犬神VS白峰神宮(+主人公)3

「くっそ、主人公とした事が……! 南無三……!」


 起き上がった顕斗は再び拳を握り、仏のチカラを借りてその鉄拳を振り下ろそうと、珠姫に向かって走る。


「やめんかぁ!!」


 しかし。珠姫に殴りかかろうとした顕斗の脇腹へ、白峰神の高速の蹴りが見舞われる。

 顕斗はあらぬ方向へ吹っ飛ばされ、メガネを庇いながら境内を転がる。そしてヒビ割れがないことを確信すると、瞬時に顔を上げた。


「タマ! やめ……!」


 そこで顕斗が見たのは、背中から紫色の触手を生やす珠姫と、その触手に弾き飛ばされる白峰神の姿。


 これだ。先程、珠姫の耳から犬神が入って行ってしまったことに動揺し、そこを全員があの触手に叩きのめされた。

 そして今は、顕斗にとって誰よりも大切な神子が、馬乗りの下敷きで首を絞められている。


「落ち着け白峰神! 今の俺の拳は、物体を爆散させるものではない! 人に憑りついた怨霊を……! 犬神を追い祓うために拳を振るっているんだ!」


 『専門家』である顕斗は、とうに理解していた。今朝の四条通りの、OLに憑りついた鬼と同じパターンだと。

 人間に憑依し、本来の能力以上のチカラを発揮させ、己の欲望を満たす。人間の敵、悪しき者どもがよくやる手段だ。


「渡サなイ……! 誰にモ゛……! 私、ノ……!!」


(珠姫さん……ッ!!)


 そして神子も、酸欠気味の脳で理解していた。どう見てもいつもの珠姫ではない。犬神に操られ、尋常ではない握力で絞殺しようとしてくる。

 だが珠姫の口にする言葉は、きっと珠姫の本音なのだろうとも思っていた。


「そりゃ……そう、ですよねっ……!」


 いつも澄ました顔でいる珠姫は、白峰神を親しげに『ミネ様』と呼ぶ。白峰神宮の正当なる巫女として、長い年月を共にしてきたのだろう。

 対して神子は、たかだか半年の付き合い。命の恩神とは言え、学問の神様であることや、崇徳上皇であることすら知らなかった無知者だ。

 そんな新参がイキナリ現れて、珠姫は面白いはずがない。


「ミネ様は、私の……!!」


「でも! それでもッ……! タマキさんは、それで良いんですかッ!!」


「……!」


 珠姫の動きが一瞬止まる。

 触手もそれと連動して止まり、白峰神と顕斗は神子救出のため駆け出す。

 しかしまたすぐに、触手も首を絞める手も、動き始める。

 だが神子は感触を得た。『イケる』と。


「負けないで、珠姫さん……!」


(コイツ、何を……。……殺せ、尾賀珠姫! コイツが憎いだろう、殺したいだろう!? 殺すのだ……!! そしてその魂を、この犬神が喰らう……! さぁ、殺せ……!!)


「殺、ズ……! 殺、せ……!!」


 珠姫は左手を離し、その手に破魔矢を握る。

 先程、珠姫が放ち白峰神が突き刺した矢だ。犬神の首元に突き刺さっていた矢が、今は憑依した珠姫の左手に握られている。

 そして振り上げた矢の先端は、神子の眉間に突き刺さるよう、照準が合わさる。


「神子ォ!!」


「神子さんッ!!」


 触手に妨害され、白峰神と顕斗は助けに行くことができない。このままでは――。


 焦る男達を余所に、珠姫の中にいる犬神は声を上げて笑う。後はもう、矢を振り下ろすだけ。そして神子の魂を頂き、『契約』は履行される。

 しかし。

 珠姫が矢を握るために離した左腕。緩む拘束。それこそが、神子の『好機』だった。


「――言いたいことがあるなら、『自分の言葉』で伝えて下さいよッッ!!!」


「……!?」


 神子の叫びに、珠姫は硬直する。

 犬神には、それが解せなかった。


「今まで言った言葉が全部本音なら、ちゃんと受け止めます! ……でも! 犬神にそそのかされて言っているだけなら、私は納得しない!! このまま殺されたくない! 珠姫さんの気持ちが分からないまま、死にたくなんてない!!」


