絶望に抗う決意を込めて
薄暗く、広大な空間。
どこからとなく来る風は、死の一歩手前である人の息のようにか細く室内に吹きつける。
その一室の壁や天井には、腐った死体のような緑の黴の群が彩どられている。
そんな陰湿な世界とは対比するような美しい青白い閃光。
「くっ!」
その青白い輝きを放ち続けるは、坂口京馬。
次々に射出された矢は、同じく次々に沸いて出る肉塊の化け物共に突き刺さる。
そして、爆散。
が、塵じりになった肉はまた一ヶ所に集まり、再生が始まる。
「はははっ、弱いねぇ! 弱いねぇ! こんなんじゃ、僕が出る幕は無さそうだよ!」
氷室は散在し横たわる棺の一つに足を組み、座りながら笑う。
「倒しても、倒しても再生する……どうすればいいんだ!?」
京馬の眼前、数体の肉の塊が迫りくる。
「『
京馬が放つ魔法は、周囲の肉塊を吹き飛ばす。
「くらえっ! 『
更に、京馬は発現させた五つの矢を氷室に向かって放つ。
「またかい? 同じ事だよ!」
だが、氷室は右手にある鎌を旋回させ、京馬の放った五つの矢を軽々と全て弾き飛ばしてしまう。
「くそ……」
京馬は歯を噛む。
焦燥と色々と考えを巡らせるが、この現状をどう対処すべきか。
その思考でさえも至らない、自身への『もどかしさ』が募る。
「もう、諦めて捕えられたらどうだい? いい加減、僕も遊ぶのが飽きてきたよ」
嘆息して、氷室が言う。
「『怒り』の感情で力が増幅した一撃でも、軽く往なされる……! この敵、強い!」
京馬は氷室との力の差に戦慄するが、それでもその眼には諦めが無かった。
「あ~諦める気は無さそうだね。じゃあ、四肢をもぎ取ってでも捕えるか。命があれば何でも良いらしいし」
氷室は立ち上がり、鎌を振り上げる。
「『
途端、周囲に存在する動く人型の肉塊達が、中央一点に磁石で吸い付けられるように集まる。
ギュボギョボとグロテスクな音を立てながら、肉塊達はシェイクされ、別の何かへと作り変えられてゆく。
うっ、と、京馬はその光景を見て、吐き気を催すが、それは自身へ迫る死を前に、留まる。
「何をする気か知らないけど、やらせはしない! 『
京馬は肉塊へ五つの矢を放った。
ガキィ!
が、変容して強靭となった肉塊は京馬の放つ矢を弾き飛ばす。
「弾き飛ばされた!?」
京馬は驚愕する。
「ははは、凄いだろう? これこそ、僕の自慢の傑作。フルカスの固有能力で操った死体を合体させた『死体キメラ』!」
氷室は京馬の反応に興奮して、語りだす。
「僕の能力はただ死体を操るだけではなくてね……その死体である前の力の強さを反映させることができるのさ! まあ、志藤のように相手の力をそのまま使えるというわけではないんだけどね……くそ」
しかし、語尾は力無くなる。
そして氷室は少し閉口し、また口を開き、語りだす。
「その死体達の力を凝縮させたものがこの死体キメラ! 単純な力では君達、アダムの上位に位置する幹部どもにも引けは取らないと自負しているよ!」
高らかに笑い、氷室は続ける。
「いやあ、しかしこの作品を作るのには苦労したよ。戦いのどさくさに紛れて気に入った味方を取り込んだり、組織の規則のギリギリのギリギリを縫ってやっとこさ完成したんだから」
「味方を……取り込む!?」
「ああ、そうさ!敵だけでは、どうも完成に時間がかかってね。僕はせっかちだから、瀕死になった味方を殺して、殺して、どんどん取り込んでいったのさ」
ふう、氷室はため息を吐く。
「まあ、おかげで本部からこっちに異動になったんだけどね」
「……とんだクズ野郎だな。お前」
京馬は氷室を睨みつける。
「はははっ! そんなクズ野郎に傷一つも付けられない自分が惨めだと思わないかいっ!?」
氷室が言い終わる手前、肉塊は完全な形を形成する。
その体はかつて人であったとは微塵も思わせないほど、変わり果てていた。
目は複眼となり、手と足は大量に生え、全体の体は赤子のように赤い。
アオオォォォォォォッ!
