第23話番外編・シモン・アギオスの考察
一日目、神は大地に溢れる光から妖精族をお創りになった。
二日目、神は大地に咲く美しい花からエルフ族をお創りになった。
三日目、神は大地に輝く石からドワーフ族をお創りになった。
四日目、神は大地を駆ける獣から獣人族をお創りになった。
五日目、神は大地の豊かな恵みを持つ土から人族をお創りになった。
六日目、エルフ族とドワーフ族と獣人族と人族が大地の覇権を争った。その時に大地に流れた血から魔族が生まれた。
七日目、神は大地を巡って争う者たちの姿を見て嘆いた。その涙のしずくが大地に落ちて川になり森ができ、そこから魔獣が生まれた。
~創世記より~
僕の家のアギオス侯爵家は、神官長を多く出す神職の家として知られている。爵位を持つ家としては珍しく、領地を治めるのは長男ではなく次男だ。長男は幼少時から神殿に仕え、一生を神の為に祈って過ごす。
女性神官もいるし、別に神官だからといって結婚が許されていない訳ではないけど、神官長になる者は独身のまま一生を終える者が多い。
現に今の神官長様は僕の大叔父にあたる人だけど、独身のままだ。
神の為に一生を捧げるといえば聞こえはいいが、つまりずっと神殿に籠ってお祈りばっかりしてるから、出会いがないだけじゃないかとは思う。
僕はといえば、神官長を目指すこともなく領地を継ぐ事もない気楽な三男という事で、神殿で修業をした後に神官になる事は決まっていたけど、それ以外は比較的自由に生きることを許されていた。
もっとも漠然と、神殿に残って長兄の補佐をするんだろうなぁと思っていたけれど。
両親がそれを僕に強いる事はなかったけど、なんとなくそれを望まれているのが分からないほど愚かではなくて。
それに他にやりたい事も見つからなかったし、まあいいか、と思っていたのだ。
そう思っていたはずの僕がなぜ冒険者の一員になっているかというと、やはり11歳の時から師事していたフランク神官の影響がある。
フランク神官はよく言えば豪放磊落。悪く言えば傲岸不遜で、破天荒の一言につきる人だった。
元々は冒険者だったのを、旅の神官に命を救われ神への帰依に開眼したという、神官としては変わった経歴を持つ人である。
普通、神官になる者は、僕のように神官を多く出す一族であるか、生まれつき治癒の力に優れた者が多い。どちらも幼い頃に神殿に神官見習いとして入り、修業を積んだ後に正式な神官となって、各地の神殿に派遣されるのだ。
ただ例外もあり、神官となってから冒険者ギルドの要請により、冒険者のパーティーの一員として魔獣退治に行く者もいる。
冒険者のパーティーに入る場合は、その報酬の半分を神殿に納め、半分を自分の物にする事ができるから、貧しい家の出身の者は、神殿に残らず冒険者の一員となって稼ぐ事が多い。
剣士と違って怪我をする事も少ないし、ある程度年をとっても続けられるという事もあって、貧しい村では治癒能力を持ち神官となって冒険者の一員となるのは、羨望の的なのだそうだ。
フランク神官も小さな村の出身だそうだから、本来であれば治癒の力を幼少時に見いだされ、神殿で修業をしていたはずである。もしそうなっていたら、初の平民出身の神官長まで上り詰めていたかもしれない。
だがリトリス砦に近い村に派遣されていた神官は老齢で、フランク神官の治癒能力に気がつかなかったらしい。
そのうちにフランク神官は冒険者を目指し……まあ、今のような筋肉の塊のような体格になったのだが、その頃には誰もフランク神官に治癒能力の素質があるなどと予想もしなかったに違いない。
確かに今でも、初対面でフランク神官を見てすぐに神官だと分かる人は少ないだろう。強面の顔つきもあって、山賊とでも言われた方が納得する。
なんというか……まとう雰囲気が神官によくある、穏やかな優しい気ではないのだ。いや、性格はとても優しくて素晴らしい人なのだが、あまりにもその印象が荒々しすぎる。
だが旅の神官に見いだされたフランク神官の治癒能力は、まさに天才とでも言うべき素晴らしいものだった。
たとえば、普通の神官が3回ヒールを詠唱しないと治せない傷も、フランク神官にかかればたった一回のヒールで治癒してしまうのだ。
