8.ぼくら、二十一世紀の子供たち

 少女は蒼ざめた馬に跨り、照り付ける砂の上をフル・スピードで駈けていました。暗い足跡を残して砂埃は舞い、その向かいから、ぴったりとこちらに向かって駆けてくるひとつの影がありました。

 それは狂った一角獣ユニコーンでした。穢れを嫌うその白き毛並みは、大きな翼と一キュビットの長い角を生やして、半ば飛びながら、少女に殺意を向けておりました。

 少女は背中の『リー・エンフィールド』小銃を手に取ると、脚で馬を操りながら、一角獣に向けて、ボルトを握り続けざまに操作して小指で引き金を引く手動の乱射マッド・ミニットをし、弾倉の十発を叩き込みました。肉が削がれ、骨が見え。やがて一角獣は死にました。

 どうどう、と言って少女は馬を止めました。空になった小銃の弾倉に五発の挿弾子をふたつ装填しますと、疾風アエローが吹いて、地面に大きな影が映るのを見、はっとして黒い空を見上げました。

 それは死肉を貪りに飛んで来た掠めるモノハルピュイアの四姉妹でした。彼女たちは人間の頭と胸をし、手は禿鷲の羽根で、脚は鷹の爪をしていました。彼女らは一角獣の苦い肉を啄ばみはじめると、ケラケラと笑いながら、こう会話しはじめました。

「……まったくもう、モノケロースは苦いわね」

「薬みたいなものだもん、あたしも処女をとめが食べたいな」

「良薬口に苦し、ってことですか、御姉様?」

「毒も薬。きれいはきたない、きたないはきれい」

「処女の子宮は甘い味がするのよ。死体を探しに行きましょ」

「――さんせいさんせいっ、だいさんせいっ!」

「私は、御姉様についてゆきます」

「満月の狂人は九日かけて処女の肉をシチューにして食べたそうな」

「ウプウアウトが来ないと良いんだけど、あの狼男」

「おにくっおにくっ、おにくがたべれるぞっ」

少女は日陰に隠れてその会話を聞いていました。空には三つの太陽がありました。その二つは虹色のプリズムの幻日で、それらはやがて月と太陽を追いかける犬、スコルとハティに変わり、少女の匂いを追いかけ始めました。少女は舌打ちしました。足元には自分の尻尾を咥える蛇が、動けずのたうちまわっていました。

 と、振り返ると頭上に、張り付いた笑みを浮かべるハルピュイアが飛んでいました。その猛禽類の眼差しで、長女の疾風アエローは、

「あなたは処女?」

と、聞きました。少女は反射的に小銃の銃剣を突き出しましたが、それは避けられて、そしてアエローが両の翼で突風を吹かせると、少女の体勢を崩し小銃を取り落とさせました。少女は砂の上に転がりながら、三日月型のカランビット・ナイフと自動拳銃『武装した人』を抜いて、祈るように胸元で構え半身になって、そしてアエローを狙い撃ちました。彼女はケタケタと笑いながら、銃弾を避け、爪で銃を弾いて棄てさせました。ややあって、その姉妹も続けて飛来してきました。

「おにくっ、おにくっ、おにくおにクニ肉肉肉肉~」

次女の雨燕オキュペテは、食べることしか考えていないようでした。一気に少女に詰め寄って、鷹の爪で少女の顔を押さえ付けると、少女の左手を一気にもぎ取って、そしてぐちゃぐちゃと汚い音をさせながら咀嚼しました。するとオキュペテは、――ぐえっ、苦っ! 辛っ! と喘いで、そのまま少女の肉片を砂の上に吐き出しました。

 三女の幽暗ケライノーが、かわいらしい声で言いました。

「御姉様、こいつ処女じゃありません。殺される前に逃げましょう」

すると四女の駿馬ポダルゲーも、冷静な声で言いました。

一角獣ユニコーンは生娘を好み彼女の前ではその獰猛な性格を和らげる」

くるしいよ~、つらいよ~、と、オキュペテはケライノーに慰められながら、半ば泣いていました。長女のアエローが叫びました。

「――スコルと、ハティ!」

遠くから、二匹の犬がこちらに向かってきているのを見えました。次女のオキュペテが言いました。

「犬の肉ってどんな味がするのかなぁ?」

三女のケライノーが言いました。

「犬なんか食べたらお腹を壊しますよ。奴ら肉食ですから」

四女のポダルゲーが言いました。

「フランスやスイス、また東アジアの地域では犬食文化が存在する。いっぽうイスラムでは、犬の唾液は不浄とされ、ハディースにより犬に触れたら七回洗うように定義されている。イングランドでは、犬は馬と並んで人間の友とされ、国教会は、犬食を禁じている」

二匹の犬が迫ってきていました。アエローは呆れながら言いました。

「そんな事はどうでもいいのよ。さっさとずらかるわよ」

「――この女はどうすんのさ?」

「ほうっておきましょうよ、御姉様。辛酸と苦汁みたいな味しか、しないんですもの。それに、人間が空を飛べるとお思いで?」

「――でも、銃を、持ってるよ……」

末っ子のポダルゲーがそう言って、三人はふと顔を見合わせました。それから四人のハルピュイアはニタリと笑って、獣の目で、少女を乱暴にその爪で掴むと、二匹の犬の前に放り投げました。少女は、ぐっ、と唸ると、それから動かなくなりました。ハルピュイアの四姉妹は犬たちに、――! あんたたちに、あげるわ! と言って、ケラケラと笑って輪唱しながら、空の闇に消えてゆきました。


 ほ。ほ。ほたるこい

  あっちの水は にがいぞ

  こっちの水は あまいぞ

 ほ。ほ。ほたるこい

 ほ。ほ。山道こい

――ほたるのお父さん金持ちだ!

――どうりでおしりがピカピカだ!

 ほ。ほ。ほたるこい 山道こい

――ひるまは草葉のつゆの陰!

――夜はぽんぽんたかぢょうちん!

(天竺あがりしたればつんばくろに攫われべ)

 ほ。ほ。ほたるこい

  あっちの水は にがいぞ

 ほ。ほ。ほたるこい

  こっちの水は あまいぞ

 ほ。ほ。ほたるこい 山道こい

  行燈のひかりをちょっとみてこい

 ほ。ほ。ほたるこい

 ほ。ほ。山道こい

 ほ。ほ。ほ。ほ。ほ。ほ。ほ。

 ほ。


棄てられた少女は黙って、先のなくなった左手首を眺めていました。そこには「幸福は才能である」とかかれていました。地面からは、スコルとハティの二匹の犬が駆けてくる振動が伝わってきました。

 少女は、ゆっくりと、左腰の散弾拳銃『狼のためのルパラ』に手を伸ばしかけていました。その装弾数は二発。犬は遠くで孔雀の死体を食べていました。散弾銃を片手で構えました。そもそも両手で構えようがないのですが。

 霞む視界の先に、照準を合わせました。引き金を絞りました。がちん、と撃鉄の落ちる音がして、それは不発でした。犬たちがこちらを見ました。少女は、ああ、とだけ思いました。それから、私はここで死ぬんだ、とも、思いました。犬が、牙を剥き出しにしてこちらに迫ってきました。少女は諦めて目を閉じました。身体がもう動かないからです。無くなった左手の薬指がなんだか痛みました。それは幻肢痛ファントムペインでした。

