第二十七話:弟子入り志願 その壱

 なんでこんなことになったんだろう。

 翔一郎は天を仰いで自問した。

 雨でも降っていてくれたのなら、それが断る理由にもなったのだろうが、どういうわけか上は満天の星空だ。

「よろしくお願いします」

 目の前の少年が礼儀正しく頭を下げる。

 体育会系の所属と聞いていたが、なるほど、その動きはきびきびしていて小気味良い。

 彼の姿勢は翔一郎に好感を抱かせるのに十分なものであったが、だからといって、それが自身の身の上に降りかかった理不尽を緩和させ得たわけではない。

 なんでこんなことになったんだろう。

 ふたたび翔一郎は嘆息し、過去へと思いを巡らせた。


 ◆◆◆


 それは、ちょうど一昨日の午後七時。

 壬生翔一郎は、両親が所用で出かけた自宅の居間で、女子校生猿渡眞琴とふたりっきりのディナータイムを迎えようとしていた。

 独身男性がひとりでいる隣家に年頃の娘が夕餉の支度にやってくるという状況は、保守的な層からは思わず眉をひそめられそうなシチュエーションだ。

 だが当の本人たちからすれば、それは至極あたりまえの日常だった。

 生活のひとコマであるとすら言えただろう。

 なんといっても、もう十何年もの間、ふたりは家族同然の付き合いをしてきているのである。

 いまさら身を改めろと言ったところで、そう易々と切り替えられるようなものでもあるまい。

「じゃ~ん。できたよ~」

 満足そうな笑みを浮かべて眞琴が運んできた大皿の上には、できあがったばかりの焼き餃子が、それこそ小山のように盛り付けられていた。

 白、緑、黄色、ピンク──妙にカラフルな色合いこそ気になるが、形の面では出来がいい。

「今回はまた、えらく凝ったのを作ってきたな」

 感心半分呆れ半分といった表情で翔一郎が感想を述べた。

「緑色のはホウレン草か?」

「あったりー!」

 朗らかにそう答えながら、食卓の上に大皿を置く眞琴。

「緑の皮はホウレン草。で、黄色い皮はウコンを、ピンク色のはトマトジュースを加えたんだよ。本当は水餃子にしたかったんだけど、今日はどこかの誰かさんがお腹すかせて待ってるだろうから、数いっぱい作れる焼き餃子にしてみました。具もね、いつもみたいな豚バラだけじゃなくって、桜海老とかアジとかツナマヨとか、いろんな種類を入れてみたんだ。だ・か・ら、深く感謝しながらしっかり味わって食べなきゃ駄目だぞ」

「承ってゴザル」

 謝意を示す翔一郎の台詞は、なんとも芝居がかったものだった。

 サムライのごとき仕草でもって、胡座をかいたまま頭を下げる。

 それを見た眞琴のほうも、「うむ。苦しゅうないぞよ」とこれまた同方向の反応を返しつつ、卓を挟んで腰を下ろした。

 ほとんど同時に両者の利き手が箸を取る。

 壬生家における慣例行事、月例餃子パーティーの幕が切って落とされたのは、まさにその瞬間の出来事だった。

 主食たるご飯の消費を上回るスピードで、大皿に載った無数の餃子がみるみるうちにその数を減らしていく。

「うん、こいつはイケる。眞琴。相変わらずメシ作るのだけはプロ級だな。これだけの代物食わされたんじゃ、わざわざ外食する気なんざなくなるってもんだ」

「でしょでしょ! もっと誉めて! もっと誉めて!」

「調子に乗るな。しかしまァ、正直言ってこのツナマヨ餃子がこれほど美味いとは思わなかったな。癖になっちまいそうだ」

「ツナマヨおにぎりが美味しいんだから、餃子にだってきっと合うと思ったんだよ。皮と一緒にスライスチーズも挟んだから、ほかのとはちょっと変わった味わいで、それもまたいいものでしょ?」

