第102話

たまりたまった肉体及び精神的疲労が、土台にあるうつ病の上で限界値を超えてしまったのが、事実上2ヶ月間、高瀬店長の重圧のもとでの書店勤務期だったと結論付けたのは、母であり、石井医師だった。

私自身は、ある時ふと昨年の今頃を思い出し、感じることはある。

恋人はいないし、再婚はする気がないから一人のままだ。宝くじは買っていないし、土地が売れたとか、もちろんジャックの気が変わり、蘭の養育費をもらい始めてもいない。何も境遇は変化なしだ。

ただ、大きなちがいは私の気持ちにあった。


2012年夏に離婚帰国してから、ついこの間まであった〝母子家庭なのだから、もっともっと働かなきゃ。これくらいで満足しちゃいけない。これよりさらに苛酷で身体を張ったように働いているシングルマザーはいる。〟

という必死で、自分を鼓舞し続け、たきつけるような感情で燃えていた。

日本語講習を9時から夕方5時までやり、急いでファストフード店に行き、2〜3時間働いて、土日は二胡を教えに行って、それ以外はファストフード店。

以前書いたかもしれないが、こんな具合で50日間オフ無し生活を去年冬から春にかけ2度やった。やる気力があった。疲労を感じる神経が麻痺していたのではないかと、今になって思う。いや、疲れても平気だった。時給と勤務時間数をかけて「今日は講師料がooooで、ファストフード3時間で……」、「今日は忙しくて1時間延長勤務したから、7時間で……」と計算して達成感を得るのに酔っていた。お金を稼ぐことが面白くて仕方なかったし、中毒みたいに、稼ぐ行動をしていないと落ち着かなかった。片親だから、低所得層にいるから、蘭を大学で勉強させてやらねばならないから、年に一度以上は台湾へ桂に会いに行く資金が必要だから………

お金を貯めるのに馬車馬の如く暮らすのを潔しとはしないくせに、結局、さしあたって要るものはお金だった。お金がなくては実現しないことばかりが、数珠つなぎに待ち受けていた。だから、体調が悪くても、お金に換算可能な時間を過ごしていれば安心できた。


そんな、一種の高揚感に進んで浸れたのは、昨年11月まで。

約3年間の無我夢中な金稼ぎコース。

暖冬と発表され、インフルエンザが流行らない師走。

その頃、私は猛進して来たコースを外れた。入って来る仕事の依頼に怯えるようになった。スケジュールが埋まるのが苦痛になった。収入が減っても構わないから、磨り減りたくない、傷つきたくない、荒波に曝されたくない、と悲鳴のように心の中で叫んでいた。


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