(――我死なば焼くな埋むな野に捨てて飢えたる犬の腹をこやせよ)

 ふと、死なないのを疑問に思いました。目を開けました。眩しい光が脳を焼くようでした。――そこでは、月の犬マーナガルムが、スコルとハティを殺して、喰っているのでした。

〈……カマル?〉

と少女は呟きました。マーナガルムは彼女の左手首を舐めてやりました。すると彼はけむりになって消え、代わりに彼女の傷は癒やされました。具体的に言うと左手がそこにはあるのでした。

 少女は失くした利き腕を取り戻すと、左腕を地面に着いて、立ち上がりました。それから呼吸をしました。それから涙が流れました。顔を両の手で覆いました。ぼとぼとと乾いた砂に雨粒が落ちて、気付くと空も泣いていました。ああ、とだけ少女は思いました。そして右腿から、回転式拳銃『ピースメイカー』を抜いて、地面に転がっていた三日月型のカランビット・ナイフを一緒に構えました。

 言語以前の呻き声をあげながら、影から生ける屍グールたちが出でてきました。少女は拳銃を構え、一発、また一発と、彼ら彼女らの脳天に銃弾を叩き込んでやりました。六発の弾倉を撃ち切って、再装填すると今度は、散弾拳銃『ルパラ』を取り出して、不発弾を抜いて散弾を装填し、みんなで固まって何もしないゾンビたちを、まとめてただの肉塊にしてやりました。血は流れて砂に吸われました。

(わたしのこころは、かわいたさばく)

ゾンビに後ろから抱き着かれると、少女は肘打ちを喰らわせて、そのままナイフで首を掻っ切りました。その死体を――もとから死んでいるのですが――ゾンビたちにぶつけて、体勢を崩してやると、そのまま散弾銃で撃ち抜きました。

(それでもいきなくてはならない、わたしじしんがいきるために)

少女は再び目を閉じました。それから深く息を吸って、吐きました。今度は、涙は流れませんでした。

(……いきろ、いきろ、いきろ……)

自分自身に言い聞かせながら、心臓が高鳴るのを抑えながら少女は、あてどなく、そうやってとぼとぼと彷徨うのでした。

 空では三日月が笑っていました。


 * * * * * *


 河を、渡っていました。脛までが水に浸かり、そしてそこはいちめんの葦原でした。少女は右手に回転式拳銃『ピースメイカー』を、左手には三日月型のカランビット・ナイフを構えながら、ワニのような爬虫類がそこらじゅうを這っているのを警戒していました。

 対岸に、馬に乗った雪のような女性が見えました。少女は拳銃を構えました。と、手からふわりとその拳銃が逃げ出して、それはその女性の手に収まりました。少女はすっかり非武装アンアームドになりました。

 それはユニコーンでした。ユニコーンはその獰猛な性格を、一キュビットの角を去勢されたみたいに、怯えきっていました。それは騎手への恐怖から来るものでした。女性が言いました。

「――あらあら。また会ったわね、メディア王国の末裔さん」

「お前は……」

女性がクスクスと笑って言いました。

「私? 私は暗い月。キスキル・リラ、キ・シキル・リル・ラ・ケ。風の女王ニンリルでもいいわ。名前なんてたくさんあるの。例えばエハヴァだとか、平和シャロームだとか……いちばん最近だと、――」

「名前はどうでもいい。ここはどこだ」

少女が遮って言うと、女性は口角を上げて答えました。

「もちろん、その通り。ここは無名都市ロバ・エル・カリイエ。魂の旅の間の、肉体の保管場所……イラクのクウェート、その砂漠の中に存在する、存在しない場所。……あなたも、イラク人だったわよね?」

「私は、クルドだ」

そうね、と女性が答えました。彼女は四六億年の眼差しをしながら、しばらく『ピースメイカー』の銃身を撫ぜていましたが、ふとそれを丸めると、ぷかぷかと浮かぶ水晶玉に変質させ、それを覗き込みながら(あるいは覗き込ませながら)、呟き始めました。


 けものゾーイという名前の少女の話をしましょう。ゾーイはイラクのハラブジャに生を受け、その出産の代わりに母親のデリヤが死んだ事を、父親の荒野を彷徨う者イスマーイールによく詰られておりました。それでもゾーイが平気だったのは、優しいお姉さんが居たからです。お姉さんは、名前を言葉カリマ、といいました。

 ゾーイは、カリマの吹くハーモニカの音に合わせて唄うのが好きでした。アラビヤの唄から、新大陸の流行歌まで。でも楽器は悪魔の礼拝時刻告知係ムアッズィンだとして、保守的な周りからは嫌われていました。それでも二人はへいちゃらでした。それは単に楽しかったからです。

 ゾーイは色々な言葉を分かっていたので、よく英語のテレビを族長に翻訳してあげたりしました。子供たちは埋められた地雷を売って生計を立てており、あちこちに手足を失くした子どもたちが居て、また親に決められた結婚を、拒絶する意味で焼身自殺を図る女性たちに溢れ、それは幸せな日々を過ごしていました。

(テレビの中の映像が、姉妹二人を映しました。それは歪められた春の日の午後でした)

「ゾーイ、あなたはガリラヤ海を知っている?」

「ガリラヤ? うみ?」

「海を知らない? まぁ、私も行った事ないんだけど……それは北から南へ流れ、ヨルダン川を通り、そして死海に流れる。ガリラヤの海は、彼の布教活動の拠点だったの」

「彼?」

空色のお姉さんの瞳が輝きました。

救世主キリストよ。偉大なる預言者、そして、神の子イエス……」

 ゾーイは知っていました。お姉さんのカリマが、恋をしていることを。でも村では異教徒と結ばれることは禁じられていました。一族の血を絶やさないためです。だからゾーイは黙っていました。

 その日は六月なのに小雨が降っていました。広場の中心で、お姉さんは人々の輪の和の中心となって、引きずり回されながら地面に寝転んで、蹴られ嬲られ石を投げられていました。ゾーイは、助けたい、とだけ思いました。でも父親も知らない母親も、それから村中の人たちも一丸となって、お姉さんを蹴ったりぶったり石を投げたりしていました。ゾーイは石を持たされました。投げろ、とも言われました。それは試練でした。幼いゾーイは、戸惑いながら、お姉さんに目掛けて石を放りました。空色の瞳がこちらを覗き込みました。でもそれは投げた石によってぶちゅりと潰されて、すぐに色を失くしました。灰色の地面には赤い血が流れていました。雨上がりの空には太陽が輝いて、虹が顔を出していました。誰かが、虹は神のメッセージだと言いました。ゾーイは、そんな神様なんていらないと思いました。

 人々が言葉カリマを殺しました。泣き女は仕事の為に泣いていましたが、それはゾーイにはどうでもいいことでした。ところでゾーイには腹違いの弟が居ました。彼は名前をカマル、といいました。カマルはそれは小さくて可愛い甘えん坊さんで、彼を殺したのもゾーイでした。

