第9章 真・退魔覚醒

 残骸同然となったマガツヒコが、墜落してゆく。

 それを見守るしかない草薙姫に対しても、大量の低級神たちが、縦横に飛び交いつつ破壊光の雨を降らせて来る。

 草薙姫、及び大八嶋女学院校舎をドーム状に包み込んで守る退魔障壁に、ついに亀裂が走り始めた。

「やめて……やめてよ……」

 決して届かぬ言葉を、静葉は虚しく呟いた。

「やめて美鶴先輩……ねえちょっと、あんた自分が何やってるか……わかってんの……?」

 校舎の中で怯え泣きわめいている、巫女姿の女子生徒たち。

 その中に静葉は、松永の姿を発見した。青ざめ泣き濡れた顔で、窓越しに草薙姫を見上げている。

 中等部の校舎では、恵や夕子、春菜が同じような様を晒している事だろう。

 そんな彼女らを守る退魔障壁にビキビキッ……と亀裂が広がってゆく。

 低級神たちが降らせる破壊光の豪雨は、激しさを増すばかりだ。

 今にも砕け散りそうな退魔障壁・辺津鏡。その外側では、飛び交う低級神の群れが、空中から思うさま市街地を狙撃している。ビルが砕け散り、車が道路の破片もろとも舞い上がる。

