第三部エピローグ

仮初の平穏

 京都市下京区、堀川通に面する寺院――『西本懐寺』。

 京都市民からは『お西さん』の名で親しまれる、浄土真宗本懐寺派の総本山。

 本懐寺の中心とも言えるこの寺院は、その荘厳さから単なる建築物としても他者を寄せ付けない。


 そんな本懐寺で多くの信徒や修行僧達が、早朝のお勤めに励んでいる頃。

 ――京都の人々の目を覚まさせるかのような怒号が、寺院の大気を震わせた。


「こンの、アホがぁぁぁぁぁッッ!!!」


 金細工が施された袈裟を着た僧侶が、対面の少年に怒鳴りつける。

 座っているにも関わらず大柄な肉体であることが窺え、怒りのオーラも相まって、とてつもない威圧感を放っていた。

 顔も禿頭も真っ赤に染め、阿修羅のような形相で少年を睨む。


 だが、悪魔すら逃げ出しそうなカミナリを落とされているはずの少年は、いたってクールな表情のままだった。


「朝からそう怒鳴るなよ親父。また血圧が上がるぞ」


 阿弥陀の仏像に見守られながら、少年――本懐寺顕斗は、何でもないように自身の眼鏡を指で押し上げた。

 しかしその態度が気に入らないのか、親父――本懐寺顕親けんしん上人は、また顔を赤くした。まるで赤鬼のようだ。


「ケント、貴様! 他教の術は使うなと、あれほど言い聞かせていただろうが!!」


 顕親上人が怒っているのは、昨夜起こった『京都防衛戦』の件について。

 息子である顕斗が、阿弥陀のチカラを借りる浄土真宗の秘儀だけでなく、法華経の仏のチカラをも使用したからだ。


「織田信長が復活したあの状況で、手段は選んでいられなかった。本懐寺の名を受け継ぐ者として、何としても討伐せねばと思ってな」

「結局取り逃がしたのでは、意味がないではないか! 本懐寺の恥さらしめ!!」


 激昂する父親に、顕斗は逆ギレも泣きもしない。

 ただ冷やかな視線を向けたまま、座布団から立ち上がった。


「待て顕斗! 話はまだ……!」

「もういい。これ以上は互いに時間の無駄だろう。絶縁でも破門でも、好きにすると良いさ。主人公である俺にとって、『本懐寺』の名前など……それほど重要ではなかったというわけだ」


 制止する父親の声は聞かずに、顕斗は本殿から出て行ってしまった。

 怒りのやり場を無くした顕親上人は、寺全体が揺れるほど本堂の床を殴りつけた。


 それからして、本堂の襖がゆっくりと開けられた。


「お、お父さん……。良いの……?」


 恐る恐る、娘であり顕斗の妹でもあるレンゲが顔を覗かせる。親子喧嘩には慣れているが、それでも心配なのだろう。

 いくらか冷静さを取り戻した顕親上人は、長い長い溜息を吐いた。


「……放っておけ。頭を冷やさせる丁度良い機会だ。まったく、アイツは昔から……」


 怒鳴ることはしなくなったが、ブツブツと不満を垂れる上人。

 蓮華は、父のこういう姿を信徒達にあまり見せたくないと思いつつも、それ以上に兄の心配をしていた。


「お兄ちゃん……」




***




 早朝の堀川通りを、散歩がてらに歩く。昨晩、悪魔達の襲撃があったにも関わらず、街はいつもと同じ日常を送っていた。

 悪魔王サタンが率いる軍勢を、出雲大社の戦士と神々が撃退した。民間人には大した被害が出ず、日付が変わる頃には避難警報も解除された。

 だが――顕斗の戦いは、未だ終わってはいなかった。

 サタンそのものは、撃退されたのではなく、ただ撤退しただけ。本来の目的であった『第六天魔王』織田信長を復活させて。


 白峰神宮で犬神と戦った時も、大した活躍はできていないと思っている。あの勝利は、場にいた白峰神、神子、珠姫ら全員の尽力によるものだ。


(もし、あの場に俺だけだったら――)


