第5章 眠れる戦巫女
古来、巫女たちが狩り続けてきた黄泉醜女は無論、小型種のみである。
巨大種の存在が確認されたのはここ数年の間で、それには当然、生身の巫女ではなく、国防軍の人型戦闘機部隊が当たる事になった。
だが人間相手の戦争に備えて造られた人型戦闘機が、黄泉醜女・巨大種などという想定外の怪物に対して戦果を上げられるはずもなく、巫女と人型戦闘機、両者の力を融合させて巨大種に抗すべしという考え方が生まれるのは、当然の成り行きであった。
神祇本庁、と言うより大斎たちの方から、国防軍に提案されたらしい。
巫女が黄泉醜女・巨大種と戦うための武器、すなわちタイプ・カンナギ及びヒモロギ・システムの開発が、神祇本庁と国防軍の共同という形で始まったのだ。
実質的には、大斎たちが国防軍に命令して造らせたようなものである。
巫女を大いに活躍させ、神祇本庁の権威を揺るぎないものとする。そのための道具をだ。
主軸に据えられるべきは、あくまで巫女。女の力。それを活かすために、国防軍の男たちは働かなければならない。
8名の大斎は1人の例外もなく、そう考えているはずだ。
静葉は思う。確かにタイプ・カンナギの動力源となって実際に戦うのは、自分たち巫女である。だが整備等を含め機体そのものに関しては、国防軍技術陣の男性たちに一任し頼らなければならないというのも事実なのだ。
だから、そういう事に携わっている男性たちの言葉には、真摯に耳を傾けなければならない。
機体の扱いがまるでなっていない。一体何をやっているんだ。
そんな罵声であろうと自分は甘んじて受けなければならない、と静葉は覚悟を決めている、つもりではいる。
だが大久保中佐は、静葉に罵声を浴びせるために来たわけではないようだった。
とは言え。美鶴と比べて実に無様だった昨日の戦いぶりに関して、何かしら言いたい事があるのは間違いないだろう。
大八嶋女学院、応接室である。
巫女装束姿の少女の細身と、軍服をまとう壮年男の巨体とが、テーブルを挟みソファーに座って向かい合っている格好だ。
大久保中佐が、一口だけ茶を啜ってから言った。
「40、いや30パーセントというところですか」
スキンヘッドが恐いほど似合った厳つい顔には、何の表情も浮かんでいない。
「草薙姫のヒモロギ・システムは、70パーセントがまだ眠ったままという事ですよ」
「す、すみません」
茶を飲む余裕もなく、静葉はうつむくように頭を下げた。
大久保忠明中佐。軍服の上からでも筋肉の隆起が見て取れるその外見からは想像しにくいが、前線勤務者ではなく技術者として成り上がって来た人物である。
タイプ・カンナギそれにヒモロギ・システムの開発に、彼ほど深く関わっている人間は、国防軍にはいない。
「ほぼ100パーセント、システムを使いこなしているシャーマンαと比べて実に芳しくない……その理由、貴女自身おわかりの事と思いますが」
「もちろんです……」
神々に、完全に心を委ねていない。
己を乗っ取らせまいとする自我がどうしても働いてしまい、それが高天原からの力の召喚・流入にブレーキをかける。
巫女として、タイプ・カンナギの操縦者として、失格、に等しいだろう。
「しかも、上手く使いこなせぬからと言って軽々しく死反玉を発動してしまう。これは実に感心出来ませんな」
「……ごめんなさい」
静葉が小さくなると、大久保は軽く溜め息をついたようだった。
「……ここだけの話にしていただきたいのですがね。私は、実は貴女のやりようの方が正しいのではないかと思っているのですよ。強大過ぎる力に全てを委ねきってしまうシャーマンα、よりもね」
タイプ・カンナギ操縦者と国防軍関係者との会話が、ここだけの話で済むはずがない。
