02.

「やあやあ、ようこそ四辻探偵事務所へ。私が所長のシエリールです」

 シエリールは、明るく、両手を広げ、笑顔で歓迎の意を表した。この陰鬱なものの集まりやすい場所に似つかわしくない明るさだったが、本当に待ちに待っていた依頼人だ。少々、過剰な仕草かとも本人も思ったが、彼女の感情を正直に表現するとそうなった。

 対して、来訪者にはそれをほんの少し瞠目しただけで流されてしまう。明るい顔で、両手を広げ、客を歓待する吸血鬼。それを、冷めた目で見る人間。なんという滑稽。

 おそらく、真澄でさえもこのシエリールを見たら頭の異常を心配するだろう。そんな珍態。

 たっぷり三秒は固まった後、シエリールはこほんと咳払いをして、取り繕ろう。

 入り口には、六十半ばぐらいの老婆が立っていた。特に年寄りくさい格好でもなく、背もまだぴんとしている見た目元気そうな老人だ。

 実は今なら、殺害依頼であろうとも三割引で引き受けてしまいそうなくらい困窮してしている。

 シエリールはソファを勧めた。もう何年も使われ、すっかり弾力は失われ固くなった皮の一般的な事務所の典型ともいえるソファである。それに老婆は腰を落ち着けた。

 それを確認しながら自身も、二つ並べてある対面の一人がけのソファに腰を下ろす。老人の座る姿勢の良さが目に止まった。観察は探偵の基本。そして、シエリールの趣味。

 そこに、巡季は入れたてのお茶を、ソファの間に置いてあるテーブルに老婆の分、シエリールの分と置いていった。巡季は置き終えると無愛想ではない、ただ感情のない顔でお辞儀をして自分の机に戻っていく。老婆は、軽く会釈してそれを見ていた。

「それでは、早速本題に入りましょう。我々は、猫探しから、世の中の困ったさんの駆除まで幅広く承っております。まあ、少々嵩みますがね」

 シエリールは、そう言って、右手の人差し指と親指で輪を作って見せる。もちろん、それの汚さを薄めるように笑顔も合わせてみるが、効果のほどは猫の額ほどもないことを自覚していた。

「猫を探して欲しいのです」

 おもむろに、老婆は口を開いた。内容によっては自分たちが非合法であることを隠して仕事をする場合もないことはなくて、シエリールは少し困惑する。

「うちは特殊なので、相場より高いですよ? うちでよろしいのですね?」

 大抵、非合法を知らない人間たちはこの相場を聞いて怒りをあらわにして帰ることが圧倒的に多い。ここに来る連中の程度はそんなものだった。

 しかし、老婆はそれを聞くと、ひざの上においてあったハンドバックから一通の封筒を取り出して、差し出す。

 表には、“親愛なるシエへ”と書かれていた。封筒に封はなく、シエリールは中から便箋を取り出して目を通す。要はこうだ。この老人は柴浦氏といい、シエリールの友人、四十院トメの友人であるからきちんと対応して欲しいと言うことと、シエリールの客に間違いないということだった。

 つまり、この良く見ればいいお召し物を身につけている人物は、シエリール側の人間、魔法使いだと言うことだ。そこから推察できることとして、探している猫とやらも使い魔だろうということ。

「よくわかりました。では、詳しいお話を伺いましょう」

「名前は、喜助といいます。毛は三毛で、オスです。年は、私が従えてから三十三年になります」

 シエリールは、色々突っ込みたい衝動に駆られた。まず、三毛。普通黒い毛のほうが魔力をためやすいのと、一般の魔法使いが行うのは大半が黒魔術の分類なので、黒の方が相性がいい。しかも、オス。三毛猫はその遺伝子の構造上、オスになると高確率で致死遺伝子を発現させ死に至る。しかも、生き物としてオスは盛ったりして、気性が荒くあまり好まれない。