 破壊の雨が、降り注いでいる。

 人類の敵である黄泉醜女によって、ではなく。大斎たちと四条美鶴が無責任に呼び出してしまった、神の力によって。今、とてつもない破壊と殺戮が行われているのだ。

 人々を守る存在であるはずの、巫女によって。

「何よ……何なのよ、一体……」

 ひび割れた退魔障壁に、破壊光の雨が容赦なく当たって来る。

 なおも増えてゆく亀裂を呆然と眺めながら、静葉は呟くしかなかった。

「……こんな、もんなの? 巫女って……」

 救世主面をしている巫女が、2人いた。

 うち1人は救世主どころか、怒れる神に身も心も委ねきって破壊者となり、もう1人はその破壊を止める事も出来ずにいる。

「こんな……もの……」

 呟く静葉に狙いを定めて、低級神たちが変わらぬ勢いで光を降らせ続けた。

 退魔障壁が被弾の衝撃に揺らぎ、波紋を浮かべ、亀裂を走らせる。

 そして、砕け散った。

 退魔障壁が……ではなく。それを守るように飛び込んで来た何かが、だ。

「何…………」

 まさに砕け散る寸前だったエネルギー防護膜越しに、静葉は空を見上げた。

 飛び交う低級神たちとほぼ同数の人影の群れが、推進剤の炎を引きずって羽虫の如く飛翔している。

 円明元年式・改。

 それらが、光の雨に打たれて次々と砕け、爆散してゆく。

「ちょっと、何よこれ……」

「こちらコントロール。シャーマンβへ、重ねて申し上げますぞ」

 大久保中佐の声。静葉は、ずいぶんと久しぶりに聞いたような気がした。

「揺るがぬ事、迷わぬ事です……待機中の円明元年式・改を全て発進させました。貴女が立ち直るまでの、時間稼ぎくらいにはなりましょう」

 量産型簡易ヒモロギ・システムを搭載しているとは言え、それを起動させる力を持つ巫女がいない今は、とりあえず動く事しか出来ない円明元年式・改。

 カトンボの如く弱々しく飛び回る彼らを、低級神たちが冷酷なほど正確な射撃で1機また1機と撃砕している。

 市街地に降り注いでいた破壊の光がその分、確かに減ってはいるが、なくなったわけではない。

 大八嶋女学院に向かって2本、3本、光の筋が降って来る。そして退魔障壁に着弾。ドーム状のエネルギー防護膜に、波紋が浮かんでは消える。

 そこでようやく、静葉は気付いた。びっしりと走っていた亀裂が、減っている。破壊光の雨を受け、波紋を浮かべる度に、亀裂が薄れてゆく。

『心を折ってはならぬ、巫女よ』

 月読命が言った。優しげな、だが穏やかな厳しさを秘めた声だ。

『我ら天津神が現世にて力を振るうには、そなたら巫女を媒介せねばならぬ。だが今のそなたでは、我らはこの程度しか力を貸してやれぬぞ』

 言葉と共に亀裂が薄れ、やがて消え、退魔障壁・辺津鏡は元の強度を取り戻していた。

『思い出せ、巫女よ。いくら心が折れようとも決して折れぬものが、お前の中にはある』

 続いて、須佐之男命が声をかけてくる。

『それを思い出せ。取り戻すのだ』

「何で……どうして……」

 3貴神の2神が、自分などを激励してくれる。静葉は訊かずにはいられなかった。

「どうして、あたしなんかに……力を貸して、くれるんですか……?」

『我らの方が、そなたの力を必要としているからだ』

 月読が、続いて須佐之男が答える。

『綺麗事は、やめにしろ兄者……俺たちはなぁ巫女よ、お前を利用せんとしているのさ』

「……神様にとっての利用価値が、あたしなんかに?」

『ああ、お前でなければならん。最初はな、あ奴にしようか、とも思った』

 あ奴、とは誰の事か。静葉が考え始める前に、大久保中佐が声を上げた。

「やめろ真北! 貴様、何をするつもりだ」

「……出来る事なんざ1つしかねえぜ? このザマじゃあよ」

 残骸、同然のマガツヒコが、そこに浮かんでいた。

 両腕、のみならず右足も失っており、胴体の所々では、臓物の如き内部機器類が露出している。

 埴輪のような顔面装甲も半ば消し飛んで、まさに機械の髑髏とも言うべき素顔が半分、露わである。

「あんたなら、わかるだろ大久保少佐……中佐、になったんだっけ?」

 翼も、両方が欠落していた。が、マガツヒコは浮揚している。代わりの翼を、左右に広げながらだ。

 炎の翼。静葉には、そう見えた。

 真紅のエネルギー光が、翼の形を成して燃え盛っているのだ。

 冬樹が何をするつもりであるのか、静葉は理解した。大久保中佐にも、わかったようだ。

「やめろ真北。その機体はもはや恒安26年式ではないとは言え、搭載されているヒモロギ・システムが未完成の試作品である事に変わりはあるまい。何が起こるか、わからんのだぞ」

「何が起こるかわかんねえ……か。哲弘もな、ずっとそう言ってたんだぜ?」

 真紅の翼が、さらに燃え上がった。

「なのにヒモ・システムなんてもんが出来ちまった……挙げ句このザマだ」

「真北……」

「あんた方が悪いわけじゃねえ。現場でこいつを使ってた俺たちが、もっと本腰入れて反対するべきだったのさ……ま、今そんな事言ってもしょうがねえな。とりあえず四条に取り憑いてやがるクソ神様を追い出さなきゃならねえ」