当然、盗聴されている。神祇本庁高官、下手をすれば大斎たちの耳にまで筒抜けである。
そんな事を知らぬはずのない大久保中佐が、構わず話を続けた。
「ヒモロギ・システム使用者には、出来る限り自我を保っていて欲しいのですよ。絶大な破壊力を垂れ流しながら忘我の状態に陥る……これほど危険な事は、ありませんからな」
美鶴の事を言っている、ようである。
確かに昨日の叢雲姫からは今、大久保が言ったような危険性が、感じられなくもなかった。
「私は恐ろしいのですよ。シャーマンαが退魔覚醒・死反玉を発動したら、一体何が起こるのか。それを思うとね」
「……神様が、本当に降りて来ちゃったりして?」
「神々が間接的に送って来ているエネルギーすら、我々はろくに使いこなせていないのですよ。そのエネルギーの発生源たる存在が直接現れ、何か破壊的な事を始めたとしたら」
ちらり、と大久保が、少し強い視線を静葉に向けた。
「我々には、打つ手がありません。もし貴女たち巫女が本当に神そのものを呼んでしまったなら、貴女たち御自身で何とかしていただくしかないのですよ。責任を持って、ね」
「……もちろんです。それは」
責任、という言葉が重くのしかかって来るのを、静葉は感じた。
「シャーマンαよりも……我々は貴女の方に期待をしているのですよ、宮杜さん」
大久保の口調に、少し熱が籠った。
「自我を維持したまま、ヒモロギ・システムを100パーセント以上使いこなす。という事を、我々は貴女に期待したい」
「それ難しいです……あっいや、やらなきゃいけない事なんでしょうけど」
静葉が口調をやや慌てさせると、大久保の堅固な口元が少しだけ、ほんの少しだけ、緩んだ。
微笑。それと共に、信じ難い固有名詞が発せられる。
「
「……! 父を、ご存じなんですか……?」
思わず静葉は、テーブルに両手をついて身を乗り出していた。冷めた茶が、危うくこぼれてしまうところだった。
「親友、と呼べるほどの付き合いではありませんでしたがね……でも私は、彼を尊敬していましたよ」
はっきりわかるくらいに、大久保は微笑んだ。
「人型戦闘機の操縦者として、あれほど優れた人物を私は他に知らない。当時の私には全く何の力もありませんでしたから、円明元年式の配備に伴う宮杜中尉の退職処分を止める事が出来なかった。それだけが……今も、悔やまれるのです」
大久保の顔はすぐにまた、厳めしく引き締まった。そして、じっと静葉に向けられる。
「あの宮杜中尉の血を引いておられる貴女なら、出来るはずです。勝手に、そう期待させていただきますぞ。御迷惑ではありましょうが」
「いえ……」
胸が熱くなった。目頭が、熱くなりかけた。それをごまかすように、静葉はうつむいた。
父を、尊敬している。そんな事を言ってくれる他人に出会ったのは、初めてだった。
母でさえ、職を失った父を邪魔者扱いしていたと言うのに。
ありがとう、ございます。
大久保に対するそんな言葉が、静葉の喉の辺りまで込み上げて来る。口に出す前に、しかし大久保は話題を変えてしまった。
「昨日、お問い合わせのあった事に関してですが」
語る顔つきはすでに、元の厳つく陰気なものに戻っている。
「……お忘れになった方が良い、とだけ申し上げておきましょう」
「何よそれ……」
静葉はつい、敬語を使うのを忘れてしまった。
昨日出会った、迷彩服の少年。
瓦礫の上に座って酒を飲んでいた彼の映像を大久保中佐に見せ、素性の調査を頼んでおいたのである。
あの少年が、ヒモロギ・システムの事を知っていたからだ。
「自分は、これで失礼させていただきます」
一切の問いかけを跳ね返す鉄のような表情のまま、大久保は立ち上がった。
その巨体に追いすがるように静葉も、ソファーから腰を浮かそうとする。
「ちょっと……!」