 お姉さんを殺してから何日か何ヶ月か何年かそれとも永遠かが経って、一四三〇年、第六の月の二十二日、あるいは西暦二〇〇九年六月十六日、ゾーイの八歳の誕生日の日、村は虹色の蝶の黒旗の部隊に襲撃されました。そのリーダーは、名前をアポロ、といいました。男はすべからく殺され、家は焼き払われ、女子供は連れられて、ゾーイもその中に居りました。父親のイスマーイールは族長の下で働いていたので、権力者でもありました。だから残されていました。アポロは、娘のゾーイを連れてくると、その手にアメリカ製単発式拳銃『解放者リベレーター』を握らせて、言いました。

「君が決めていい。それが君の自由であり、権利ライトでもある。ゆえに、君は村を焼かれた復讐のために、僕を殺してもいい。でも僕を殺したら僕の部隊が君を殺すよ。君はそれに太刀打ちできるかい? 君にそんな力があるかい? ――でも君の家族を殺すなら、皆殺しでなくてはならない。それが、僕たちの呼ぶ家出、というものだ」

家出でも出家でもいいのですが、ともかくゾーイは引き金を絞りました。もう母親も死なせているし、姉を殺したのだから、何もかも一緒だと思ったからでした。――いい子だ、とアポロは頭を撫ぜてくれました。それから『リベレーター』ピストルに再装填すると、今度は知らない母親を撃ちました。音は、空にこだましてきっと神の下に届きました。するとゾーイは、義弟のカマルに銃口を向けました。彼は泣きませんでした。そもそも何が起こっているのかも、知らないようでした。

 ぶるぶると拳銃を握る手が震えました。

 無垢な瞳が彼女を覗き込みました。

 それは殺した姉と同じ目をしていました。

 ゾーイは引き金を絞りました。いい子だ、とアポロは再びゾーイの頭を撫ぜました。ゾーイは彼の部隊に引き取られることになりました。

 そこでは、ゾーイは皆から蓮葉女アノニマと呼ばれていました。アノニマは八歳の女の子だったので、よく皆から慰み者にされていました。よく、。反抗する気力も失せていました。(おい、お前! ビタミンCを失っているぞ!)何もかも破れかぶれになったある日ゾーイは幻想ファンタジーに膨らむ男の陰茎ファルスを噛んでやりました。するとぶたれました。騒ぎが大きくなってきて、ゾーイは男から拳銃を向けられました。男と、男根と、拳銃。どれも同じだと思って、ゾーイは笑ってしまいました。すると男は激昂した様子で、洞穴の中に銃声が響きました。

「――僕は、弱い者をいじめる奴は嫌いさ」

アポロはそう言って、続けて彼女を犯していた男たちを射殺すると、彼女をいたく気に入って、キスをしてやりました。それはゾーイの初めてのキスでした。アポロは、再確認の意味で、皆に言いました。

「いいかい、君たちはここに居ていい。それを守る単純な一つだけのルール。この部隊の中では、暴力は禁止だ。愛し合うのはいい、だけど一方的な愛は単なる自己満足の暴力でしかない。ナザレ派はそういうところに無自覚なんだ。その二の舞になってはならない」

 アポロは、いつもゾーイを傍に置いていました。よく自分の話も聞かせてやりました。ゾーイも無理やり犯される事はなくなって、ほどほどに安心できたので、満更でもありませんでした。

「僕は単純に『ここに居ていい』って言ったんだ。そしたら皆ついてきた。みんな、居場所が欲しいんだ」

「僕の誕生日は一九七二年十二月七日。ちょうどその日に、アポロ十七号が月に向けて空へと飛び立ったんだ。だから、名前がアポロ」

「ぼくは枯葉剤を浴びたベトナム女と、核実験演習で被曝した兵隊アトミック・ソルジャーの下に生まれた。人種は混ぜこぜで、肌は黄色いのか、白いのか、黒いのかすら僕にも分からない。どちらかと言えば蒼褪めている。内臓がないから、こうやって、チューブ越しに直接栄養を血管に送り込んで生き永らえるしかないんだ。僕も、後継者を考えないといけない――君のような、ね。ゾーイ」

 ゾーイは慰み者の蓮葉女アノニマとしてではなく、兵士としての訓練を受けました。部隊には、アフガン紛争に参加したロシアの特殊部隊、スペツナズの教官がおりました。訓練の内容は、銃口を安定させながら移動する技術、絶え間なく地面を転がって相手の照準を定まらなくする技術、あらゆる体勢から射撃をするシステム、格闘術システマ、東南アジアのナイフ術、剣術、弓術……そういった基礎・応用技術から、精神面まで。怒号を受けながら、足元に銃弾を撃たれながら。互いを防弾衣越しに実弾で撃ち合う訓練。頭のすぐ横を実弾が掠める射撃訓練。先に火の付いた棒を持ちながらする組み手。それから、実戦経験。周りの子供たちが逃げ出そうとして殺されたりする中、ゾーイは、その人殺しの才能を十二分に発揮して、九才になるまでに、身長もぐんと伸びて、一部隊のリーダーになるまでになりました。――むしろ自らに強制して、大人になるのを早めたといった方が、正しいのでしょうが。

 でもある日、ふと気付きました。私は、結局アポロに飼われているだけだ。彼の言った『私の自由』は、勝ち取れていない。家族の子飼いの羊スケープゴートだった私と、今の私。そこに何の違いがある。

 だからある日、米軍部隊の輸送トラックを襲撃する任務。そのとき、ゾーイは子供兵士の部隊を、皆殺しにしました。彼らは従順でした。そうやって親の、隊長の、権力者に従う事が、生きていく為の術だったからです。ゾーイはそんな彼らを使うのも、逃げ出して彼らに殺されるのも、何もかも嫌気が差したのでした。

 だから彼らを『解放』してやりました。実際ゾーイはそれ以外の手段を知らなかったのです。死が救いである。他に逃げ道はない、一度支配された、共依存の関係から脱するには、生まれ変わってやり直すほかにない。私たちは、普通の人たちのようには、生きてゆけない。そのように育てられたから。そのように造られたから。

 ゾーイは、米軍の補給部隊長から、回転式拳銃『平和製造機ピースメイカー』を受け取りました。助けてくれたお礼、という事でしたが、ゾーイにとってはどうでもいいことでした。それは全部彼女のエゴで行動した結果でしたから。平和製造機。なんとも皮肉な名前。平和はやはり死でしかないのです。ゾーイは、誰も居なくなった砂漠の荒野、夕陽が西に沈むころ、六発の回転式弾倉に一発だけ弾丸を装填しました。六分の一の運だめし、ロシアン・ルーレット。――なんと甘えた根性でしょう! 他人は容赦なく殺す癖に、ゾーイは、彼女は、自分を殺すときには、それを命運に任せようというのです!

 ゾーイは引き金を絞りました。だけど弾丸は放たれませんでした。だから彼女は、今こうして生きている。名前の無い亡霊アノニマ・プネウマは、殺した姉の面影を追いかけて、彼女の恋い焦がれた、死海に繋がるガリラヤのダリヤに向けて、亡くしたカマルと一緒に、イスマーイールのように砂漠を彷徨うのでした。……


「……と、いうのは、あなたの作りだした自分勝手な妄想」

 雪のような魔女が言いました。それは灰色の猫の形をしていました。それはニヤニヤ笑いながら、悪魔リリスは続けて言いました。

 記憶は、簡単に造り変えることが出来るの。自分の中でね。それが夢の機能。私たちは、過去を簡単に歪めて、再解釈・脱構築する事ができる。別の文脈や意味にしてしまえる。それは宗教だってそうなのよ。言葉なんてたかが言葉、自分の気持ちいいように何もかも合わせてしまう事が出来る。――続きを話しましょうか?