「まあな。おまえのその発想とチャレンジ精神だけは誉めてやる。普通ならな、そんなギャンブル、滅多なことじゃ思い付かないぞ」

「翔兄ぃは、ボクにとって新メニューの効果を試す実験動物だからね。いろいろ冒険したくなるのは必然ということで」

「実験動物で悪かったな。どうせ俺は雑食だよ」

「好き嫌いなくなんでも食べられるってのは、とってもいいことだよ。それにさ、作るほうとしても、そんな七面鳥みたくバクバクバクバク食べてくれるとなんだか嬉しいし」

「おいおい。おまえにとって、俺は七面鳥並の扱いなのか?」

「煮ても焼いても食べられないところは、全然似ても似つかないけどね」

「そいつは悪うござんした」

 軽口の応酬が繰り広げられるのに比例して、食事の速度も加速していく。

 仮にも男性である翔一郎に負けず劣らず、眞琴の食欲も旺盛だ。

 やはり、若さと食い意地というものは切っても切れないものなのだろうか。

 ダイエットなど端から眼中にない──そう言いたげな彼女の態度に、翔一郎が突っ込みを入れる。

「そんなにかっこんで、あとから豚になっても知らねえぞ」

「心配ご無用!」

 軽妙なテンポで眞琴は応えた。

「快食、快眠、快便が、ボクの健康の秘訣ですから」

 その言い草を聞いて、翔一郎は顔をしかめる。

「『快便』って……おまえな、食事時に若い娘がそんな言葉をだな」

「だって事実なんだから仕方ないじゃん。堅いこと言わないの。あ、さては翔兄ぃ、便秘の恐ろしさを知らないな。女の子にとって、お通じの絡みは体型維持にも勝るおっきなおっきな課題なんだぞ」

「だからってなァ……」

「翔兄ぃは時代錯誤のオジサンだから、いまどきの女子高生ってものに夢見すぎなんだよね。ボクらぐらいの年代の女の子ってさ、日頃からもっと過激なこと言い合ってたりするんだよ。機会があったら、オトコのひとにもその内容を聞かせてあげたいくらいだよ。幻滅ぐらいじゃ済まないよ、たぶん」

「なんとも胸暖まる現実だな、おい」

 そうこうしている間に、残る餃子もあとひとつとなった。

 眞琴曰く、トマトジュースを水の代わりに練り上げたピンクの皮の海老餃子だ。

 そのラストワンを我がものにせんと、ふたつの箸先がターゲットに伸びる。

 そして次の瞬間、目標を捕捉寸前だったそれらの先端がぴたりと静止。

 空中で親の敵のごとくに睨み合った。

 箸先の主たちもまた、目線を合わせて自己の権利を主張する。

「これは我が家の晩飯だ!」

「ボクの作った餃子だ!」

 両者とも一歩も退かぬ覚悟らしい。

 無言のままに、ふたりは自身の箸先を引く。

 妥協と交渉のため、では当然ない。

 誰にでもわかる、明確な決着を付けるためだ。

 グっと利き手に念を込めた眞琴と翔一郎は、間を置かず、互いにその手を繰り出した。

 最初はグー!

 ジャンケンポン!

 あいこでショ!

 あいこでショ!

 あいこでショ!