「あと1つ、申し上げておきましょう」
追いすがろうとする静葉を広い背中で拒絶しつつ、大久保は言った。
「仮に100パーセントの力を引き出したとしても、タイプ・カンナギには……まだ、その先があります。貴女がその領域へと達するためには」
1度だけ、ちらりと、大久保はその鉄のような顔だけを振り向かせた。
「……揺るがぬ事です。迷わぬ、事です」
揺るがずにいられるのか。迷わずに、いられるのか。そう問いかけられている、ような気が静葉はした。
「中佐……」
大久保が何を言わんとしているのか。浮いた尻をソファーに戻しながら、静葉は少し考えてみた。
お忘れになった方が良い、と中佐は言った。あの少年はヒモロギ・システム開発計画とは何の関係もない、などと白を切る事もなくだ。
何の関係もない、わけではない事を、大久保は臭わせている。静葉にはそう思えた。
何故そんな事をするのか。訊いてみたところで、この中佐は答えてくれないだろう。
応接室の扉が閉まった。静葉が考えている間に、大久保は出て行ってしまった。
「どういう事よ、一体……」
答えてくれる者のいない疑問を呟きつつ静葉は、すっかり冷めてしまった茶をすすった。
恐る恐る、といった感じに応接室の扉が開いた。大久保が戻って来た、わけではない。
「あのう……」
巫女装束姿の女子生徒が1人、申し訳なさそうに室内を覗き込んでいる。
顔に見覚えがある。高等部の生徒だった。
四条美鶴の取り巻きの1人……何日か前、静葉が殴って鼻血を出させてしまった少女だ。確か、松永と呼ばれていた。
仕返しに来た、というわけではなさそうだ。1人だけで、表情も弱々しい。
「あ……えーと、あたしに用事でしょうか?」
「う、うん」
扉にしがみつくような格好のまま、松永がうなずく。
静葉は、なおも声をかけた。
「入って、座ったらどうですか? ってあたしの部屋じゃないですけど」
「……そうさせて、もらうね」
導かれるまま松永は入って来て、先程まで大久保が座っていたソファーにおどおどと腰掛けた。
少し、静葉は後悔した。自分の部屋ではないから、茶を出してやる事も出来ない。
松永は言った。
「……こないだは、ごめんね?」
「いえそんな、あたしの方こそ……ぶん殴ったりしちゃって」
静葉は、身が縮むような思いに襲われた。あの事に関しては、自分の方から謝りに行くべきだったのではないか。
「……ごめんなさい」
「ガツーンと効いたよ、アレ」
松永が笑った。
「あんたの後輩の子たちにも、謝んなきゃね……で、謝りに来たってのもあるんだけど。実はさ、あんたにちょっと訊きたい事が」
1度、松永は言葉を切ってうつむいた。
「……
「まきた君……ですか」
牧田か、槙田か。何にせよ、静葉の知り合いにそんな人物はいない。
「昨日の夜、あんたと真北君が話してるの見たって奴がいてさ……ああ、中等部の子は知らないよね。真北君の名前」
言いながら松永が、1枚の写真をテーブルに置いた。
思わず、静葉は目を見開いた。
美鶴が写っている。それも、静葉が全く知らない四条美鶴だ。
笑っている。
明るく、幸せそうな、実に頭の悪そうな笑顔を、四条美鶴が満面に浮かべているのだ。
それも、男の片腕にしがみつきながら。
背の高い男だった。綺麗、としか言いようのない顔を、穏やかに微笑ませている。
しがみついている美鶴よりも理知的で、下手をすると美鶴よりも美しい。
これほど綺麗な男を、静葉は見た事がなかった。
突然、嫉妬に似たものが静葉の胸中に生じ、渦巻いた。
(何よ、美鶴先輩ってば男なんかにくっついて……バカみたいに笑っちゃって)
などという思いを、静葉は頭を振って追い払った。自分は一体、何を考えているのだ。
気を落ち着けて、改めて写真に見入る。
もう1人、男が写っているのだ。
