第34話

引越前からだが、羅弁護士はもう一人の弁護士と共同で事務所を構えている。そのためかどうだか、転居後も広々としたスペースがあり、仕切りや小部屋もいくつかあった。

羅弁護士の私室はエントランスのすぐ右手だった。畳6畳くらいだろうか。本棚には法律関係の書籍が居心地良さそうに収まっていて、床に平積みされている書類も多く、少々雑然としている。それが、まさに現役真っ只中、活躍する弁護士の象徴に見える。氏の机は十分な広さがあるが、やはりパソコンはない。

手紙が出せなかった理由を説明し、無沙汰を詫び、また、本当に再会できたことが光栄で嬉しいと挨拶した。お土産を渡し、彼の机に平行に置かれた濃紺のソファーに腰掛けて、

「本当にパソコンはないんですね。」

と笑ったら、

「あれは使いません。」

と少し照れたように答えた。今どき、ネットなしでも仕事出来るのか、不思議だが、出来ているようだ。たしか、作家の浅田次郎もすべて原稿は手書きだ。原稿用紙上の達筆なそれを何かで見たことがある。


多忙な弁護士の時間を長く割くことは失礼と、ホテルの部屋でここ数年の流れや状況を箇条書きや一部図式化して極力わかりやすくまとめて来ていた。主に、離婚後も前夫と関わらざるを得ず、桂との面会は現時点では問題ないが 、日本に里帰りさせる時や、普段の避けられない最小限のやり取りでもストレスを強いられていること。蘭の養育費を請求したい経済状態にあり、それを検討中だ。の2点を強調した。


離婚して3年経過しているが、ジャックが私より相当貯蓄額が多く、蘭の進路について言及する機会も少なくなかった。もちろん、言いづらいし、できればあの人に頼み事はしたくないが、本来彼が担う義務なのだ、と考えると、引き下がるのが解せなくなっていた。

20分ほどでおいとましたと思う。短時間でも、とにかく顔を見に行けたこと、台湾に信頼できる弁護士がいると再認識できたことは、私にとっては胸のすくような感慨があった。

ジャックと完全に縁が切れない以上、それ相応の重苦しい不安感は続く。また、将来私が台湾で生活する可能性は多分にある。

こういう状況下で、誠実で温和な弁護士の存在がいかに尊いことか。


養育費の件は、慎重に慎重を期す対応が必要だった。私がジャックと直接談判、などは論外である。拒否の即行は確実だった。

熟考の結果、日本で取引がある銀行で、蘭の普通口座を開設して、通帳とキャッシュカードを手に入れ、8月蘭が台湾に行く際持たせる作戦に決定した。金額はジャックに任せる。ここに振り込んでほしい、と蘭から話す手筈を整えた。





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