5

 黄泉川先生が去った後、悲しみに暮れる生徒たちの空気に耐え切れず、鞘を拾って逃げ出した。

 鞘に白刀を押し込むと、抜刀時に出ていた不思議な白煙は消えた。

 彷徨い見つけた手洗い所で手に付着している血を洗い落としていく。

 何度も何度も何度も。

 全て流し終えてもひたすら手を擦り続ける。

 手が真っ赤になっているが、それでも染みついた鉄の臭いと、ぬめりとした嫌な感触だけは落ちることはなかった。

 水道下に頭を突っ込んで冷水を浴びる。蛇口から流れ出した水が頭から頬、首まで伝っていくが、冷たさなどまったく感じなかった。

 夢なら覚めろ。あり得るわけないだろうこんなの。

 念じるように冷水を浴び続けるが、逆に頭が冴えていく。

 先ほどの悲惨な光景を思い出すだけで胃の中のものが喉まで込み上げてきたが、なんとか耐えて唾だけを排水溝に吐き出した。

 近くにあった木に背を預け頭を抱え、今日何度目かもわからないため息を吐く。

 化け物が現れ、人が死んで、周囲の人たちはそれを受け入れている。

 理解できるはずもなかった。

 十分か、三十分か、一時間か、じっとしていると遠くから声が聞こえてきた。

「おーい」

 首をゆっくりと上げ、声がした方に視線を向けると、一人の男子生徒が手を振りながらこちらに走ってきていた。

 片桐玲次だ。

「大丈夫か?」

 玲次の最初の言葉はそれだった。

「大丈夫に見えます……?」

 力ない笑みを浮かべながら言葉を返すと、玲次は気まずそうに頭に手をやった。

「わ、悪い……大丈夫なわけないよな。すまん」

 バツが悪そうに目を閉じて謝り、口を歪めて頭を振る。

 こんな状況ではあるのだが、そんな玲次に思わず笑みをこぼした。

「なに謝ってんだよ。お前そんなキャラじゃなかっただろ」

 子どもの頃はやんちゃで悪さばかりしていた記憶しかない。

 勝手に人の家の庭にある柿を取って食べたり、遠投をすると言って強面おじさんの飲んでいる缶ビールをボールで吹き飛ばしたり、学校に忍び込んで出られなくなったり。

 俺もそれに付き合い、二人でよく怒られたものだ。後半は玲次が一人でやった。

 確実に過去から変わっている玲次に、どこか複雑な気持ちを抱いたが、それは自分も同じだと内心笑う。

「殊勝に育っちゃってまあ」

 笑いながら玲次の肩をばしばしと叩く。

 高三の中でも高い方にある玲次の肩はとてもがっちりとしていて、鍛え込まれているようだった。

 お互い今の半分ほどの身長だったが、今は玲次も俺も、ずいぶん大きくなったものだ。

「本当に、玲次なんだな?」

「当たり前だろ」

 俺と玲次はニヤリと笑うとお互いの拳をぶつけ合った。

「久しぶりだな」

「確かに」

 小学生のとき以来連絡も取り合ってなかったためか、会ってみると懐かしさで胸が一杯になる。

「まさか戻ってくるとはね」

 再び声が飛び、そちらに目をやるとやれやれと言った様子でこちらに歩いてくる女子生徒の姿があった。

 綺麗な栗色の髪を風に揺らす彼女は、西園寺七海だ。

 久しぶりに会ったというのにきつい言葉を放つ七海に、俺は思わず苦笑する。

「相変わらず手厳しいな」

「だって本当のことだから。私たちに何も言わず急に島を出て行ったクソガキ。いや別に何とも思ってないから。八つ裂きにするとか思ってないから」

「え、えらく毒を吐きますね七海さん……お、怒ってらっしゃるんですか?」

 ビクビクしながら尋ねたが、七海の言ったことは概ね事実なので言い返えすことはできない。

 ずっとこの美榊島で暮らすことに何も疑問を抱いていなかったにも関わらず、突然島を出ることになり、その意味も知らずに俺は島を出た。

 今考えれば、父さんが大学に勤めることになったから島を出ることになったのだ。

 父さんに別れを言えと、言われるままなんとなくさよならとかは言ったのだが、子どもの俺に今生の別れになりかかっていたとはわかるはずもなかった。

 でも父さんが、なぜ外に出ようと思ったかまでは知らない。ずっと島にいても生活に困らなかったはずなのだ。

 大学の教授をやっていることからもわかるように、父さんはとても頭がよく少し抜けているところもあるが基本的に優秀だ。わざわざ島を出なくても生活はできただろう。

