第五十話︰deception
校舎の階段を駆け登った。
エレベーターの方が早かったかも知れない。でも、エレベーターをじっと待っている気持ちには成れなかった。気ばかりが焦り、身体を動かしていないとどうかしそうだった。流石に、10階を階段で登るのは、どうかしている。自分でもそれは頭で理解できる。理解できるが、流行る気持ちを抑える事は出来なかった。
途中何度も、立ち止まり、息を調えながら登る。すれ違う他の生徒達は、何事かとさぞ訝しんだ事だろう。
ニーナ、何やってんだよ。あいつ、飛び降りるつもりなのか?
間に合ってくれ。
やっぱり、エレベーターにするべきだったか。なかなかに辿り着けない10階に、焦燥感が募る。
もっと早く、ニーナに何かしなければならなかったか。そうはいっても、何をしたらいいかわからなかった。自分はそんな器用な事が出来る人間じゃない。他の誰かには、何か出来たであろうか?
10階に着く頃には膝がガクガクと震えていた。
廊下の外側に付けられている窓の向こう側に、外を見上げて立っているニーナを見つけた。
「ニーナ!」
ニーナを目掛けて震える膝も構わず、突進した。
ニーナは驚いてこっちを見た。
その手を捕まえ、廊下に引き摺り入れる。膝がカクンと折れ、ニーナを抱えながら廊下に転倒してしまった。
「ニーナ! お前、何やってんだよ! 何で死のうなんて思うんだよ! お前は此処に居ていいんだよ! 誰にも文句なんて云わせねえ! それに、誰も文句なんて云わねえよ! お前はもう充分責任は果した! お前がそう思わなくったって、自分がずっとお前の側に居てそう言い続けてやるから心配ねえよ!」
気が付くとニーナに覆い被さり、自分の気持ちをぶつけていた。
「え……っと……、それって、プロポーズ……なのかな? この世界では、押し倒しながらプロポーズするのが作法なの?」
ニーナは、キョトンとしながら、訳がわからないという顔をしていた。
「え、いや、これはその。」
慌ててニーナの身体から離れる。
プロポーズ? え? 今、自分、何を云ったっけ?
頭が混乱していた。
ニーナも顔を赤らめながら、上体を起こし、自分で自分を抱き締めるようにして俯いていた。
「えっと……、こういう時は、なんて云うんだっけ? お友達でいましょう?」
なんか断られた? いや、そもそもプロポーズじゃねえし!
「ちがうか……、ああ、えっと、お友達から、だっけ?」
その2つは全然意味が違うぞ。そして、自分達は友達ですらなかったのかよ?
いやいや、そんなことよりも
「ニーナ、お前、まだ死ぬつもりなのか?」
自分には、上手くやる事は出来ない。なら、思った事を素直に云うしかない。
「へ? わたし死ぬつもりなんて無いけど?」
ニーナは不思議なものを見る様な眼をしてこちらを見た。
「だってお前、窓の外に立ってたし、飛び降りるつもりじゃなかったのかよ?」
「ああ、ちがうよう。窓の外に居たのはね、時空の歪がほんとに消えたのかなあって自分の眼で確かめたかったの。」
「そもそも、歪が在っても見えないんじゃないのか?」
「うん。見えないと思う。でも、見てみたかった。」
ニーナは立ち上がり、窓の外を見上げる。
「きっとわたしは、歪はもう無いんだよって、納得したかったのかな。」
そう呟いて
「向こうの世界のニーナ姫は、時空の歪と一緒に消えちゃいました。ここにいるわたしは、この世界に生まれた、ただのニーナ。」
彼女は、こちらに向き直り、そう宣言した。それは、いったいどういう気持ちだったのだろうか。その表情からは覗い知れなかった。
「コーイチは、こんなわたしを軽蔑しますか?」
それはきっと、拭えない自分自身の罪悪感を消す為に、過去の自分に目を瞑るという行為なのだ。それが、正しい行為かどうかわからないし、その行為自体が、さらに罪悪感を積もらせるかも知れないという危惧もある。
だけど、彼女は、そうする事でしか、この世界で生きて行く事は出来ないのだ。罪悪感を心の奥底に沈め、見えないふりをする事で、日常を生きていく。それすら、その日常ですら、ふりになるのかもしれないけど。
でも、自分は、勢いとはいえ、ニーナの側にずっと居ると云った。ならば、そんな彼女の
「軽蔑しない。どんな、ニーナであっても、軽蔑しない。」
その時のニーナの表情は、寂しげで悲しげで、それでも笑ってコクンと頷いた。
※※※
それからの数日は、何事も無かった様に過ぎていった。
麗美香も元気に登校し、昼休みには、ニーナに会いに来て賑やかにやっている。そんな様子をヤマゲンは不快そうに眺めている。相変わらず、麗美香とは打ち解けてないようだった。
昼食を食べ終わると、自然に屋上への扉の前に来てしまう。別に用があるわけでわない。昼休みに特にやる事もないし、話す相手も居ない。ここで、独り佇んで居ると落ち着くのだ。
(なにを格好つけている?)
心の中に居るnullさんが、云う。
全くだ。
本当は、此処に来ればnullさんに逢えるんじゃないかと、思っていたんだろう。
しかし、もう此処には来ない事は分かっていた。摩耶先輩からの警告を受けたnullさんは、恐らくもう、この学校には来ないだろう。
それに、別にnullさんに用があるわけでもない。
きっと自分は、この先の自分の在り方を、教えて欲しいのかも知れない。でも、それは、自分自身で考えなきゃいけない事なんだ。
昼休みも終わりに近づいたので、教室に戻ろうとしたとき、ニーナがやって来た。
「コーイチ、やっぱりここにいた。」
「どうした? 今戻ろうとしたところだけど。」
「あのね、コーイチ。」
ニーナは、なにやら言いづらそうにもじもじしていた。
「なんだよ? 早く云わねえと、昼休み終わっちまうぞ。」
するとニーナは、脚を踏ん張り、両手の拳をぎゅっと握りしめて、
「あ、あの、プロポーズの件ですが! 前向きに検討させていただきます!」
そう叫んで、走り去って云った。
ああ……
きっと、麗美香に話したな……そして、何か吹き込まれやがったか……
というか、プロポーズじゃねえし。
あ、否定するの忘れてた。
まあ、いいか。
ニーナの笑顔が見れたのだから。
(第一部完)
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