 昨夜から、そればかりを考えている。

 最強の自負、主人公の自覚がありながら、初めて見た本物の『悪魔』達は、顕斗の想像以上に強大であった。


「――あれ? 本懐寺君じゃない」


 考え事をしていた顕斗は、声をかけられて顔を上げる。

 そこには、顕斗と同じく眼鏡をかけた少女が、ジャージ姿で額にほんのり汗を浮かべていた。


「委員長じゃないか。こんな休日の朝に出くわすとは」

「ここ、私のランニングコースなの。本懐寺君は散歩?」

「あぁ、まぁな……」


 同じクラスの委員長に言われて初めて、自分が行く宛もなくただ歩いていたことに気付かされる。

 落ち込んでいるわけでもない。ただ、顕斗の足は自然に外へと向いていたのだ。


「昨日の夜は大変だったわね。どうなることかと思ったわ」

「心配は無用だ委員長。何せ京都には、この俺がいる! この本懐寺顕斗君がいる限り、市民には指一本触れさせ――」


 ふと。言葉を最後まで言い切る前に、中断する。

 委員長は可笑しそうに「ハイハイ、相変わらずね」と笑ってくれるが――顕斗はいつもの、自信に満ちた笑顔を浮かべることができずにいた。


「……なぁ、委員長」

「どうしたの?」


 真剣な表情で、顕斗は委員長を見据える。

 突然、想い人に見つめられ、委員長の心臓は跳ね上がって、頬に赤みが差す。


「……もし俺が死んだら、委員長はどうする……?」

「え……?」


 突然の質問に、委員長は心のときめきも忘れる。顔をやや青くし、顕斗を心配した。


「ど、どうしたのよ本懐寺君。何かあったの? 悩みでもあるなら、相談に……」

「……いや、済まない。そういうわけじゃないんだ。変な質問をして、すまない」


 そして手短に別れを告げ、顕斗はまた歩いていった。

 その背中を追うべきか委員長は一瞬悩んだが、声一つかけることができなかった。

 浮世離れしていて、他の誰とも違う『特別さ』を持つ男。本懐寺顕斗。

 だが今日に限っては、何か別の要素で他人とは違う、誰も寄せ付けない雰囲気を放っていると感じた。

 高校に入ってから一年以上、顕斗の姿を見つめ続けてきた委員長には、それがよく分かった。




***




 実家を出て委員長とも別れ、気付けば――小さな鳥居の前にいた。


 意識していなかったわけではない。しかし、来ようと思って来たわけでもない。これも神の意志か、あるいは自分の本心がここに来たがっていたのか。

 顕斗は小さく笑うと、木製の鳥居をくぐった。


 そこには、荒れた境内の砂利を竹箒で掃除する、榊原神子の姿があった。


「あれ? 本懐寺さんじゃないですか。おはようございーます」

「神子ッさあああぁぁぁぁぁん!! おっっはようございまぁぁぁす!!!!」


 先程までの思い悩んだ表情はどこへやら。近所迷惑な程の声量を上げながら、顕斗は白峰神宮に足を踏み入れていった。


「爽やかな休日の朝を彩る、神子さんのこの美貌! 朝露に濡れた草花を照らすのが太陽光なら、俺の心を照らすのは神子さんのお姿! 見える……! 俺には見えるぞ! その光背こうはいがッ! 貴女はもしや現世に降り立った仏の――」

「朝からうるせぇッッ!!!」


 ベラベラと賛辞の言葉を並べる顕斗に、白峰神の飛び蹴りが叩き込まれる。

 背中からすっ転んでいったが、すぐにハンドスプリングでスタリッシュに立ち上がった。


「おやおや、朝からご挨拶だな白峰神。せっかく参拝に来てやったというのに」

「じゃかぁしいわ仏教徒が。こっちは昨日の犬神騒動で散らかった神社を片付けなきゃいけないんじゃ。お主に構っとる暇はない」


 顕斗も白峰神と共に戦った、凶悪で醜悪なる犬神。先祖との契約により神子の魂を狙いに来たが、何とか撃破することができた。

 しかしその戦いの余波で、境内の砂利は散らばり、参道の石板は割れ、神社の外壁も一部壊れていた。

 それらの補修を、白峰神達は朝からしていたのだ。


「ミネ様ー、朝ご飯出来ましたよ。神子も早く終わらせ……って、アナタ今日も来てたの」

「おぉ、これはこれはタマキさん」


 神社から出てきたもう一人の巫女、尾賀珠姫。昨晩の戦いであわや犬神に精神を乗っ取られるところだったが、息災な様子だった。


「怪我はもう良いのですか」

「深い傷でもないから。ただ利き腕が動かせなくて、それだけが不便ね」

「流石は出雲大社の戦闘武官だ」


 犬神の精神支配から逃れるために、自分で自分の右肩を矢で刺した彼女。しかし神子によって迅速に治療して貰い、日常生活は可能なまでに回復していた。


「ところで、本懐寺さんはもう朝食終えました? 良かったらご一緒に……」

「やめとけ神子。こんな奴に食わせる飯など無いわい」

「何と慈悲深い……! ケチな祭神とは大違いだ……! もうその慈愛だけでお腹いっぱいです! いやむしろ白米3杯はイケる!」


 白峰神宮での何気ない会話の方が、何故だか顕斗の調子を取り戻す。

 自身のその変化を不思議に思いながらも、やはり彼らとの出会い、『縁』は悪くないものだったのだろうと認識していた。奇跡的な偶然による、良い巡り合わせだったと。


 少しばかり元気を貰った顕斗が、お言葉に甘えて朝食でも頂こうかと思った、その矢先――。




「ラァアアアァァァララァァァァァイッッッ!!!!!」




 突如、その者は『降ってきた』。

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