幸せいっぱいの2人から少し離れ、幾分顔を逸らしながら苦笑している。当てられっぱなし、といった様子である。
静葉は息を呑んだ。まさか。いや、間違いない。
昨夜、駅で出会った少年だった。
破壊される街から逃げ出しもせず、酒など飲みながら、タイプ・カンナギの戦いを見物していた少年。
彼が、四条美鶴と同じフレームの中にいる。
「こっちの男の子が真北君、なんだけど」
当てられっぱなしの少年を指差しながらも松永は、静葉の様子に気付いたようだ。
「……やっぱり、会ったんだ?」
「ええ、まあ。ゆうべ駅でね」
男たちに絡まれていたところを、形としては助けてもらった。あの場を、誰かに見られていたようだ。あるいは、あの男たちの中に松永の知り合いがいたのか。
「真北、っていうんですか。こいつ」
「うん、真北冬樹君。一応、あんたの先輩なんだよ」
昨年、大八嶋学院を退学処分となった最後の男子生徒2名。それが、美鶴と一緒に写っている、この2人の男なのだろう。
落ちこぼれて追い出される、寸前までは、どうやら割と楽しくやっていたようである。この写真を見る限りは、そう思える。
それよりも。松永は、気になる事を言っていた。
真北君が生きてるって本当? と。
「……こいつ、生死不明だったんですか?」
「死んじゃったって聞いてたから……黄泉醜女に殺されたって」
写真の中の真北冬樹をじっと見つめつつ、松永が言う。
「でもね最近、真北君を見かけたって噂がちらほらあって。幽霊だとか言う奴もいるけど」
「幽霊じゃないですね、あれは。ちゃんと生きてました。保証します」
「そっか……ほんとに生きてたんだ真北君……」
松永は、ぽろぽろと泣き出していた。
「……良かったぁ…………っ」
「良かったですね……よくわかんないけど」
とりあえずそんな言葉をかけながら、静葉はふと思った。
昨年辺りから、高等部の少女たちが鬱屈していた理由。それは、この真北冬樹が死んだから、あるいは死んだと思わせるような何事かが起こったから、ではないのか。
だが、死んで大勢の女の子を暗くさせるような魅力が、この男にあるとは思えない。
「あたし、真北君の事……好きだったんだ……」
泣きながら松永が、訊かれてもいない事を語り始めた。
「もちろん真北君の方は、あたしの事なんか顔と名前知ってるだけだったけどさ……あたしは真北君の事、遠くから見てるだけで良かったんだ。あたしなんかより、ずっと可愛い女の子いっぱいいたし……あたしなんか、あたしなんか……」
「あっあの先輩? 1つ訊きたいんですけど」
松永の泣き言を静葉は無理矢理、断ち切る事にした。
「……こっちのバカップルは、一体?」
「ああ、お似合いだよねー。美鶴さんと
涙を拭いながら、松永が微笑む。
「どっちかって言うと、真北君より嵯峨野君の方がもててたなあ。でもみんな早々と諦めてた。相手が美鶴さんじゃ勝負にならないもんね……この写真、実はあたしが撮ったんだ。美鶴さん、幸せそうだよねー」
「まあ確かに」
「この3人、すごく仲良かったんだ。見ての通り美鶴さんと嵯峨野君がラブラブで、真北君は1歩引いてた感じだったけど。あたし、この3人見てるの好きだった。ほんと楽しかったなあ、この頃は……」
涙に濡れた目で、松永がじっと写真に見入っている。
大久保が結局教えてくれなかった事……この真北冬樹という少年が何者であるのか。もしかしたら、松永は教えてくれるかも知れない。静葉はそう思いつつも、訊くのはやめた。
松永の思い出の中に、軽々しく踏み入ってしまう事になりかねないからだ。
この先輩に訊かずとも、何となくわかった事が1つある。
揺るがぬ事、迷わぬ事。大久保中佐はそう言っていた。
真北冬樹が何者であるか。それを知っても貴女は揺るがず、迷わずにいられるのか。
