暴食王VS神炎の天使

 京都上空で対峙する、白い天使と黒き悪魔。

 熾天使ウリエルの両刃剣は真っ赤に燃える。爆炎を吹き出し、灼熱の聖火で悪魔に斬りかかる。

 対する『暴食』の悪魔ベルゼブブは、その大柄な身体を小さな蠅へと分散させ、ウリエルの剣から逃れた。そしてそのまま、ウリエルの肉体を霊力ごと食い破ろうと包囲するが――。


「神よ……!!」


(いかん……ッ!)


 霊力の高まりを感じ、蠅の群体は咄嗟に天使から距離を取る。

 ウリエルの振るった剣からは、数百匹の蠅を一瞬で焼き殺す炎が放たれた。

 もしベルゼブブが人間形態に戻っていなかったら、かなりの被害を受けていただろう。


 神聖なる炎は広範囲に及ぶ。肉体を分散させて攻撃するのは得策ではない。

 ならばと、悪魔ベルゼブブは屈強な肉体で拳を握る。美しい細身の女性の身体を持ったウリエルでは、ベルゼブブの鉄拳には耐えられないはずだ。


「……まるで、あの時のようですね」


 剣を構え直し、ウリエルは口を開く。『あの時』とは、ベルゼブブにも分かっていた。

 蠅の群体では倒せない。だから素手で戦う。この展開は、明治神宮で白峰神と戦った時と同じ構図だ。

 ベルゼブブと白峰神が相討ちになった戦闘を、明治神宮の上空から見ていたウリエルには、今の状況が同じように思えていた。


「……だが俺は、もう敗北などしない。ウリエル……貴様のような奴にも、負けはしないぞ……!」


「……そうでしょうね。ですが、戦えばどちらかが敗北する。あるいは、両者とも滅ぶことになる……」


 鉄拳を振るおうと思っていたベルゼブブは、ウリエルに自分ほどの『戦意』がないことを感じ取った。

 口ぶりからして、何か悩んでいるような、ためらうような――。そんな違和感を覚えていた。


「……どうしたウリエル。いつものように淡々と、無感情に、炎で全てを焼き尽くせば良いだろう……! 俺を神の座から引きずり下ろした時と同じく……! 我が信徒ぺリシテ人達を焼き殺したように!! この京都で、ソドムとゴモラを再現してみせろ!! カナン我が故郷の時と、同じようにな……!!!」


 かつてキリスト教に敵対した宗教。ベルべブブはその『神』であった。しかし天使達に敗れ、今では悪魔として恐れられている。


「貴方の怒りは理解できます。しかし私は後悔していない。罪人達の街を滅ぼしたのも、全ては神の預言に従ったまで。……悪を滅却することに、迷いなどありません」


 だが、ウリエルの剣はブレている。炎は最高火力を発揮しない。

 その理由の一つに、『ウリエルが空を飛べていること』が挙げられるだろう。


「……サタンの瘴気は土着の神と、聖なる者の力を阻害します。しかし……」


「『三大天使』に入ることもできず、一時は堕天使として扱われた貴様は、この空を飛べる。……サタン様が、お前を純然たる『神の僕』として認めていないからだろう」


 ミカエル、ガブリエル、ラファエル、そして神炎の天使ウリエル。彼らはキリスト教において重要な四大天使、神に最も近い位置にいる熾天使である。

 だが一部の文献や解釈では、ウリエルは除外されて『三大天使』とも認識されている。

 天使であることに変わりない。しかし絶対的な信仰を得る他の天使と違い、ウリエルの立場は、曖昧な時代もあったのだった。


「……何より私自身が、己を肯定できていないのでしょう。厳格な天使として振舞ってきた。主の御言葉を預かり、その使命を果たしてきた……。しかし……!」


「くだらん」


「!!」


 注意散漫になっていたウリエルは、ベルゼブブからの殴打をモロに喰らってしまった。

 剣や炎でのガードも間に合わず、腹部に強烈なパンチを貰う。

 京都上空を吹き飛ばされ、何とか体勢を立て直すも、接近してきた悪魔によって追撃の拳が見舞われた。


「がっ……!」


「自己の存在すら確立できていない奴が、よくも俺に挑んだものだ! 何が『白峰神が羨ましいのだろう』だ! 白峰神に嫉妬し、羨望したのは、貴様の方ではないのかウリエル!!」