 結論から言えば、あなたがアポロを作ったのよ。自分の中でね。あなたが、アポロ自身だったの。不思議だと思わなかった? 虹色の蝶の黒旗がいつもあなたを追いかけて来るんだもの。当然よね、ホントはあなたがリーダーなんだから。あなたは村で部隊を蜂起、いえ蹶起した。村に虐げられてきた、女子供を集めてね。古い慣習に従い続ける村を、滅ぼそうと考えた。でもそれを、あなた自身の行いではなく、実在しない『アポロ・ヒムカイ』という存在に罪をなすりつけた。可愛い自分自身を守るために。でも規模が大きくなってきて、あなたは自分の罪を、架空の存在に償わせる事にも矛盾を感じ始めた。だから、部隊を脱け出した。遁走。自らの行いから逃げるために。自分は悪くない、と詭弁を言い続けるために。

――辻褄が合わない? そんなもの、あとからどうにだってなるのよ。あなたが今までそうしてきたようにね。あなたが自分をどう思っているかは、問題ではないの。あなたはあなたの周りの人間たちの観測において存在するの。あなたという存在は、そういった観測の集合体でしかないの。実存ではなく。虚構の。存在。

 あなたは引き金を引くと、たしかに弾は出なかった。あなたはそれに満足しなかった。死んでしまいたかったから。だからもう一度、また一度、と引き金を絞り続け、――遂に! 六回目、回転式弾倉に一発だけ込められた弾薬が発火し、弾丸が回転しながら銃身を通り抜け、ちいさなゾーイの頭を吹き飛ばしました。ああ、可哀想なゾーイ! イシュメルの娘たる雌狼のいのちゾーイ・ビント=イスマーイール・アル=アシナはそこで死に、代わりに、亡霊の娘たるクルド族の名無しアノニマ・ビント=プネウマ・アル=クルディスターニが生まれました。

――そう、あなたは亡霊なの。魂のみになって、砂の海を彷徨う亡霊。あなたの死体は、今でもイラクの砂漠の中で、きっと骨になって朽ちている。と、いうよりも、今ここにある。見てみて、

(そう言うと、魔女は死体の保管場所――無名都市ロバ・エル・カリイエの、棺のひとつを見せてやりました。そこには九相図のように朽ち果てる自分の死体が確かに保存されているのでした)

納得した? そうでもない? だけどあなたは過ちを繰り返し続けている。ただの狼犬を自分の殺した義弟に重ね、あまつさえカマルと呼んで依存している。あなたはダリヤなんかどうだっていい、けれどそれは姉が見たかった景色だったからと、無理に『生きる意味レゾンデートル』を造り出している。それは自分が死にたくないから。消えてしまいたくないから。――結局自分が、いちばん可愛いから。自分一人では、生きていけないと知っているから。何かに縋らないと、依存しないと、二本の脚ですら立って歩く事が、出来ないから。たとえそれが他人を傷付ける銃であろうとも。最低の人間。最悪の外れ者アウトサイダー

(すると少女は黙っておりました。徒手の拳を強く握り締め、その爪は自身に突き刺さるようでした)

――それでも。

(と、浅黒い肌の少女は言いました。息を長く吐いたようでした。それから気息プネウマを吸いました)

――それでも、カマルが居なければ、デリヤは満ちない。私たちにだって、幸福になろうとする権利はあるはずだ。たとえそれが徒労でも。砂漠の上に、実を結ばなくとも。水が多かろうと、少なかろうと。現実が私たちをいくら苦しめようと。過去が、私を追いかけてくるから。私はアポロを――架空の『敵』を。否定する事で自由になれる。私はあいつの――そして私の、死が、必要なのだ。私が生きるために。奪われた私の未来を。取り返すために。差し引きゼロになるだけの話だ。使えるものは、なんだって使ってきた。論理武装でも、詭弁でも。今までも、そしてこれからも。これは私の清算リデンプションだ。過去ではなく未来のために。――そうだろう、……――?


 * * * * * *


――目が覚めると、そこはベッドの上でした。薄暗く、傍には誰も居ませんでした。枕元の台には飲みかけの冷えたファンタのクリアレモン味の缶が置いてあり、外では、軽い雪がちらついていました。

 自分から伸びる管を目線でたどると、左腕に点滴を打たれていました。そしてその腕を持ち上げると、

「……あ、……」

左手首から先がありませんでした。傷は既に塞がっていて、神経もないはずなのに、なんだか痛みました。それは亡霊の痛みファントムペインでした。

「――おや。目が覚めたみたいだな、アルテミス」

部屋に入りしなにそう言う声がありました。少女はそのドイツ訛りの響きに覚えがありました。

「…………」

けれど、言葉が出てきませんでした。脳圧が高まってくるのを感じました。それから血が、全身を駆け巡っていくのも、感じました。それは失くした左手を除いて、ですが。

「随分長いこと、眠ってたんだぜ。床ずれはしてないか? レッドがときどき、お前を寝返りさせてたからな」

少女はそんなことよりも、の安否が気になりました。すると失くした腕が焼けるように痛みました。男は、枕元のファンタの缶を飲み干すと、げっぷをして、それから言いました。

「――ああ、腕か? そんなに心配するな、とっておきがある」

そういうと男は、――そうだ、ハンスだ。私はこいつをハンスと呼んでいた。と少女は思い出しました――少女の失くした左手を手に取ると、手際よく電極を接続し、――灰娘シンデレラにガラスの靴を履かせるように――取り付けたは、柔らかな人工筋肉と甲蟲のように固い装甲とで出来た、筋電義手バイオニック・アームでした。

「実験中の最新型だ。神経にインプラントされた電極が直接義肢を操作する。特別な訓練は要らない。理論上では、失くした腕と同じように動作するはずだ」

「……私は、……」

少女は絞るように掠れた声を出しました。

「……お前たちの、実験体サブジェクトか……?」

「――おいおい。それを言ってくれるなよ。レッドが、色々と苦労して会社に取り次いで、ここまでこぎつけてくれたんだぜ。お前も、そのほうが都合がいいだろう」

少女は、取り付けられたばかり筋電義肢を眺め、それからゆっくりと握ったり、広げたり、捻ったりして動かしてみました。それはまだ少しぎこちない動きで、腕だけ産まれ直したみたいだ、と思いましたが、そのやや重たくて赤黒い甲蟲は、幻肢の動くのに一瞬遅れつつも――たしかに動作するのでした。

 その日は犠牲祭イド・アル=アドハーでした。アブラハムが息子のイスマーイールを進んで神に犠牲として捧げた事を記念する日であり、皆は正装し、神は偉大なりアッラーフ・アクバルと唱え、神への供物を捧げ、イスラームの慈善を実践するために、生贄の肉は飢えた貧しい人たちへと分け与えられ、家族・親族・友人たちは集い、お祝いの食事をするのでしたが、クルドの異教徒である少女には、――いいえ既に無所属の蓮葉女アノニマには、そしてゾーイには関係の無い事でした。十一月の空気は冷えていて息を白く凍らせました。