 シエリールとしては、どういう低確率で存在が許されたか等は聞きたくもないので、聞かないことにする。

「いつから、どこら辺からいなくなりましたか」

 面倒な話は聞かず、事務的なことを様式にのっとり尋ねる。

「一ヶ月前に、自宅からいなくなりました」

「なんか変わったことは、ありませんでしたか? 例えば弱っていたとか」

「いえ、そのようなことは。ただ、たまたまその日、忙しくて喜助の誕生日を忘れてしまったのです。毎年いつもとは違う食事などをしてお祝いしてたのですが、ついうっかり」

 高齢の魔法使いはお恥ずかしいです、と付け加えた。シエリールは、今度こそ突っ込みそうになって留まる。使い魔はその名の通り使役される事を目的に造られるか、喚ばれるもの。そんなほんわかと親密になるような関係ではない。

 しかし、魔法使いなど皆どこかしら偏屈だ。追い討ちとして、トメの友人である。それだけで、奇人の可能性は十分にあるといえた。

「あの、急いでください。あの子は、もう魔力が切れる頃です。そうなれば、お分かりかと思いますが、塵は塵に、死体は死体に還ります」

「はい、では、明日あなたの家の付近から調査をします」

 シエリールは、内なる自分に必死に制動をかけ、些事に対する好奇心を色々抑えて、それだけを機械的に告げた。



 季節は、秋の終わり。この町は冬が長い。その分秋が短い。今日も、秋の終わりというよりかは、冬の始まりのような日である。人間と違い、寒さ暑さで一喜一憂しないシエリールの吐く息も一様に白く、季節の移ろいを表現していた。

 シエリールは、お金に窮しているといえど、あまり気乗りはしていない。探しますと言ったが、本当のところ、猫探しは得意ではないからだ。

 ただ、今回のように使い魔等、魔力を少なからず帯びているならなんとかなってきた。家から順番に痕跡を辿っていくのだ。

 だが、今回は危惧する点があり、それは時間だった。一ヶ月前の弱々しい痕跡が残っているかは甚だ疑問の残るところだったからだ。

 それでも、現場百遍ではないが、とりあえず、現場に赴かなければ話は始まらない。気乗りしないまま、巡季を伴って事務所を後にした。

 柴浦の家の付近は、ぱっと見にも気づく程閑散としている。寒さを感じるが、単に気温だけの問題ではないだろう。すでに建物もない区画もあったが、多くは住人だけが居を去っただけのようだ。

 その中で、とりわけ異彩を放っているのが依頼人の家だった。恐らく、このあたりのどの家よりも古くから住み、維持し伝えてきたのだろう。それは、古い洋館風な作りで、外にははっきりわかる警戒用の結界が張られていた。この結界に触れた瞬間に来訪は伝わっていると思うが、家の呼び鈴を押す。

「いらっしゃいませ。ようこそ、おいでくださいました」

 シエリールたちは、丁寧に出迎えられて、家の中に入る。魔法使いの家というのは、それ自体が異界に近い。独自の警報装置から始まって、他者を排除する攻撃系の罠ときて、最終的に自分で手を下さなくてはいけなくなったとき少しでも有利になるような状況作り。これらを怠るものはいない。魔法使いの家に攻め入るとなったら、それは城攻めみたいなものである。

 それぐらい魔法使いは自分たちの作り上げてきた神秘を大事にし、秘匿する。現実、隠すとか大事にするというレベルではない。まず、自分が魔法使いであることを隠す。さらに、その成果は基本的に他人には渡さないし、ときにはそのせいで殺し合いに発展することも珍しいことではない。

 その家が練ってきた魔法は、まず弟子にしか公開しない。そういった意味で、シエリールが魔法というものを教わることが出来たのは、奇跡みたいなものだった。

 シエリールは、見た目のまとまりとは違い、不思議な広さを居間に感じる。別に空間の在り方を実際にいじっているのではないだろう。そんなことは、奇跡の体現者、略して体現者エンチャンターの奇跡でもなければ無理だろうからだ。しかし、やろうと思えば不可能ではないところが世界の深さを思わせる。

「基本で申し訳ないのですが、近況、特に変わったことはありませんでしたか?」

 シエリールは、居間に置かれている自分たちの所の物とは天と地ほどかけ離れた高級なソファに巡季と並んで腰掛けて、上手に入れられた紅茶を味わいながら聞いた。

「見ていただいたらわかると思いますが、このあたりは地上げにあってまして、急に周りに人がいなくなってます。どうやら、団地を作りたいらしいのです。でも、ご理解いただけると思いますが、私も立場上、ご先祖様からの土地は何があっても手放すわけにはいきません」

