主人公(自称)、陥落

 驚愕する赤鬼の虚を突き、一気に距離を詰める。

 そして女性のみぞおちに鉄拳を叩き込み、聖なる力を送り込む。注がれた仏の力は人間には害を与えず、ただ鬼を滅却するためだけに作用する。


『ぎゃあああ……っ!』


 耳障りな断末魔を上げ、赤鬼は煙のように消滅していった。

 憑りつかれていた女性は気を失い、俺の方へと倒れ込む。

 俺は女性を腕で優しく受け止め、駆け寄ってきた人々に後を託すことにした。


「……人は誰しも心に闇を抱えている。その闇が大きくなった時、魔なる者は心の隙間に入り込んでくる。……何か心配事や悩みがあるなら、ウチを頼ると良い。仏のご加護によって願いを成す、それこそが『他力本願』……。もっと、他人に頼ることを知るべきだ、お姉さん」


 俺の言葉は、女性には届いていないだろう。だが俺は僧侶としての本心を伝えると、女性のポケットに本懐寺のパンフレットをねじ込んでから、その場を立ち去った。少しでも、彼女の精神に安息が戻ってくることを祈りながら。


 パトカーや救急車のサイレンが近くなる。人々からの賞賛の声や拍手を浴びるのも悪くないが、早いところこの場を離れなければ。


「お、お兄ちゃん!」


「ちょっとケント! ほっといて良いの!?」


「問題の根本は取り除いた。後処理は大人達が上手くやってくれるさ。それに……学校に遅れるわけにもいかない」


 俺が振り向きざまにそう言うと、二人の表情には見惚れたようなピンク色が差す。

 無理もない。世の女性は力強く、そして聡明な男を求めるのだから。それは本能的なものだ。俺という主人公を、理性ではなく本能的に欲している。


 ここまでの活躍を見れば、誰しもが俺が主人公であることに異論はないだろう。


 特異な出自、華やかな人間関係、悪を払うスーパーヒーロー的な能力。

 俺のような高校生など、世界広しといえど他に存在しないだろう。だからこそ、俺は俺を『主人公』であると認識している。これは自惚れではない。どうしようもない、明確な事実なのだ。


 両脇に美女を連れ、俺は京都中央高校の敷地へ入る。いつも以上にざわざわと賑やかであり、視線が俺へと集まってくる。

 どうやら交差点での出来事が、もう拡散されているようだ。便利な時代にはなったのは喜ばしいが……。「無闇に目立たないように」と親から言いつけられている俺としては、あまり歓迎できることではないな。

 やれやれ……。また下駄箱の中のラブレターが増えそうだ。毎朝大変なんだが……まったく、できることなら誰かにこの役回りを代わって欲しいものだ。


「本懐寺君!」


 妹と別れ、キクナと共に2年A組の教室に入る。窓際の最後尾が俺の席。

 そこに座ると、メガネをかけた美少女が声をかけてきた。


「いつも言ってるでしょう!? ウチの学校は学ランじゃなくて、ブレザー指定だって!」


 俺のクラスの委員長。何かと俺を気にかけてくれる美少女の一人だ。

 京都中央高校は男子も女子もブレザーの制服。だが俺は、10年前まで指定学生服だった漆黒の学ランを着続けている。委員長はそれが「校則違反だ」として注意するのだ。

 だがこの服は、俺の爺さんの代から着ている学ラン。指定服がブレザーに変わったからといって、そう簡単にこの学ランを脱ぐわけにはいかない。


「委員長。俺が成績トップを出し続けている限り、学校側からは特に文句も言われない。それにこれは大事な学ランだ。……と、いつも言っているんだがな」


「そういう問題じゃないでしょ……」


 生真面目なのには好感が持てるが、少しは遊び心を持つのも大事だぞ、委員長。

 俺は同じメガネっ子として、委員長とは仲良くやっていきたい。それにいつ見ても、俺のメガネに負けず劣らずの素敵なメガネをかけているのだし。

 そういえば、どこのメガネ屋で買っているのかまだ教えて貰っていなかったな。「よければ一緒にメガネ選びに付きあって欲しい」と前に言った時は、顔を真っ赤にして激しく断られてしまった。

 また今度、改めてお誘いすることにしよう。


「おい見たぜケント! 今朝の四条通りでの大太刀回り!」


「あれやっぱり本懐寺君だったんだよね!」


「マジすげえよな!」


「流石ケント君だぜ!」


「ふっ……。いやいや、あの程度の小鬼など、大したことないさ」


 俺がそう言うと、クラスメイト達はまた盛り上がり、女子達からは黄色い歓声が上がる。

 クラスの人気者である俺の武勇伝を聞けば、興奮するのも仕方がない。何せ俺は、主人公――。




(――いや)