 だがその辺りのことを父さんは話そうとしなかったし、俺も聞かなかったため、結局有耶無耶になっている。

 鋭い眼光で睨み付けてくる七海に怯えていると、玲次が笑いながら七海を指さした。

「こいつこんなこと言っているけど、実はお前が来ることめっちゃ楽しみゃぎゃあ!」

 言い終わる前に七海が投げた何かが勢いよく玲次の顔に突き刺さった。

「……それ、俺の鞄じゃねぇか」

「あ、あんたの鞄だったの。お、落ちていたから拾っててあげたのよ」

 耳まで真っ赤に染まった顔を隠すようにそっぽを向き、七海が答える。左手で髪をくるくるといじりながら、ちらちらとこちらに視線を向けている。

 下手な反感を買わないように振る舞いながら、仰向けで倒れている玲次の顔から鞄をべりべりと引き剥がす。

 玲次は鞄の形に赤く腫らした顔を押さえながら、涙目で七海を睨み付けた。

「ほ、本当のことじゃねぇか。大体昨日だって迎えがどうとかって――」

「それ以上言ったら、燃やすわよ?」

 恐ろしい笑みを浮かべながら上げる七海の手には、紅蓮の炎が灯っていた。

 玲次はギョッとして口をつぐんだ。

「うわっ! お前それなにしてんだ!? 熱くないのか!?」

 さっきは状況が状況だけにスルーしたが、改めて見た異様な光景に俺は大声を上げる

 手には何か仕掛けがあるわけでもなく、素手に熱を持った炎が灯っている。少し距離があるにもかかわらず熱は確かに伝わっているのだが、七海の手は火傷を負ってはいない。

 七海はどこか複雑そうな顔で俺を一瞥すると、振り払うように手を振って炎を消した。

「別に。私が使ってるんだから熱いわけないでしょ」

 俺が求めた答えはそういうものではなかったが、先ほど実際に七海がそれで人狼を焼き払っていたところを見ていたので笑い飛ばすことはできなかった。

「って思い出した。今はこんなことしてる場合じゃなかった」

 玲次は勢いをつけて跳び起きると、背中の土を叩いて払った。

「校長に呼ばれてるんだ」

「校長先生?」

「そうだ。お前も聞きたいことが色々あるだろ? 本当なら神罰が始まる前に全部説明しとく予定だったのに、お前が遅れてくるから。とりあえず、早く行くぞ」

 玲次は校舎があると思わしい方向に歩き出す。

「ほら、突っ立てないで行きなさい」

「お、おう」

 背中を押され、俺は立てかけていた刀を回収して玲次の後を追う。

 七海は歩きながら俺の刀を訝しげに視線を向けた。

「ねぇ、その刀はなんなの?」

「ん? これはこの島に来るときに父さんから渡された。いやおかげで助かったよ。な?」

 刀に向かって呼びかけたのだが先ほどまでは話していたはずなのに、今はまるで普通の刀のように、何の反応も示さなかった。

「な、とか言われても……」

「いや、今のはお前に言ったんじゃなくてこの刀に……なんだ、その可哀想なものを見る目は……」

 冷めて目を俺に向けていた七海にそう言うと、七海はポケットから取り出した白いハンカチをうるうると光る目に当てた。

「事実可哀想だから。軟弱者のあんたが本土に行ってやっていけるのか心配だったけど、まさかものと会話する頭の弱い子に育つなんて……ぐすっ……」

「頭が弱いとか言うな! あと嘘泣き止めろ! 本当のことなんだからな!」

 だが実際は刀が話すなんて普通に考えてもおかしい。

 確かに聞こえていた。それは間違いないのだが……。

「なんだお前ら。何の話してんだ?」

「こいつ頭が残念になったって話よ」

「いやいや違うでしょ! 本当のことを言っているだけなんだけど!」

「そうね。本当に残念になったものね」

「だから違うつってんだろうが!」

 不思議だ。

 あれほど悲しい気持ちになっていたにも関わらず、二人と話すだけでこれだけ気持ちが明るくなった。

 どす黒く心の中に渦巻く冷たい感情はあっという間に氷解し、暖かいものが胸に広がる。

 絶望すら感じていたにも関わらず、それも全て消えていた。

 初めて、この島に帰ってきてよかったと思えた。

 しかし、そんな平凡なひと時でさえ、簡単に崩れ去る。

 俺はずいぶん離れたところまでやってきたようだ。

