四面楚歌

 垓下がいかに項羽を包囲した韓信がとった戦術は、相手の性格を最大限に利用したものであった。項羽に長期の籠城を許さず、あえて彼が好む戦いの場に引きずり出す……韓信は、そのために負けるふりをしてみせた。そして最終的に戦局を決定づけたのは漢の陣営から発生した楚の歌であった。項羽はこれに心理的に揺さぶられ、行動を起こすに至る。

 俗に戦いは天の意志によってもたらされ、そのため勝敗は運命によってあらかじめ定まっているというが、それは人の罪深さをごまかすための言い訳でしかない。人を滅ぼすものはやはり人であり、世に戦いが生まれる原因は天の意志にあらず、人々の意志にあるのだ。


 人々はそのことをわかっていながら、今なお戦いをやめることができないでいる。


 一


 つい先日まで優勢であったはずの楚が、窮地に立たされている。彼らは、固陵で追いすがる漢軍を撃破したものの、決定的な打撃を与えることができないでいた。

 以前の楚軍であれば、勝ちに乗じて漢軍を追い、劉邦の息の根を止めることもできたであろう。しかし、このときの楚軍には、体力がなかった。

 広武山での対立が長引き、その間に彭越に補給路をたびたび断たれた彼らは、深刻な飢えの問題に面していたのである。


 彭城に戻れば、食にありつける。しかしそれは漢を彭城に招き入れることになり、下手をすれば、首都陥落の恐れがある。彭城は平野のただ中に位置し、周囲には山も川もなく、攻めやすく守りにくい土地なのであった。


 項羽としては、以前のように首都を荒らされることは避けたい。それは単に戦略上の問題よりも、自分の愛した土地がよそ者に奪われることを嫌ったからであった。

 このため項羽は全軍に命じて、固陵より西、彭城に至る手前の垓下という地に築城を命じ、残りわずかな糧食をそこに運び込んだ。垓下を最後の決戦の地として籠城戦を挑もう、というのである。


 ――なぜ、このようなことになったか……。

 腹を空かせながらも、懸命に築城作業にいそしむ兵の姿を見て、項羽は心を痛めた。兵たちは餓死寸前の状態にありながら、自分に対する不平を口にせず、働いてくれる。

 彼らの忠節に報いる機会がないかもしれないと思うと、涙が出てくる。もし不平を言う兵がいれば、全軍を戒めるためにその者を殺さねばならない。そのこともたまらなく気が引けるのであった。

 傲岸で暴虐だと恐れられた項羽ではあるが、そのような人並みの感情も持ち合わせていたのである。


 彼が常人と違うのは、その感情の量であった。敵と見れば見境なく殺し尽くし、酌量しない。

 しかし、その一方で彼は降伏した章邯を赦し、鴻門で劉邦を赦している。

 最後まで抵抗する敵には容赦ない態度をとり続けることができるが、ひとたび相手が下手に出れば、感情が揺れるのであった。このため、項羽に殺されるかどうかは、相手の出方次第による。この点を生前の范増老人は、項羽は心が弱い、とたびたび批判していた。


 あるとき項羽が劉邦と対峙している間に、外黄がいこうの地を彭越に奪われたことがあった。

 このとき項羽は、前面の敵を部下に任せ、急ぎ外黄へ向かったが、城壁の内部の住民たちが抵抗したため、奪還に苦労した。それでもなんとか彭越を撃退したが、腹がおさまらなかった項羽は、住民に仕返しをしようと決める。例によってすべて穴埋めにしようとしたのであった。

 しかし、このとき住民の中のとある小童が、項羽に泣きながら訴えかけた。

「外黄の民は彭越が強要するので、抵抗しただけなのです。そうしなければ皆彭越に殺されるからです。私たちは彭越が恐ろしく、大王の到来を心待ちにしていたというのに、今その大王によって殺されるとあっては、天下の民のなかで大王に味方する者はいなくなりましょう」


