第101話
心療内科医の石井先生がかつて気分障害の何かを患った体験があるか否かは知らないが、
「3月7日、急にアフタースクール指導員助っ人(スポット)の出動依頼が舞い込んで、午後1:00〜6:00務めた時はしんどかったです………」
と告げると、
「そら、しんどいやろ。」
とあっさり共感してくれた。気持ちのこもった共感だった。
優に20分は話し込んだと感じられる頃、医師は、よしっ、とばかりに、
「1回、リフレックスいうの飲んでみよか。これも、前出したサインバルタ同様、うつの治療薬やけど、めっちゃ眠たくなるねん。けど、これが効いたら、今飲んでる安定剤(催眠剤)のマイスリーとユーロジンが不要になるかもしれん。そうなれば、薬を断つ時に断ちやすいんやけどなぁ…」
との期待も滲ませた。絶不調の折に、断薬する時の話が飛び出すなんて。驚きと希望が一遍にポップコーンみたいに跳ねた。
ところが、めっちゃ眠たくなるらしいリフレックスと、指示に従い、従来通り2種の安定剤を就寝前に服用した結果、翌日なんと午後3時まで頭の中が混沌とし、重い身体も起こせなかった。催眠効果が強すぎたのだ。
それで、その夜はリフレックス一錠は飲み、安定剤を2種類とも止めてみた。
これは前日より随分とよい朝を迎えられたが、どうも終日気分がすぐれなかった。具体的に、と聞かれれば説明が難しいが、どんよりして覇気がない。
そして、だいぶ知恵がついてきた3日目の夜は、リフレックス半錠と2種の安定剤の組み合わせにしてみた。リフレックスはもしかして私には合わないのでは? との疑念が湧いていたが、2週間は試してみなければとがんばった。
翌日、3月19日。この頃、朝の変化に気づいた。それまで、朝の目覚めとともに感じた胸の重苦しさがなく、座ったり、立ち上がったりと、しばらく経ってから息苦しくなって来るのだ。新パターンの登場で、興味深かった。うつの症状は実に多種多様だ。
また、半錠に減らしたリフレックスの仕業かどうかはっきりしないものの、その日も、起きて活動はできてもツラい。なんと言うか、だるい。口の中が高熱後のそれみたいにざらざらする、というか、違和感があって気になる。
それ以後、私は‘優秀な患者’でいることを放棄して、リフレックスを飲まなくなった。正確には、飲めなくなった。現状維持ならまだしも、服用後新しい不調や疑心暗鬼に戸惑うくらいなら、無理しなくてもいいだろう、と思った。こういう勝手な判断は、うつ病には御法度と知りながらも、あの気持ち悪さは避けたくてしようがない。
1月、2月同様、3月も転げるように過ぎて行く。
ついに、夫がこの世を去っても泣き言をいったり、寂しがる素振りも見せない母が、台所で問わず語りした。
「私って薄情なんやろか。お父さんがあんなことになっても、涙がボロボロ出たり、すごいショック受けた感じがないんや。」
よかった。母は必死に悲しみを堪えていたのではなかったのだ。私が推測したまんまだったのだ。
愛する人を亡くした寂しさは、墨が半紙にじわじわと滲むようにゆっくり身に沁みて来ると聞くが、それはそれでいい。その時はその時。
母、その娘、孫。女三代だけの家。
病床に臥す父がいた時は、病人が家にいる、特殊な暗鬱さという泥に足をとられて喘いでいるが如く苦痛を感じ続けていた。肺気腫が不治の病ゆえに、晴れたと思われる瞬間もそれは錯覚であり、まやかしだと卑下していた。
だが、常に病とイコールでさえあった父の不在は、なお晴れではなかった。
女三代と1匹の犬の自由と団らんと、ここに在った命がなくなったシンとした静謐(せいひつ)が同居する日々である。
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