 二棟の校舎と隣接するように巨大なグラウンドが広がっており、校舎とは反対側にこれまた大きな体育館があった。

 校舎やグラウンドは木々に囲まれており、俺は木々の間を彷徨って体育館裏まで来ていたようである。

 玲次と七海に連れられ、体育館を横切り、グラウンドの方に出た。

 眼前に広がっていた光景に、俺の足は止まった。

「ここは……迂回した方がいいな」

 玲次は歩く方向を変え、俺が入ってきた正門の方へ進んでいく。

「なんだよ……これ……」

 飛び散った血液。

 血だらけの服。

 そして、至る所に人間の肉片と思われるものが散乱している。

 まるで、食い散らかされたように、グラウンド中にそれは広がっていた。

「見なくていいわよ」

 七海が俺の背中を押して動かそうとするが、体は地面に張り付いたように動かなかった。

 泣き叫ぶ生徒、立ち尽くしたまま動けないでいる生徒がちらほらグラウンドに残っている。

 そんな生徒たちの前で、先ほどの養護教諭である黄泉川先生たちが、肉片や血の処理を行っていた。

 泣いている女の子を他の女の子が支え、ゆっくりと校舎に歩いていく。

「私たちには、これは決まってたことなのよ」

 さらに強く背中を押され、体がふらふらと進んでいく。

 七海の目も深い悲しみに暮れていた。

「この高校は……一体どうなってるんだよ……」

 玲次はグラウンドから視線を逸らしながら言う。

「それも、これから説明する。いいから来い」

 校舎の間を通り過ぎていき、最初にやってきた正面玄関の方に戻ってきた。

 玲次は校舎に沿って歩き、やがて一つの窓を開けて校舎へと入っていった。

 …………。

 なにしてんの?

 顔を引きつらせながら疑問を抱いていると、七海も窓を飛び越えて校舎へと入っていった。スカートなのにジャンプするなとか靴を脱げとか色々突っ込みどころはあるが……。

「お前らどこから入ってるんだよ! 玄関すぐそこだろうが!」

 先に入った二人に向かって怒鳴ると、玲次が窓から顔を覗かせた。

「ここが校長室なんだよ」

「そう問題じゃない! てかなお悪いわ!」

 窓から入るなんて失礼極まりないが、二人ともとても手慣れたように見える。どんな生活を行っているのだろうか。

「つうか俺土足なんだけど靴箱は?」

「あるにはあるけど、この高校上履きとかって体育館とかでしかないから。校長室も土足でオッケー。そのまま上がってくれていいぞ」

 もはや突っ込むのにも疲れた俺は深々とため息を吐き、慎重に窓枠に足を乗せ、ゆっくりと校長室に入った。

 部屋はいかにも校長室という貫録のある部屋で、歴代の校長だと思われる顔写真が並べられ、高級感のある木壁が部屋を包んでいる。

 会議にも使うのか、中央には大きな長机といくつもの椅子が並んでいる。

 そして、部屋の上座に当たる部分に立派な机と革張りの椅子があり、そこには一人の高齢男性が座っていた。

 俺は椅子に座って苦笑しているその人に、深々と頭を下げた。

「こんなところから失礼します」

「いや、いいんだ。そういう気持ちを持って入ってきてくれただけでも十分だよ」

 威厳を持っているが、それでいて親しみやすい声音でその人物は言う。

 顔には深い皺がたくさん刻まれているが、見た目と反して瞳は穏やかながらも生気溢れる光を宿している。

「次からは、必ずあそこにある扉から出入りさせていただきます」

 俺の返答に校長先生は楽しそうに笑い、玲次と七海に目を向けた。

「君たちも少しは見習ってほしいな」

「ま、いいじゃないですか」

「時間の節約は大事だと思うので」

 散々な答えだった。

「とりあえず自己紹介をしようか」

 校長先生は立ち上がって笑った。

「私は芹沢如月せりざわきさらぎ。一応定年は迎えているがまだしばらくは校長を続けるつもりだ。よろしく頼むよ。君の名前を聞かせてくれるかな」

 名前を聞かれ、俺は抱えていたバッグを下ろして頭を下げる。

「初めまして。八城凪です。よろしくお願いします」

 八つの城などと大仰な苗字に、凪などという女の子のような名前。苗字は当然父さんからのもので、名前は母さんが付けてくれたと聞いているが、何を思ってこんな名前を付けたのかは未だに知らない。