 これで心を動かされた項羽は、外黄の民をすべて赦し、その結果、諸城が争って項羽に降ったという。范増の批判する項羽の心の弱さが、福に転じた結果となったのだった。


 もちろん項羽にそのような心の弱さを恥じる気持ちはない。ただ感情のおもむくままに行動してきたのみである。怒るべきときに怒り、悲しむべきときに悲しむ。本能のままに生きてきた項羽は、この時代の誰よりも人間らしいと言えるかもしれなかった。


 しかし、項羽は何ごとにも感じやすい男であったので、ひとたび敗戦の色が見え隠れするようになると、踏みとどまって逆転を期するという気持ちになれなかったようである。あたかも激情に駆られるまま、兵を道連れに全軍玉砕という滅びの美学を追及したかのように見える。


 垓下に築城し、最後の決戦を挑もうとした項羽の目に、続々と集結する漢軍の姿が見える。その数は際限がないほど増えていく。項羽にはそれが信じられなかった。


 ――漢にはまだ、これほどの兵力があるのか。いつの間に……。

 口には出さないが、内心で驚愕している項羽のもとに、報告がもたらされた。

「新たに三十万の兵が、漢に加わった模様です」


 ――三十万! 冗談ではない。今までどこにそんな兵力を隠していたと言うのだ!

「……どこの、誰が指揮している軍だ」

 項羽は動揺を隠し、聞き返した。


「斉軍です。斉王韓信が、漢軍に加わったのです」

「韓信! あの男……」


 項羽の心に、諦めの気持ちが浮かんだのはこのときであったかもしれない。

 ――わしは、彭城に帰ることができないかもしれぬ。

 かつて項羽は韓信のもとに使者を送り、言わしめた。

「君が漢の側に立てば、天下は漢に帰し、楚の側に立てば、天下は楚に帰す」


 ――這いつくばってでも、味方に引き入れるべきであった。

 そのような後悔は確かにあった。しかしそんなことが自分にできようか?

 ――絶対にできない。このわしが、韓信などに……。


 項羽は必要に応じて自分の意志を曲げる、ということができなかった。貴族として生まれた誇り、自分自身の力を信じる心がそれをさせなかったのである。

 市井に育ち、あまり自尊心のない劉邦との差が、そこにあった。


 二


「信……いや、斉王よ。ようやく来たな。しかし、よく来てくれた」

「は……」

 劉邦と韓信の対面は果たされた。

 対面は両者とも言葉少ない状態に終始し、わずかの時間で終わりを告げた。二人とも、互いに相手のことを憎んでいるわけではない。しかし、かつてのように腹を割って話をする間柄では、すでになくなっていた。

 しかし、それでも劉邦は韓信に全軍の先頭に立って指揮をするよう命じ、韓信はそれを受けたのである。


 指揮権を得た韓信は以下のように諸将を前にして戦術を説明した。

「およそ項王という人は、常に軍の先頭に立ち、敵兵の血潮を浴びながら戦うことを誇りとしてきた。しかし、このたび彼は籠城戦の構えを見せている。これは彼らしくないことであるが、それだけに逆に警戒すべきことでもある。……そこでなぜ項王が籠城したのかを考えてみる必要があるのだが……私が見るに、楚軍は食料の確保に苦労しており、漢軍と正面から戦う体力がない。この場合楚軍が取る選択肢は二つある。ひとつは追いすがる漢軍を適当にいなし、いち早く彭城へ戻り、食を確保する策。ふたつは彭城の手前に拠点を築き、そこを決戦の場として、勝ったのちにゆっくり食事にありつく、という策だ。しかし、どちらの策も楚にとっては最善の策とはなりえない」


 劉邦を始め、兵たちは韓信の言葉に聞き入った。戦いを前に彼の発する言葉は、常に不思議な説得力を持ち、聞く者に自信を与える。韓信の持つ状況の把握力、戦術理論がそうさせたことに違いないが、そのいちばんの理由は彼が常勝の将軍であったことによるだろう。