大久保は、そう静葉に言いたかったのではないだろうか。
「四条さんは、使い物になりますかしら?」
「どうだろうねぇ。神様を容れる器ってのは、あんなもんでいいのかい?」
「それは違うわ村野さん。器は、四条美鶴ではなく叢雲姫の方」
「私たちが四条さんに求めるべきは、現世と高天原との間に通路を開いてくれる事だけ。そこから先は、末端の巫女ではなく私たち大斎の仕事ですわ」
「高天原との通路……開いていたように見えたけれど? 昨日の戦闘では」
「あれでは駄目。あの程度では、天津神々の力は召喚出来ても……神そのものを呼ぶ事など出来ません」
「宮杜静葉の方が実は使い物になるんじゃないかと、私は思うんだけどねえ」
「御冗談でしょう。あんな、四条さんの露払いすら満足に出来ないような戦いぶりで」
「……そうね。将来性という意味では決して捨てたものではないわ、宮杜さんも。ただ彼女は、自分というものをあまりにも強く持ち過ぎている」
「そのせいで今一つ、ヒモロギ・システムを使いこなせていない。国防軍の報告通りね」
「……私は、宮杜静葉は少し危険だと思うの。彼女のその強過ぎる自我の根底には、私たち大斎に対する不信感と言うか反抗心のようなものが、間違いなくあるわ」
「最近は何かと身の程知らずな言動も多いようだし、少しお灸を据えてあげるべきでは?」
「うかつな事をするべきではないわ。あの娘には少し、真北冬樹に似ているところがある」
「……頭が良くない、という事?」
「そうね。上手く飼い馴らす方法はいくらでもあるわ」
「……その方法を間違えると、変な噛み付き方をして来るかも知れないわね」
「草薙姫でこの庁舎をぶっ壊す、とか?」
「タイプ・カンナギのセキュリティプログラムが、そんな事をさせるはずがないわ」
「それでも宮杜静葉を手懐けておく必要はあるという事よ。四条さんで上手くゆく、という確証が得られない以上はね」
「四条美鶴では駄目かも知れないと、桜井さんはお考えかしら?」
「宮杜静葉ほどではないにせよ、まだ……ヒモロギ・システムに己を完全に委ねきっていないところがあるわね、四条さんは。その証拠に、あの子はこれまで1度も死反玉を発動していないわ」
「嵯峨野君の影響ですわね、きっと」
「ヒモロギ・システムの実用化に否定的だった嵯峨野哲弘の思想を……四条さんが、心のどこかで受け継いでしまっている、という事?」
「心のどこかで嵯峨野哲弘がまだ生きてる、ってわけかい。随分と乙女チックなところがあるじゃないか? 美鶴ちゃんときたら」
「その、心の中の嵯峨野君が、四条さんを踏み止まらせているというわけね。ヒモロギ・システムに……天津神々に、完全に己を委ねてしまう寸前のところで」
「そこを踏み越えさせるには、もう少し四条美鶴を追い込む必要があります。それこそ、天津神々の他にはすがるものが何もないところまで」
「退魔覚醒・死反玉を、発動せざるを得ないところまでね」
「あの自我の弱い子が、死反玉を発動してさえくれれば……神の力だけではなく、神そのものを現世に降ろす事が出来るのね」
「そのためにも、四条さんをもう少し追い詰めなければならないのだけど……」
「その役目……宮杜静葉と真北冬樹が、もしかしたら果たしてくれるかも知れないわ」
6人、7人……そこまでで、冬樹は数えるのをやめた。
周囲の瓦礫の陰に、少なくとも10人以上。
姿を見せている者はいない。気配だけが、冬樹の肌に触れてくる。
全員、素人ではない。警察か、国防軍か。
とにかく、いつでも狙撃が行える状態で待機しているのは間違いないだろう。
大斎たちが、さっそく冬樹に対して手を打ってきたというわけだ。
廃墟エリアである。黄泉醜女・巨大種の出現以来、広がる事はあっても狭まる事のない、破壊の痕跡。
