも見た青峰の力、テレキネシスだ。

 美榊島でも珍しい能力になり、神力を消費して物質の運動エネルギーを操るというものだ。

 新たな死霊が迫るが、青峰の左手の一降りで死霊たちは見えない力に縛られたようにその場に硬直し、青峰には近づけない。

「生物には使えない能力で神罰ではあまり使えないと思ってたんだけど、今回の神罰は死霊だからね。これ以上頼もしい力はないね」

 青峰は動けないでいる死霊に素早く接近すると、持っていた槍を軽やかに振り回し、死霊の体を斬り刻んだ。

 神力は消費することで様々な現象を引き起こす。仙術もその一つであるが、他にも多様な種類の能力があるらしい。実際、俗に言われる超能力は神力を消費して発現する能力の一つであるらしい。

 テレキネシスやサイコメトリー、テレパシーなど様々だが、これには一種の才能が必要らしく、神力さえあればできるという問題ではない。

 青峰のテレキネシスもその一つ、神力を使った超能力だ。

「ここはまだ手薄だから私に任せて。私の力でも、どうにか戦える、から」

 肩を上下させる青峰に促され、俺は足に力を貯めた。

「わかった。頼んだぞ」

 その場は残った青峰に任せ、死霊が集中している地帯に飛び込み、周囲の死霊を斬り刻む。

 少し離れたところで大量に死霊がバラバラになりながら宙を舞った。

 そこでは御堂が刀を振るっており、その合間に冷めたような目をこちらに投げていた。戦闘中だというのに悠長だと思ったが、御堂は器用に刀を振るって死霊を寄せ付けず、余裕すら浮かべていた。