「そうですね。わかります」

 土地は、魔法を使うとなったとき重要な要素なのだ。土地が力を貸してくれれば、実力以上の魔法が使うことも可能となる。グリア・ガッハという妖精たちはそうやって土地守をしながら体現者に近いことをやっているものが多い。楽園の守り手などは、それで力がありすぎて存在自体が禁忌とされる貴人ノーブルズに数えられているぐらいだ。

 特に、魔法使いの家は霊脈に近いとか、魔が寄りにくい、気配が消せるくらい雑然としているなど、明確な利点と理由があってそこに作られている。だから、暴力団に脅されている位では立ち退くには理由が弱すぎるのだ。

 他には、特筆すべき変化はないらしい。シエリールが得た情報は二つ。猫の誕生会を忘れたことと、地上げがひどいこと。ここから導かれるのは家出したか、さらわれたか。

 だが、命が危険になるほどの家出はしないだろう。それに、使い魔なら人間と同じ思考が可能であり、さらわれたのも考えにくい。と、なると両方か、同じ魔法使いにさらわれたかだ。

 同じ魔法使いでも、当人同士の仲が良いというのも珍しいし、相手の使い魔ならとっとと消すに越したことはない。だが、まだ生きていると繋がっている感じからわかるというのだ。やはり、家出して弱ったところをさらわれたというのが一番現実的か。

 シエリールは、くるくると思考を廻して、それをしばし楽しんでから同じ結論に達し、仕方なく、気配から追う事にした。家の前に出て、右手を前に出して、呪文を唱える。

「Listen my being」

 基本、シエリールの呪文は英語だ。それは、彼女に魔法を教えた師、アクレス翁が英国人だからである。そして、呪文詠唱の始まりの開始言語である起動詞の後に呪文本体を続ける。

『辿れ、我が忠実な僕よ。多くの道をかき分け、可能性という真実を我に見せよ』

 シエリールの目の前に、多くの魔力の跡が光って道を作った。ここには、あまり多くはないが情報がある。

 まず、後ろにある魔力の塊が家、恐らく霊脈に触れているのだろうまぶしくて直接見ることは叶わない。そこから出ている太い方が柴浦で、この弱々しいのが喜助だろう。

 この中から喜助の通った一番新しいものを見つけなくてはならない。シエリールは大体の見当をつけた後、二択まで絞込み頭を悩ませる。左から二本目と三本目が鮮明だが、猫はどうしてこう決まったように同じ道を行くのか。とりあえず暫定的に二本目が一番だとし、とにかく追いかけてみることにした。

 そうして、シエリールは巡季を連れて辿って行くことにした。そこで、新開発のねずみ型魔力探査魔を使ってみることにする。これも、使い魔の一種だが、用途を簡単にし、意思もない魔力の塊といったところだ。

 それが指定した魔力痕を辿っていく。すると、あるところから塀に上っており、もちろん探査魔はするすると行くが、シエリールたちはそうは行かない。途中で、体の大きい巡季を置いて、シエリールだけで続きを追った。なるべく人目を避け、登って追いかける。

 さすが猫であるだけあって、人様の庭は通るは、裏路地を通るはで、追いかけるのは困難を極めた。そのせいで色々な体面や恥をうっかり丸投げしそうになった頃、少し広けた通りの裏の事務所の前で探査魔が動きを止める。

 その裏道の鉄筋コンクリートのビルには「黄砂会こうさかい」と偉そうに看板が人の目を憚ることなく掲げられていた。もう一度、探査用の魔法をかけてみるとそこには同じ様な痕跡が、いくつも浮かび上がる。まるでここを監視にでも来ていたかのようだ。

 この黄砂会という暴力団、今日本で一番性質の悪い集団である。名前の通り、どこからか街に入ってきては、こびりついて色んなものをダメにしていく。やることは、ピンからキリまでさまざまだ。

 下っ端は、チンピラそのもので、恐喝、かつ上げは日常茶飯事。上は上で、強引な地上げや、銃の売買、薬の販売に、人身売買、殺人。とにかく、街でやってる悪いことのほとんどに絡んでいる。今回の、柴浦邸付近の地上げにも関わっているのが、想像に難くなかった。