顔の半分はある大きな口で肉塊の怪物は叫ぶ。
その口の中には不規則に並ぶ歯がびっしりと並ぶ。
「さあ、こいつの力でお前の体を動けなくなるまで、いたぶってやるよ!」
氷室が言った手前、怪物はその大量の腕を京馬へと伸ばす。
「『
その巨大な体躯では想像できない俊足で繰り出される怪物の攻撃を、京馬は『危機』感情で発現した結界で防御する。
「ぐ、つ、強い!」
怪物の予想外の力の強さに京馬はさらに『危機』を覚える。
途端、結界は一層、輝きを増した。
そして、京馬の結界への衝撃が緩和される。
「これは……! 俺の感情の高ぶりで力が強化されたのか!?」
京馬はさらに精神力を消費して、結界を強化する。
「何っ!?」
強化された結界は怪物の攻撃を弾き返す。
「反撃だ! くらえっ、『
京馬は即座に、虚をつかれた氷室へ発現した矢を放つ。
「ぐあっ!」
氷室はガードをするも、京馬の『怒り』の感情の増加により強化された矢の威力を防ぎきれず、壁へと吹っ飛ばされる。
「俺のお前への『怒り』の感情の高ぶりで強化された矢だ! もう、さっきまでのようにはいかない!」
新たに矢を発現させ、京馬は言う。
「なるほど……これが美樹の言っていた『想い』による力の急上昇か」
破砕した壁の煉瓦を払いのけ、氷室は呟く。
「全く、なんてクッさい能力だ。笑っちゃうね」
氷室は額に手を当て、顔を上へと向ける。
「は、はははははははははははっ!」
氷室は突然、狂気の声で笑い出す。
ふぅ、そして顔を伏せ、ため息。
「何が『想い』の力だっ! 下らないっ! 下らないよっ!」
瞳孔が開き、氷室は京馬に激情を叩きこむ。
京馬は突然の氷室の感情の剥き出しにたじろぐ。
「ふざけるな! そんな『想い』なんかで人は強くならない! 叶えられるものなんてないんだっ!」
キメラ!氷室は怪物の名を呼ぶ。
「お前の能力、イライラするよ! 気が変わった! お前は俺がミンチにしてやる! 組織からお前は捕えるよう命令されているが……知った事か!」
氷室の怒号に応えるように肉塊の怪物は京馬へと突進する。
「くっ! 『
京馬は氷室の突然の豹変に戸惑いながらも、『怒り』の感情が増幅された矢を放った。
しかし、矢は怪物に裂傷を与えるが、勢いは止まらず京馬に向かってゆく。
「ぐ、あああああああっ!」
京馬は怪物の多数の腕から放たれる一撃で、壁へと激突する。
その威力で、京馬は壁を破砕し、深々とめり込む。
がふっ、と口から血を吐き出した京馬は、苦悶の表情となる。
「あはははははっ! やっぱりそうだ! なーにが『想い』の力だ! そんな陳腐な力!所詮は塵にも等しい!」
氷室は狂気の笑いを浮かべ、言う。
「お、お前は……一体、何を否定しているんだ……!」
京馬は臓器の破壊で痛みと吐き気を感じながら、それでも言葉を作る。
「お前にとって、『想い』はそんなに否定するべき力なのか……! この、『能力』がっ! それを使う俺がっ!」
京馬は声を絞り出して、言う。
俺は、何を言ってるんだ?
そんな疑問を感じながらも、何故だか、京馬は氷室に問いを投げかけていた。
「うるさいよっ!」
氷室は問いを返さず、叫ぶ。
途端、肉塊の怪物に生える多数の腕が刃へと変わり、京馬へと向けられる。
「どんなに、成功を、助けを、望みを、『想って』も、何も変わらない! 何も変えられない! あるのは、喪失と絶望だけだ!」
ザシュッ!
ザシュッ!