 何の視線かと疑問に思ったが、周囲を覆うに死霊が押し寄せてきたのですぐに気持ちを切り替える。

 今回の神罰もなんとかなりそうだ。死霊の体を真っ二つにしながら周りに目を向ける。

 数に押され気味だった周りの生徒たちも慣れてきたのか、うまい立ち回りができるようになってきている。

 複数人で一体の死霊を確実に仕留めて戦っており、危なげない戦い方をしている。

 玲次や七海もフォローに回っているし、こういう妖魔はあの二人には得意分野だろう。

 銃弾と炎で次々と死霊が倒れていく。

 俺のように一撃でよくて数体しか倒せない攻撃ではなく、銃弾の雨や炎の波によって死霊たちはいとも簡単に消し飛ばしていく。

 俺も負けじと死霊の群れを薙ぎ払っていった。

 そして数が多かったため時間がかかったが、今回の神罰も犠牲者ゼロで終わらせることができた。

 神罰を終えた後、グラウンドの真ん中で深々とため息を吐いていると御堂が柴崎たちを伴って近づいてきた。

「偽善者が」

「……なんだって?」

 いきなり毒を吐いてくる御堂に、俺は顔をしかめて言葉を返す。

「他の連中を助けたり気遣ったり、お前みたいなやつが一番腹が立つ」

 見た目を裏切らない不良っぷりにげんなりとし、頭を押さえながら首を振った。

「偽善者で結構。お前には関係ない」

 御堂はつまらなさそうに鼻を鳴らし、俺の横を通り過ぎて校舎の方へ向かっていく。だが、俺の後ろまで来たとき、何かを思い出したように立ち止まった。

「そういやお前、【紋章持ち】のやつと仲良くしてるそうじゃないか。近い内、後悔することになるぞ」

「御堂!」

 近くまで来ていた七海が、御堂の呟きに怒りを露わにする。

 御堂はちらりと七海を一瞥し、視線を校舎へと向けた。

「……邪魔だけはしてくれるなよ」

 最後の言葉は俺だけに聞こえるように呟き、御堂は柴崎たちと去っていた。

 七海は後を追いかけようとするが、玲次に肩を掴んで止められていた。

「止めおけよ。ほっとけあんなやつ」

 七海は苦虫を噛み潰したような表情で怒気を吐き出そうとしていたが、思いとどまって乱暴に頭を掻いた。

「紋章持ちって何のことだ?」

 俺の問いに二人は体を強張らせる。

「……心葉のことか?」

 二人は答えなかった。

 玲次は唇を噛んでいたが、やがてに言葉を選ぶように言った。

「そうだ。この島では一年に一人だけに紋章ってのがが与えられるんだ。その紋章を持つ人間は、神罰で戦わなくてもいいと定められてる」

「皆が心葉を敬遠してるのもそれが原因?」

「ああ、一人にしか与えられない特権だから、色々思うところがあってな。それで心葉もそのことを気にしてる。だからお前もこの話は心葉の前ではするなよ」

 心葉が神罰では戦わずに校内にいるというのはそういうわけか。

「それはいいけど、でも――」

「その話はもういいわ」

 静かだが有無を言わせぬ圧力に口をつぐんだ。

「その話はこの高校では禁句となっているのよ。絶対にその話は出さないで」

 七海はそれだけ言い残すと校舎の方に歩いていき、玲次も戸惑った笑みを浮かべながらその後に続いていった。

「……神罰に関わらなくてもいい、紋章か」

 この島には、神罰にはまだまだ知らないことが多い。

 紋章。

 どんなものなのかはわからないが、それを得ると神罰に参加する必要はなく、命がけの戦いに身を投じる必要はないらしい。心葉が高校に出ていることから考えて、おそらく神罰開始時刻には校内にいなければいないのだろうが、それでも前線に出なくていいのであれば前線に出る人間に比べ圧倒的に死亡率は低いだろう。

 他の生徒たちがよそよそしいのも少し納得だ。

 お前だけなんで、神罰で危険な目に会わなくてもいいんだと、死ぬかもしれない戦いに赴かなくてもいいんだと、そう思われても不思議ではない。

 疎まれ、忌み嫌われ、除け者にされる理由もわかる。

 玲次や七海が心葉に関わりにくくなるのも当然と言える。生徒を率いて戦う生徒会が、神罰から最も遠い位置にいる紋章所持者に積極的に関わるのは生徒の戦意や統率力に影響を及ぼしかねない。

 仲が悪くなったわけではない。玲次と心葉がそう言ったのは間違いではなかった。

 普段の何気ない会話することすら憚られるほど、困窮した状況になっていたということだったのだ。

 だが、正直俺にはどうでもいい話だ。外から来た俺には、よくわからない話だったし、関係もない。

 だから――。

「おっす心葉」

 校内で心葉を見かけても普通に声をかける。

 心葉は鞄を手に玄関の方に向かって中庭を歩いていた。

「これから帰るのか?」

「うん。凪君も?」

「そ、一緒に帰ろ」

 この島のしきたりだか風習だかに興味はない。そんな理由で心葉が嫌な思いをしてることに、むしろ腹が立つ。

 他の連中がなんと言おうと、俺は俺がやりたいようにするだけだ。

 元々俺も生徒から弾かれ気味のはぐれ者だ。

「今日の神罰も皆無事でよかった」

「そうだな。今日はさながらゾンビ化するウイルスのパンデミックを体験した気分だったよ」

 当然、御堂が言っていた紋章などという話は出さない。

 日が傾き、島が紅に染まっている中を二人で歩いていく。

 周りで同じように帰宅していた生徒たちが稀有なものを見る目を俺たちに向けていたが、最近ではそんなのも気にもならなくなってきた。

「凪君はこの島の生活には慣れてきた?」

「うーん、まあボチボチかな。高校には慣れたけど、この島のどこに何があるとかよくわからないんだよね。特に街の方。あの街に慣れるのは結構時間かかりそうだ」

 以前住んでいたところはどちらかというと田舎の方だったので、街のような場所は得意ではない。

 心葉は少し視線を泳がせた後に、おずおずと言う。

「それなら私が案内しようか?」

「本当か?」

「うん。私も寮に来たばかりで、まだ色々買い物しようと思ってたから」

「助かるよ。まだスーパーの場所くらいしか把握してなくってさ」

 ちょっとしたものを買いたくても、どこに行けばいいかわからないなどということがよくあるのだ。

 美榊島の情報は、情報操作のためインターネットなどにもあまり掲載されていない。インターネットにおちおちと情報が出回れば、神罰のことも漏洩する可能性は十分にあり得るからだ。