 シエリールから見れば人間の暴力団はそう恐ろしいものではない。数が多くて、面倒なだけだ。だが、面倒をなにより嫌う彼女にとっても好ましくないものであることは確かだった。

 シエリールは、巡季に携帯電話で場所を知らせ、先に行ってるぞ、と告げる。

 もう陽も傾き始め、もうじき彼女たちの時間となろうとしていた。夜は、女の時間、死の時間、人外の時間だ。雲の少ない、ありふれた夕方の光景を背にしながら、建物へと近づいた。

 いつからだろう、夜がこんなに明るくなってしまったのは。不意にそんなことに思いを馳せる。

 ここの黄砂会事務所は、割と知った場所なので、一階から入って堂々と受付に行った。ファーの付いた黒のジャンパーを着て、それに行儀悪く手を突っ込んで歩を進める。彼女は、この格好が好きだし、このような姿勢で歩くのが好きだった。

 一階の受付で形だけの手続きをふむ。名前の欄に、不器用にカタカナでシエリールと書いた。訪問先は、多加田と記入。受付を越えると、コンクリートで固められた冷たい階段を登る。残りの建前である表の顔を無視して三階の事務所本体まで直行した。

 狭い応接室に門番なのか、三人の男が応接テーブルを挟んで座っている。見たことの無い顔だった。

 だが、急激に勢力を伸ばしているこの組、黄砂会に入りたいという馬鹿どもの数の多さを思い出す。その数は、そのまま処理するときに目眩を起こしそうな面倒の数だ。

 さらに急進派は特にだが、恨まれるのも当然で、その結果人がどんどん死に、新しい顔が増えていく。わかりやすい構図だ。視界は煙に満ち、辺りにはタバコの臭いが立ち込めていた。

 そのうちの一人が立ち上がり、キスでもするのかというくらい顔を近づけてくる。シエリールの来訪に対して嫌悪を前面に立てた。脅す目的なのか、眉間にしわをよせ、口をとがらせる。

「おい、姉ちゃん。ここは、あんたのようなのが来るとこ違うぞ。働き口探してるんなら、ソープにでも行け!」

「ああ、ちょうどいい。面白い顔の君、ここに多加田って言うのがいるだろう? 呼んできてくれないか?」

「だ、だれが面白い顔だ!? なま言ってると怪我すんぞ? おおっ?」

「それからあまり顔を近づけるな。腐ったにおいがする」

 自慢の紅い眼で睨みつけた。込めた感情は殺意。純粋なる狩人の、獲物を見る眼。相手は、殺気の眼差しというものを知っているようだ。男は、腰は抜かさなかったものの、完全にたじろいでしまっていた。

 そこに、遅れて相方の巡季が部屋に入ってきた。百九十近い長身と、感情の無い目は、ときに見るものに嫌悪感と恐怖感を植えつける。今回も与えたようだった。不透明な意思は恐怖を。無感情は、嫌悪を呼び起こす。男にとってしてみれば、彼の上の人間が、人を始末するときの虚無の顔と同じ印象だろう。

 巡季は、深いグレイのスーツに紺に金のストライプの入ったネクタイを身につけている。それは、普通のサラリーマンを思わせたが両の手には薄い黒の皮手袋をはめていた。男たちは室内に入ってなお脱がない皮手袋が気になるようだ。それは、まるで証拠隠滅を語っているようにでも見えるのだろう。

「ご苦労、巡季。今、躾の悪い犬にご主人様を呼ばせてるところだ」

「なっ、」

 男どもは、恐怖を吹き飛ばすくらいの怒りに駆られたようだった。しかし、シエリールが視線を送るとそれだけで、二の句を継げない。

「やかましいな」

 そう言って一人の男が不機嫌そうに奥の部屋から出てくる。多加田だった。この男の人との関わりあい方は、いかにもな悪党ではない。哲学を持って悪事を行い、それによって微塵も後悔や、罪悪感とは無縁の生き方をしている。表向きは人懐っこい顔も可能、そんな男だ。

 白いスーツに光るくらいまでに磨かれた悪趣味な靴。紫のシャツに赤いネクタイ、金のタイピン。明らかに一般人と一緒にするなというオーラが漂っていた。どうして、この手の悪党どもは、金や権力を持つと似通った趣味、趣向になるのか。シエリールはそれがいつも不思議で仕方なかった。