「まず、いち早く彭城へ向かう策であるが、これはたとえそれに成功したとしても、彭城にたどり着くまでに多大の兵の犠牲を伴う。また、たどり着いたとしても彭城が戦場となり、今度は彭城の民衆までも犠牲となってしまう。自国の兵や民を愛する項王が取る策ではない。……まして彭城自体が平野のただ中にあり、守りにくいという事情もある」


「ふたつめの策であるが、拠点を築いて彭城を守ろうとする意図はわかる。しかし食料はすでに残り少なく、籠城にたえるほどの量はない。必然的に補給が必要だが、彼らにとって残念なことに拠点へ食料を運ぶ手だてもない。今や楚は四方を漢の勢力に囲まれ、後方からの支援などは望めぬ状態だ。……だが、結果的に項王はこの策を取った。おそらく食料が尽きる前に全兵力で漢にあたり、雌雄を決しようと決意したからに違いない」


 おお、というどよめきが兵の間に起こった。最後の一戦。項羽の決意。韓信の言葉に兵たちの中に緊張が走る。


「しかし、状況は変わった。今漢王のもとには私を始め、淮南王黥布、相国彭越の軍が加わり、兵数は倍になった。これはいかに項王が武力に長けた人であったとしても、容易に撃ち破ることができない数である。つまり項王の思惑は外れ、垓下は単なる孤城になったのだ」


 再び兵たちの間にどよめきが起こる。

「楚軍恐れるに足らず!」

 そんな声が上がったりもした。兵たちの覇気が高まっていくのを韓信は感じ、心強く思ったが、話はまだ終わっていない。落ち着いた所作で兵たちの興奮を抑える仕草をすると、彼はさらに語を継いだ。


「以上のことを鑑みて、項王が垓下に籠城したことは、彼の戦略眼が鈍ったことを示すものである。……しかし、我々は油断してはならない。かの項王は、多少の戦略上の不利など、たったひとりで打開できる実力を持った剛勇である。楚の兵士はそんな彼が生きている限り、彼を信奉し続けるだろう。そして彼の行くところに兵が集まるのだ。項王を逃がしてはならぬ。この一戦で彼を必ず亡きものとし、楚兵たちの心のよりどころを絶たねばならない」


 一座が緊張に満ちた。しばらくの間、だれもひと言も言葉を発せず、事態の深刻さを噛み締めている様子であった。


 ――とんでもないことになった。


 いつかは訪れるに違いないことではあるが、これは戦局の決定的場面であった。

 兵たちにとって自分がそんな場面に立ち会うのは名誉であると同時に、なるべく避けたいことでもある。その理由はいうまでもないことだが、死の危険性が他の場面より高いからであった。


 漢王劉邦の立場は少し異なり、長らく続いた項羽との争いに終止符を打つことに名残惜しさを感じていた。

 不思議なことに寂しい気がしたのである。

 しかし、そんな思いは間違いで、自分に従う兵たちの気持ちを裏切るものだと考えた彼は、思いを心の奥底にしまい込むことにした。


 韓信の様子を見て、彼が本気であることを確認した劉邦は、静寂を破り、語を発した。

「信よ。……して、具体的な戦術は?」


 韓信はこのとき微笑したようであった。

「考えてあります」


 答えながら、韓信は自分に激しい嫌悪を感じざるを得ない。

 ――なんということだ! 自分は……楽しんでいるというのか? 蘭を失ったというのに。酈生を、カムジンを……みんなもう帰ってくることはないというのに! 彼らの死という悲しみを乗り越えながら私が成そうとしているのは、人を殺すことなのだ! しかも私は……それを楽しんでいる。なんという不埒な男!

