晴れ渡る夜空
フール・フールの消滅を見届けてから、雷神――いや、今は『天神』へと戻った菅原道真は、力なく倒れる。
神力と魔力が尽きたわけではない。ただ単純に、肉体的限界が来て立っていられなくなったのだ。
身体のコントールを失い、鋼鉄製の出雲丸へ、顔面から倒れ込んでいく。受け身を取る余力もない。これはきっと痛いだろうなと天神はぼんやり思いながら、迫り来る列車の天板を見つめていた。
――しかし。天神の予想したような痛みは伝わってこなかった。
代わりに、温かく柔らかいモノに包まれている。顔が、身体が、ツクヨミの着る和服のきめ細やかさを感じ取っていた。
ツクヨミは倒れる天神を抱き止め、そしてゆっくりと列車の上へ寝かせてやる。
天神が見上げる先には、ツクヨミがその顔を覗かせていた。夜の神の膝枕に頭を乗せた男など、自分以外にいないのだろうなと天神は可笑しく思った。
「ほんっと……。無茶するバカしかいないわね、この国の連中は……!」
「ハハハ……申し訳ありません」
天神の顔からは、怒りの形相は消えている。鬼のような牛角も、真っ赤に燃える瞳も、今はどこにも見当たらない。湯島先生として慕われる、いつもの温和な笑みだ。
全身がボロボロで両腕も消し炭になっているというのに、それでも笑っている天神。
そんな彼へ、ツクヨミは呆れたような視線を向けることしかできない。その瞳に、涙を浮かべながら。
「……それは嬉し泣きですか?」
「泣いてないわよバカ! このバカっ! 学問の神のくせにバカなんだから!!」
「痛いです痛いです」
照れ隠しなのか、ツクヨミは天神の頭をバシバシ叩く。膝の上に乗せているので、ちょうど殴りやすい。
天神は困ったように笑いながら、ツクヨミの涙を見て安堵していた。
今度は、ちゃんと守れたんだなと。魔なる者として国を壊すのではなく、神として人々を守ることができたのだと。
千年抱えてた泥のようなものが、胸の『つかえ』が取れたような気持ちだった。それを自覚すると、天神の身体はいくらか軽くなったように感じた。
「……! 天神……!」
「おや……」
気づけば、天神の身体からは、光の粒のようなものが夜空に舞い上がっていく。
どうやら時間が、来たようだ。
「すみませんツクヨミ様……。私はここで離脱します。ですがまた、京都でお会いしましょう」
肉体がダメージに耐え切れず、人の姿を保っていることができない。白峰神と同じように、身体が消滅して見えなくなってしまうのだろう。
信仰心があれば、完全に消滅することはない。特に天神ほどの神なら、どうやっても『死』を迎えることはない。肉体の再生に、どれほどの時間がかかるかは分からないが。何せ、かなりの傷を負った。
「天神……。後悔は、していないのね?」
蛍の光のような小さな輝きを放つ天神に、ツクヨミは問いかける。さっきまでは天神の頭をひっぱたいていたが、今は、慈愛に満ちた表情で彼の髪に指櫛を通す。
「……これほど清々しい気持ちになったのは、いつ以来でしょうか。満足です。私は今、とても満足していますよツクヨミ様。後悔など、あるはずがありません」
人を守り、悪魔を倒し、そして消えていく。それが天神にとっては『幸福』であった。雷雲の消えた空に、星々が浮かんで流れていく。自らの肉体も光の粒となり、このまま宇宙の海に溶けていってしまいそうだ。
その光景を、天神は実に晴れ晴れとした笑顔で見つめていた。
「日本の雷神よ」
死力を尽くして戦った天神に、北欧のトールは歩み寄る。
そしてツクヨミと天神の隣に座ると、装備した兜を脱いで頭を下げた。白い髭と白い髪の毛を見ただけでは、本当に外国の老人とさして変わらない容姿をしている。
「何というか……スマンの。お主の想いは本物じゃった。だのに、ワシは何もせんで……」
「いえ。トール神がいてくれなければ、私は己の力を暴走させているところでした。全力で抑え込んで頂き、感謝の念しかありません」
横たわったままで、天神はトールに礼を言う。
ツクヨミもほぼ同じ意見であったために、特に何も言うことはしない。
その言葉が嘘ではなく、本心からの感謝であることを察したトールは、ある決断をする。
「……ワシはお主の勇姿に感動した。たとえオーディンとの約束を破ることになろうと、ワシも誠意で応えたいと思う。大した見返りではないかもしれんが、今ここで語ろう。何故ワシがこの国に来たのか。北欧の神々が、この国で何を為そうとしているのか――」