 神子は今まで、本音を隠して生きてきた。

 祖父母に育てられ、両親の顔も知らず、幼い頃は『捨てられたんだ』と誤解していた。だから、祖父母にも友人にも見捨てられないよう、嫌われないように細心の注意を払って生きてきた。

 東京が崩壊した後も無理をして、周囲に心配をかけさせまいと笑っていた。

 だがあの時。渋谷109前で初めてベルゼブブを退けた時。不安に押し潰されそうだった神子を、白峰神は救ってくれた。一人で抱え込むな、頼れ、と。


 いつだってそうだ。瓦礫の下から、不安から、悪魔達の襲撃から。自分を救ってくれたのは白峰神だ。

 今度は自分の番。珠姫に頼って欲しい。彼女を救わなくてはいけない。短い付き合いだろうが嫉妬の対象だろうが、身勝手だろうが無謀だろうが、関係ない。


 神子は今、本音で喋っている。珠姫の本心を知りたいと思っている。そして納得した上で死にたい。いや死にたくない。みっともなくてもカッコ悪くても、構わない。

 自分の命も珠姫の心も、何も諦めたくなかった。


(何をしている……! 矢を突き刺せ! 殺せ! あと、少しだろうが……!!)


「話をしましょうよ!! ちゃんと、貴女と、私で!! 白峰様への想いを、犬神なんかに代弁させないで下さいッッ!!!」


(殺せ!!!)


「……グ、ゥウ……! ガアァァァァァァァァッッ!!!」




 ――獣の咆哮の後、振り下ろされる破魔矢。




 噴き出す鮮血。叫ぶ白峰神。そして、驚愕に目を見開く神子。


 その視界は、真っ赤に染まっていた。




「タマぁ……!!」


「珠姫、さん……!!」



 ――破魔矢を握る珠姫は、矢を突き刺していた。



「ぐっ……!」


(貴様……! 何故……!?)