 多加田は、作り笑いにも見える人懐っこい笑顔を見せ話しかけてくる。

「いやあ、シエリールの姉御じゃないですか。これはこれは、うちの若い者が失礼をしました」

 そういって、シエリールに絡んでいた面白い顔の男の頭を力強くはたいた。叩かれた男は、黙って目を伏せたままだ。

「やあ、多加田。元気そうで残念だ。ちょっと聞きたいことがある。組長に会わせろ」

「いやだな、姉御。姉御も知ってて人が悪い。あ、人じゃなかったか。まあどっちでも関係ないな。裏には裏の、ルールがあります。筋って言うんですがね。それは守ってもらわなきゃ」

「知らないな。そんなどぶの臭いのするしがらみなんてのは。それとも、選ぶか? 多加田?」

 シエリールは、軽い笑みにも似た涼しい眼つきで多加田を見た。多加田と呼ばれた男の笑顔が凍る。シエリールの提示する選択肢は、単純にして究極のものだ。つまり、死ぬか従うかだった。

 多加田の顔には微かだが、笑顔に混じって明らかな怯えが浮かんでいる。シエリールは、その笑顔についてはよく知っていた。

 シエリールは、人の命の軽さを知っているし、どうすれば、効率よく機能停止に追い込めるかも知っている。最も恐ろしいのは、理由があればなんだっていいということ。

 今回で言えば、猫を一匹探しに来て、邪魔だったから黄砂会の事務所を一つ消す。それで十分だった。それでも、昔よりは丸くなってはいるし、時代が許してくれない。もし、シエリールが昔のままであり、時代が許したならばこの部屋には、人だったものが三つと、そこに入ってきた愚かな虫が一匹という有様になっていたはずである。

 理由は、なんとなくもしくは視界に入ったから等後付の理由をいけしゃあしゃあと言ってのけただろう。シエリールとはそういう存在だった。

 多加田の無言を了承ととらえたシエリールは横を通って奥へと繋がったドアに手をかける。そのときだった。多加田が懐から銃を抜いて、シエリールの後頭部に突きつける。

 シエリールはこの程度で動じたりはしない。それに彼女は感じていた。多加田を含めた男たちが自分に怯えてることを。シエリールは想像して、内心楽しくなった。多加田は組長からのどんな傍若無人な自分の話を聞かされてきたのだろうか。あれか、それともこれか。出会った頃なんてのも悪くない。どれも人間がシエリールを化け物と呼ぶには充分すぎる事実だ。

 銃に怯えることなく、少しも慌てないシエリールに更なる恐怖が喚起されたのだろう。多加田は、少したじろいで、汗ばんだ手の中の銃を持ち直し、かすかな音をたてた。ためらいが周囲に伝播する。

「よろしい。多加田。引き金を引きたまえ。ただし、その瞬間私はおまえが選択したと判断する。私が、銃で死ぬかどうか、己の命で試してみるがいい」

 寸刻、静寂が狭い部屋を支配した。乾いた呼吸音がする。そこに、本当にわずかだが、本人も隠そうと必死なのが伝わってくるような、しかしそれはうまくいかずに銃の金属部分同士がぶつかり小刻みに震える音が部屋を泳いだ。まるで、それしか音がないようだった。

 多加田は、いつも怖くて何を考えているかわからなくて、人を殺すときも眉一つ動かさず、それこそ笑みさえこぼさず坦々と処理していく。そんな姿から、殺人機械という不名誉な仇名をつけられていた。その多加田が戸惑っている。否、恐怖していた。それは、彼を盲信している子分たちにも伝わり皆恐懼する。

 かつてシエリールも彼女を造ったものたちから殺人人形トータングマリオネッタと同じように呼ばれたものだった。シエリールは、口の端を歪ませ、静かな空間にくっくっくと、忍び笑いを染み渡らせる。