 さらに許せないのは、一方でそう思いながらも、他方では沸々と戦略が自分の頭の中にあふれてくることであった。


 ――なんということだ。

 韓信は繰り返しそう思ったが、自分を抑えることができない。


 三


「籠城はしたものの、支援部隊が来るわけでもない項王としては、早めにこの状況を打開したいところです……。つまり城外で兵が戦っている隙に、自分は難を逃れてひそかに彭城に戻り、再起を期す。項王の行動としてはこれしか考えられませんが、我々としては、そうさせてはなりません」

「項羽が逃げる、というのか?」

「その機会をうかがっておりましょう。そのため、私はこのたびの戦いで項王が直接陣頭指揮をとることはない、と思っています。おそらく彼は兵を小出しにして戦わせ、自身は戦いません」

「…………」

「しかし、項王は生来こらえ性のない男でございます。一度は逃げると決めたとしても、きっかけさえあれば我々を打ち負かし、前面を突破しようと試みるに違いありません。……このため、我々は二度三度にわたって楚軍に負けるふりをし、それによって彼らにきっかけを与えます」

「……それは敵に倍する大軍のとるべき作戦ではないな」

「相手の意表をつくことこそ、作戦と言えるのではないでしょうか。項王は漢が大軍だと知れば、対抗できないものと思い、逃亡を企む。ところがその大軍が意外に弱かったら? 数だけを頼んだ烏合の衆だとしたら? 彼ならずとも攻撃して撃ち破りたくなるでしょう。我々としては、そこを突けばよいのです」

「しかし、我々の戦いが偽計だと悟られはしないか。確かに我が漢軍は強くなく、数を頼んだだけでは楚には勝てないかもしれない。……しかし、今の漢軍は数だけではない。指揮官として君がいるのだぞ」

「私は負けるふりに関しては常日ごろ得意としており、今に至るまで何度もそれを実行してきています。項王は私の戦い方を見て、気付くかもしれません。『韓信の戦いぶりは、噂どおりの意気地のないものだな!』と。そう思えば、自ら出陣し、戦場に姿を現すでしょう。この場合は、そこを捕らえる。あるいはそれでも慎重を期し、彼自身が出陣しない場合も考えられます。しかしそのとき彼は、城中の大半の兵士を動員し、漢を撃ち破ろうとするでしょう。このときこそ我々は大軍の利点を生かし、彼らを逆に殲滅する。これにより、項王は城中に孤立します」

「戦況不利となれば、逃げ出すと君が今言ったばかりではないか」

「そのとおりです。この場合、彼は落ち武者となります。私の狙いは彼を落ち武者にすることです。それもほぼ単独で逃亡する落ち武者に」

「ふうむ。……よく考えてある。お前が敵でなくてつくづくよかったとわしは思うぞ」


 劉邦のこのときの発言には、多少の皮肉がこもっていた。韓信にはそれがよくわかったが、今さら言うべきことは何もない。


 四


 このときの漢軍の布陣は先頭に韓信が自ら率いる三十万の兵、両翼を孔将軍(孔煕)と費将軍(陳賀)が固め、その後ろに総大将の劉邦、さらにその後ろに周勃と柴武がそれぞれ率いる部隊が陣取る、という重厚なものであった。

 漢軍の総数に関しては、あまりに急激に兵力が増加したため、その正確な数値を知る者は誰もいない。しかし韓信の軍だけで三十万であることを考えると、少なくとも五十万は越す数であったと思われる。

 また、彭越や黥布の軍が予備部隊として控えていたことを考えれば、垓下を囲んだ漢の勢力は天地を覆うようなものであったに違いない。というのも、これを迎え撃った項羽率いる楚軍は十万程度でしかなかったのである。いかに武勇を誇る項羽といえども、太刀打ちできる数ではない。深刻な状況に項羽は城壁の防備を固め、突出させる兵はほどほどにして対応した。わずかな兵を犠牲に脱出を試みようというのである。


 しかし、城外に出した兵の数は僅かであったのに、それを処理しようとする漢軍の動きは項羽の目に鈍重に見えた。韓信はほぼなにもすることもできず、少数の楚軍の動きに翻弄されているようであった。


