天照大神

 会議が終わり、静けさを取り戻した出雲大社本殿の大広間。

 食い散らかされた食事や、空いた酒瓶が散乱し、先程まで催されていたドンチャン騒ぎの喧しさを想像させてくれる。


 会議という名の宴会が終わり、ほとんどの神々が退室していった後に残されたのは――主神のアマテラス、その妹のツクヨミ、弟スサノオ、そしてウズメとシロウサだけだった。


「姉さん……」


 ツクヨミの問いかけに応えるように、金色の髪飾りを外すアマテラス。


「姉貴……」


 同じく隣のスサノオからも、心配そうな声がかけられる。

 アマテラスは重い和服の上着を脱ぎ、ひとつ大きくため息をつくと、上座である床より一段高い畳の上で――大の字になって寝そべり始めた。




「……もぉぉぉ、やーーだーーー! お姉ちゃん、疲れたのおぉぉぉォォォ!」




「始まった……」


「またより一層と酷くなってんなぁ……」


 呆れるツクヨミやスサノオを無視し、アマテラスはイヤイヤと子供のように駄々をこねている。先程までの威厳に溢れていた姿からは、とても想像できない落差であった。


「みんな好き勝手なことばーっか言ってぇ! 最後に決めるのはボクなんだよ!? どうするかなんて、くじ引きで決めれば良いじゃん!」


「そういうわけにはいかないのよ、姉さん」


「そうだぜ姉貴。姉貴は俺らの代表なんだから」


「それがオカシイってずっと言ってるの、ボクは! 出雲大社なら祭神のオオクニヌシとか、それこそ父さんが仕切れば良いのに! 何でボクなのさ!?」


「大国主様はもう地上のことには干渉せぬと決めてしまったので……。アマテラス様以外に、代表たり得る神がいないのですよ」


「シロウサの言う通りよアマちゃん。それにイザナギのおじさんも、今忙くてコッチ来られないしねー」


「ヤダヤダヤダ! ボクはお部屋に引きこもっていたいのぉぉぉぉぉ!!」


 こんな姿は、たとえ日本の神々であろうと他者には見せられないなと、この場にいるアマテラス以外の全員が思っていた。


 アマテラスは太陽神であり有力な神だが――いかんせん、その性格は極度の面倒臭がり屋であった。神々のまとめ役だとか、人々を導くだとか、無理して演技すればできるものの、本当は死ぬほど嫌な役回りなのであった。

 そうなったのにも理由があり、原因を作った張本人のスサノオもいるのだが……。その話はまた後日に語られるであろう。


「ほら、姉さん立って。この後は仏教連中との会合よ」


「そういや書類も溜まってんだっけ?」


「今日中に終わらせなきゃいけない仕事が山積みよ~アマちゃん」


「お辛いとは思いますが、これも公務……。ご尽力なさって下さい!」


「やだあああああ録画してるアニメ見るのぉ! 『衝撃の巨人』の新刊読むのぉぉ! 『妖怪ハンターオンライン』の期間限定クエストやりたいやりたいーーー!! G級ぬらりひょんの素材欲しいのォォォォォ!!!」


 涙どころか鼻水まで流して起立を拒否するアマテラス。だがスサノオとシロウサに片腕ずつ持たれ力づくでムリヤリ立たされ、天照の安息の地私室ではなく大量の仕事が待っている方へと連行されていった。


 あまりにも情けない姉の姿を見送った後、ツクヨミは隣のウズメに「……もうダメかもしれないわね、この国」とポツリと呟いてしまった。

 ウズメはそれを聞いて、ツクヨミの肩をバシバシと叩くほど爆笑していた。




***




 白峰祭神に仕える榊原神子は、布団の中ではっと目を覚ました。

 見上げる先は知らない天井。一瞬何が起こっているのか理解できなかったが、それもすぐに思い出した。

 今は、出雲大社に来ていたのだと。


 順を追って思い出す。

 白峰神達と共に出雲大社を訪れたものの、神々の会議に出席するとかで、すぐに彼らとは別れた。

 その後、出雲大社の巫女さんに連れられ、ボロボロに破けた服をひん剥かれ、大浴場にブチ込まれた。頭の天辺からつま先まで他人に洗って貰うという辱めを受け、新しい巫女服に着替えさせられた。

 そしてこの部屋に連れてこられ、豪華な食事を振舞われた。食事中に何やら住所やら年齢やら色々聞かれて答えた気もするが、久しぶりのマトモな食事に夢中だったせいか、あまりよく覚えていない。