 ドアがノックされました。ハンスは――ウェーバーは、やや警戒するようにステアー機関拳銃を握りました。足音の数が多かったからです。ほどなくして扉が開きました。それは三人組で、武装しており、その中のリーダーらしき女性が、

「やあやあ。酷い姿じゃないか、カウガール」

と、笑みを湛えたまま言いました。カウガールと呼ばれた浅黒い肌の少女は、黙っていました。

「――誰だ?」

ウェーバーが言いました。すると右手の黒人男性が、彼の肩のドイツ国旗の記章を見て答えました。

ドイツ人アルマンか?〉

男がフランス語で言うと、ウェーバーはドイツ語で答えました。

フランス人フランツェーズィッシか?〉

〈ああ、それがどうした〉

お互いはドイツ語もフランス語も理解しているようでしたが、お互いに自国の言語を譲る気配はありませんでした。それでも意思疎通できているのなら、その点で問題はないのですが。

〈――お前の名前は?〉

〈人に名前を訊く前に、まず自分から名乗ったらどうだ〉

〈なるほど、フランス人らしく理に適っているな。俺はウェーバー。カール=マクシミリアン・フォン=ウェーバー〉

〈音楽家か? 俺はマニング……いや。――ジャンだ。ジャン=ポール・カルヴァン・ド・ボーヴォワール〉

〈哲学者か?〉

〈人は女に生まれるのではない、女になるのだ〉

〈その点は同意する。が、先の質問に答えろ〉

〈俺たちは民間軍事警備会社『一匹狼マーヴェリック』。異端児アンファン・テリブルの集団さ。お前も、クローゼットの中か?〉

〈……ああ、そうだ〉

〈なら、話が早い。俺もそうだ〉

男性的な筋肉質の二人は短く会話を済ませると、いそいそと並んで室を出てゆきました。三人組の左手の白人の男――フランス語もドイツ語も分からない軍曹が、ぽかんとして、

「……ありゃ、お互い、なんつってんだ?」

と、言いました。少女が意外でもなさそうに目を逸らしながら、

「……別に、ただの……」

〈お互いに一目惚れか?〉

中尉が茶化すように笑いながら、フランス語でそう言いました。

「…………」

少女が黙ると、女性は苦笑するようにしながら、

「そう仏頂面になるな。依頼された届け物があるんだ。少し気の早いクリスマス・プレゼントだとでも思ってくれ」

と言って、まず一丁の拳銃を差し出しました。

「――これは、お前が持ち込んだものだろう?」

それはフランス製の自動拳銃でした。少女が『武装した人ジャンダルム』と呼んでいたもので、9ミリの銃口には抑音器が装着されていました。少女は黙ってそれを受け取ると、ぎこちない義手の動きで作動を確かめてから、左脇のからっぽのホルスターにしまいました。

(……私の棄てたものなんか、私しか拾って使わないんだ……)

少女はひとり思いました。琥珀色の狼アンバーの瞳が燃えていました。

 それから女性――配達員のクローディアは、灰色の毛皮で出来たフード付きのポンチョ(それは動物の頭を被るようになっていました)と、その牙で出来た勾玉のようなアクセサリー、それと、桃の木を芯材に、動物の骨や腱を貼り付けたやや小振りな複合弓コンポジット・ボウと、その矢筒とを差し出しました。

「…………」

少女は黙ってそれらを受け取りました。それから、が本当に死んでしまった事を知りました。しばらくそれらを抱きしめていました。涙は不思議と出ませんでした。それから言いました。

「……矢は、無いのか……」

するとクローディアが笑って答えました。

「矢筒に入れてある」

それは葦の茎を乾燥させて作られた矢でした。矢羽は孔雀のものでした。また革で出来た丈夫そうなグローブや、狼の毒トリカブトの小瓶なども一緒に入っていました。

 それまで黙っていた白人の男――ギルバートが口を挟みました。

「使うか、使わないかはお前次第だが……まぁ。火薬を使わない分、弓は銃よりも随分静かなもんだろう。実際、暗殺用として十字弓クロスボウが主流だった時代も長い。あとは、お前の腕次第だな」

腕次第。と言って彼は、少女の失くした左腕、それからそこに装着された義手を見て、思わず口を噤みました。彼にもそのくらいのデリカシーはあるのです。少女は義手をギシリと握りしめました。

 それからクローディアは、ひとつの冊子――それは偽造旅券パスポートでした――を差し出しながら、こう提案しはじめました。

「聞いたよ。海へ行くんだって? それもわざわざ国境を越えて? ――どうするつもりだった? まさか、国境の兵士たちを皆殺しにして進むつもりだったか?」

「…………」

写真の中の少女はやや微笑んでいました。たぶん、それはが撮った写真に映った自分なのでした。

「カウガール、私たちのところに来い。我々がお前を飼ってアプリボワゼやる。そしたら、この旅券はくれてやろう」

女性はヒラヒラとそれを餌のようにちらつかせて見せました。

 一匹狼ローグの少女は、それに目もくれず呟きました。

「……私は、誰の指図も受けない……誰の支配下にも、ならない……私は、欧米人が言うところの、『個人インディヴィジュアル』であるはずだ……」

クローディアは、やや意外そうに眉を上げると、しかしすぐにいつものように微笑んで言いました。

「ふむ。いいだろう。それも個人の選択だ。個人の責任だ。だからカウガール、私はお前が好きだよ」

「…………」

クローディアは、ベッドの上にぽふりと偽造旅券を投げると、踵を返して手を振りながら言いました。

「それじゃ、な。ゾーイ・ビント=イスマーイール・アル=アシナ。また会う事もあるだろう」

「……二度と、その名前を呼ぶな。ジェーン・クローディア・サンダース元中尉」

分かった、分かったと笑いながら、彼女は部屋を出てゆきました。ギルバートも慌てて彼女に付いてゆきました。

 少女は、偽造旅券を義手で手に取ると、しばらく眺めていましたが、ふと力強く――あまりにも幼い暴力性で――そのままぐしゃりとそれを握り潰して、それから窓の外へ投げ棄てました。それは雪の中に隠れるようにして、やがて見えなくなりました。――飲み干されたスプライトの缶が、黙ってその音を反響させていました。


 * * * * * *


 思い返してみれば、自分自身と過去の出来事とは、実際に何の繋がりがあったのか、はっきりしないのでした。でも自分の思い込んでいる自分の過去を――いわば妄想を、否定してみると、確かに自分は空っぽなのだと分かるのでした。それでも左腕は誰のものでもなくなり、幻影だけが残り、そこには、代償としての赤黒い甲蟲が居座っているのでした。

「赤毛のお姉ちゃんが、脚をくれたんだ」

不意に、死角から少年の声がしました。アノニマは驚いて(自分以外に、人が居るとは思っていなかったからです)振り返りました。彼は、義足の両膝を抱え込むようにして、部屋の隅っこの地べたに座りながら、一人ぼっちの人間たちがみなそうするように、静かに微笑んでいました。