そしてフランク神官は普通は10年はかかると言われている修業を半分の5年で終了し、その後、僕たちのような神官見習いを教える役目についた。
本来ならば長兄が師事していた神官に僕もつくはずだったのだが、前回の魔の氾濫の際にその神官は神の御許に召されたため、神官長様の推薦でフランク神官が僕の指導者となった。
他にも優秀な神官はいただろうに、なぜ粗野で有名なフランク神官なのだろうと、当時はひどく悩んだものだ。
その時はその理由が分からなかったのだが、今なら分かる。
あの時の僕は何事にも無関心だった。
ただ周りに流されるまま、神官として長兄を支え無難な一生が送れればそれでいいと思っていたのだ。
でもそんなつまらない一生ではなく、神官であっても生き甲斐のある一生を送る事が出来る。それを神官長様は僕に教えたかったのではないかと、思うのだ。
だが最初からそう思えたわけではなく、なぜ僕が平民の、しかも年をとってから神官になった者から教えてもらわなければいけないのかと、だいぶ反発した。
今から思えばかなり反抗的な態度だったと思う。
だがフランク神官はそんな僕に優しく…………
なんてはずもなく、容赦なく拳で制裁された。といっても拳骨が頭に降ってくる程度ではあったけれど。
それでも貴族として大切に育てられていた僕にとっては、それは暴力に等しかった。
もちろん彼が本気を出したら僕なんてすぐに大怪我を負ってしまうから、かなり手加減はされていたのだが、親にすら叩かれた事のない僕にとって、それはかなりの衝撃だった。
抗議する僕に、フランク神父はそれなら避ければいい、と言い放った。
自分でも気がつかなかったが、僕はかなり負けず嫌いだったらしい。
その一言を境に、フランク神父の拳を避ける努力をした。そうするとフランク神父はおもしろがって、何もない時にでも急に拳を振り上げるようになった。そういう時は僕の体に当たる前に止めるのだけど、それがまた手加減していますといった風で、おもしろくなかった。
そんな毎日を過ごしているうちに、僕はフランク神父が腕に力をこめた瞬間にその拳を予想して避けられるようになっていた。
もちろんそんな修業ばかりじゃない。回復魔法の修業もちゃんとしていた。
その修業も、今から思えばちょっと変わっていた。
それまでの先生は、回復魔法を使う際は、いかに神に感謝しその恩恵を感じて魔法を詠唱するか、ということを重視していた。
だがフランク神父の指導は違った。神に感謝するのは当然だけれど、回復してあげる相手がどのような傷を負って、どのように回復していくのかを想像しろ、と言うのだ。
詠唱は大切だけれど、その詠唱だけを大切にしてはならない。詠唱によって神の力をその身に宿し、その神力でどうやって相手を回復してあげるかを想像する事が大切なのだ。
たとえば魔獣に足を折られた人がいたならば、その骨がもとに戻り、また再び歩けるようになる想像をすればいい。
たとえば魔獣に腕を切られた人がいたならば、その血が止まり、肉がふさがり、傷がなくなる想像をすればいい。もぎ取られた腕は元通りにならないが、傷口はふさがり命だけは助かる。
他の誰とも違う指導に最初はとまどったが、確かにフランク神父の教える通りにしてみると、一回の詠唱で回復できる量が増えてきた。
そんな日々を過ごしているうちに、あっという間に月日が過ぎ、僕はフランク神官とそう変わらない年月で神官へと昇格する事になった。
普通は10年かかる過程を半分の年月で修めた僕は、神童と呼ばれた。だがそれは同時に、将来の神官長候補として、枢機卿となっている叔父の元で修業を積んでいる長兄との軋轢を生んだ。
長兄と僕の意思がどうであれ、どちらを未来の神官長とするのかで、二つの派閥が出来つつあったのだ。
だが生まれた時から神官長となるべく生きてきた長兄と、ただ流されるままに生きてきた僕とでは、神職に対する覚悟が違う。将来の神官長には、やはり長兄がふさわしい。
けれどそれを周りの者に伝えても、その謙虚な心がまた神官長にふさわしいのだと返される始末だった。