 熱戦を制したのは眞琴だった。

 勝ち誇った眼差しを敗者たる翔一郎に送りつつ、「う~ん、やっぱりおいしー! さすがは、ボク!」とわざとらしい自画自賛とともに最後の餃子を食べ終える。

 やけくそ気味にご飯をかき込む翔一郎の携帯が耳障りなメロディーを奏で始めたのは、ちょうどそんなおりの出来事だった。

 舌打ちしながら立ち上がる翔一郎。

 口の中のものを慌てて飲み下し、彼は充電器に繋いだ自身のガラケーを手に取った。

「もしもし、壬生です」

『ああ、夜分すいません壬生さん。水山です』

 電話の主は「エム・スポーツ」の店長である水山だった。

『実はですね。ちょっと壬生さんに頼み事があってご連絡差し上げたんですけど、いま少しだけお時間ありますか?』

 水山からの依頼は、翔一郎を驚かせるに十分なほどの代物だった。


 ◆◆◆


 その翌日、翔一郎は、仕事帰りに「エム・スポーツ」を訪れた。

 理由はもちろん、昨晩受けた電話の内容を水山の口から直接うかがうためである。

 愛車から降り、作業場に併殺された事務所へと向かうさなか、翔一郎はガレージの中で見慣れないクルマがリフトアップされているのを発見した。

 P-10型「プリメーラ」

 かつて日産自動車が発売していたフォードアセダンだ。

 色はシルバー。

 アルミホイールこそそれっぽいスポーツタイプを奢っているが、見た感じ使い込まれた走り屋のクルマには見えない。

 第一、車体後部にはしっかりと若葉マークが張ってある。

 オイル交換でもしてるんだろうか。

 それにしたって、初心者がこの店に来るとは珍しいこともあったもんだな。

 そんな他愛ない感想を抱きつつ事務所に入ると、水山店長と倫子のふたりが初めて見る若い男と何やら難しそうな話をしていた。

 その若者は長身ではあるが、表情にはいまだ幼さが残る。

 どう見積もっても二十歳になったかならないかの年齢だった。

 もちろん単に若作りである可能性も捨て切れないが、彼が作業場にあった「プリメーラ」の持ち主であるのなら予想と大きく離れてはいまい。

 まさか、この子が昨日の話の対象なのか?

「いや~、壬生さん。待ってましたよ」

 翔一郎の来店に気付いた水山店長が、ぱっと朗らかな笑みを浮かべた。

 それを見た翔一郎が、やや強い口調で詰問にかかる。

「待ってましたよ、じゃないですよ、水山さん。なんなんですか、昨日の電話は? ところで、昨日仰ってた今回の依頼人ってのは……」

「そうです! この子のことです」

 単刀直入に水山が応えた。

「壬生さん。ぜひ、この子の師匠になってやってくれませんか?」

 半信半疑だった心根に無理矢理一本芯を通され、翔一郎は思わず言葉を失った。

 件の若者の見せる態度が、勢いそれに追い打ちをかける。

 彼はいきなり跳ね上がるようにして立ち上がると、翔一郎に対し深々と、本当に深々とその頭を下げたのだった。

「お願いします! この僕に八神街道の走り方を教えてください!」

 飾り気も何もなしに、彼は言った。

 その見事なまでの直球勝負に、思わず翔一郎はうろたえた。

 とりあえず初めから話を聞かせてくれ、と伝えつつ着席を勧める。

 彼――驚いたことに、免許を取ったばかりの現役高校生だった――の語った内容は、おおよそ次のごときものであった。

 八神街道をホームにしている走り屋の中に、どうしても戦いたい奴がいる。

 できれば、そいつに勝ちたい。

 だから、そのために必要な技術と経験とを学ばせて欲しい。

 典型的な弟子入り志願であった。

「無茶だ」

 それを聞いた翔一郎は、ひと言の下に言い切った。

「相手がどんな奴かは知らないけど、免許取ったばかりの初心者が公道を攻めるなんて自殺行為だ。そんな莫迦げた真似の手伝いなんてできないよ。犯罪の片棒担ぐようなもんだ」

「そこを承知でお願いしてます」

 しかし、少年は退かなかった。

「リスクなしにできることだなんて考えていません。最終的な責任は自分ひとりが負います。何もかも、本当に教えてくれるだけでいいんです」

「駄目なものは駄目だ」

 改めて翔一郎は拒絶した。

「責任を負うって簡単に言うけど、君自身が、その責任を本当に取り切れるって思ってるのか? 他人を巻き込んで怪我をさせたりそれ以上のことになったとしたら、いったいどうやって責任を取るつもりなんだ? だいたいな、峠の走り屋なんてろくな連中じゃないぞ。俺が言うのもなんだけど、暴走行為の実行者だ。クルマで走るのに興味持ったのだとしたなら、いっそのこと公式な競技にでも出てみたらどうだい? それならオフィシャルで相談に乗ってくれるひとも多いだろうし」

「駄目ならほかを当たります」

 寸分も引き下がることなく、少年は言った。

「僕は、そいつに勝つために走りたいんです」

 翔一郎はため息をついた。

 眞琴もそうだが、なんでこの年代の連中はこうも根こそぎ頑固なんだろう。

 助けを求め、水山に目線を振る。

 だが彼もまた、小さく肩をすくめてそれに応えるだけだった。

 そういうのもひっくるめて自業自得の結果なんだから、いまさら何格好付けてるんですか──過去を知るその眼差しが、そんな風に主張していた。

 倫子の瞳も、およそ似たような色合いを示している。

 孤立無援とは、まさにこのことであった。

「わかったよ」

 根負けして翔一郎は頷いた。

「ただし、無理をさせるようなことはいっさいしない。戦う技術は教えるけど、公道バトルなんて基本的には論外だ。その走り屋とどうしても競い合いたいっていうのなら、そのお膳立てまではアドバイスしよう。でも、そこまでだ。それ以上には関与しない。そういうのを丸ごと承知してくれるのであれば、君の頼みを受けるよ」