 美榊から発信される情報は常に監視されており、情報規制が敷かれているのだ。

 記載されている情報はごく一部の観光客用の主要なものがほとんどで、居住者が利用する場所などはよくわからないのだ。

 足でどこに何があるかを探すにしても、この島は広過ぎる。

 ずっと住んでいる玲次たちに聞くのが一番だったのだが、神罰のことで忙しく結局聞けず仕舞いだったのだ。

「次の休日とかでもいい?」

「うん、私は大丈夫」

「それじゃ、よろしくお願いしますです」

 歩きながらぺこりと頭を上げる。

「はい。お任せください」

 心葉は胸を叩きながら自慢げに答えた。

 二人で笑い合った後、いつの間にか到着していた寮へと入っていった。


  Θ  Θ  Θ  


 神罰が起きることなく、心葉に街を案内してもらうことになっていた休日がやってきた。

 ジーンズにボーダーのポロシャツという簡素な服装で寮の一階に下りる。

「あら凪君。おはよう」

「おはようございます。彩月さん」

 玄関に出ると、いつものように彩月さんが箒で落ち葉やごみを掃いていた。

「グァー」

 彩月さんの近くでは、朝から姿を見せなかったホウキが羽をばたつかせながら木漏れ日を浴びている。

「彩月さんは土曜日もお仕事されてるんですね」

「ええ。皆が安心して生活できるようにするのが、寮母の役割なのよ」

 彩月さんは手を止め、すぐ横にある外壁を見つめた。

「私はここから何年もの間、この高校を眺めてきたの。朝元気よく挨拶をしていく生徒たちが、二度と帰ってこない。私は何度もそんなことを経験してきた」

 彩月さんの目が一瞬虚ろになり、闇を纏ったのを俺は見た。だが次に瞬きをしたとき、彩月さんはいつも通りの笑みに戻っていた。

「実は私、これでも昔は巫女だったのよ。もう巫女と呼べる年齢ではなくなってるけど、お昼は必ず寮の屋上でお祈りをしているの。意味のないことだと思うけどね」

「そんなことはないですよ。きっと、皆の励みになっています」

「ふふっ。ありがと」

 実際彩月さんがいることで、生徒が元気付けられているのは間違いない。短い間しかお世話になっていない俺でも、それはわかる。

「そういえば、凪君は今日どうしたの? お出かけ?」

「ええ、この、椎名に街を案内してもらうんですよ」

 名前を聞いた瞬間、彩月さんの表情が凍り付いた。

「……椎名って、心葉ちゃんのことよね?」

「はい」

 はっきり返事をする俺に、彩月さんは輝かしい笑みを浮かべた。

「デート?」

「で……っ」

 彩月の一言に今度は俺が固まった。

「ち、違いますよ。ただ街を案内してもらうだけです」

「いや、二人で街に行くって、それ完全にデートじゃない」

 彩月さんはからかうように俺の腹を肘でつつく。

「まだこっちに移ってから数週間しか経ってない内からなんて、手の早いことで。勇君の息子とは思えない積極性ね」

「だから違いますって。心葉とは昔島にいた頃からの友達です。だから、ちょっと案内してもらうだけですってば」

 彩月さんは一頻り俺をいじると、さっと周囲を見渡した。誰もいないことを確認するような仕草だ。

 それからの俺の顔をじぃーと覗き込んだ。

「な、なんすか?」

 しばらく眺めた後、彩月さんは何かを納得するように頷いた。

「ま、そういうことにしてあげましょう。心葉ちゃんも辛い境遇だから、凪君が助けてあげてね」

「……はい。頑張ります」

 俺の答えにどこか釈然としないように彩月は眉をひそめ、やがて、やっぱりと呟いた。

「何がです?」

「ううん。なんでもない。じゃあ、私は掃除に戻るから。デート、頑張ってね」

「だから違いますって」

 最後まで否定したが、そんな俺を、彩月さんは面白そうに笑い去っていった。

 一人になって、降り注ぐ日差しの中ため息を吐く。

 天気は晴天。気温も暖かくて丁度いい。

 こんな日なら、きっと心葉も……。

「……」

 寮の玄関に出てきた心葉を見てからすぐに固まった。

「な、何かな?」

 心葉は指をもじもじさせながら恥ずかしそうに頬を染めている。可愛らしい仕草に思わずどきりとしたが、すぐに頭を抱えてしまう。

「どこかおかしいかな。似合ってない?」

 心葉は不安そうに自分の服を気にしている。

「いや、似合ってるよ。凄く似合ってる。ただ……いくらなんでも厚着過ぎんだろ!」

 下は膝丈くらいまでのスカートだが、上はニットにダッフルコート。首には白い毛糸のショールを巻くという徹底ぶりだ。

「今日は暑いだろ大丈夫なのかそれ。汗だくになるぞ」

 心葉は口に手を当てておかしそうに笑う。

「心配してくれてありがと。でも大丈夫なのです。私はとっても寒がりだからこれでいいのです」