幾重もの刃が京馬の腕の、脇の、足の、四肢の皮膚を突き刺す。
「あ、あああああああああっ!」
京馬は血を噴き出し、獣の叫びのような悲鳴を上げる。
「お前が、そんな『想い』の望みを持たないよう、俺がじっくりと絶望を与えてやるよ……!」
氷室は叫ぶ。
「わかった……! お前が、語らないのなら、それでいい……!」
だが、京馬はかつてないほどの負傷を負いながらも続ける。
「俺は、『想い』に、この力に、望みをかけるっ! 世界を守って、変えて、美樹との幸せを勝ち取るんだっ!」
京馬は、朦朧とした意識の中、譲らない『決意』を告げる。
途端、京馬を青白い閃光が包み込む。
「そんなもの、僕が『否定』してやるっ! 美樹も殺して取り込んでやる! お前を、絶望させてやるっ!」
氷室は京馬の想いを否定し、絶望させることを宣言する。
「は、ああああああああっ!」
閃光が眩くと同時、京馬に刺さる刃は霧散し、肉塊の怪物の腕を吹き飛ばす。
「な、何だと……!」
氷室は、圧倒的有利な立場を覆され、驚愕する。
「不思議だ……力が漲ってくる……!」
京馬は抉れた壁の窪みの地に足を着き、立ち上がる。
服が裂け、血が流れ出る。
だが、それでも京馬は平然と立っていられた。
「これは……俺の『決意』にガブリエルの力が反応したのか……!」
きっと、そうだ。疑問を放つと同時、京馬は即時に理解する。
「何なんだ、お前はっ!? 何でお前は『想い』に助けられるんだっ!? 何故なんだっ! 憎いっ、お前が憎いよっ!」
氷室は真田との戦いで見せた長大な鎌を発現させ、駆ける。
「収束しろ! キメラっ! 『
途端、駆けだす氷室の鎌に肉塊が吸い込まれる。
全てを吸い込み終わり、鎌は怪しい紫の瘴気を纏わせる。
「『
京馬は、五本の矢を収束させ、一本の大きな矢に変化させる。
「お前にっ! 俺の『決意』と『怒り』を込めた矢をぶち込んでやるっ!」
京馬は言葉と矢を同時に放つ。
「そんなもの、俺がねじ伏せてやるっ! そして、俺がお前に本当の絶望を味わらせてやるよっ!」
氷室は鎌を振りかぶり、京馬の放つ巨大な青白い矢と激突させる。
「はあああああああああああ!」
京馬は叫びとともに『想い』の力を高める。
氷室の鎌に徐々に亀裂が生じ始める。
「くそがああああああああぁぁぁぁぁぁぁっ!」
氷室は憤怒と怨恨を込めた表情で叫ぶ。
鎌の亀裂は徐々に深く根を張る。
「何でだっ! 何で多くの絶望を味わった僕じゃなくて、お前がそんな力を持っているんだっ! 何でお前なんだよおおおおおぉぉぉぉぉっ!」
鎌の先端が欠ける。
そして、そんな氷室を見て、京馬は想う。
詳しくはわからない。だけどこいつは、きっと俺よりもたくさん、つらい思いをしてきたに違いない。
でも─―
それを他人に押し付けてはならない。
『負の連鎖』が続いてしまうから─―
京馬は、更に『決意』する。
「俺も、わからない。何故、俺が選ばれたのか……だがこれだけは言えるっ! 俺は、こんな世界を変えてやるっ! こんな『絶望』に堕ちたお前も!」
京馬は目を伏せ、そして見開き、言う。
「全ての『人』に『希望』を与えるっ! そんな世界にっ! 俺は、『救世主』になってやるっ!」
京馬の『決意』はさらに力を増大させ、氷室を呑み込む。
「わあああああああああああぁぁぁぁぁっ!」
迫りくる閃光の中、氷室は叫ぶ。
「はあ、はあ、何とか、倒せた……!」
京馬は無機質な工場の壁に倒れるように寄りかかる。
「相手の力は圧倒的だった……! でも、倒せることができた!」
京馬は改めて、自分の力─ガブリエルの『想い』の力の凄さを実感する。
『想い』の力は自分でも想像を絶するほどの脅威的な力の増大を生みだした。
さらに、今回新たに目覚めた『決意』の力は今までの『感情』を凌駕する強さを持っていた。
「『決意』、か。自分の全能力を上昇させ、さらに治癒力を向上させる『感情』──」
京馬は拳を握りしめる。
「俺は、まだまだ強くなれる。もっと、もっと、強くなって──」
途端、京馬は視線を前方へと向ける。
自分と対角に倒れる男の意識が戻ったことに気付く。
「う、うあ……」
氷室はうわ言を零し、目覚める。
「ここは……? 僕は、生きているのか?」
ああ、京馬は誰に投げかけたのかわからない問答に答える。
「何故、お前は僕を生かす? 僕なんかを生かしたって、良い事なんか何もないよ? 下手したら、お前の大事なものを奪いかねない」