 そうしながら、ゆっくりと振り向いた。そして、眉間に銃口を自ら持って行く。多加田は、その行動に反応できず、銃身を握られ、誘導されるのもされるままだった。

「ここだぞ、多加田。普通の人間ならば死ぬ。私が普通かどうか確かめるといい。ついでに、その筋ってやつを〔直接〕叩き込んでくれると手間が省ける」

 ごくりと多加田が大きくつばを飲み込んだ。

「さあ!」

 一際大きいシエリールの促しに、多加田は我に返ったようにびくりと身を震わせ銃をおろす。結局、多加田は撃てなかった。一度目を閉じ、現実を一瞬回避する。

 のろのろと銃を懐にしまった。結局、機械と言えど、自身の死は恐ろしかったのだ。それに、理論的にいってもシエリールが銃で死んでも多加田に利点などない。

「いやだなあ、やっぱり姉御には敵わないなあ。さあ、姉御こちらです」

 機械と呼ばれる男は、らしくない表情を浮かべ人形と呼ばれた女にへりくだった。だが、その場にいたもの全員が多加田の引きつった笑顔を侮辱できないだろう。人と人ならざるものの命の在り方の差は明確にこれだけの違いをもたらした。

 多加田は諦めて、自らドアを開けシエリールを奥へと案内する。

「ああ、おまえはここで待て」

 シエリールは、巡季にそう指示すると奥へと入っていった。ホムンクルスである巡季は、その命の営みや構造、仕組みは人間に準じて作られている。よって、頭を撃たれれば死ぬし、腹を撃たれてそのままショック死、出血死というのもあり得るのだ。

 大事な部下だし、真澄の想い人だ。死線を超えさせるわけには行かない。こういう狭い部屋で銃撃戦にでもなれば、守りきれない。ある程度の広さがあれば、巡季に拳銃を当てるのは至難だろうが、逃げる空間のないところでは致命的だった。それに、面倒を減らすために逃走経路に仲間を置くのも常道だ。

 だが、ここの組長は古い馴染みである。こんなところで自分相手に銃を抜く愚は絶対におかさないだろうと、シエリールには確信めいたものがあった。

 奥の部屋の中では、ごっつい顔から、いかにも悪い顔、一見紳士風な顔、そして、迫力だけで生きてきたような顔、さまざまな悪党面が並んでいる。多様化した時代に乗っ取り、悪い生き方も多様化しているようだ。そんな顔も大仰な机をはさんで右に四人、左に三人と行儀よく座っていた。

「なんじゃあ、多加田。今大事な話しをしているのに、人入れるんじゃねえ」

 そう言って、一番奥で豪華なイスにふんぞり返ってた男は多加田をしかりつける。ところが、その後ろから姿を見せたシエリールを確認したとたん態度が一変した。

「なんだ、シエリールじゃねえか。何の用だ?」

 さすが組長といったところか。桐島は、一番シエリールの怖さを知っていてなお、多加田のように下手に出ない。馴染みであるというのもあるが、それだけではない親しみがこもっている。

「よ」

 その親しみに答えるように、片手を上げて気さくにあいさつをした。

 職業柄、確かに組の仕事を手伝ったことはある。だが、それと同じくらい邪魔もしていた。特段親しくされる理由は思いつかない。

 強いて言えば、昔、死ぬほど怖い目に合わせながらも殺さなかったことがあった。そのとき、桐島以外の面子は皆死んだ。シエリールに人間がケンカを売ればどうなるかを実体験で知っていると言える。 

 桐島は、シエリールが人にとって絶対なる殺人者であることを知り、その在り方の凶暴さ、残酷さを知った上で、親しみを込めて呼ぶのだ。その強がりでは無い自然な受け入れ方を彼女は友好的に思っている。

 ここの地域は、元々二つに分かれていて、それを統合するきっかけの仕事をシエリールはした。今、このシマを一つとして引き継いでいる桐島の大恩人であるといえなくもない。それでも、恐れるかどうかはまた別の問題だ。

「やあ、桐島。猫を一匹探してる」

「猫? それは暴力団うちじゃなくて、探偵あんたの仕事じゃないか」

「わかりやすく言うと、三毛猫を返せ。馴染みに強制はしたくないんだ」

 本来なら、紅い魔眼を使えば、人の一人や二人思い通りにすることはわけない。だが、言葉の通り、シエリールは知り合いに魔眼を使いたくない。やりたくないことをやらされている気分を誰よりも知っているし、選択肢のない生き様が否だからだ。でも、面倒になるなら躊躇しない。