 腰に手を当て、高校生にしては豊かな胸を張りながら自慢げに語る。

「いや、そんな威張られても」

 でも、最近は心葉が明るくなってくれたようで何よりだ。

 久しぶりに会ったためか最初は緊張していることが多かったが、ようやく昔のように明るく笑う女の子に戻り始めた。

 街へは電車で行くことにした。

 駅を移るたびに、心葉が途中にあるものを説明してくれる。

 とりあえずとにかくがあちらこちらにあり、小さな社はそれこそそこら中にある。

 それからコンビニや雑貨店、昔遊んだ公園の場所などを教えてくれた。

 やがて五駅ほど行ったところで、見慣れた駅に付いた。何度来ても懐かしい。

「それで、ここで降りれば……」

「……心葉の家……だよな?」

 昔のことでも案外忘れないものだ。景色は変わっていても、刻まれた記憶が残っている。

「行って……みる? お父さんもお母さんも、凪君が帰っていることは知ってはいるんだけど……」

「そうだな……」

 心葉の家は、山の上にある大きな家だ。家の横には道場があり、俺はそこで剣を教わっていた。

 だが、心葉の家は、俺にとってそれ以上に特別なものなのだ。

「今は、止めとくよ。神罰のこともあるしな。もう少し落ち着いてからゆっくり挨拶に行くよ」

 電車の扉が音を立てて閉まり、再び電車が走り始める。

 心葉は微笑んで頷いた。

「そっか。わかった」

 照れくさいというのも理由の一つだが、神罰で俺も立ち位置が微妙なため、もう少し時間を置いておきたかった。

 最悪、俺が死ぬ可能性もある。再会した直後に死ぬなんて、心葉の両親に無用な悲しみを与えることにもなる。

 できれば、あの人たちにそんな思いはさせたくない。

 他にも行きづらい理由もあるのだが。むしろそっちが一番きつい。

 街に着いた俺は、心葉に連れられて街を回っていく。

 休日ということもあり、街のどこに行っても賑わっており、都会顔負けの街に再び圧倒される。

「本当に、十年くらいでここまで変わるもんだよな」

「うーん、確かにそうだね。住んでいるとわかりにくいけど、昔に比べたらかなり変わったね」

 現在でも建築作業や改装工事が至るところで進行している。離島とは思えない繁盛ぶりだ。

 あちこちを案内してもらったところで丁度お昼時になったので、心葉のおすすめである喫茶店で昼食を取ることにした。入った喫茶店は、アンティークな内装の落ち着いた空気の店だった。昼過ぎということで、店内は大変賑わっていた。

 二人ということを伝えると、運良く空いていた窓際の席へと通された。

「ここ、オムライスがすっごく美味しいんだ。卵がふわふわで最高なの。絶品だよ」

「そうか。ならそれを二つ頼もうか。ここは俺が払うから、心配しないでくれ」

 近くを通り過ぎた店員を呼び止め、注文を伝えると店員は笑顔で頭を下げて厨房へと入っていった。

「悪いよ。自分の分は自分で出すから」

 困った顔を浮かべる心葉に、俺は笑いながら水の入ったコップに手を伸ばす。

「いいよ、気にするなって。今日は俺が案内してもらってるんだ。これくらいは払わせてくれ」

 コップを傾け、冷たい水を喉に流し込む。歩き回って熱を持った体を冷ますように、ひんやりとした感触が体に広がっていく。

「……ここにいる人たちも、皆神罰のことを知ってるんだよな?」

 声をひそめて尋ねると、心葉は暗い面持ちで頷いた。

「そうだよ。でも、神力を持たない人からすれば関係ない話だからね」

 神力を持つ者だけが戦う資格を持つ。芹沢先生が言っていた言葉だが、実際は神力を持つ者が戦う資格を持つのではなく、神力を持たなければ戦えないのだ。あの激しい戦いに神力を持たない人間が身を投じたところで、ただ死にに行くようなものだ。

「この島の神罰って、一体何が目的なんだろうな」

 コップを手の中で回しながら、俺は呟く。コップの中の氷がからからと音を立てて回る。

「目的って?」

「神力を持つ人間が、神罰で戦い続ける。神罰は遺伝するってことだから、こんなことが続けばその内美榊島の神力を持つ人間が枯渇する。今は島全体の人口を上げることで、どうにか凌げてるような部分は大きいだろうしな」

 この神罰が数十年続いているというだけでも驚きだが、こんなことがいつまでも続くはずがない。

 室内でさすがに暑いと感じたのか、心葉は首にかけていたショールを外しながら言う。

「この神罰がどういうものなのか。それはこの島の人たちが何十年も昔から調べてきたことだけど、結局ほとんど何もわかってないの。わかっているのは始まりが一人の少年が神を攻撃したことだけで、それがきっかけで起きてるっていうことくらい」

