終着

「アンタ達……!」


 ツクヨミは天神を再び横たわらせ、出雲大社からの援軍達へ小走りで向かう。


 ようやく救援が到着したのだ。嬉しさのあまり、胸に飛び込んできてもおかしくはない。女神のウズメと兎頭のシロウサはそう思って、笑顔で両腕を広げる。仏頂面を絶やさないツクヨミが、本当は心根の優しい神物であることを、両者とも知っているからだ。

 故に、この合流シーンをより感動的にしようと、温かな笑みでツクヨミと再会の抱擁をかわそうとした――。


 ――が。

 ツクヨミから飛んできたのは笑みでも抱擁でもなく、全力のラリアットであった。


「おっそい!!!!!」


 ウズメの喉元にクリーンヒットしたツクヨミの左腕。

 右腕は身長差の関係で、シロウサの胸板辺りに命中した。

 しかしそれでも。ウズメの細い身体だけでなく、なんと大柄な鎧武者であるシロウサすらも、出雲丸の列車上に叩き付けた。


「きゃあああっ!?」

「ごはァっ!!?」


 必殺・ダブルラリアット。

 ウズメとシロウサは仲良く出雲丸の鉄板に背中と後頭部を強打し、上空だけでなく目の前にも星々がぐるぐると輝く。


「どこで遊んでたらこんなに遅れるのよ! バッカじゃないの!?」


「き、きっついな~ツックー……。アタシら、これでも急いで来たのに」


「それが遅いって言ってんのよ! 明治神宮で合流するはずだったのに!」


「そ、それは面目次第もござらんが……。拙者らは、悪魔達と戦闘していたので……」


「悪魔ぁ?」


 悪魔よりも恐ろしいような目つきで睨まれてしまうと、シロウサですら言葉に言い淀んでしまう。

 シロウサは兎の顔をしているが古風な戦士として眼光鋭く、右目には斬られた古傷も負っている。低級な神ですら怖がるような強面コワモテだが、そんなシロウサでもツクヨミの怒りには触れたくない。ある意味、日本では雷神以上に怒らせてはいけない神だったのかもしれない。


 当のツクヨミは、そういえばそんな事を言っていたかもしれないと思い出していた。新横浜駅から出発する際に、出雲大社の人員達が確かに報告していた。援軍として駆けつけるはずの神は交戦中だから、と。

 本来ならスサノオ、ウズメ、シロウサの三柱がツクヨミらと合流し、避難民達の安全を確保した後に、交代で東京に駐留するはずだった。

 しかしスサノオは先走って単独行動を取り、置いていかれたウズメとシロウサは、悪魔との戦闘で余計に遅れた。

 非はないのかもしれないが、遅れたのは事実。そして弟のスサノオには後でもう一度制裁を加えてやろうと、ツクヨミは己という神に誓った。


「そ、それにアレだよツックー。アタシらが悪魔の群れを倒してなかったら、ツックー達は挟み撃ちにされてたよ?」


「……!」


 サタンの命令で東京から追撃してきた悪魔フール・フール。更に、ウズメとシロウサが戦った悪魔達は、西から東へ向かおうとしていたという。ちょうど、東海道新幹線を通って京都に向かうツクヨミ達を、待ち伏せるように。

 雷神の力でフールフールとラミエルは退けた。しかしもし、挟み撃ちを受けていたら結果はどうなっていたか分からない。ウズメ達がいなければ、全滅もありえた。もちろん、北欧のトールが雷神の暴走を止めていなければ、それはそれで日本が危なかった。


 白峰神も、スサノオも『人を生かす』ために尽力した。ここにいる全員がいたからこそ、避難民達が全員無傷で東京脱出に成功したのだ。誰か一柱抜けても、この結果には辿り着かなかっただろう。


「……まぁ、そういうことなら仕方ないわね。皆無事だったんだし、これ以上アンタらを責めても意味ないわね」


「御寛大なお許しを頂き、恐悦至極に思いますお嬢……!」


「ツックーにそんな丁寧にお礼言う事ないわよ、シロウサ。あれは『つんでれ』ってやつだから」


「ふんっ!」


「痛い! 暴力反対!」


 減らず口を叩くウズメの頭をひっぱたくツクヨミ。

 その様子を、今にも消滅しそうな天神はトールと共に笑いながら見ていた。


「いやはや、女が怖いのはどこの神話でも同じみたいじゃなぁ」


「女性は強いですからね」


 そうして、ついには天神の肉体がほぼ透明に近い色になる。光の粒が身体から溢れ、姿も声もかき消えていく。

 それを察知したツクヨミ達は、最後に天神の元へと集まる。


「……それじゃあね、天神」


「はい、ツクヨミ様。またお会いしましょう」


「ミッチー、頑張ったんだね……」


「人々は拙者らが責任を持って送り届けまする。天神公、本当にお疲れ様でした……!」


「ウズメ様、士郎君、後のことはよろしくお願いします」


 穏やかな顔で、天神は消えていく。

 北欧のトールはその光景を、実に不思議そうな目で見ていた。神にとっての消滅は信仰の消滅。肉体が滅びた程度では死にはしない。しかしそれでも、姿が見えなくなり声が聞こえなくなるのは『死』ではないかと、トールは思っていた。

 だというのに天神は、それを見守る日本の神々は、特に悲しそうではない。こんな時『大往生』という言葉が当てはまるのだろうか。去りゆく者を笑顔で見届ける。少なくとも、そういった死生観を持つ日本の民を、トールは珍しく思っていた。