 顔を上げると、芹沢先生は懐かしさを孕んだ目で俺を見ていた。

「初めまして、か。さすがに私のことは覚えていないかな」

「え? 僕はあなたと会ったことがあるんですか?」

「ああ、君がまだ小さい頃だったから、覚えてないのも無理はないがね」

 俺にはまったく覚えがなかったが、広いと言えど一つの島で暮らしていれば、それなりに会う機会もあったのだろう。

「とりあえず座ってくれ、凪君」

 芹沢先生に促され、俺は部屋の中央に並べられていた窓側の椅子に腰を下ろした。

 正面の廊下側には、玲次と七海が同じように座った。

「別に責めるつもりはないんだが、先に遅刻の理由を聞かせてもらっていいかな?」

「本当にすいません。美榊高校が二つもあるなんて知らなかったので、間違って第二高校の方に行ってしまいまして……」

 ああ、と玲次と七海の方から声が上がる。

「それはすまなかった。こちらがきちんと説明しておくべきだったね」

「いえ、僕が間違っただけですから」

 実際俺がきちんと調べたり、転校手続きの用紙を見たりすればわかるはずだったのだが、どうにかなるだろうなんて気持ちでいたために招いたことだ。

「急にこんなことに巻き込んでしまって、すまないと思っている」

 芹沢先生は顔から笑みを消し、唐突に謝罪を始めた。

「本当なら全てのことを話した上で、ことに当たるかどうかも含めて判断してもらう予定だったんだ。でも、まさか君が始まるギリギリに校内に入ってくるとは思わなくてね。こちらとしても対処が間に合わなかったんだ。そのせいで、君には辛い経験をさせてしまった思う」