 心葉の説明に俺は一瞬顔をしかめた。

「この神罰には絶対何かある。ただの罰なんかじゃなく、何かの意志が介入しているような気がする」

「な、なんで?」

 心葉が心配そうな顔で聞き返してくる。それを見た俺は苦笑しながら手を振った。

「いや、ごめん。勝手に言ってるだけだから気にしないで」

 そう言ったとき、二つのオムライスが運ばれてきた。

 チキンライスの上に柔らかそうに焼かれた卵が乗っており、俺たちの前で割られてチキンライスを金色の卵が覆った。その上にケチャップを元に作られたソースがかけられた。

「おお-、これはうまそうだ」

 目の前で作られたできたてのオムライスは、金色に光りながら熱々の蒸気を放ち、空腹のお腹を刺激してくる。

「ま、妙な話はここら辺で止めて、心葉おすすめのオムライスをいただくとしよう」

 スプーンを手に取りながらそう言うが、心葉は暗い顔のままだった。

「いや、悪い悪い。つい深読みしちゃう性質なんだよね。とりあえず俺たちがしないといけないのは、神罰を生き抜くこと。それだけだよな」

 脇にあったスプーンのケースから二本のスプーンを取り出し、片方を心葉に差し出す。心葉はまだ暗い面持ちだったが振り払うように首を振り、俺が差し出したスプーンを手に取った。

「ありがと。ここのオムライスは熱々のまま食べるのが一番なんだった。早く食べよう」

「いいね。自分じゃここまで本格的なものは作れないよ。またここみたいにいいお店があったら教えてくれ」

「自分じゃって、凪君この間お弁当作ってくれたけど、あれ一人で作ったの?」

「そうだよ」

 俺は頷きながら、スプーンでオムライスをすくい、口に運ぶ。

「うまっ! 凄いなこれ。こんなオムライス初めて食べたよ」

「でしょ? 私の一番好きなお店なんだ」

 心葉もオムライスをスプーンですくい、口に運んでぱくっと食べた。

「くぅー、やっぱり最高だね」

 噛みしめるように唸りながら、心葉はオムライスをぱくぱくと食べていく。

「あ、でもでも、凪君の弁当も同じくらい美味しかったよ。なんで凪君はあんなに料理ができるの?」

「ああ……なんでかって言うと……」

 スプーンを皿の端に置き、コップの水をあおる。

「俺が島を出たのが小学生低学年のとき。で、それから家事全般、食事洗濯掃除買い物ゴミ捨て金銭の管理……挙げたら切りがないけど、それ全部俺がやってたんだよ。そりゃ家事も得意にもなりますよ。小学生からだぜ小学生」

「それはまあ……なんというか……」

 心葉が引きつった笑みを浮かべ、俺はげんなりとして肩を落とす。

「凪君のお父さんって今何歳くらいだったかな?」

「確か、今年で三十六だったかな。俺が子どもの頃は二十代後半とかその辺か。若い頃から家事に無頓着だったから俺がやるしかなくてさ。でも料理はやってみると意外に楽しくて、父さんに嫌味も込めて作りまくってやったんだ。あの仏頂面な親父にうまいって言わすのは苦労したぜ」

 父さんは最初こそ俺が料理を作ったことに驚いていたが、慣れると何も言わなくなったため、俺は反抗期の子どもの如くぎゃふんと言わせたくて、色々挑戦をしていたのだ。

「そ、そうなんだ。それは大変だったね……」

「気が付けば大抵の料理は難なく作れるようになってたね」

 苦いながらも今の自分のスキルを持っているのはこの経験があったためなので、あながち否定もできないのが微妙なところだ。

「今頃きちんと飯食ってるのか心配だ。それどころかまともに生活できてるかどうか。もうちょっと自分のことに気を遣ってほしいけど」

 オムライスを食べながら俺が言うと、心葉が楽しそうに笑った。

「ふふっ。凪君はホントお父さんが大好きなんだね」

「ばっ、違うから。そんなじゃないから」

 必死に否定しながらも顔が上気している感じる。紛らわすようにがつがつとオムライスを食べる俺を、心葉は穏やかな目で見ていた。

「私も久しぶりに、凪君のお父さんに会ってみたいな」

 消え入りそうな声で呟く心葉に、俺はオムライスを飲み込んで言う。

「会ったって仕方ないと思うけど。でも、そうだな。美榊高校を卒業したら、玲次や七海と一緒に遊びに来いよ。俺の家のマンション、無駄にでかいから全員泊まれるぞ」

「……そうだね。卒業できたら、皆で遊びに行きたいね」

 穏やかな目で、それでいて悲しそうな目で呟く心葉。

 俺はオムライスを食べ終えると、机の上で手を握りしめた。

「卒業するさ。全員で。これ以上誰も死なせたりしない。俺は、そのために来たんだ」

 だが、現実は甘くなかった。

 それを知ったのは、四月も終わり頃差し掛かった、雨の降りそうな黒い雲が空にかかった薄暗い日のことだった。

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