 巫女装束の上着には珠姫自身の血が滲み、蒼白な顔には脂汗と苦痛の表情を浮かべている。


「……るっさいのよ、この、お邪魔虫……! 知った風な、口きいてんじゃないわよ……!!」


 だが確かに。意識は犬神の支配下でなく、『珠姫』としての自我を保っていた。

 神子に矢を突き立てることなく、己の身体に突き刺すなど、並の精神力でできる芸当ではない。


「出雲大社第二等武官、そして白峰神宮に……! 白峰祭神様に仕えるこの私を、ナメてんじゃないわよ!!」


 破魔矢から体内へと、直接送り込まれる珠姫自身の霊力に、犬神はたまらず退散する。

 珠姫の身体から飛び出てきた犬神は空中で忌々しく、眼下で気を失っている珠姫を睨んだ。


「オノ゛、レ……!!」


「よくやったタマぁ!! 流石ワシ自慢の巫女じゃあ!!」


 珠姫が無事だったことに安堵し、再び犬神へ接近する白峰神。

 しかしその速度より、犬神が神子に喰らいつくのが早いだろう。まだ安心などできない状況。事実、神子と犬神の距離は数メートルもない。


「逃げて神子さん!!」


「いや――!」


 顕斗の呼び声に反応するも、神子は珠姫を連れて逃げようとはしなかった。

 それどころか、犬神の目の前で、珠姫を庇うようにして両手を広げ立ちふさがった。


「来い! 犬神!!」


「神子!!?」


「神子さん……!?」


「ガアアアァァァァァッ!!」


 神子に向かって牙を向く犬神。そしてその鋭い牙が神子に届く――直前、犬神は『神子に憑りついた』。

 いや、正確には『神子が犬神を取り込んだ』のだ。


 実際には、賭けであった。

 いくら多摩川の丸子橋で同じことをやったとは言え。白峰神を憑依させ戦った時のような感覚で、犬神を己に憑依させるなど、あまりにもムチャであった。

 しかし神子は、『キレていた』のだ。珠姫の嫉妬心を利用し、珠姫の身体を傷つけた。それが神子には許せなかった。


「白峰様……! お願いします!!」


「そういうことかい、神子ッ!!」


「何を……!?」


 神子のアイコンタクトで、白峰神は全てを察した。

 そして神子の意識が犬神に支配されそうになる寸前で、顕斗に『作戦』のあらましを説明する。


「ワシも神子に憑依し、犬神を追い払う! 出てきた瞬間を、お主が討ち払え!!」


 それを聞いた顕斗は、実に驚いていた。


「そんなことが……!」


「できないか、お主には……!」


 顕斗に覚悟を問いかける。神子はもう苦しそうで、背中からはうっすらと、触手のようなものが見え始めている。


 だが決断の時間など要らない。顕斗は不敵で無敵で素敵な笑みを浮かべ、自信満々に言い放った。


「……見くびるなよ祭神。できるできないじゃない。『やる』のが主人公というものだ」


「上等じゃメガネ僧侶ボウズ!!」


 神子の背中から触手が伸びてくる。

 白峰神はありったけの神力を全身に注ぎ、境内を駆け抜け、神子の前に立つ。

 そしてそのまま、前回と同じ要領で神子の魂へと己の魂を重ねた。

 何も問題はない。扉はもう、開いている。




***




 神子の内心世界。穢れを知らない純白の世界で、犬神の黒くおぞましい魂が、その清らかさを奪おうとしていた。


「ミコ……! 先祖との契約を果たせ……! その命を、対価に!!」


「……ッ!!」


 迫り来る漆黒。


 それを討ち破るのは、闇よりも深い『暗黒』。


「――おい」


 振り向いた犬神の頭部を、真っ黒な腕が掴む。焼け焦げたような、あるいは腐敗したような腕の色は、犬神の持つ闇の色よりもっと濃い。


「……!?」


 『怨霊』。かつて日本の全てを災いに包んだ白峰神の姿は、犬神から見てもおぞましいものであった。

 全身から黒い瘴気を噴き出し、その黒さに浮かぶ赤き双眸。獰猛な犬の頭をした犬神すら、震え上がる容姿。


「ウチのモンに手ぇ出しといて、どうなるか分かってんじゃろうな……?」


「ッ……! ミコは、我のものだ……! その魂は、契約によりっ……!」


 白峰神の握力で、犬神の頭蓋にヒビが入る。

 そして空いている片手を眼窩に突っ込ませ、白峰神はその手に犬神の右目を握った。


「ギャアァァァァァァァッッ!!!」


「神子はワシのモンじゃあ。ワシだけの巫女じゃあ……! 誰が貴様にくれてやるか。神子も珠姫も、神の所有物……! 血肉も魂も毛の一本に至るまで、全てがワシの物じゃ……!!」


 犬神は、心底恐怖した。

 執着性、異常性では――この『怨霊』の方が格上ではないか。


「何が、『神』だ……! この、バケモノがァァァあ!!」


 犬神の触手、そして頭部も白峰神の魔力に覆われる。その泥のような混濁した魔力に襲われ、犬神は悲鳴を上げながら、憑依していた神子の身体より逃れた。


 外に出れば、また自由に触手を動かせる。そうすれば、ただの人間である顕斗には手出しできない。何なら空を飛んで逃げても良い。


 だがその目論みもまた、既に白峰神によって看破されていた。


「今じゃあ本懐寺!!」


 神子に憑依していた犬神が出てきた瞬間――白峰神は、犬神の身体を魔力でガッシリと固定させていた。

 神子の精神世界で犬神を襲った、泥のような魔力は、未だ犬神を放してはいなかった。

 白峰神によって動きを制限されている犬神。そこを討つは、仏の加護を受けた主人公。


「南無!! 阿弥陀仏!!!」


 空へ逃れようとしていた犬神の顔面を殴りつけ、聖なる力の全てを送り込む。

 犬神は逃れようとが、全ての触手が白峰神の魔力で縛られている。

 そして阿弥陀の来光は、京都の星空を照らす程の閃光を放つ。


「ギャアァァァ……ッ!!! ……ミ、ゴ……! ユゴスより、来……!!」


 ――こうして。悪魔王サタンの襲撃に便乗し、神子の魂を奪いに来た犬神は、その魂の一片まで浄化されて消えていった。

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