第92話

前回2月17日の診察時との落差に、良い意味で呑気な落ち着きモードが魅力(私はそう思う)の石井先生もさすがに驚いていた。実際、私は背筋をスパッと伸ばし、はきはき、シャキシャキとはしゃべれなかった。潜んでいるうつ病がこれほどエネルギーを溜め込んでいるとは、正直度肝を抜かれた。

そもそも、うつ病は治りにくい病気と言われることは多い。一旦回復しても、再発率が高い。勝手に自分で判断し、薬の量を減らしたり、服用を止めてしまったりしたため、リバウンドする場合があるし、治りどきも注意が必要だ。

また、ストレスの多い環境にいるなら、それを変えてみると案外早く完治したり、うつ病になりやすい偏った考え方や性格もあり、そういう場合は薬物療法以外にカウンセリング、認知行動療法、対人関係療法などを並行して施すとより大きい効果が期待できる。


ある知人は、娘さんが高校時代、勉強のことで情緒的に不安定になり、ネットで評判が良い心療内科を探し、車で2時間かけて診せに行った。が、その名医なはずの医師は、娘の顔もまともに見ず、パソコン画面にパコパコ薬名を打ち込んで終わり、でびっくりしたらしい。

これでは意味がない、とその知人は出された薬を断わり、近所の石井医師を訪ねた。石井先生は時間を気にせず、じっくり娘さんの話に耳を傾けた。すると、娘さんも喜び、気持ちが落ち着き、結果的にそう時間もかからず治癒したという。

石井先生はそういう医師だった。よって、私はふだんからカウンセリングなど上記3つの治療法も試みてもらっているのに近い。私の完璧主義やら心配性やらひどく思慮深い面がうつ病を招きやすくしているのは承知している。


だが、一筋縄では行かないのが ‘わかっちゃいるけどできない’ ことは多々あるというのと、私のすべてが几帳面で律儀で完璧主義なのではなく、人並みよりちゃらんぽらんだったり、他人には耐え難いことが、私には意に介さないレベルのもので、非常にいびつに混じり合っている点だろう。

たとえば、私には20代から長寿願望がない。

ジェームス・デイーンやマリリン・モンローに憧れたからかもしれない、と考えていた時期もあったが、不惑前後になると、起伏に満ちた、不如意な半生を生きた疲労のため、厭世観が強くなった所以だと思うようになった。

振り返れば、30代半ば以来、さらに長寿願望は萎み、

「いつ死んだっていい。」

「早くこの世を去りたい。消えたい。」

としょっちゅう口にした。運悪く母が聞いていた時は、キツく叱責されたし、最近では蘭や桂が嫌がるようになった。だが、やはり事実なのである。

「大丈夫、これくらいでは死なないから。」

みたいなことを時々聞くが、私は安心しない。〝いつかは死ねる。いつかは死ねる時が来るからがんばろう〟と自分に言い聞かせるのだ。

いろいろな啓発本を読んだし、人生の素晴らしさを他人の体験から感じ取る機会はあるのに、私の胸の奥や細胞の中には染み込んで来ない。

去年の初秋だった。

石井先生の診察の際、こんな会話があった。

「ほんとに、うわ〜うれしいな〜! という事が長らくありません。

先日、2年に一度の子宮頸がんと乳がん検診を受けて、それから内科医に半強制的に胃カメラを呑まされましたが、すべてシロ、異常無しでした。」

と話すと、先生はメガネ越しにちろりと私を伺って、

「それって、うれしい事やないの?」

といささか意外な声色で尋ねた。

一瞬考えたが、私は首を横に振った。


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