 何かが、違う。


 予鈴が鳴り、興奮冷めやらぬクラスメイト達は各々の席に戻って行く。

 俺はその背中達を座って見送りながら、ある違和感を抱いていた。


 地元でも有名で裕福な実家。可愛い妹。美人な幼馴染み。気にかけてくれる委員長。多くの友人。賞賛する人々。特殊なチカラ――。

 これだけの条件が揃って、俺は主人公たり得ている。恵まれた環境、恵まれた容姿、恵まれた境遇。何も不満はない。何も、不自由に思うことなどあるはずがない。

 誰しもが憧れた物語の主人公。素敵で無敵なヒーロー。

 俺は、そういう存在のはずだ。


(……なのに何故だ。何故、満たされない)


 これ以上何を望むのか。主人公であること以上の幸福など、あるはずがない。あまり多くを望めば、罰が当たってしまう。

 だというのに俺の心には、ずっと、ぽっかりと穴が空いていた。

 パズルのピースがひとつ足りない。豪華な食事を食べたはずなのに、空腹感が消えない。そんな、言いようのない虚無感を、俺はもう10年は抱き続けていた。


(一体、何が足りないんだ。あと何があれば、俺は満足する?)


 これ以上ないほど恵まれた環境にいながら、『本当の居場所』を求め続けている。

 別に異世界に行きたいだとか、並み居る悪を最強の力で討ちのめしたいわけでもない。ただ、心に隙間風が吹き続けている。

 窓の外を見つめ、そんな感傷に浸っていた俺の袖を、隣の席のキクナが引っ張った。


 思考から現実に引き戻された俺は、この時ようやく、ウチのクラスに転校生が来ていることに気付いた。

 このご時世、転校自体は珍しくもない。崩壊した東京から避難してきた人々。人口が西日本に集中し、高校のキャパシティを越えて学生達が編入してくる。今更、転校生が来たところで、盛り上がるようなイベントでもないだろうに。


 そう――思っていた。

 先生の隣に立つその転校生を、けだるげに視認する、その瞬間までは。


「えっと……東京から引っ越してきました、榊原さかきばら神子みこです! い、今は白峰神宮っていう神社で巫女さんやってます! ややこしいんで『みっこみっこみー』とでも呼んで下さい! …………あ、あれ、ウケなかった……。おかしいな……」


 ――電流が、全身を突き抜けた。


 俺は目を見開き、その『東京からの転校生』だけを、食い入るように見つめていた。

 東京から来たというのに、どこか垢抜けていない容姿。肌質や髪質はなめらかそうだが、ハッキリ言ってあの転校生よりも容姿の優れた女性は、俺の周りにたくさんいる。

 だが違う。そうじゃない。そういうことじゃない。そうじゃねぇ!

 パズルのピースが揃った感覚がした。ズレた歯車が、ガッチリと噛み合った音が聞こえた。


 気付けば俺は飛び上がり、クラスメイト達の机の上をジャンプし、教室の後ろから教卓の目の前まで、源九郎義経さながら一気に駆け抜けていた。

 クラス内が騒然とする。転校生は唖然としている。

 関係ない。俺はついに見つけたのだ。俺が、求め続けてきたものを。


 彼女の前で片膝をついて跪き、俺は右手を差し出す。

 転校生は驚いたように後ずさりした。あぁ、間近で見れば見るほどよく分かる。


 ……俺はずっと、この瞬間を待っていた! この日のために、俺は渇きに苦しみ続けていたのだと!!


「そこの素敵なお嬢さん、お名前は!!?」


「えぇ!? 今自己紹介しましたよね私!!?」


「俺は本懐寺顕斗! 浄土真宗・本懐寺に生まれた素敵で無敵なメガネです! 貴女のお名前を、教えてくれませんか!!」


「え、えっと……。サカキバラ、ミコです……。神社で働いてます……。よ、よろしくお願いし……」


 俺は彼女の手を無理矢理握り、クラスどこか学校中に響き渡る声で、愛を叫んだ。



「神子さん!!! 俺と!!! 貴女で!!! 神仏習合しませんか!!!!!?」



 この日を境に、俺の本当の物語が幕を開けた。真に輝く俺の日常が、ようやく始まったのだった。

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