八方ふさがりになった頃、フランク神官のイゼル砦への派遣が決まった。それは彼が望んだものらしい。
英雄のいる、魔の氾濫の際には最前線となって戦うイゼル砦。
その場所は、なんとフランク神官にふさわしい場所なのだろうと僕は思った。
それに比べて僕はどうだ。
僕がこの場所にいることによって、神殿の内部は揺れている。
ならばここは、僕のいるべき所ではないのではないか。
では……僕のいるべき所とはどこだ。
その迷いに答えをくれたのもまた、フランク神官だった。
彼がかつて所属していた冒険者のパーティーが神官を探していると言うのである。
だがフランク神官が所属していたパーティーは高名なパーティーだったはずだ。そんな中で自分がやっていけるのだろうか。
そう言うと、フランク神官はあの豪快な笑い声を上げてこう言った。
「お前、もう俺の拳くれぇならよけられるじゃねぇか。相手が魔獣でもそこらの魔獣くれぇなら避けられるだろ。そんくれぇ自分の身を守れる神官なんて、まずいねえぞ?お前みてぇな使える神官なら、あいつらだって涙を流して喜ぶだろうさ」
「僕は……使える神官ですか?」
「当たりめぇだろ?お前は俺が直々に仕込んだ、一番弟子じゃねぇか」
「ありっ……がとう、ございますっ……」
嗚咽を漏らす僕の頭に、初めて拳ではない、優しい手の平が置かれた。
「と、まあ、これが僕とフランク神官の思い出なんだけどね」
僕が泣いた所だけ除いて話すと、目の前の少女は紫の瞳を感動で潤ませて両手を胸の前で組んでいた。
まだ子供だからかもしれないけど、腹芸のできなさそうな子でいいよね。
「じゃあシモンさんにとって、フランクさんは恩師に当たるんですね~」
「まあ、そうなるね。本人にそれを言ったら、照れ隠しで拳が降ってきそうだけど」
「ああ、なんか想像できますね~」
あれから僕は冒険者として世界を旅するようになった。まだまだ行ったことのある場所は多くないが、それでも神殿に籠る日々と比べれば、世界とはなんと広い事だろう。
パーティーの他のメンバーがドワーフと獣人とエルフという事もあって、気苦労も多いけれど、毎日が新鮮で楽しかった。
そうして迎えた魔の氾濫で、僕たちはすぐにイゼル砦へと駆けつけた。
英雄のいるイゼル砦で、フランク神官は更に腕を磨いて僕たちを迎えてくれるのだろうと、パーティー全員がそう思っていた。
いや、まさか、頭にピンクのウサギを乗せて現れるとは、夢にも思わなかったけどね……
しかもそれがホーン・ラビットの変異種という立派な魔物だなんて、言われてもすぐには信じられなかった。
でもそれは真実で。
その後に聞く話も、フランク神官が言っているのでなければ絶対に有り得ないと否定していただろう。
今まで聞いた事もないヒール飛ばしとキュア飛ばし。そしてキュアを魔物に飛ばしてその魔物を懐かせるなど、最初に聞いた時は、何かの毒を受けて気でも狂ったのかと思ったくらいだ。
しかもその方法を教えてくれたのが、たった8歳の異国の少女だと言う。
だがフランク神官は実際に目の前でヒール飛ばしを実践して見せてくれた。さすがにそこまでされたら信じない訳にはいかない。
僕はすぐにヒール飛ばしをフランク神官に教えて欲しいと頼み込んだ。フランク神官もそのつもりでいてくれたらしく、すぐに特訓をしてもらった。
なぜか最初に握手をするという儀式があったのだが、それでも練習を繰り返すうちに、僕にもヒールが飛ばせるようになった。
そしてリトリス砦の近くで魔物の王が生まれたという知らせを受けて駆けつけた僕たちは、さらに驚くことになる。
あの異国の少女が、味方全体に作用するプロテクトの魔法をかけたのである。
それは僕たちが知るプロテクトの魔法とは違い、一人一人に小さな盾の妖精のようなものがつき、体の周りをくるくると回って守護するのである。しかもプロテクトの魔法と重ねがけができるのだ。
30分ほどで切れるそうだが、それでも全体の防御力を上げる事ができるというのは凄い。
思ったよりも魔物の王の周りに集まっている魔物の数が多かったので、防御力が高くなったのはかなり助かった。