「ふう。わかったよ。あんたにかかっちゃ俺も形無しだあ」

 桐島は、短く刈上げられている後頭部を軽くかいた。本当にシエリールが関わったことを、天災だと諦めるような口振りだ。そこに、恐怖とか支配という言葉はない。

「いや、組長、あれは……」

 組員の一人が口を挟む。

「やかましい! 俺の決定に口挟めるほど、いつからえらくなったんだ? おい、連れて来い」

 若い組員が別の部屋へと連れに行った。その間、シエリールは久しぶりに見る古い顔を興味深げに眺めた。

「へっ、なんだい? 自分で言うのもなんだが、珍しい顔ではあるまい?」

「いや、こうして、じっくり見るのは二度目だと思ってな。老けたな、桐島」

「やめてくれよ、いつ見ても傾国のあんたには敵わんよ」

「私は別に遊んでないぞ」

 シエリールは、むう、と頬を膨らませて異を唱える。

「あんたにうつつを抜かせば、国の一つくらいは傾くさ。あんたの意志がどうであれ。遊びでも、本気でも。それこそ、魅力ででも戦いででも、それができる」

 シエリールは、目を細め、笑みを浮かべる。そこで、桐島は、何かに気付いたような顔をした。

「どうした?」

「いや、あんたが美人に見える理由がわかったような気がしたのさ」

「ほう、興味深い話だ」

「死、さ」

 そうつぶやくと、桐島は、目を閉じてなにかを感じていた。

 そのわずかな感慨も、猫のはいったケージが運ばれてきたことで打ち切られる。少し、桐島がいらついた。

「ああ、シエリール。あんたが絡むんだ、普通じゃないと思うんだが、こいつ三日くらい前からぐったりしてるんだ。餌は、適度に入れてやってんだがな」

 シエリールは、ふむ、と短く答え、ケージから出して左腕で抱える。そして、体を見たが怪我もないし、空腹のせいでもないのがわかった。一応の結論を得る。

「桐島。あまり精を出すな。私は面倒だ」

 シエリールは、短く釘を刺した後、じゃな、と右手を上げて事務所を後にした。

 今まで、暑苦しい男共に囲まれていたせいか、外の冷涼な空気は、いつも以上に涼しく、おいしく感じられる。いつもとかわらない都会の空気なのに、夜は、不思議とその空気を変えてしまっているかのようであった。それを味わわんと小さく深呼吸して、夜気を軽く堪能する。

 シエリールは、右手の人差し指を軽くその獣じみた立派な犬歯で切り、その血を猫に与えた。

「飲めるか?」

「あ、ありがとうございます。正直、今夜がヤマだと思ってました」

 そう言いながら、猫の形をした同類はざらついた舌で力なくシエリールの指をなめた。

 血には、存在のあらゆるものが詰まっている。魔力、体調、生きてきた歴史、趣味、思考。本来吸血鬼の血には伝染性があり、飲むと量いかんによっては吸血鬼化する可能性がある。吸血鬼は増えるとき呪いの様な魔力を込めた血を相手に送ることで血族とする。

 だが、シエリールは、増えることができない。吸血だけではなく、動物的にも増えることはできないのだ。増えること、残すことが本能である生き物から見れば、重度の欠陥品だ。だが、シエリールが増えることは叶わなくとも、人間という種がおり、吸血鬼が他にもいる。そこからみれば、シエリールが増えなくてはいけない理由はない。

 元から、規格外な存在である。それだけを指して規格外イレギュラーと呼ぶことも、呼ばれることもない。

「なあ、喜助君。君はどうして人間の暴力団に捕まっていたんだ?」

「理由はわかりませんが、僕を捕まえたのは彼らではありません」

「では、誰だというんだね?」

超越種スーペリアだと思います。中でも、恐らく吸血鬼かと」

「ふむ。それならば仕方ないな」

 シエリールは、違和感を覚えた。確かに、一番頑固であろう柴浦をあそこから追い出すのに喜助は有効打だろう。

 だが、桐島たちは、喜助が使い魔であることを知らなかった。猫を捕まえるのに吸血鬼を雇うだろうか。それは、一般家庭で家の中に落ちてるゴミを拾うのに清掃会社を呼びつけているのと同じくらいおかしいことのように思える。