それでもここ1年の間、廃墟エリアの広がり方は、目に見えて緩やかにはなってきている。
ここ1年間。すなわちタイプ・カンナギの実戦投入が始まってからである。
「俺たちのやった事は無駄じゃなかった、ってわけだ。なあ哲弘……」
コンクリートの塊に腰掛けたまま冬樹は、日の傾いた空を見上げた。
『貴方の命、狙われているわよ。わかっているのでしょうね?』
「わかってるって。まあ黙って見てろ」
『貴方を死なせるわけにはいかないのよ。ようやく準備も整ったと言うのに』
「だからって、生身の人間相手に呼ぶもんじゃねえだろアレは。まあ見てろって……おい兄ちゃんたち、撃ちてえんならとっとと撃っちまったらどうだい。日が暮れちゃうぜ?」
瓦礫に身を隠したまま銃口だけを向けてきている男たちに、冬樹は声をかけた。
「俺の死体、確認するように言われてんだろ? あの婆様たちによ」
返事をする者はいない。ただ、足音が聞こえて来る。それも複数だ。
6人、近付いて来た。
1人は、黒いスーツに身を包んだ3、40代の陰気くさい男。
他5名はその護衛で、がっちりと防弾装備をまとい小銃を携えている。
冬樹からかなり離れた所で、その男たちは立ち止まった。
「真北冬樹君、だね?」
黒服の男が、声をかけてくる。少し大きめの声が、どうにか聞き取れる距離である。
「元・大八嶋学院高等部1年生で、我ら国防軍に出向という形で力を貸してくれていた真北冬樹君」
「そのどっちからも追ン出されて今じゃ単なるホームレスな、真北冬樹さ」
応えつつ冬樹は、男たちがこれ以上近付いて来ない理由を考えてみた。狙撃のため、としか考えられない。
「国防軍は君を追い出したわけではないよ。ただ、君は死んだと思われていたのでね」
黒服が、軽く両腕を広げて言う。友好の意、のつもりであろうか。
「生きていたというのは幸いだ。私は君を迎えに来たのだよ真北君……国防軍に、戻って来てはくれまいか。今なら、君のために士官の地位を用意してやれる」
その言葉が終わらぬうちに、悲鳴が起こった。
瓦礫の陰から、防弾武装をした国防軍の兵士が1人、叫びながら立ち上がったところである。今まで冬樹に向けていたのであろうライフルを、めちゃめちゃに振り回しながら。
その兵士の全身に、何かが絡み付いている。無数のミミズ、あるいはゴカイのようなもの。びっしりと棘が生えており、茨か糸鋸のようにも見える。
冬樹は立ち上がり、叫んだ。
「おいやめろ……!」
叫び終える前に、兵士の首が宙を舞った。ライフルを振り回していた両腕が、ちぎれて飛んだ。胴体が、達磨落としの如く、幾重にもずれてゆく。血飛沫と臓物が噴き上がった。
ミミズのような有機的な糸鋸の群れが、次なる獲物を求めてうねる。
それらを口から吐き出し、伸ばしているのは、1匹の醜悪な生き物だった。
牛か馬ほどもある巨体の、人面の甲殻生物……黄泉醜女・小型種である。
『無理に、彼女たちを止めようとしない方がいいわよ?』
「黙ってろ……くそっ!」
惨劇が、周囲の至る所で起こっていた。
冬樹を狙っていた狙撃兵たちが1人また1人と、瓦礫の陰から暴れ出しつつ切り刻まれてゆく。
肉や臓物の破片を飛び散らせながら、無数の歯舌が空中を泳ぐ。
「ひぃ……あっ、わわわ……」
黒いスーツの男が悲鳴を漏らし、無様に尻餅をつく。
護衛の兵士たちが5人とも慌てて小銃を構えようとするが、その狙いが定まる前に、十数匹もの黄泉醜女・小型種が、敏捷に凶暴に跳ねた。そして兵士5人及び黒服の男に向かって、一斉に歯舌を吐き伸ばす。
「やめろ! 余計な事するんじゃねえ!」
兵士らを助ける理由など何もない、にもかかわらず冬樹はそんな怒声を放っていた。