氷室は無機質に天井を見つめ、言う。
「俺は、『決意』したからだ。お前達みたいな『堕ちた』人も、可能な限り希望を与えて助けるって」
「『救世主』になるってことかい? ははっ、絵空事を──」
氷室は乾いた笑いを浮かべる。
が、次に表情は激情となる。
「ふざけるなよっ! 何も知らない、餓鬼がっ!」
氷室は叫ぶ。
そして上半身を起こし、続ける。
「僕は、インカネーターになる前に、嘘、阻害、様々な負の行いを見てきた! 人が人である限り、救いはないっ!」
「……何で、お前はそんなに絶望するようになったんだ?」
京馬は何故、氷室が『想い』の力を否定し、人に絶望しているのか気になった。
「絶望は、アビスの住民に化身を宿らされた人間は少なからず体験する! それを乗り越えて、アビスの住民に魅入られて、人はインカネーターとなる!」
「絶望を乗り越える……? だったら、お前は──」
「そう、僕は絶望を乗り越えたっ! だから、わかったんだ! 人は『救えない』ことにね!」
「なんでそんな事が言えるんだ! やってみなければわからない!」
氷室の絶望を否定するように京馬は叫ぶ。
「……お前にもわかるように、少し昔話でもしようか」
氷室はため息を吐き、遠い目で自身の過去を語りはじめる。
「僕は、インカネーターになる前、学校の奴らに苛められていた。更には、親にも良く思われていなくてね。本当に孤立だったよ。そんな僕は、小動物を殺すと不思議と安堵に包まれていた」
氷室は笑んで、さらに語る。
「だけど、その日常も一人の少女に出会うことで変わることになった。その子は僕とは正反対の性格だったよ。優しくて、明るくて、小動物が好きで……それから僕の日常は黒から鮮やかな虹へと変化したよ。でも、それも長くは続かなかった……!」
言って、氷室は唇を噛む。
表情は険しくなり、感情が露わになる。
「彼女は、あまり体が良くない方でね。僕が会ったのも、殺す対象だった猫を探していた彼女と入院している病院の外で鉢合わせた形だったんだ。そんな彼女の病状が悪化していたのを僕が知ったのは、会ってからしばらく立ってからのことだった」
氷室の声は悲哀を漂わせる。
京馬は氷室の過去を真剣に聞き入る。
「そのことを知ってから、僕は更によく彼女と会うようになった。励ましも含めてね。それから、僕は学校で苛められても、あまり気にしなくなった。彼女の方がつらいものと戦っている、自分も負けるわけにはいかないってね。そして、彼女の体が早く良くなるように神様なんてものに願ったりもした」
「……」
京馬は氷室の意外な過去に驚いていた。
狂気に満ち、人を殺すのを愉悦にしている男の過去。
それが、自分の想像していたものとかけ離れていたからだ。
さらに氷室は激情を込め、続ける。
「僕を苛めていた奴らはそれが快く思わなかったんだろう。僕の心の支えを折ってやろうと彼女の存在を突き止めた。そして、あいつらは僕が学校でどういう存在で、小動物を殺していた過去も暴露したらしい。大げさにね」
氷室は目を伏せる。
過去の自分の罪を、苛めていたものへの憎悪を、視界に映さぬように。
「それから、彼女は僕を拒絶するようになった。僕が色々と騙していたことにも酷いショックを受けたようでね。そして、それが皮切りとなり、彼女は急速に病状が悪化した」
項垂れ、言葉を失いそうになるも、氷室は続ける。
「その頃から、僕の日常は再び黒となる。でも、彼女の容態が気になって、また彼女の下へと足を運んだんだ。そして、新たな絶望が始まる」
「新たな、絶望……」
京馬は息を呑んで、氷室の話を聞く。
「病室には、彼女はいなかった。死んだのさ。僕は事実を聞いた時、茫然とした。心に穴が空いたっていうのかな。そして、傍らにいた遺族は僕の事をよく知っていたらしくてね。僕の顔を見るなり言ったのさ。『この死神め』とね」
氷室は自嘲する。
「ははは、酷いだろう? 励ましてたつもりの僕が、病状を悪化させた要因となって彼女を死なせてしまった。しかも、悲しいことに僕の励ましで彼女の病状はさして変わらなかったらしい」
一息つき、氷室は続ける。
「僕は自分の罪、苛めていた奴らの憎悪、そして彼女を失った喪失感、負の感情のみが渦巻いていた。その時に化身に魅入られることになる」
「そして、その絶望に打ち勝ちインカネーターとなった、か」
ああ、と氷室は首を下に振る。