 ――あるいは、大軍であるからこそ、指揮が徹底しないのかもしれぬ。

 項羽はそう思い、韓信の指揮能力を軽く見積もることにした。

 これは、できることなら逃亡ではなく、戦いを欲した項羽の本能がそう思わせたのかもしれない。

 しかし、実際は韓信が項羽にそう思わせているのであった。


 だが、それを見抜けなかった項羽は、韓信が要領を得ずに後方に下がる姿を見て、城内に留まっている残りの兵に出撃命令を出した。


 これを機に両翼の孔将軍と費将軍が猛然と楚軍に襲いかかり、韓信が攻めあぐねた少数の兵たちを殲滅した。城内からは楚兵たちが次々に出撃してきたが、彼らはただ大軍に包囲されるだけのために出てきたようなものである。

 態勢を立て直した韓信が再び前面に兵を進めると、目立った抵抗もできずに壊滅するに至った。


 ――してやられた……韓信めに……。

 項羽の全身から力が抜けていき、それとともに気力が失われていった。


 覇気を失った項羽は、もはや本来の項羽とはいえない。貴族の子として甘やかされて育てられてきた、忍耐強くない男の姿が見え隠れする。これまで、乱世の武人として人に見せないようにしてきた姿がそこにあった。

 項羽は絶望のあまり、天を仰ぎ、座り込んでしまったのである。

 それを遠巻きに、なにも言わずに見つめた虞の目には、彼が溢れようとする涙をこらえているかのように見えた。


 このとき城内に残った楚兵の数は、わずか千名に満たなかった。


 日が暮れ、空に星の姿が見えるようになった。韓信は篝火のもとで物思いにふけっている。

 ――今夜は星や月の光が眩しい……。我々にとっては好都合だが、逃亡をはかる項王にとっては不運なことだ。


 また、こんなことも思う。

 ――星の光りが人それぞれの運命を示しているとしたら、今夜、とびきり大きな巨星がその輝きを失うことになるかもしれない。それは、あの星か、それとも、あの星か……。


 韓信の陣営には、吉兆を占星術で占うような者はいない。彼は戦いを前にして、祭壇に生け贄を捧げるようなこともしなかった。常に現実的で、自分の力のみを頼りにしてきた彼であったが、このときは人並みに感傷に浸っていたのである。


「お見事でしたな。城内に残るは項王と、わずかの兵……。あとは、それをどう仕留めるか」

 灌嬰は物思いにふける韓信の横に立ち、純粋に興味本位に聞いた。韓信が項羽の息の根をどうやって絶つつもりか聞きたかったのである。


「うむ……。戦力の大半を失った項王は、半ば強引な形で脱出をはかるに違いない。……そこで我々は彼を追うわけだが……その役目は……灌嬰将軍、君にやってもらおうと考えている」

「は?」

「いや、これはもう私の考えではない。既に私は漢王にこのことを奏上し、許可を得ているのだ」

「なぜです? 斉王様直属の部隊をもってすれば、決して難しい任務ではないはずですが……」

「恐ろしいのか? 項王のことが」

「そういうわけでは……」

「君はかつて漢王のもとで滎陽と敖倉をつなぐ甬道を守り続け、多大なる功績を示した。しかし、地味な任務であったために、その功績は正当に評価されていない。また、私のもとに来てからは長らく国境の守備にあたり、私としては感謝しているのだが……君は漢王の部下であるため、勝手に私が封地を与えることはできぬ。私にできることは、君に誰も文句のつけようもないほどの大功をあげさせることだ」

「つまり……?」

「うむ。君の自慢の騎馬隊をもって項王の首をあげてみせよ。それによって漢軍内での君の地位も高まるだろう」


 韓信の命令は、灌嬰が主に護軍中尉の陳平とそりが合っていないことを考慮してのものであった。

 灌嬰は古参の武将として、新参の陳平が劉邦に重用されていることにかつて異議を唱えたが、その陳平の作戦がこれまで成功しているので、結果的に漢軍内での孤立度を高めている。

 韓信はそのことを気遣い、灌嬰に軍功をあげさせようとしたのだった。


 一方で韓信が項羽を斬れば、本当の意味で劉邦を上回る存在となってしまう。人臣の身でありながら主君を恐れさすほどの軍功をあげることの危険性、その本当の意味にようやく気付き、自らは身を引いたのかもしれない。