「でも、外に歩いていけるなんて、思えないよ」

「…………」

アノニマは黙って少年を眺めました。その顔は美しく、化粧をしていて、髭などは綺麗に剃られており、彼が男娼バッチャであることは明らかでした。

「脚が無いからさ、踊れないんだ。僕の価値は尻の穴だ、って。地雷なんか、踏まなけりゃよかった、って今は思う」

「…………」

アノニマは、窓から眩しい外を見ました。薄暗い室内で二人は、しばらくお互いに黙っていました。彼は懐からナイフを取り出して、それから言いました。

「ご主人は、僕をぶつんだ。歩けないから。そうやって愉しむんだ。僕は、鼠とかウサギとかを捕まえて――盗んだナイフで、切りつけて、愉しむんだ。自分よりも、ずっと弱いものを」

「…………」

彼は彼と同じように綺麗な装飾の施された儀礼用ナイフジャンビーヤを抜いて、うっとりと眺めました。それはイスラム世界で一人前の男と認められた証でもありました。アノニマにとっては、彼はナイフの刀身を眺めているのか、それともそこに映り込んだ彼自身の鏡像に見惚れているのか、分かりませんでした。

「君も、同じ? その銃は、弱者を殺す為のもの?」

するとアノニマは、彼に三二口径のブローニングを投げて寄越し、それから言いました。

「銃は、イコライザと呼ばれる。暴力の前に、人は平等だ。イコライザは、文明の道具に過ぎない。人を差異づけるのは――その技術だ。そして、技術は、水をやりすぎた土壌では、決して育たない」

アノニマは、ぎこちない義手の動きで自分の装備の一式を掴むと、ベッドから起き上がりました。数ヶ月の寝たきりでやや衰えた筋肉で、彼女は少しよろけましたが、それでもふらつきながら立ち止まりました。

「お前は脚を得た。銃も得た。立って歩いてもいい。地面を這いつくばっても、いい。憎い主人を殺しても、動物を殺し続けても、自分の頭を撃ち抜いたって、いい」

そう嘯きながらアノニマは、言葉はなんと無力であるかと思いました。いくら言葉で飾ったって、我々はそれぞれの肉体に幽閉されたたった一つの孤独な霊魂に過ぎないのです。人は生来、自閉されて狂った猿でしかなく、想像力によって言語化された過去のイメージを、反芻し続ける穢れた生き物なのです。

「………」

アノニマは室を出ました。少年は黙って、再び顔を埋めるようにして、膝を抱えました。彼女は振り返りませんでした。

 廊下の窓ガラスでは、アポロ・ヒムカイが笑っていて、やー、カッコいいなぁ。と呟きました。

「流石、さすが。元スモールボーイ・ユニットの部隊長。ってとこかな。それとも君がアポロだっけ? わかんないや」

「…………」

アノニマが黙っていると見えて、アポロは続けました。

「ゾーイ、君は、自分より不幸なものの存在を畏れているだけさ。他人の不幸も横取りしてしまうほど……他者が不幸になる事に強烈な違和感を覚え、常に自分がいちばん不幸でなければ安心できない。それは優しさでも正義でもなく、単なるエゴの、ナルシシズムの、自意識過剰なお姫様さ。悲劇のヒロインのつもりかい? 自分は、そんなに特別な存在だと?」

「……うるさい……私の事を、ゾーイと呼ぶな……」

うふふ、とアポロが映り込むガラスの向こうで笑って、それから言いました。

「羨ましいよ、ゾーイ。――ああ、それとも、アノニマ。だっけ? だって君は、君の過去に没頭しているんだから」

「……お前は、ありもしない未来を夢想していただけだ」

「君の過去も、単なる妄想だったりしてね?」

アノニマは右の拳でガラスを砕きました。破片は飛び散って少し血が流れましたが、誰も気にする人はいませんでした。左手の義肢もいたずらに駆動して虚空を握り締めていました。

(君がいくら否定しようと、僕は既に君の一部なのさ。君が本当に僕だったのか、それとも僕が君を作ったのか。そこに大きな違いはない。いずれにしたって、アポロ・ヒムカイは二度死ななくちゃならないんだ。果たして君に、それができるかな?)

尖ったガラスの破片はぶつぶつとそう呟きました。アノニマは背を向けて立ちつくしていました。慰めてくれた狼犬はもう居らず、彼の毛皮で出来たポンチョだけが暖かいのでした。

 首からぶら提げた琥珀の宝石が、一緒に吊られた狼犬の牙に当たって、音を立てました。冬の寒い空に、アノニマはそれらを握り締めると、なんだか太陽のように感じられました。

 ひゅるるるる、と音がしました。それは新年を祝う花火のようでありましたが、その実は逆で、空から落ちてくる――迫撃砲の音でした。それはまずさっきまでアノニマの居た病室に着弾しました。少女は咄嗟に伏せて、顔を上げると、

「――ヨーイチ、」

と、差し迫った表情で呟きました。脚は既に歩きだしていました。


 * * * * * *


「おじさん、何してんの?」

その少し前。春野陽一は太陽も雲に隠れた雪景色の中ポラロイド・カメラを構えて、雪の中で笑っている子供たちを撮影していました。少し離れた物陰から、石段に座り込む痩せた感じの黒髪の少女が、そう言って話しかけてきたのでした。

「おっ。なんだ、お前も一緒に撮るか?」

ヨーイチがカメラを構えて言いました。子供は顔を隠すようにして、

「いいよ。写真はキライ」

と、答えました。するとヨーイチは、どかっと隣に座り込んで、

「じゃ、話は?」

と、尋ねました。子供は半分はにかんだように、視線も合わせず、

「……別に、いいけど……」

と、不貞腐れながら言いました。

 座りながらヨーイチは、再び子供たちの写真を撮る事を続けました。シャッターを押すたびに吐き出されてくるフィルムを渡すと、子供たちは早く乾けと言わんばかりにそれをびたびたと振り回すのでした。

「いいなぁ。そうやって誰とも仲良くできて」

少女が呟きました。すると、ヨーイチはニカリと笑って言いました。

「そんなことねぇよ。気に入られるのは俺の写真さ。腕が良いんだかな。結局、俺自身はファインダーの手前側。外れん坊さ」

「ふーん。じゃあ私と同じだ」

そうか? とヨーイチが言いました。うん。と少女が答えました。

「だって、私、ここの街の子じゃないもん」

「他所から来たのか」

「うん。村が、襲われてさ。必死で逃げだして、お父さんも、お母さんも、どこに行ったか分かんない。死んじゃったかもしれない。私も、迷子なんだ」

目も合わせずに、というより、少女は目が見えないようでした。それが肉体的なものなのか精神的なものなのか分かりませんが――いずれにしたって、ヨーイチの撮る写真を見ることができないので、周りの子供たちと一緒に楽しめない、といった面持ちでした。