「僕は、人の罪を『肯定』することにした。自分の罪も……そして、思ったのさ。人は救えないってね。想いなんかで彼女は救えなかったし、僕自身も……救えなかった」
「お前自身は……まだわからないだろ」
京馬は言う。
『想い』を否定するこの男の言葉を、更に否定する様に。
「ははは、この話には続きがあってね……! 僕は、彼女の遺体を見に霊安室へと向かったのさ。そこで、僕自身の抗えない『本質』を知ることになる」
「お前自身の……『本質』?」
「そうだ、僕の、『本質』だ」
氷室は強く、強く、強調して言う。
「僕は、霊安室で彼女の遺体を見た。……綺麗だったよ。本当に。そして、悲しみよりも、僕は彼女に欲情していることに気付いた」
ははは、と氷室は盛大な自嘲の笑いを空間に響かせる。
愚かで、醜く、惨めな――そう、自身に突き立てる様に、嘲笑する様に。
「僕は死体を見て興奮する、いわゆるネクロフィリアだったんだ! そうだった、あの死体を見て安堵する感覚。それ自身が僕の本質なんだと! 結局、彼女という変化があっても変えられることはなかった!」
「それも、今から変えられるかも知れないだろ!?」
「駄目だった! 駄目だったんだ! この能力で人を法の下でも裁かれずに殺せると知った時の僕の表情……歓喜の笑み以外の何物でもなかった!」
悲痛な笑い声が響き続ける。
『痛み』の嘲笑に、京馬は拳を握り締める事しか出来なかった。
「僕は……殺すのが楽しい、死体を見ると安らぐ。そこに既に落ち着いてしまった。楽しかった。キメラを作るために人を殺すことも、お前を殺そうとした今も」
氷室は、何も言えずに唇を噛む京馬に、視線を向ける。
「そんな、殺人狂を救える?」
その問いに対し、京馬は沈黙したままであった。
「お前は、本当は僕を救おうとしたのではなくて、僕を『自分で殺したくなかった』んじゃないか?」
氷室は目を細める。
京馬の『想い』に対し、猜疑の眼を向け、その真偽を問い質すかの様に。
「それは……」
京馬は言葉を並べようとするが、続かない。
それは、自分の心の中の答えなのだろうか?
「やっぱり、そうだ。お前は『救う』なんて謳っちゃいるが、殺すことに、『罪』に怯えて逃げているに過ぎない」
氷室の言葉は核心を得るように鋭く京馬へと突き刺さる。
俺は……殺すこと、罪を背負うことに恐怖しているのか?
自分の『決意』は変わらない。
が、それが全てではない。
少なからず、その恐怖がある。
では、この男を生かしたのは――
決意のため?
……恐怖のため?
「ああ、笑っちゃうねぇ。何で僕がこんな青二才に負けちゃったのか……何かもう、疲れちゃったよ」
氷室は鼻で笑う。
「さあ、僕を『殺せ』。僕はお前に殺される動機がたくさんあるはずだ。他の殺しもたくさんやってきた。法の下じゃあ死刑確実だ」
氷室が自身の胸に手を当て、呟く。
「俺は──」
しかし、京馬は迷う。
俺は、本質ではこの男をどうしたいのだろう?
殺したいけど怖い?それとも、『決意』のために生かしたい?
揺らぐ想いを胸に矢を発現し、氷室へと向ける。
手が震えている。
それが自身でもわかった。
「それで、いい」
氷室は安堵のため息をつく。
「僕は十分楽しんだ。そして思い知ったよ。どう抗っても、屑が『本物』には敵わないってね」
『罪』に対する諦めの表情を覗かせる氷室。
だが途端、京馬は矢を霧散させる。
そして、一息。
「──やっぱり、お前を殺せない」
「何故だい? やっぱり、殺すのが怖いからか?」
「違う。まだ、『救える』と思ったからだ」
京馬は立ち上がり、前方へと歩を進める。
「待て! 僕は救われることなんか願っちゃいない! 殺されることを望んでいるんだっ! それでも駄目なのか!?」
「ああ、それは俺が決めることだ。生きて、贖罪して、全うに生きてくれることを願うよ」
京馬は視線を変えることなく言う。
「僕はそんな真似は絶対しないぞ! むしろお前に復讐するために、お前の大事なものを奪いに来るかも知れないぞ!」
「その時は……また俺が戦って守ればいい」
氷室の叫びを受け止め、だがそれでも曲げない決意を京馬は告げる。
「この偽善者めっ!」
氷室の叫びは廊下に響き続ける。
だが、京馬は振り向かずに前に進む。
――己の『信念』を胸に。
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