 だが、そんな気遣いも本来は戦いが終わってからするべきものだった。

 というのも未だ項羽は城内に健在で、彼が生きている限りまだまだ油断はできないのである。しかも、実は韓信としてもいかにして項羽を城外に引き出すか、この時点で具体的な考えはなかったのだ。


 垓下城を取り囲む漢兵の間から、歌声が響き始めたのはちょうどその頃であった。


 五


 それがいわゆる楚歌だった。民謡である。巫(みこ。シャーマン)の唱える呪文のような感情的な韻律を起源とし、随所に音律を整えるための「兮(けい)」という語が加えられる(兮という文字自体には文章としての意味はない)。

 このような特徴は北方地域のそれにはなく、このこと自体が楚が他の中原諸国と文化的に異質であることを物語っていた。中原の人々は、楚人が歌う呪文のような歌を軽蔑し、逆に楚人はそれを誇りにしているのである。


「気味が悪い」

 睢陽すいよう出身の灌嬰は、この歌声を聞き、そのように評した。

「あんな歌のどこがいいのか……」


 歌っている兵たちの中には、すでに感極まり、泣き出す者も出始めていた。楚人以外の者から見れば、異様な光景である。部外者から見れば、彼らがなぜ泣いているのか、想像もつかない。


「いや……楚人ではない君にはわからないだろう。理解しようとしても無駄だ。楚人の歌は、楚人の心にのみ、感銘を与える。あの歌は……城壁の中にいる項王の心に響くに違いない」

 韓信は彼らの歌自体には共感せず、それが与える結果にのみ興味を示したようであった。


 ――斉王はもともと楚の生まれだと聞いていたが……故郷の歌を聞いて郷愁にかられたりはしないのだろうか?

 灌嬰はそう思ったが、口に出して質問することはしなかった。確たる理由はなかったが、どうも触れてはいけないことのように思えたのである。


「項王は、感情の人だ」

 韓信は、そんな灌嬰の疑問をよそに話を続ける。

「項王は楚人であるから、あの歌が楚の歌であることがわかるはずだ。つまり、楚王である自分を包囲している敵軍の中に、実は楚人が多いという事実に気付く。彼にとって、これほどの精神的痛手はないであろう。追いつめられた項王は、間もなく何らかの行動を起こすに違いない。灌嬰将軍、君の出番は近い。陣に戻って準備を急げ」

「承知いたしました。項王が落ち武者となる時が来た、というわけですな?」

「そのとおりだ。しかし、気を許すな。彼はただの落ち武者ではない。史上最強の落ち武者だ。……しかし、それにしても」

「は?」

「漢軍の中にも、いつの間にか楚人が多くなったものだな。少し前まで、私は自軍の中に自分の同胞を見ることはなかったというのに。これも時代の流れというものか」


 韓信は韓信なりに楚人としての郷愁を感じているかのようであった。その彼が今やろうとしていることは、楚を滅ぼすということなのである。


 彼にとって、郷愁と愛国心とはまったく別のものであった。


 六


 垓下に築城したといっても、その実情は砦を築き、周囲に防塁を巡らした急造のものに過ぎない。大軍を擁した漢軍が攻城兵器を用いて間断なく攻撃を仕掛ければ、救援のあてもない楚軍としてはひとたまりもなかった。そのうえうかつにも韓信の策にはまり、城外で大半の兵を失った項羽には、脱出するしか道は残されていない。

 しかし、この状況下では脱出こそが難しく、項羽は軍を解散する決断に迫られた。

 それでもあるいは自分の実力をもってすれば、電撃的に漢軍の中央を突破することも可能かもしれないと思う。しかし冷静に考えれば、そんなことは不可能に違いないとも思える。結局なかなか決断をすることができず、行動を起こせずにいた。


 最終的に彼に決断させたのは、敵陣の中から聞こえてきた楚歌であった。敵である漢軍の中に楚人の占める割合が多いことを実感させられた項羽は、意を決し、砦の中に残った残兵を集め、それぞれに酒や食事をふるまった。