 つい一時間前までなら理解できない内容でも、今ならその意味がなんとなくわかる。

 俺は運悪く、あれが始まる直前に美榊高校の門を通って校内に入ってしまった。

 俺が通った直後に門が閉まっていたのも、あれが始まるからだったと考えれば納得がいく。

「どういうことか、教えていただけますか? あの人狼のことや、島を覆っていた黒い影みたいもののこととか、全部」

「ああ、もちろんだ」

 芹沢先生は重々しく頷くと、机の上に視線を落とした。


  Θ  Θ  Θ


「この島には、ある秘密がある」

 芹沢先生は項垂れたまま、おもむろに話し始めた。

「あの人狼のことですか?」

「そうだ。あの人狼のことは、【妖魔ようま】と言う」

 妖魔というものがわからない俺に、芹沢先生が丁寧に説明をしてくれた。

 妖魔とは、この世界と神が住むとされる世界の狭間に生息する生物のことらしい。

 この世界の生物ではないから長時間実態を保つことができず、ある程度の時間が経過するか、死ぬかすると姿を保っていられなくなって消滅するとのこと。

「妖魔との戦いは、この島の住人にとって定められた運命とも呼べる戦いだ。もちろん全員に定められ運命というべきではないがね」

「というと?」

「ある力を持つ子ども。それらの子どもは、美榊高校に入学し、妖魔と戦わねばならない。特別な理由がなければ原則拒否はできない。その力というのが【神力】だ」

 神力と呼ばれるこのエネルギーはこの島の住人だけが持つ特殊な力なのだそうだ。

 神力を持つ人間だけが美榊高校へ入学できる、というよりしなければいけない。

 美榊島には美榊高校以外にも高校はいくつかあるが、美榊高校には神力を持つ人間が、それ以外の人間は美榊高校以外の高校に行くようになっているそうだ。

「大昔は日本各地に使える人がいたとも聞くが、今はほとんどこの島の人間しか扱うことができない力だ。そして、神力を持つ者とは、戦う資格を持つ者だ」

「それは俺も……ですか?」

 芹沢先生は眉を下げて首を縦に振る。

「そうだ。でも君の場合は美榊島の外にいたのだから、本当は戦う必要などなかったんだ。だが我々美榊高校側としては、君にはどうしても帰ってきて戦ってもらいたかった」

「その理由は聞いても?」

「……」

 俺の質問に芹沢先生は押し黙った。

 何とも言えない空気が流れる中で弱っていると、七海が耐え切れずに助け船を出した。

「その話は後でするから。とりあえず、今、なんで、どうしてこういう状況になってるのかって説明をした方がいいのでは?」

「ああ、うん。そうだね」

 芹沢先生は小さく頷き、まるで過去を思い出すように、視線を空へ向けた。

「【神罰】。私たちはこの島に起きている現象をそう呼んでいる」

「確か、人狼に襲われていた生徒たちもそう呼んでいました」

「そうだね。これはこの島に住んでいる人間なら、誰でも知っていることだから。数十年前から、ずっとね」

 そんな以前から……。

 芹沢先生の説明に俺は眉をひそめた。

 ということは神罰という先ほどの現象は俺がこの島に住んでいた頃には既にあったということだ。それつまり……。

「やっぱり父さ……父はこのことを知っていたんですね」

 命に関わるとか、帰りたくなるとか、刀を持たせたりだとか、思い当たる節が多々存在する。

 芹沢先生は目を陰らせて頷く。

「そうだ。君のお父さん、勇君は全てのことを知っていた。この島で何が起きて、君を送れば君がどういうことになるかも理解していた。だけど、お願いだからお父さんを責めないであげてほしい。これは私が君のお父さんに頼んでいたことなんだ」

「どういう……ことですか?」

「……それに答える前に、神罰がどういうものかについて説明する必要があるな」

 芹沢先生は小さく息を吐いて話し始めた。

「凪君、君はこの美榊島の言い伝えを知っているかい?」

「……すいません。正直、美榊島についてはほとんど知らないんです」

 子どもの頃に島を出て、ずっと本土にいたため当然のことと言える。俺が知っているのは世間一般の知識に毛が生えた程度だ。

「この美榊島はね、神様が遊びに来るという言い伝えがあるんだよ」

「神様……ですか?」

 漠然とし過ぎている単語に首を傾げると、反対側に座っている玲次が教えてくれる。

「神だよ。神様。オオクニヌシノカミ様とかスサノオ様とかそういうの」

「うん、そういう神様が、島に遊びに来るっていう言い伝えがあるんだ」

「そんな――」

「冗談だって思う?」

 先の言葉を七海に言われ、俺は口をつぐんだ。

「その冗談みたいなことが、実際にこの島ではあり得るのよ。大昔からそういう目撃証言や実際に話したことがあるっていう人もいるくらい。これは都市伝説とかそういうものじゃなくて、本当にある、現実なのよ」

