第99話

案じていたが、13日は8時頃にはしっかり立って歩けた。

父の棺は10:00に自宅を出るが、告別式は午後1:00からなので、最悪の場合はそれに間に合いさえすればいい。

そう自分に重々言い聞かせて布団に入った。もともと「いつ、〇〇しなければならない」という‘縛り’というか、いわゆる‘予定’は、うつを患う者にはとてもツラく気が重いものだから、重ね重ね言い聞かせたのだ。

もうじき肉体を失くす父のそばに長くいたい、今のうち顔を見て話しかけたい、と切なく考えたが、思うように身体を動かせないからどうしようもなかった。足が骨折して、どうにも自力では歩けないのと同じだった。


13日、気温は平年より高めで、日も差した。

通夜をしない地域ゆえ、当日遠方では東京、千葉、名古屋から葬儀に駆けつけた人がいた。こういう事でもなければ、コマ送りみたいに10年20年と会えない親戚もいる。皮肉にも、会えるのは毎度お葬式、という年代を迎えつつある。結婚式を大々と挙げなくなった時代の変化もある。


喪主は務めずに済んだが、遺族親族を代表しての挨拶は何せ父との47年間を長くても5分ほどにまとめねばならず、葬儀会社の職員に促され、祭壇の前に腰掛けても、校正や付け足しを繰り返した。

声が震えたのは緊張のせいではなく、嗚咽をこらえていたからだが、

「立派だったね。」

「お父さん、きっと喜んでるわ。」

と、挨拶の出来は上々だった。

火葬場までは車で約20分。菩提寺にすぐ赴いてするお務めがあり、叔父と従兄の2人が果たしてくれることになり、私たちは火葬場の広く天井が高く、お茶淹れと使用後のそれらの洗い物はセルフサービスの待合室で約2時間待った。順番から言っても順当で、幼少時から病弱だった父が83歳とは、十分大往生で、そこは暖房の温度みたいな歓談の場になった。


私が小学生くらいまでは土葬が一般的だった名残りか、火葬には未だ慣れない。今いるCOCOの先代・柴犬のフウが死んだ時も、母は市役所に届けて火葬してもらおうか、と言ったが、私はフウの身体が炎に包まれる絵を描いただけで気が狂いそうだったので、田舎で土地だけは豊富にあるのをよいことに土葬にした。

今回確信したが、自分より年長者はまだ耐え得るが、親しく愛する年少者の火葬は身を切られるに等しい。法律で火葬が義務付けられていると知って、心中誠に穏やかでない。


最後まで食欲はあまり落ちず、ふっくらした頬と、不健康に膨らんだお腹を持っていた父が骨と灰になり、骨壷に収まり、帰宅したあと、残ってくれた親戚と、葬儀代に含まれて届けられた酢が効きすぎたお寿司をいただき、お開きとなったのが午後6:50。

5回目の東日本大震災の日から、まさに怒濤の3日間は案ずるより産むが易し、と過ぎて行った。

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