 最後にはフカフカの布団を敷いてもらい、すぐに眠りに落ちた。

 久方ぶりの風呂、食事、睡眠。疲れた身体と心を抱えていた神子は、泥のように眠っていたのだった。


 そして目を覚ました今、時間はあまり経っていないように感じる。障子の外はまだ明るく、昼過ぎくらいの時刻だろうか。

 ここには悪魔も天使もいない。食事の心配もない。何も気にせずぐっすり寝ることができる。

 それがいかに当たり前で、いかに尊いことだったのか。神子は今、心の底から『幸せ』を実感していた。


 そんな贅沢を味わって二度寝でもしようかと、布団の中で寝返りをうつ神子。

 だが彼女が廊下側に身体を向けた時――目の前には、自身の祭神『白峰様』の顔が至近距離にあった。


「おおぅッ!!?」


 白峰神の寝顔がドアップにあって、神子は反射的に飛び退いた。

 だが白峰神は、畳の上ですやすやと静かな寝息を立てており、起きる気配はない。


(び、びっくりしたぁ……)


 白峰神がここにいるということは、恐らく神様達の会議とやらは終わったのだろう。

 それで神子を迎えに来たものの、肝心の自分はぐっすりと寝ていたため、白峰神も横になった。そんなところだろうと神子は推測していた。


 冷静さを取り戻した神子は布団に入ったまま、おずおずと白峰神に近づく。

 思えばこんな距離で、まじまじと白峰神の顔を見た覚えがない。起きていたら、どうせ「何見てんじゃコラァ」と言われてしまうのがオチだ。


(……きっれーいな肌してるなぁ……)


 女性である自分が敗北感を覚えるほどの肌質、整った顔。

 神様であるため人間と比べること自体がおかしいのだろうが、それでも見つめるとやはり、神秘的な美しさを感じ取ることができた。

 人外じみた、作り物のような姿形。それが自分と彼の、人間と神の違いをハッキリと認識させる。

 そんな神様の頬を、ぷにぷにと指で突いても起きないことを確認し、神子はもう少し近づいてみる。普段なら、決して近づくこともできない距離に。


「………………」


 何故か顔が赤くなってきた。

 確かに、男性とこんなに顔を近寄せるのは初の経験だったが、白峰様はあくまで神様。それも1000年は年上のお爺さんだ。今更何を照れる必要があるのかと。


 思えば、この数か月間だけでも色々なことが起き過ぎた。

 白峰様にはあまりにも多くの世話になった。不安な時は励ましてもらった。悪魔の襲来にあたっては、己の肉体を失ってでも守ってくれた。身体に憑依し、一緒に戦ったりもした。

 だからこれは、きっと――そういうこともあってか、『気の迷い』なのだと、神子は己に言い聞かせた。


 白峰神の顔が近づく。神子の視界は、もう白峰神だけで埋め尽くされていた。静かな寝息の息遣いだけが聞こえる。呼吸を感じる。だがそれ以上に、自分の胸の鼓動の方が、うるさく聞こえてくる。

 白峰神と神子の距離は、もう数センチもない。身体をぴったりと密着させ、神子はそのまま、己の唇を――。




「――なにやっとんじゃあ、お主」




「オッヒョオォォォォォォォォォッッ!!!?」




 突然目をぱっちりと見開いた白峰神に、神子は口から心臓を吐き出すかと思うほど、全身を大きく跳ね上げて驚いた。

 そして咄嗟に廊下側とは反対方向へゴロゴロ転がり、白峰神と距離を取る。

 だが勢いをつけすぎたのか、高速回転したまま、和室の襖に全身をバァン! と強打させてしまった。


「いってぇ!!!」


「……アホか」


 呆れて物も言えない、といった風に白峰神は起き上がり、胡坐をかいたまま大きく欠伸をする。いつもと何ら変わりなく、実にけだるげな様子だ。


「……えっと、その、あの……! おおおおおははははオハヨウゴザイマス」


「おぅ。起きたんならさっさと身支度しろ。帰るぞ」


「か、帰る? どこにですか?」


 白峰神は立ち上がって障子を開けるが、何故か顔を真っ赤にしている神子を振り返って、「まだ寝ボケてんのか」と辛辣に言い放った。

 だが神子には未だ疑問であった。神子の家は崩壊した東京で、もう身寄りはない。まさか明治神宮に戻るという意味でもないだろう。そして他の避難民のように、京都で仮設の住居に住む手続きも行っていない。


 しかしそれらの疑問は、白峰神にとっては『愚問』であった。


「どこにって……決まっとんじゃろ。ワシの神社――『白峰神宮』にじゃよ」

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