「おじさんの英語、なんかちょっとヘン。ここの人じゃないの?」

「ああ。日本から来たんだ」

「ふーん……ニッポンてとこは、いいとこ? 子供たちは、幸せ?」

そう言われてもヨーイチは記憶喪失なので、というよりも、少女の質問が抽象的すぎるので、同じように曖昧に答えておきました。

「わっかんねぇなぁ……でも、日本製の服はここらでも人気だって、たまに聞くぜ」

「ああ。高級品の話ね」

と、少女はややぶっきらぼうに答えました。足元の薄く積もった雪は、少女の裸足の熱に溶け始めていました。

 ヨーイチは、ふと思い付いた調子に言いました。

「お前、名前、なんてーの?」

少女は、やや躊躇いながら答えました。

「……ハンナ。ハンナ・ビント=シャムス・アル=ハズラッド」

ヨーイチはニヤリと笑って、それから周りの子供たちに、

「よーし、お前ら……この女を捕まえるんだ。手荒にしちゃ、いけねぇぞ……いいか、あくまで平和的に取り押さえろ」

と、扇動しました。ハンナは、「は」と言って顔をしかめましたが、近所の悪ガキどもにあっという間に羽交い締めにされると、

「やあーっ! 何すんの、おっさん、この変態っ、痴漢っ」

と、悪態をつきました。ヨーイチは気にも留めずニヤニヤ笑いながらポラロイドのシャッターを何度も切りました。その度にフィルムがジジジジジ、と吐き出されて、それから、アラビア文字の書ける子供に、余白に何かさらさらと書かせて、それから言いました。

「こいつ、ハンナ・ビント=シャムスって言うんだってさ。親と、はぐれっちまったらしいんだ。という訳で、お前らに重要な任務を与える――こいつの親を探せ! どんな些細な情報でも、構わんぞ。さぁ、分かったら、散った、散った!」

そうやって、英語の分かる少し大人びた子がみんなに通訳すると、小さい子供たちがわーっとなって散開しました。ハンナはぽかんとしましたが、しばらくすると、小さな声で「ばっかじゃないの」と呟きましたが、その空色の眼はなんだか輝いていました。

「ま。見つかんないかもしんないけどな。でも、何にせよ、一歩は踏み出せたろ」

ややあって、うん。とハンナが小さく答えました。ヨーイチはその頭をぽんぽんと叩いてやりました。ハンナは、どちらかと言えば、彼に撫でてもらいたかったのですが。

 不意に、ひゅるるるる、と音がしました。それは新年を祝う花火のようでありましたが、その実は逆で、それは空から降ってくる――迫撃砲の音でした。それが政府軍のものなのか、反政府軍のものなのか、あるいは流れ弾か。それは犠牲祭の最中の人々にはほとんど関係の無い事でした。

 ヨーイチは一瞬姿勢を低くして、それから、「あそこは……」と思い当たるところがありました。彼はロバのジャックに跨ると、急いで馬を走らせました。

 いっぽうでハンナは、ずっとヨーイチの背中を、それが見えなくなるまで(あるいは馬の足音が消えるまで)追っていました。冬の太陽シャムスの薄い光は彼女の眼を浅く輝かせていて、少し大人びた子は、そっと彼女の傍に居てやっているのでした。


 * * * * * *


 雪は、しんとして積もっていました。迫撃砲を受けた野戦病院からは土煙が昇っていて、黒装束の軍団は、音もなく忍びよっていました。トヨタのピックアップ・トラックから増援部隊が降車して、荷台に積まれたブローニング重機関銃がガシャンと音を立てて装填されました。

 政府軍が上がってきました。何人かは五〇口径の掃射で身体を半分にしました。遅れて、装甲に煉瓦を金網で補強しているT‐54戦車がやってきて、主砲でトラックを吹き飛ばしました。すると黒装束の部隊は、RPG‐7対戦車榴弾のタンデム弾頭を後方からぶつけて、砲塔を吹き飛ばしました。

 それらはよくある日常の内戦の風景でありました。アノニマは、その光景を煉瓦造りの上から眺めながら、小競り合いの流れ弾が飛んでこないように警戒していました。左手の義手で拳銃の弾倉を握りながら、慣れない右手の、震える指で弾薬を込めて、それを『武装した人』に叩き込むと、ブーツの踵に遊底を押し当てて初弾を装填しました。

 冬の寒さは狼犬の毛皮のマントが守ってくれていました。雪は、触れると冷たいのだと、アノニマはそのとき初めて知りました。彼女は少しだけ感傷に浸ったように、右の手でその毛並みを撫ぜていましたが、階下が騒がしくなると、すぐに拳銃を構え直しました。

 ヒトが最後に罹る病は、死ではなく、希望という病気です。

 自分は、生き残るかもしれない。

 自分は、愛されるかもしれない。

 自分は、望まれた子かもしれない。

 自分は、選ばれるかもしれない。

 自分は、幸福になれるかもしれない。

 そういった無根拠の、なにか確信めいた幻想を消し去るように、戦車の無限軌道キャタピラに巻き込まれて、赤ん坊の死ぬ音がしました。

 目の前の扉が開きました。彼らは手に迫撃砲を携えていました。それを設置するつもりだったのでしょう。アノニマは、拳銃を祈るように構えながら、引き金を叩き続けました。三人へ、二発ずつ。抑え込まれた銃声で、弾倉に三発を残して、一人生き残った男が居て、彼は回転式拳銃を抜こうかとするところでした。アノニマはそのまま突っ込むようにして崩れ落ちる死体をぶつけて、男を転倒させて組み伏せました。

 周りではそのまま静かに戦争が執り行われておりました。土を失くした芋虫が、コンクリートの建造物の淵を綱渡りしていました。

「――畜生が! いったい、誰だ、てめぇ、この餓鬼」

「人に名前を尋ねる前に、まず自分から名乗ったらどうだ」

そう言ってアノニマは男の小指にカランビット・ナイフの輪を引っ掛けると、梃子の原理でポキリと指の骨を折りました。叫び声は戦車の駆動音で掻き消されました。

「俺はモハメド……いや! ジョンだ、聖戦のジハーディジョン! ブラッディ・ジョン・ポールだ、糞ったれッ!」

「ビートルズか?」

男の話していたのは酷いロンドン訛りコックニーでした。

「……どうでもいい……名前なんて意味がない。……アポロ・ヒムカイを、知っているか?」

「ああ、知ってるとも、だったら、てめぇはさしずめジェーン・ランボーか? ヒーロー気取りの、思い上りの異教徒の餓鬼が!」

アノニマは同じ方法で今度は男の薬指を折りました。男が黙るのを待って、そのまま尋問を続けました。

「……奴は、……どんなやつだった……?」

「……ああ、ああ。子供みてぇな声をしててな、頭から爪先まで、肌を一個も見せやしねぇ。……アステリオス、ミーノータウロス……糞暑いこの中東の砂漠で、ガスマスクを付けて。……いや、待てよ、――似てるぞ。おい、てめぇがアポロなんじゃ、」

少女は男の中指を折りました。男の目には痛みからか、涙が浮かんでいました。痛みの信号がすっかり叫び声に変換されると、

「それは私の欲しい答えじゃない」

アノニマはそう言って会話を打ち切りました。それから、男の落としたポリマーフレームの回転式拳銃を拾い上げると、尾栓を開いて357マグナム弾を一発だけ装填し、尾栓を閉じて男に銃口を向けました。

「おい、イギリス人。悪役は好きか?」

「…………」

男が黙っているので、アノニマはゆっくりと引き金を絞りました。ダブルアクションの重い引き金と一緒にシリンダーが回転を始め、チリ、とシリンダーストップがかかって静止し、撃鉄が落ちました。

「そのアポロからの直々の命令だ。お前たちはこれから西進する。――お前たちのことは、よく知っている。国境を、失くしたいんだろう? サイクス・ピコ協定によって定められた国境線を破壊し、イスラーム世界を統一し、新たな国家秩序を創造するのだと」

「お前は……誰だ? 『テロリストの母』のつもりか? 重信房子や、バーダー・マインホフのような?」

離散したデジタル信号によって制御される赤黒い甲蟲の義手の指が、彼を絞めつけました。世界にもともと国境はなく、連続量の相似したアナログ地平線であり、それは人にとって都合がよいので分かたれたのみの話で、パンゲア大陸がそうであったように、世界はひとつになるべき、と言えるでしょうか?