 そんなことを言われても、俺には信じろという方が難しい話だった。

 俺はどちらかと言えば理系の現実主義者だ。常識的に考え、科学で証明できないものは信じにくいたちなのだ。

 ただ、自分の中にもとても科学では説明できない力を持っているため、全否定ということもできない。

「とりあえず話が進まないから、そういうものだと理解しなさい」

 釈然としない顔をしている俺に七海が言った。

「はぁ……わかった」

 七海に押し切られ、質問したいことはいくつかあったがとりあえず納得する。

 俺が頷くのを確認すると、芹沢先生が説明を再開した。

「西園寺君の言う通り、本当にそういうこと。この島には神様が遊びに来る。それはこの島にとってとても名誉なことで、喜ぶべきことなんだ」

 それは、なんとなくわかる。

 美榊島は神社が多くある島でそういう仕事に携わる人も多いだろうから、信仰の対象である神様が訪れて嬉しいと感じるのは自然なことだろう。

 だが、と芹沢先生は暗い面持ちで続ける。

「今から数十年前、島に遊びに来ていた神を、島の人間が誤って攻撃してしまうという事件があった」

「あ、誤ってって、そんなことして大丈夫だったんですか?」

 神を攻撃するなんて行い、とてもではないが許されるわけがない。そんなことはたとえ神のことを信じ切れていない俺でさえ、簡単にわかる話だった。

 芹沢先生は目をきつく閉じると、頭を振ってその先を言う。

「大丈夫ではなかった。その結果起きていることが、今この島に起きていることなんだ」

 俺はハッとして悟った。

 神罰。

 その言葉が意味するものはもう一つしかない。

「……まさか、その数十年前にあったことが原因で現在まで何十年もの間、その神の罰を受けているんですか?」

「……その通りだ」

 芹沢先生は目を閉じて肯定した。

 信じられなかった。

 神の罰というのはわかる。神様も攻撃されて怒りはするだろうから、何かあってもおかしくない。

 だが、それが数十年経った今でも変わらずにこの島に降りかかっているなんて、想像もできなかった。

 それはもう、一つの戦争だ。

「……でもなんでそれが、この美榊高校で起きているんですか?」

「その神を攻撃したのが、当時の高校生だったのよ」

 俺がした質問を、芹沢先生の代わりに七海が説明してくれる。

「申し訳ないけど、この辺りのことは私たちも校長もよくわかっていないからあまり聞かないで。神を攻撃したのは高校生の少年。攻撃したっていうのは本人が認めたから間違いないんだけど、その少年はその直後に失踪してて、真相は闇の中ってわけ」

 人が神を攻撃……にわかには信じがたいが……。

 そして、玲次が忌々しそうに話し始めた。

「神を攻撃した次の年から美榊高校に今日のようなことが起こるようになった。神への攻撃を知っている人間はすぐに神の罰だと理解した。それからこの島に、毎年神罰が降りかかっている」

 驚きのあまり何も言えなくなり、震える手を口に当てる。

「神罰とは何か。それについても説明しなければいけないね」

 芹沢先生は視線を窓の外へと向けた。

「神罰は正午から始まる。この美榊高校は内外が完全に隔離され、それと同時に妖魔が現れる。妖魔の種類は多種多様であり、それらと戦うのが美榊高校の生徒が背負う宿命だ」

「戦わないという選択肢はないんですか?」

「基本的に、妖魔を全て倒すか、ある程度の時間が経てば終わるという仕組みになっている。だから戦わないとう選択肢を採ることもできるが、それはその選択は採るべきではない」