 列車内では、嵐が納まり外が静かになったことに気付いた人々が、安堵の息を漏らしていた。助かったのだと、誰に言われずとも理解していた。そして天神とツクヨミが守ってくれたことも、ちゃんと分かっていた。


「俺達……助かった、のか……?」


「天神様……!」


「ありがたや、ありがたや……」


 故に人々は手を合わせ、神に感謝する。神様天神様、ありがとうございますと。


 その温かな信仰を受け取りながら列車の上で、天神の肉体はついに見えなくなった。消え去る直前に天神は、トールに「ありがとうございました」と告げていった。あるいはこの場にいる全員に言ったのかもしれない。


「……何とも、面白い連中じゃの。この国の神も、人も……」


 出雲丸は車体を損傷しながらも、西へ西へと向かう。人々を乗せ、日本の神が集う地へ。

 そこへトールはオーディンよりの言葉を届ける。満点の星空の下、何故北欧神話最強の己が派遣されたのか。その意味を、トールはもう一度見つめ直していた。


「出雲大社……。この国の総本山……。『やおよろズ日本の神々』、か……」




***




「つーまーんーなーいー!!」


 東京スカイツリーの頂上。

 地獄が顕在したこの地において、悪魔アスモデウスは憤慨していた。

 しかしその隣では、悪魔王サタンが望遠鏡を覗き込んで、天体観測としゃれ込んでいる。人がいなくなり自然が戻ってきた東京では、大気ガスも減り夜空の空気が澄み渡っている。それに周囲にはスカイツリーより高い建築物もない。何物にも邪魔されず、美しい星々を観察することができる。


「私の可愛い部下達がみーんな殺されちゃったし! なのに人間一人殺せてないし! ……あーもう! サタン様ぁ、聞いてます!?」


 高い声で喚く少女を無視し、望遠鏡を覗き続けていたサタン。しかしゆっくりとレンズから目を離すと、興奮気味のアスモデウスに向き直る。


「聞いているさ。確かに、予想よりは『死』を巻き起こせていないな。こちらの損害はフール・フールと百体のバフォメット……。天界側はラミエルを失った。日本の神としては、雷神の戦線離脱……。北欧のトールは健在。討ち倒された者の数でいえば、我らが圧倒的に多いな」


「そーですよー。これはもう敗北ですよ敗北。人間達を恐れさせる悪魔が、こんなんでいいんですかぁ?」


 アスモデウスは酷くつまらなそうだった。

 東京から逃げだした人間達を殺すことも、北欧から侵入してきたトールを排除することもできなかった。にも関わらず、多くの同胞を失った。

 あまりにも不甲斐ない結果に、普段の魅了するような媚びた笑顔を浮かべることもしない。


 だがサタンはというと、怒ることも悲しむこともしない。それよりも、星を眺めることの方が有益であるとでも言いそうな面持ちであった。微笑みの裏に感情を隠したまま、常に余裕の態度を崩さない。


「何も問題はないさ」


 サタンのその言葉で、子供のように駄々をこねていたアスモデウスの動きがピタリと止まる。

 サタンは望遠鏡のレンズを再び覗くと、闇夜に浮かぶ月を見つめる。


「人々の信仰がある限り、神は死なない。だが人々の恐怖がある限り、我々悪魔も滅びはしない。戦いが長引けば長引くほど、人々は不安になる。そして神や天使の敗北を目にするたび、恐怖心が増していく。彼らは人々を守ることに気を配らねばならないが、我々は何も気にする必要はない。ただ恐怖の象徴として振舞い続けれていれば、やがて最後には我らが勝つ」


 神と天使と悪魔の戦い。肉体が死んでも、彼らの存在はこの世からは消えない。まるで終わりのない戦いかのように思う。

 しかしもし、悪魔への恐怖が神への信仰心を上回った時――。

 その時、この東京の地獄は世界中へと伝播し、人間の世界は悪魔達の支配下に置き換わる。


「お前もそう思うだろう?」


 一度撃破した悪魔が、再び復活する。死力を尽くし、神がその身を犠牲にしようとも。その過程で、一体何人の人間が犠牲になるのか。一体どれだけ取りこぼすのか。サタンはそれが楽しみで仕方なかった。

 無数の『蠅』が集まる。羽音を響かせ、腐臭をまき散らしながら。

 そしてハエの大群が集まると、翼の生えた大男の姿を形成する。


「『暴食』のベルゼブブよ」


「………………」


 ベルゼブブはスカイツリーの頂上で、悪魔王サタンにひれ伏す。彼の身体から水蒸気のように吹き上がる瘴気は、ベルゼブブの怒りを表しているかのようだった。


「この国の人間達に、どうすれば恐怖を植えつけることができるか……。文明の発展と共に忘れ去った暗闇への恐れを、どう思い起こしてもらうべきか……」


 芝居がかった口調で、サタンは顎に手を添えて考えるフリをする。

 ベルゼブブもアスモデウスも知っていた。こんな時は、既に結論など出ているのだ。サタンはただ、楽しんでいるに過ぎない。考えるフリをする時間も。残忍な結論をもったいぶるのも。仲間の死も、敵の死も。

 そしてサタンは閃いた、というように指を上げる。

 そして狂気を孕んだ笑みに、月光が差す。赤い瞳が、輝きを増す。


「そうだ。京都、行こう」


「「……ハッ!」」


 そうして悪魔達は次の行動に移る。全人類を、恐怖の底に落とすため。

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