「ありがとうございます!」

 それを聞いた少年が勢い良く一礼した。

「僕、高山正彦って言います。これからしばらくお世話になります!」

「ああ、うん。こちらこそ、な」

 当初はためらいがちな翔一郎だったが、いざ依頼を承知してからは、この高山という少年と積極的に向かい合った。

 理知的な態度を意識して練り上げ、訥々とした口振りで言葉を繰り出す。

「君が対戦したいその相手ってのは、一体全体どんな奴で、そしてクルマはなんに乗っているんだい? それによって戦い方も走り方も変わってくるから、そういった情報はとっても大事だ。ほら、むかしから言うだろ? 敵を知りおのれを知れば、って」

 しかし、高山はクルマに関してはほとんど素人のようなもので、有益な情報を何ひとつ翔一郎に伝えることはできなかった。

 せいぜいわかっていることと言えば、相手が凄腕の走り屋で4WDの使い手だということぐらいだった。

 四駆か、と翔一郎は唸った。

 走り屋が、それも頭に凄腕と付くような連中が駆る4WDといえば、三菱「ランサー・エボリューション」やスバル「インプレッサWRX」といったハイパワーな車ばかりだ。

 そのどちらもがラリー競技で磨き抜かれた「公道の戦闘機」であり、普通のクルマとはまさに別格と言っていい性能を誇る。

 高山の愛車は、やはりリフトアップしてあったあの「プリメーラ」だった。

 P-10型の「プリメーラ」は九十年代に日産が投入したFFセダンの傑作だ。

 当時の日本車にしては珍しく、欧州での評価も高かった。

 自然吸気NAのSR-20型エンジンは百五十馬力を発揮する名器だし、運転していて楽しさを味わえるクルマであること自体は間違いない。

 ただし、先に挙げた化け物どもと競い合うには、その戦闘実力が不足していることも否定できない事実であった。

 よほど腹のすわった改造を行わない限り、自重の軽さという一項目を除いてそれらに太刀打ちできる性能を持たせられるとは思えない。

 道具と腕の両面で勝る相手に対し、さてどのように立ち向かうべきか――…

 と、そこに至って何かに気付いた翔一郎が、ぶんぶんと頭を振って火照った脳を正気に戻す。

 いつの間にか思考が戦闘モードに入ろうとしていた。

 最近になって久方ぶりの実戦バトルを経験してしまったことが、心と身体をむかしの興奮に浸らせようとしているのか?

 いましがた公道バトルなど論外だ、と自分で力説したばかりではないか!

 何を血迷ってるんだ、俺は?

 自分を取り戻そうと髪の毛を引っかき回す翔一郎。

「よろしく頼みますね」

 それを見てにやりと微笑む水山店長の顔が、なんとも印象的に思われた。


 ◆◆◆


 そしていま、現実の彼が立っているのは、八神街道沿いの駐車場だった。

 時刻は午後九時。

 交通量はまばらであるが、走り屋どもの姿はまだない。

 いまここにある人影は、翔一郎と高山のふたつのみだ。

 待ち合わせ時間どおりにやってきた少年と対峙する翔一郎は、正直不安でいっぱいだった。

 走り方を教えろ、といったところで、いったい何を教えればいいのやら。

 俺は教習所の教官じゃないんだぞ、と心中で呟く。

 なんだか水山と倫子にうまく厄介事を押し付けられたような気がする。

 が、いったん引き受けた事柄については、きちんと責任を果たさなくてはならない。

 それがオトナの責務というものだ。

 なれば、この少年に伝えられる範囲で自分の経験を伝えよう。

 翔一郎は気乗りしないながらも、とりあえずそのように決意した。

「クルマの運転技術向上に近道はない。まずはそれを肝に銘じてもらいたい」

 翔一郎は、そう切り出して講習会を開始した。

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