 今回の神罰は、人狼を全て倒したから終えたということらしい。

 俺の前に玲次と七海が現れたとき、二人は校内を回りながら残党を倒していたとのことだ。そして全ての人狼を倒したことで、先ほどの神罰が終わったということだ。

 時間が経つまでというのは大体三十分から一時間ほどということで、正確に決まっているわけではないそうだ。

 一見それまで逃げればいいという考えに至るかもしれないが、実際に逃げている途中に囲まれでもしたら即アウトなので、全校生徒で迎え撃つというのが基本なのだそうだ。

 現に俺の前にいた生徒たちは追い詰められていたため校舎裏などで戦いを強いられており、俺が乱入しなければ危ない状況になっていたのは間違いないだろう。

 芹沢先生が戦わないという選択を採らない方がいいというのはそういうわけだ。

 俺は先ほどのことを思い出しながら、芹沢先生の説明を聞いていく。

「さらに、神罰が終わると、負った傷や破れた服に壊れた建造物などは、全て元に戻る。だが……」

「死んだ人間だけは、元に戻らない……ですか?」

 死んでいった原のことが鮮明に頭によみがえる。

 再び戻ってきた不快感をなんとか堪え、次の芹沢先生の言葉に耳を傾ける。

「そうだ。生きていればどんなバラバラの状態からでも元に戻るが、死んだ人間だけは、どんな状態であろうと元に戻らない。これが神罰のルールなんだ」

 体が戻るとかどんな状態でも戻らないとか、馬鹿げた話のようだが目の前で見てしまった以上理解せざるを得ない。

「さらにもう一つ、神罰は毎年起こるが毎日起こるわけじゃない。二日連続で起こることもあるが、数週間起きないこともある」

「……また、今日みたいなことが起こるんですね」

 芹沢先生は辛そうに頷いた。

「そうだ。次いつ起こるかはわからないが、近日中にまた起こる。それは確実なんだ」

「一体、いつまで?」

「三月一日。卒業式までだ」

 あんな地獄が、これから何度も続く。

 卒業式の日まで、一年もの間。

 この高校の生徒は、何度もこんな戦いを続けているのだ。

 毎年、数十年、何代にも渡って続いてきた宿命。

 戦うことを運命づけられた美榊島。

 それが、神罰。

「大体話しておかないといけないことは話したんだけど、質問はあるかな?」

 芹沢先生が二つの優しげな目を俺に向ける。

 俺は、机に両肘を突き頭を抱えていた。

 校長先生の前で取る体勢ではないが、そんなことを気にしていられる余裕はなくなっていた。

 語られた情報を頭の中で整理して並べていく。

「父さんが俺をここに転校させた理由がなんとなくわかりました。戦力強化ですね」

 俺の答えに芹沢先生は悲しそうな笑みを浮かべながら頷いた。

「その通りだよ。君のお父さんは私の教え子でね。凪君と島を出ることになって、もし凪君が高校生三年生になったときもまだ神罰が続いていたのなら、凪君を美榊島に呼んでもいいかと、私が頼んでいたんだ」

「なぜ僕か、その理由は教えて頂けないんですか?」

 先ほどもした問。

 わざわざ島から出た人間を呼び戻す必要があったのかどうか。俺は自分にそこまでの価値があるのかわからない。

 芹沢先生は少し言葉に詰まり、玲次や七海に目配せをした。

 その視線を受けて、玲次が苦笑しながら話し出す。

「お前は自分がどれほどの力を持っているか知らないんだよ。今日お前が助けた連中から話を聞いたぞ。お前、仙術まで使えるらしいな」

「仙術のことを知ってるのか?」

 俺の知る範囲では仙術は俺と父しか知らない技術であったためが、その単語が玲次の口から出たことに驚いた。

 俺の中にある科学では到底説明ができそうにない力。体内にあるエネルギーを消費して身体的能力を爆発的に向上させることができる力だ。

 今の二人のことを、俺がどれくらい知らないのかがよくわかる。

「ああ、仙術は元々古くからこの島に伝わる技術だ。お前は親父さんから教えてもらったんだろうけど、実は仙術は使える人間がかなり限られる。俺たちの世代だと、俺と七海の他に数人だけだ」

「その力であそこにいた皆を助けてくれたんでしょ? 原君が亡くなったのは本当に残念だけど、凪がいなければあそこにいた全員が死んだだろうということも事実よ。戦力は一人でも多い方がいいの。そこに仙術を使えるあんたが来てくれるのは、本当に助かるのよ」

 七海からここまで真っすぐな言葉が聞けるとは思わなかった。

 それは昔抱いていたイメージでもそうだし、俺を待っていただののやりとりからでもよくわかる。

「さらに付け加えると」

 七海の言葉を引き継ぎ、再び芹沢先生が口を開いた。

「君の持っているその刀を扱える人間は、君と君のお父さんしかいない。その刀は昔君のお父さんが使っていたもので、とんでもない代物なんだ」

「この刀を、昔父さんが……」

 机に立てかけるようにしている白い刀。

 物心ついたときからあった刀のことなのに、本当に何も知らない。

 それをこんなところで聞くことになろうとは……。

「名を【天羽々斬あめのはばきり】と言う。日本神話にも出てくる、伝説の神刀だよ」

「天羽々斬!? その刀が!?」

 驚きの声を上げたのは俺ではなく向かいに座る玲次だった。

 机に手を突き、これ以上ないほど目を見開いて刀を凝視している。

「え? 何? そんなに凄いの?」

 いまいち理解できない俺に、七海が呆れながら教えてくれる。

「天羽々斬は日本神話においてスサノオノミコト様が八岐大蛇を倒すときに使ったとされる刀よ。神話に興味のない人間は知らないだろうけど、この島なら知らない人間なんていないわ」

「そんなに凄い刀だったのか……」

 言われても実感が湧かないが、皆がそう言うのならそうなのだろう。

 ……というか、そんな重要文化財に指定されてそうなものがなんで俺の家にあったんだ?