最初のうちは、僕も他のパーティーにヒールする余裕があったくらいだ。
さらに、その子は攻撃魔法すらも詠唱していた。
普通は神官が攻撃魔法を取得する事はない。というより、治癒魔法と攻撃魔法の両方を使える人間など、今まで聞いた事がない。
後で聞いたら、異国では賢者という職があって、その職に就いた者は回復魔法と攻撃魔法の両方を使いこなす事ができるのだと言う。
驚く間もなく、ゴブリン・キングとレオンハルト様とイゼル砦の騎士たちの戦いになって……
終わってみれば、歴史に残る短期間で魔の氾濫の終焉が宣言された。
だがほっとするのも束の間、僕はフランク神官から内密の話を受けた。
それはこのユーリ・クジョウという異国の少女の身辺警護である。
少女の使った全体魔法やダーク・パンサーの従魔の存在は、魔の氾濫という危機が去った後の世界では、あまりにも目立ち過ぎていた。
おそらく、このたった一人の少女のおかげで、今回の魔の氾濫が短期間で終わった事に気がついた者もいるだろう。
神殿は少女のヒール飛ばしに注目したし、魔法使い協会はその魔法の威力と詠唱短縮に興味を持った。それどころか冒険者の中にも少女を勧誘できないか相談している者すらいる。
もちろん、国も少女に注目している。
そして貴族たちの中には、少女が異国の出身で保護者がいない事を知るや、見目も良い事から養女にしようと企んだり、婚約を結んで取り込もうと考えている者もいる。
今のイゼル砦に少女を誘拐する不届き者がいるはずもないが、もしも、という事がある。それに人の口に戸は立てられない。いずれ少女の存在は、あまり好ましくない輩にも伝わるだろう。
しかしイゼル砦の騎士たちは、魔の氾濫の後始末に忙しく、異国の少女一人を常に護衛しているわけにもいかない。
そこで、僕たちに少女の護衛の依頼が来た、という訳だ。
少女本人にそれと知られる事なく護衛する事。
僕たちが受けた依頼は、それほど難しいものではない。
それに僕にとって異国の魔法はとても興味深かったし、従魔の存在も身近に見る事ができて役得とも言える。
イゼル砦の騎士たちは、当初不自然な現れ方をした少女が、英雄に対して良からぬ事を為す為に送られた間者ではないかと疑っていたらしいが、その疑いはすぐに晴れたのだと言う。
無理もない、と僕は思った。
このユーリという少女は、一体どれほどのんびりした国から来たのかと思うくらい、警戒心という物がなかった。
会う人は基本皆良い人らしく、連れているダーク・パンサーの幼体の方が周りを警戒している位だ。
田舎に住む娘でも、もう少し警戒心という物を持っているのではないかとすら思う。
そんな調子だから、百戦練磨の者たちがユーリといると毒気を抜かれてしまうのだろう。
フランク神官しかり、レオンハルト様しかり。
あの権謀術策を得意とするオーウェン家の次男までもが甘やかしているのを見た時は、顎がはずれるかと思うほど驚いた。
「そういえば、シモンさんはどんな魔獣さんと仲良くなりたいんですか?」
「そうだなあ。パーティーの戦力は十分だから、偵察してくれそうなのがいいかなぁ」
「偵察っていうと、鳥ですか?鳥の魔獣ってどんなのがいるんだろう?クポって鳴いたりして……あ、あれは鳥じゃないか」
目の前で首を傾げるユーリはとても愛らしい。妹はいないけれど、もしいたらこんなに可愛いものなのだろうか。
「この近くにいる魔獣だとブラッドイーグルとかかな?」
「うわぁ。血まみれの鷲ってなんか怖いですうううう」
「あはは。鷲が血まみれなんじゃなくて、鷲が獲物を血まみれにするからついた名前だよ」
「うきゃぁ。もっと怖いですううううううう」
本気で怖がっているユーリを、従魔のノアールが頬をなめて慰めている。たまに非難するような視線がくるのは、気のせいじゃないに違いない。
うん。本当におもしろいね。
フランク神官。僕はかつてあなたにこの世界の広さを教えて頂いた。
そして今また、新たな世界が僕の前に広がっている。
神よ。
僕はこの世界に生きていることを感謝いたします。
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