 シエリールは、喜助を届ける道中そんなことを考えていた。だが、材料が少なすぎたので思考を中断する。

 そして、速やかに依頼主の元へと直行した。寄り道する理由がないし、なによりも大事にしている使い魔である。早く無事を知らせてやるのが親切というものだろうからだ。

 家の前に着き、シエリールは呼び鈴で柴浦を呼び出そうとしたが、それよりも先に玄関の扉が慌てて開いた。さすが、魔法使いの家だ。呼び鈴は飾りにしかならない。

「喜助!」

 そう呼びかけて、猫に駆け寄る老婆。もう今日は無いと諦めていたのか、寝衣に肩かけといった姿だった。

「すいません、マスター。とんだご心配を」

「いいのよ、あなたさえ無事なら。あいつらには、然るべき制裁を加えましょう」

 シエリールは、柴浦に気付かれないように肩をすくめて、怖い怖いと思った。魔法使いが本気になったのだ、あの事務所が残るか怪しいものである。

 だが、シエリールは、地上げについてなにも言わないし、介入もしない。もちろん依頼がなければ、あの組に対しても何もしない。見合った報酬があれば潰すことはするだろうが。

「それじゃあ、柴浦さん。我々はこれで」

 シエリールは、さっさと立ち去ることにする。こういう場合、経験によれば居てもろくなことにならないからだ。

「またご用命がありましたら、我が事務所をよろしくお願いします」

 右腕を上から下に振り下ろして左胸に当てお辞儀をした。

 口数の少ない巡季を供にして、だいぶ更けた夜の中を事務所へと歩く。

 桐島は“死”とだけ言った。シエリールに死を見たというのは、殺されたいということの現われなのだろうか? それとも、あの歳で死を受け入れてしまったのだろうか。だから、生き物を殺すことしか能のないシエリールは怖くない。恐れもしない。そういうことなのだろうか。

 人は二度死ぬという。肉体が死んだときと、皆の記憶からなくなったときだという。

 だが、あの男は一度目の死を擬似的に体験してしまったから、迫り来る一回目にあまり期するべきことがないのか。“死”はいつも甘美で魅力的に見える。だから桐島はシエリールを見るときあんな顔で見るのだろうか。“死”は背徳の感情であり、抗い難い程に蠱惑的である。

 シエリールは今度、桐島を食事にでも誘ってみるかと思い立った。だが、それはすぐに打ち消される。

 きっと桐島はこう言うだろう。「俺はあんたが嫌いなんだ」と、曇りのない純粋な、へえ、おまえ今でもそんな顔ができるんだという笑顔と共に。そうなるとシエリールは、桐島という存在がさらに愛おしくなってしまうからやめておくことにした。

「我ながら困った癖だ」

 そう自嘲した。

 


 三日後、シエリールは、仕事の達成を祝い細巻きの葉巻をくわえ、滅多に使うことのないオイルライターに火をつけた。オイルの燃える独特のにおいが鼻腔をくすぐり、たまらなくなる。

 愛用の事務椅子に、深く背を預け、ゆっくりと煙を味わい、ゆっくり吐き出した。煙を吐くことに、多くの未練を残しながら。

 あの事務所は原因不明の火事で灰になった。昼過ぎに寝ぼけまなこで手に取った地方紙の一面をそれが占めている。組員三人が死亡。重軽傷者九人。さらに逮捕者五人だということだ。死んだ奴と怪我人はいいが、何で燃えた方から逮捕者が出るのか疑問に思う。

 シエリールはその答えを知るため、不思議に思いつつ読み進めていくと、なるほど、焼け跡から銃が出てきたらしい。きっと薬なんかもあっただろうが、燃えてしまったのだろう。それで、部屋の主五人が逮捕された、と。

 桐島はきちっと逃れている。感心した。いついかなるときも警戒を怠らない。裏世界の常道である。油断の値段は自身の命、もしくは人生だ。シエリールは、自身の兜の緒を締めた。

 ――犯人の手がかりはなく、警察は広く情報を集めています。

 そう、テレビからアナウンサーの機械的な説明が聞こえる。

「当分、無理だ」

 誰に聞かせるわけでもなく、つぶやく。有史以来表沙汰になっていないのだから。


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