それは天神にとっても予想だにしない展開だった。
出雲大社に到着してから、日本神の代表に伝えるはずだった情報。それをここで開示するのだという。
しかし結局は遅かれ早かれ天神達も知ること。メリットは薄い。しかもトールにとっては、オーディンから罰を受けるリスクを孕んでいる。
それでもトールが喋る理由は、それは『信用』を得るため。隠していたことをさらけ出すことで、天神の命がけの戦いに報いる。トールなりの、この状況で真心を表す方法だった。
「そもそも、この国は世界で――」
トールが口を開いた瞬間。出雲丸の後方から爆音が鳴り響く。
ツクヨミとトールが驚いて振り向くとそこには、雷撃を身にまとった、眼光鋭い『悪魔』が宙に浮かんでいた。
「!?」
「何じゃあ!?」
「……くっ、ふふふ……!」
何事か。そして何者か。その答えは、悪魔の姿を見ればすぐに理解できた。
純白の装甲が剥がれ、感電して焼け焦げた肉体が、その奥に見えている。両腕はガトリング砲だが、左腕は間接から千切れて、導線やコードが露出している。
火花を散らしながら、それでも――その『堕天使』はせせら笑いを浮かべていた。
「感謝するぞ、土着の神よ! 私を拘束する忌々しい鎧が剥がれ、ようやく自由になれた……!」
堕天使ラミエル。多種多様な兵器で雷神を苦しめた彼が、今は黒い翼を生やし高笑いしている。
ラミエルは元々天界を裏切って堕天した者。しかし天使達に捕縛され、戦闘マシーンに改造された。
だが今回、雷神の力によってその装甲を破壊してもらい、再び自由を手に入れたのだ。
「いかんのぅ……!」
「戦力は消滅寸前の神と、無力な夜の神と、ウスノロのトールだけか……! 貴様らを殺し列車に乗る人間共も殺戮し、その首をサタン様の土産としよう!」
辛うじて生き残っている右腕のガトリング砲を、ラミエルはツクヨミに達に向ける。
トールはハンマーを構えるが、果たして高速射出される弾丸をどれだけ防げるか。
「ツクヨミ様、お下がりくださ……!」
「バカ! アンタはもう動くことすら……!」
今にも消滅しそうな身体で、天神は起き上がろうとする。
それをツクヨミは必死に制し、しかしどうするべきかと肝を冷やす。
そうしている間にもラミエルの砲身は回転し、銀貨を撃ちだそうとする。平穏を取り戻したはずの夜空に、堕天使の金切り声が鳴り響かんとする。
「――!?」
だが。ラミエルは突如、驚愕したような表情を浮かべたかと思うと、弾丸を撃ち出すこともなく硬直した。何か喋りたそうにしているが、喉も身体も動かないようだ。
一体何が起きたのか。その疑問に答えるように、上空から一柱の美しい『女神』が舞い降りてくる。
スカイブルーの長い頭髪を揺らしながら、トールにもラミエルにも馴染みのない舞いを踊る女神。
しかしその宝石のような蒼い瞳に見つめられると、ラミエルは何故か全く身動きすることができなくなってしまう。
そこへ更に、もう一体の神聖存在が飛来する。その巨体にギロチンのような斧を持ち、怪力と体重を乗せて――ラミエルを脳天から切断した。
「ぬぅうんッ!!!」
「がっ……!」
出雲丸の頑丈な天板すらブチ破り、斧の刃は車内にまで届く。
そして切断されたラミエルの肉体は、灰となって消えていった。
後に残されたのは、素人が見てもよく分からない機械の部品や外装だけ。悪魔も神も苦しめた堕天使ラミエルはあっけなく、列車上の舞台から退場させられた。
ラミエルを一撃で屠ったその鎧武者は、トール以上の背丈と大柄な体躯をしていた。だが何よりの特徴は、巨体でも武士のような鎧でもなく、頭部が目つきの悪いウサギさんであるということだった。
ツクヨミは彼らの正体に気付く。よく見知っている。
露出度の高い踊り子のような女神と、ウサギの頭を持った鎧武者。
本来はスサノオと共に東京へ駆けつけるはずだった、残り二柱の神である。
「『ウズメ』……! 『シロウサ』!」
「ごめ~んツックー、遅くなっちゃったー☆
「ツクヨミのお嬢、大変お待たせ致した……!
出雲大社よりの援軍が、ようやくツクヨミ達と合流した瞬間であった。
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