 天使の長い髪を掴み、その太い腕で持ち上げる。苦痛に顔を歪めるウリエルを見て、ベルゼブブは怒りというより一種の『哀れみ』しか抱けなかった。


「……俺は悪魔で良い。もう神には戻れない。サタン様の忠実なる配下として、この世を地獄で包み込むのが至上の喜びだ」


「そうは、させない……!」


 力を振り絞り、ウリエルは神炎の剣を、悪魔の心臓へと突き刺す。

 しかし、胸周辺だけを分散させたベルゼブブには無意味であり、剣は空を刺すだけだった。そして蠅の群れは、刀身を心臓へと取り込み浸食していく。

 白峰神がやったように、取り込んだ剣から霊力を注がれては危険だ。だからその前に、『暴食』の魔力で剣を黒く染め上げていく。ウリエルがどれほどのチカラを注ぎ込んでも、次から次へと悪魔が喰らっていくのだ。


「『自分が何者なのか』。そんなことを思い悩むとは、まるで人間のようだな。……貴様は弱くなったよ、ウリエル」


 たとえ神であろうと、後世で『悪魔』と描かれて多くの者に認知されてしまえば、その神は信仰を失い化け物に成り下がる。

 それほど、神や天使や悪魔という者達は不安定なのだ。人間など一瞬で殺し、時には天変地異も操る。

 だが人間の感情一つで簡単に消えたり存在が左右される、実に曖昧な事象でもあるのだった。


「それでも、私は……!」


 天使達の楽園で、ラファエルに言いかけて止めた言葉を思い出す。

 悪魔と戦うために己の肉体を酷使するシスター・マリアンヌ。か弱き人間達。彼らの救済こそが使命。しかしそのために、手段を選ばないことが果たして正義なのか、その確信を持てないでいた。

 天使としてはあるまじき思考だと、自覚している。神を試してはならない。疑問を持つということは、神の教えを疑うこと。

 しかし――それでも。


「信じる者を! 救わなければならないのです!!」


 ウリエルが純白の翼を大きく広げる。そしてベルゼブブの全身を包んだかと思うと、天使の翼は、その温かな羽根の一枚一枚は、全てが高熱に達し発火し始めた。


「貴様ッ……!!」


 このままでは、ウリエルともども焼き消える。

 ベルゼブブは浸食を止め、剣を胸から引き抜いて距離を取る。


 火炎の抱擁から逃れた悪魔だったが、それこそが、天使の狙いであった。


「全ての者に、安息と救いがあらんことを……!」


(しまった……!)


「『永炎のエターナルフレイム五芒星ペンタグラム』ッッ!!!」


 剣から放たれる、星型を形作る大火炎。ウリエルの全霊力を注ぎ込んだそれは、回避不可能なほどの大きさに成長する。

 蠅に分散して逃げるのも間に合わない。ベルゼブブは火炎に包まれ、京都遠方の山にまで叩き付けられていった。


「がああああぁぁぁぁぁッッ!!!」


 蠅の一匹一匹が、魔力が、全て燃えていく。


 如意ヶ嶽にょいがたけを燃やすその炎を見て、周辺の住民は、季節外れの『大文字焼き』に首をかしげるばかりであった。




***



「はぁーっ! はぁー……っ!」


 ベルゼブブを焼却したウリエルは、京都上空で両肩を上下させていた。

 かなりのチカラを消費したが、悪魔を討ち祓うことができた。ラファエルとシスターに合流し、火傷と打撲を治療して貰おう。

 今度は、ちゃんと迷いのない顔でシスターにも会うことができる。


 そう思っていた、矢先のことだった――。




「ハイお疲れ。そしてサヨナラだ」




 ――天使ウリエルの心臓を、大鎌の刃が背後から貫いた。


「ッ……!? が、っは……!?」


 驚愕に目を見開き、後ろを振り向くウリエル。

 そこには、微笑を浮かべるサタンの姿があった。


「全ての人間を救おうとする姿勢、実に見事だ。尊敬するよウリエル。……ま、全員私が殺すのだがね」


「サ、タン……!!」


 僅かな力を振り絞り、剣を振るおうとするウリエル。

 しかしそれより早く、サタンは死神の鎌デスサイズを振り払った。

 ウリエルは貫かれた刃から抜け、遥か遠くへ吹き飛ばされる。そして京都東山区にある清水寺の屋根に叩き付けられ、その舞台から崖下へと、力なく転がり落ちていった。


「アスモデウスの敗北により、彼女が統率するはずだった軍勢はほぼ壊滅。ベルゼブブも倒され、寺社の一つも破壊できていない。……だが、それで良い。それが良い……! 私が『この位置』に到達できれば、それだけで……!!」


 悪魔の軍勢は、出雲大社とキリスト教の者達によってほぼ死滅した。

 北欧のトールとジークフリートを押し退けたが、サタンもかなり消耗している。


 しかし悪魔王は高らかに笑う。敗北のショックで発狂したのではない。


 サタンの眼下には、小さな『石碑』が静かに佇んでいた。それこそが、この京都襲撃の『目的』であった。

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