黄泉醜女たちが1匹残らずビクッ! と動きを止めてしまう。吐き出された歯舌の群れまでもが、うねりかけた状態のまま硬直している。
黒服と護衛5人も、何が何だかわからぬ様子で固まっている。
何もかもが、止まった。
いや1つだけ、冬樹の視界の隅で動いたものがある。
細い人影が1つ、瓦礫の陰から跳躍したところだった。
それが、着地と同時に駆ける。
高速で宙になびくポニーテールが、冬樹にはまず見えた。
続いて視認出来たのは、純白と朱の鮮やかな色合い。
巫女装束、である。
「お前…………」
冬樹が息を呑んでいる間に、閃光が走った。赤い、閃光。
硬直していた黄泉醜女たちの首が、2つ、3つ、高々と宙を舞う。3つの醜悪な生首が、落下しながら炎に包まれる。
そして灰と化し、さらさらと降った。
その時には、もう1つの閃光が走っていた。
黄泉醜女が1体、ずるり、と縦に食い違ってゆく。
牛馬並みの巨体が、真っ二つになった。その断面が、光を発している。バチバチと、電撃のくすぶる音を立ててだ。
その電光が次の瞬間、轟音を発し、膨張した。そして両断された屍を包み込み、溢れ出し、奔り出す。
猛り狂う電撃光が、他の黄泉醜女たちをも容赦なく襲った。幾つもの悲鳴が連続して響き渡り、雷鳴に掻き消される。
迸る稲妻の荒波の中、4体もの小型種が黒焦げとなって砕け散り、消滅していった。
2本の徹甲ナイフ。片方は炎に包まれ、もう片方はバリバリッと電光をまとっている。
それを左右それぞれの手で逆手に構えつつ、巫女姿の少女はなおも駆けた。
昨日、男どもを鮮やかに蹴り倒していた少女。
その後タイプ・カンナギに搭乗し、同じくらい鮮やかに巨大種たちを斬殺していた少女。
冬樹がまだ名を知らない、その少女が、
「逃げなさい! 早く!」
国防軍の男たちに凛とした声をかけながら、踏み込んで身を翻す。
艶やかなポニーテールが、風景を撫でるように舞う。
躍動する肢体に白衣と袴がぴったりと張り付き、小柄で引き締まったボディラインが一瞬だけ際立った。
小振りで愛らしい胸、綺麗にくびれた胴。やや未熟な白桃を思わせる尻の丸みと、スリムに鍛え込まれた両の太股。
その瑞々しい曲線に冬樹がだらしなく見入っている間、2本の徹甲ナイフが、炎と電撃の弧を荒々しく螺旋状に描き出す。
少女の可憐な唇が、気合いを紡ぐ。
「退魔斬撃……蛇比礼!」
炎と電光の2重螺旋が、轟音を発して広がった。そして生き残った黄泉醜女たちを襲う。
牛馬並みに巨大な異形が、周囲あちこちで爆散した。
皮を剥がされた人面に似た生首が、歯舌の群れが。甲殻の破片や臓物が。炎に包まれ電光に灼かれながら、砕け散る。
そして灰に変わり、消えてゆく。
辺り一面、少なくとも目に見える範囲内には、黄泉醜女・小型種は1匹もいなくなった。醜悪なものたちで満たされていた風景が、さっぱりと綺麗になってしまった。
黒服とその護衛兵5人が、呆然と尻餅をついている。隠れていた狙撃兵たちは、1人残らず殺されてしまったのか。
などと思いつつ冬樹は、顎の下の辺りに、ひんやりとしたものを感じた。
炎の消えた徹甲ナイフが、喉元に突き付けられている。
その刃よりも鋭い眼光が、
「あんたが黄泉醜女に命令してた、ように見えたんだけど」
容赦ない尋問の言葉と共に、まっすぐ向けられて来た。
「……どういう事なのか説明、してもらうわよ」
鋭利なほど涼しく澄んだ瞳が、キラリと剣呑な光を放つ。
殺意、に近いものが今、少女のすっきりと整った顔立ちに表れている。
自分は今から、この少女に殺されるかも知れない。
そう思うだけで冬樹は、心臓が高鳴り、顔が熱くなってゆくのを止められなかった。
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