(さあ、目を閉じてください。そうしなければ何も見えないのです。フランソワーズ・アルディの壊れたレコードを流しながら、インド産の紅茶や、ブラジルのコーヒーを啜り、地球の裏側の事を想像してください。アフリカでは六秒に独り、子供が死んでおり、中東では宗教対立で、子供が銃を握り奴隷制が復活します。ほとんどの国では安全な水が飲めず、児童労働や戦争、貧困や疫病によって、未来はなく、これは、ずっと昔から続いている子供たちの物語です)


 私と同じ年の子たちはみんな

 ふたり仲良く 並んで歩いてる

 私と同じ年の子たちはみんな

 幸せとは何か よく知っている

 手と手をとって 目と目をあわせて

 明日をも恐れず 愛しあい 進んでいくだろう

 ああ でも私は ひとりで歩く このこころに 痛みを抱え

 ああ でも私は ひとりで歩く 愛されない事 知ったから


 日々は夜のようで その境界ちがいは無くなり

 喜びはうしなわれ 哀しみだけが残り

 誰も愛の言葉を 囁いてはくれない


 私と同じ年の子たちはみんな

 共に歩む 未来の事を夢想してる

 私と同じ年の子たちはみんな

 「愛する」とは何か よく知っている

 手と手をとって 目と目をあわせて

 明日をも恐れず 愛しあい 進んでいくだろう

 ああ でも私は ひとりで歩く このこころに 痛みを抱え

 ああ でも私は ひとりで歩く 愛されない事 知ったから


 日々は夜のようで その境界ちがいは無くなり

 喜びはうしなわれ 哀しみだけが残り

 おひさまソレイユが 私に輝く時は 来るのだろうか


 私と同じ年の子たちのように

 愛とはなにか 知れるだろうか

 私と同じ年の子たちのように

 なれる日は やがて来るのだろうか

 手と手をとって 目と目を合わせる

 明日をも恐れぬ しあわせを手に入れられたら

 このこころの 痛みを失くし

 愛されると 知る日がやがて 来るのなら


 少女は再び引き金を絞りました。チ、チ、とシリンダーの回る音がして、再び撃鉄は虚空を叩きました。

「……どうでもいい。私は、フランケンシュタインの怪物だ。何にも属さない。誰にも属さない。自分自身にも、その過去にも属さない。私の歳や、生まれ、経歴、性別、人種なんてものは――意味を持たないものだ。それは、いつだって改竄できる。私はただ、ここに在って、そして言葉を操る。引き金を絞る。我々は、その為に受肉された一つずつの、離散した、孤独な魂だ」

「…………」

「お前たちに武器や弾薬が供与されるだろう。アポロが今までそうしていたように。それら武力は離散したお前たちを一つの力とするだろう。国境で隔てられた――イラクとシャームのイスラム国家を」

「その左腕……ハッド刑でも受けたのか? この穢れた盗人が」

「――そうだ。私は廃品回収業者スカベンジャーだ。お前らのような屑を集めて、役に立たせてやる。光栄だろう?」

「憶えたぞ。てめぇみてぇな異教徒の餓鬼も、女の腐ったような奴も、皆殺しだ。奴隷にして売り捌いてやる」

「いいぞ。私を追ってこい。ゴラン高原で待っているからな」

 アノニマはそう言って、男の首を機械の腕で羽交い締めにし、気絶させました。少女は、彼を殺しませんでした。

 銃声は散発的になり、戦闘は遠くに移行しつつありました。アノニマは双眼鏡を取り出しました。黒装束の集団は、小規模な戦闘に苦戦しているようでしたが、それは彼らがまだ経験の浅い新兵だからでした。白人や黄色い肌なども見受けられました。それらはみんなインターネットで啓発された、先進国の意識の高い若者なのでした。彼らは自己責任の名の下に、社会から支援を満足に受ける事もなく、失業し、恋人もなく、首を括るか、ただ無為な日々を過ごすか、という者たちばかりでした。そんな中で、先進国――西洋諸国の定めた『文明国』に、反旗を翻す集団に啓蒙されれば、簡単に黒に染まる。みな自分の領分を確保する為に敵が欲しいだけであり、彼らは先進諸国で培養されるホームグロウン・テロリストなのです。

――そんな彼らを責めることはできないだろう? とアポロが言いました。彼らはロンドンでもテロを起こした。みんな捌け口が欲しいんだ。政府による抑圧、規制、住民の貧困、若年層の失業、奴隷化……若者は元気があってすることがないから、殺人かセックスかドラッグか、というところに落ち着くんだろう。それは南京もソンミも、カティンもチベットもアウシュヴィッツも、――そしてそれらを取り巻く言説も、同じ事さ。みんなどこかで、何かで鬱憤を晴らしたいんだ。これは、すなわち自浄作用なわけだよ。

(捌け口にされた人間の気持ちを、お前たちには分かるまい)

そうだね、アノニマ。君は正しい。でも君だって銃を棄てられない。暴力から人を救う唯一の手段は、やっぱり暴力だ。そうでなくては、ヒトはレミングと同じ道を辿るのさ。

(……生存競争……そしてそれに伴う『事故死』?)

君も、自殺を考えた事は何度かあるだろう。自殺は敗北だ。我々はそう定義しなくてはならない。何故なら死ぬべきなのは他人であって、自分ではないのだから。そうしなくては、生きてゆけない。僕らは――その他人から、愛されなかった、選ばれなかった、望まれなかった子供たちなのだから。

――背後からロバの蹄の音が聞こえてきて、アノニマはハッと目を覚ましました。ヨーイチ、と呟いた少女は呆けたように黙っていました。自分が過去に犯され固執し反芻する、穢れた存在ということを改めて自覚させられたからです。

 血に塗れた、雛に成り損ないの茹で卵ハードボイルドが、ぽとりと白い雪の上に落ちました。それは初潮ファースト・ブラッドでした。

 アポロ・ヒムカイが言いました。

「人間は過ちを繰り返す。そうする事で物語が紡がれ続ける。自分本位の、独善的な物語が、子供たちが産まれ続ける。だから繰り返すんじゃない。僕はそれを、終わらせてあげようってワケ」


 痛むお腹と心を押さえて、彼女は指笛を吹きました。二階のヘリから飛び降りると、どこからともなく現れた蒼褪めた馬に跨りました。そしてアノニマは逃げました。ヨーイチは、アノニマ、と叫び、彼女を追いかけました。雪は、土と混じり合い溶けて泥と化していました。この内戦がいつまでも終わる事のないように。人々がいつまでも過ちを続けるように。そして物語に、いつまでも終焉が訪れないように。

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