 軍糧が足りず、飢えた状態で戦ってきた楚兵たちにとって、久しぶりに与えられた飽食の機会である。城内の兵たちは皆、それが最後の機会であることを無言のうちに認識したのであった。

 また、たとえ一食のみといえ、自分たちが飽きるほど腹を満たせるのは、半数以上の味方が戦場に散ったおかげであるということを知り、誰もが生き残ったことに罪悪感をもった食事の機会だった。


「……我々に残された道は、もはや二つしかない。脱出か、降伏かだ」

 項羽は宴席で、配下の者を前にそう言った。

「脱出したいと思う者は、銘々に道を切り開き、脱出せよ。それが無理だと思う者は、敵将韓信のもとに降伏するがいい。そのことを責めはしない。韓信は狡猾な男ではあるが、残酷ではない。殺されはすまい。……しかし、わしは別だ。わしには脱出するしか道は残されておらぬ」


 楚兵たちは、口々に項羽に最後まで従う旨を告げた。これは項羽にとってありがたいことではあるが、同時に敵に発見されやすくなることを意味する。逃亡する部隊が大集団になればなるほど、敵の目を引きつけることになるからだ。

 しかし、このとき感情が高ぶっていた項羽は、部下の兵たちの忠誠心に感じ入り、涙をこぼした。もはや自分は助からない。それならば敵に見つかりやすいか、そうでないかはたいした問題ではない。ただ自分と生死を共にしようとする人間が、まだこの段階に至っても存在したということに心を動かされたのである。


 だが、問題はそれだけではない。自分たちは敵陣に囲まれ、あるいは死に、あるいは生き残るだけである。

 しかし、非戦闘員を連れていくことはできない。

 彼らを連れていけば、行軍速度が鈍る。その結果、戦闘員・非戦闘員ともに生き残る可能性が低くなるからだ。


 非戦闘員の大部分は女官であった。項羽の愛する虞もそのひとりである。


 女官は置いていったとしても、殺される可能性は少ない。しかし、その多くが敵兵たちの慰みものとされ、犯されることは容易に想像できる。そのことを考えると、項羽としては虞だけは置いていくわけにはいかなかった。


 だが、繰り返すようだが、連れてもいけない。悩んだ項羽は、その気持ちを次のような歌の形にして表した。


 力拔山兮氣蓋世(力は山を抜き 気は世を覆う)

 時不利兮騅不逝(時 利あらずして 騅逝かず)

 騅不逝兮可柰何(騅逝かざるを 如何すべき)

 虞兮虞兮柰若何(虞よ虞よ なんじを如何せん)


 すいとは項羽が常に騎乗する馬の名である。

 実際に騅が何らかの原因で走らなくなった、ということではなく、項羽はこの歌で戦況が自分の思うようにならないことを、騅が走らない、ということで表現したのだった。



 項羽はこの歌を数回繰り返して歌った。そしてそれにあわせるように虞も歌い、剣を持って舞ったという。そして最後には、

「四方楚歌の声、大王意気尽き、賤妾いずくんぞ生に聊んぜん」

 と歌い添えた。自分のような妾がどうして生きていられようか、と歌ったのである。

 虞の決意がうかがわれる歌であった。


 そして、項羽は虞が歌い終わると、腰の剣を抜いた。やがて目の前に背を向けて座った虞に向けて、ゆっくりと、いたわるようにその剣を振り下ろした。


 目は閉じられていた。虞の女神のような姿は、斬られた後も、その形を変えることはなかった。


 ことを終えた項羽の頬についに涙がつたった。これを見た周囲の者も皆泣き、誰も顔を上げることができなかったという。


 その夜の未明、項羽は騎馬で従う者八百名だけを引き連れて防塁の外に駆け出し、漢の包囲網を竜巻のような勢いで突破した。そのうえで突撃の足手まといになる非戦闘員は砦の中に残され、置き去りにされた。

 遺体となった虞もその中にいたことは言うまでもない。


 そして夜が開けたころ、騎将灌嬰の率いる五千の騎兵が、静かにこれを追撃した。




 

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