 そんな疑問が沸いてきたが、芹沢先生が真剣な顔で俺を見ていたのでその疑問は飲み込んだ。

「さて、凪君。君には一つの選択をしてもらわなければならない」

「……はい」

 芹沢先生の言葉に、俺は頷いた。

「お父さんから聞いていると思うが、もし帰りたいと思うのなら、すぐにでも帰ってくれていい。この場にいる誰も責めはしないし、この島にいる誰にも君を止めたり責めさせたりはしない」

 同意するように玲次と七海が首肯する。

「でももし、君がこの高校の生徒のために、まだ会ったこともない彼らのために戦ってくれると言うのなら、どうか力を貸してほしい。神罰は我々に課せられた罰だ。だが、それでも素直に生徒を殺させるわけにはいかない。一人でも多く生き残るために、君の力を貸してほしいんだ」

 芹沢先生の言葉は真剣そのものだった。一片の曇りもない。

「帰りたければ帰っていいのよ。私たちには止める権利はないから」

「ああ、せっかく会えたのに残念だけどな」

 二人ともどこか複雑な部分を孕んでいるが笑顔でそう言ってくれる。

 目を伏せて考え込む。

 帰りたい気持ちが、ないわけじゃない。当然だ。

 死ぬかもしれないことに喜んで突っ込んでいくほど、狂っているつもりはない。

 ただ、色々気掛かりなことがある。

 この島に来たばかりの短い間に、いくつもの疑問を感じており、そのことが頭の中を渦巻いていた。

 いつでも島を出ていいというなら、疑問を解消してからでも遅くはないだろう。

「すいません。ちょっと父に電話してきてもいいでしょうか?」

「いいとも。ゆっくりどうぞ」

 芹沢先生に促され、俺は携帯電話を手に廊下へと出た。

 携帯電話には少量の血がこびりついている。原のものだ。

 近くにあった手洗い所でティッシュを濡らし、その赤を拭き取った。

 気を取り直し、電話帳から父さんの番号を呼び出してコールする。

 発信中が呼び出し中に変わるまでの間に、血を見ても大して反応を示さなかった自分に気づき、忌々しげに舌打ちをする。

 父さんは大学の教授。

 本来平日の真昼は繋がる可能性が低いのだが、絶対に繋がる自信があった。繋がらないわけがない。

 数回のコール音の後、ディスプレイに表示されていた呼び出し中が通話中に切り替わる。

『無事だったか』

「第一声がそれかよ。危うく死にかけたぞ」

 悪態を吐きながらも、父さんの声が聞こえたことで心の重しがすっと消えていく。

 ここは平穏とはかけ離れたものに溢れている。

 だが父さんとの会話は、昨日までの平穏に連れ戻してくれる。

『そんなに強い神罰が初日から来たのか?』

 しかし父さんの一言で、やはり父さんもこちら側の人間だったんだと思い知らされる。

「いや、そういうわけじゃないけどな……」

 やっぱり、神罰について知っているんだな。

 心の中で苦い笑みを浮かべ、携帯電話を持つ手を変えて廊下の壁に背を預ける。

 俺は今日あったことを包み隠さず話した。隠す必要などない。

『それはすまなかったな。高校が二つあるなんて、すっかり忘れていた』

「おいマジ勘弁してくれよ……」

 頭痛を覚えて頭に手で押さえる。

 素で忘れていることに呆れざるを得ない。

『それで、お前はどうするつもりなんだ?』

 抜けているところもある父さんだが、基本的に鋭いので何の電話を入れたのかは既にわかっているようだ。

「どうするかの答えを待ってもらってるところ。それで、いくつか聞きたいことがあるんだけど」

『待て』

 だが質問を口にする前に、携帯電話から流れた声がそれを遮った。

『悪いが、今はあまりお前の質問に答えたくない。お前には、先入観のない目で見てほしいんだ』

「……なんでだよ? つうか何を?」

『……』

 父さんは電話の向こうで黙ったまま口を開こうとしない。

 問い質したいことはあるのだが、芹沢先生たちに答えを待ってもらっている以上、そんなに時間をかけるわけにはいかない。

「じゃあ一つだけ答えてくれ。俺は、俺がやりたいようにやっていいんだな?」

『……ああ。お前がそこで何をしようとしても、私はそれを全て肯定する』

 なんだよそれ……。

 心の中で笑ってしまった。

 質問には答えてくれないのに肯定って……。まあでも父さんらしい。

 父さんの言葉に迷いが晴れ、意志が宿った。体の内から溢れてくる気持ちが漲り、少し前に歩き窓から空を見上げた。

「わかった。やりたいようにさせてもらう。次に会うのは卒業した後になると思うけど、また電話するから」

『……ああ、気を付けてな。如月先生によろしく』

 通話を終え、息を吐きながら携帯電話を閉じる。

 先ほどまで黒い何かが覆っていた空は今、俺がこの島に足を踏み入れたときと変わらず、青い空を映し出していた。

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