第100話

それにしても不思議なもので、母は最も近い(とはいえ、すでに30年が過ぎたが)義父(私の祖父)の告別式では、血縁関係がない事実を訝るほど号泣したくせに、夫(わが父)の時は目を赤くする程度で、こちらの心配はとり越し苦労にしてしまった。荼毘にふす時も、親戚たちが帰り、家内が家族3人と一匹だけになっても、一向に泣き崩れない。

「じーちゃんとばーちゃんて、ラブラブやね。」

と再三私と蘭に冷やかされるおしどり夫婦だったのに……

来る日も来る日もシクシク嘆かれても厄介だが、いささか拍子抜けというか、期せぬ成り行きであった。

私は娘なりに〝長い闘病生活中に徐々に心の準備はできていただろうし、懸命の介護をしてやり、悔いがないんだろう〟と推測していた。


ご存知のように、仏教では死後7日ごとに法要を営む。その忌日の前日を「初七日、ふた7日、み7日……」というが、関西では「逮夜(たいや)」とよぶ風習がある。

11日逝った父の次の逮夜は3月16日。この初回は、菩提寺よりご住職様が来られ、念仏を唱えてもらった。はじめにしばらくお説教があり、

「……ということで、死んだ者は、いわば7日ごとに裁判を受けて行くわけです。」

とのくだりに私は反応し、父は間違いなく好いところに導かれるが、私なら、いわゆる六道の天道以外でさまよい、居心地の良い場所には入れてもらえないだろう、とつくづく考えた。

幼い頃、ミドリガメの飼育を途中でやめてしまって、気づけば死んでいたことがあったし、同居していて亡くなった祖父や父に優しく、思いやりある看病ができたとはとても言えないし、被害を被らされたと思っているジャックにさえ、彼が描いた理想の家族像や結婚像を実現させてやれなかった罪悪感があるのだから、絶対まともな死後は待っていない。過去は変えられないから、このまま死ぬまで生きるしかない。‘こういう覚悟’があるだけでも、その場に及んで見苦しい振舞いはせずに済むだろう、と前向きに(?)とらえるしかない。


さて、その逮夜の日は、3月3日予約なしの受診後初の心療内科定期診察日でもあった。うつが悪化していなければ、2月17日の次はこの3月16日に石井医師に会うはずだった。

レクサプロを止め、サインバルタに変えて2週間様子を見る診断を受けたわけだが、熱心に探しては見るものの、何の変化も現れなかったことを告げた。

また、もちろん父の件も石井先生に話した。彼の死に打ちひしがれ辛いから、というより、気分障害とか精神疾患といわれるものには、この種のアクシデントが濃厚に関与するケースは圧倒的に多いゆえに、一つの〝情報〟として伝えるべき事と判断したからだ。

石井先生は、サインバルタが奏功しなかったことも、父の他界も重く見た様子だった。そして、ここ1ヶ月間は幸か不幸かルーティーンの仕事がなくてまだのんびりしていられたが、あと1週間あまりで消極的バカンスも終わってしまうゆえ、焦りも不安も増大中であるのも考慮すべき事項だった。

商工会に尋ねると、中国人技能実習生の来日は1週間延びたが3月23日、日本語講習は翌24日からと確定していた。何より、新年度4月初日からは常勤のアフタースクール指導員となり、土日祝日以外毎日が出勤日となる。

〝放課後〟児童指導員だから、拘束時間は半日のみとはいえ、それに耐え得る体力が果たしてあるのかも不安で仕方なかった。









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