 残骸同然のマガツヒコの中で何かが高まってゆくのを、静葉は確かに感じた。

「そのために、出来る事……やらせてもらうぜ……退魔、覚醒! 死反玉ッ!」

 真紅の翼が、マガツヒコを包み込む。

 両腕と片足のない、芋虫にも似た無惨な機体が、燃え盛る赤い光の中で激しく痙攣し、のけ反った。

 悪鬼の頭蓋骨を思わせる顔面が、空に向かって、唇のない口を開き、牙を剥く。吼えている、ように見えた。

 音声は拾えないが、間違いなく今、マガツヒコは何事かを叫んでいる。

『……見よ、あの痛ましいほどに禍々しき姿を』

 沈痛な口調で、須佐之男命が語った。

『あれが、あ奴の心よ。誰も救ってやれぬ憎しみに満ちたる心……そこへ我ら天津神などが力を与えたら、どうなると思う』

『間違いなく、今の姉上に劣らぬ怪物と化すであろう。だが巫女よ、そなたならば』

 月読命が、そんな事を言っている間。

 とても動けるとは思えぬ状態であったマガツヒコが、動いていた。飛翔をしていた。叢雲姫に向かってだ。

 四肢の大半が失せた身体に、炎の如き光をまとい、その真紅の輝きの中で牙を剥き、百足のような尻尾を禍々しくなびかせて空中を高速で泳ぐ姿。巨大な蛇、のようでもある。

 そんな猛々しくおぞましい突進を阻むべく低級神たちが、光の射撃をマガツヒコに集中させ始めた。

 真横に降り注ぐ、破壊の豪雨。

 それがマガツヒコに、と言うよりその機体を包む赤い光に触れた途端、ジュッ! ジュ……ッと弱々しい音を発し消えてゆく。

 燃え盛る大蛇のようになったマガツヒコがそのまま、

「うおぉ……ぉあああああああああッッ!」

 叢雲姫に、ぶつかって行く。

 冬樹の叫びに合わせて、さらに大きく剥き出しになった牙。それが、まずは退魔障壁に触れた。

 叢雲姫の眼前の空間に波紋が浮かび、亀裂が走り、そしてキラキラと光の破片が散る。

 障壁を噛み砕いた牙が、そのまま叢雲姫の首筋の辺りに喰らい付く……寸前で止まった。

 叢雲姫の左手。人型戦闘機の胴体をたやすく引き裂いてしまえそうな五指が、マガツヒコの首をがっちりと掴んでいる。

『黄泉の穢れに染まりし者よ……おぞましき黄泉大神の下へと、帰るが良い』

 嘲るような、幾分は哀れむような天照あまてらすの言葉と共に。

「ぐ…………ッッッ!」

 雷鳴のような音が、冬樹の悲鳴と重なった。

 電撃に似た紫の光が、叢雲姫の左手からバチバチッ! と発生し、マガツヒコの首に、体内に、激しく流れ込んで行く。

 蛇のようになった機体が痙攣し、のたうち、各部で臓物の如く露出した内部機器類が火花と煙を噴いた。

「冬樹君!」

 自分が何故、この男を気遣っているのか。わからぬまま静葉は叫んでいた。

 いつ爆発してもおかしくない機体の中で、冬樹が辛うじて返事をする。

「駄目だ……逃げろ静葉……ッ!」

 下の名前を、しかも馴れ馴れしく呼び捨てにされた。それも許せない事ではあるが。

「……今、何て言った……?」

 何かが己の内で燃え上がるのを、静葉は止められなかった。これまで感じた事がないほどの、凄まじい怒り。

 逃げろ、静葉。そう言いながら死んでゆく父の姿が、脳裏に蘇って来る。

 あの時、静葉は何も出来なかった。今もまた、何も出来ないのか。

 引きつっている声帯から、静葉は無理矢理に絶叫を迸らせた。

「言うな……ぁ……ッ! あたしに向かって……それを! 言うなああああああっっ!」

 逃げろ。そう言いながら、男は勝手に死んでゆく。非力なくせに意地を張って、男は死んでゆく。残された者の事など、何も考えずに。

『その時……そなたは何を思った?』

 月読命が訊いてくる。

 声だけでなく姿が見える相手であったなら、静葉は睨みつけていただろう。

「あんた……!」

『すまぬ巫女よ。そなたの心の中を覗き見るつもりなどなかった……だがな、伝わって来てしまうのだよ』

『お前を守って死んだ者の、思いまでもな』

「ふざけんな! 神様だからって何がわかる!」

 尊ぶべき天津神々に、静葉は怒声をぶつけていた。

 応えたのは須佐之男の方である。

『わかるとも。お前の父はただ、お前を守りたかっただけなのだ』

「……あたしだって、守りたかった……」

 静葉は俯き、呻いた。

 あの時の自分に、今のような力があれば。父を、守ってやれた。助けてやれた。逃げろ、などと言わせる事はなかったのだ。

『守ってやれば良い。今、守れるものをな』

 優しく、力強く、月読命が語りかけてくる。

『黄泉醜女を、あるいは黄泉大神を、さぞかし憎んだ事であろう。その憎しみよりも、気高く揺るぎないもの……そなたの内には確かにあるはずだ、巫女よ』

「静葉……」

 今更ながら、静葉は名乗った。

「あたしは宮杜静葉よ……月読命様に、須佐之男命様」

『では宮杜静葉よ。そなたは今、何を望む?』

「戦いたい……」

 あの時、何より強く思った事を今、静葉は答えていた。

「何も出来ないのは、もう嫌……そんな嫌な思いを、あたしがしたくない。ただ、それだけのために……力を貸してくれますか? 神様たち」

『言ったはずだ。我らとて、お前を利用したいだけだとな』

 須佐之男命が言いながら、ニヤリと笑ったようである。

『姉上を、止めなければならん。そのために宮杜静葉……お前のその気高く揺るぎなき心、利用させてもらうぞ』

「須佐之男、私が先に行く」

 月読の声が、通信機能越しにではなく、すぐ近くから聞こえた。ような気がした。

 相変わらず姿は見えない。だが2柱の天津神は今、間違いなく、自分の近くにいる。

 それを感じながら静葉は、草薙姫を跳躍させた。

 細身の機体が、妖精のような翅を広げたまま、内側から退魔障壁・辺津鏡に激突する……いや、ぶつかる事なく通り抜けた。大八嶋女学院を包むエネルギー防護膜に一瞬だけ波紋が生じ、光の飛沫が微かに飛び散る。

 水面上に飛び跳ねた魚の如く、辺津鏡の外へと舞い上がった草薙姫が、乙式斬魔刀から両手を離す。

 手放された大薙刀が、しかし落下せずにその場に止まり、浮揚した。

 水平に浮かんだその長柄の上に、草薙姫の細身がくるりと飛び乗る。

 カトンボのように飛び回る事しか出来ない円明元年式・改の群れを、冷酷に狙撃・破壊し続けていた低級神たちが、空中の様々な場所から一斉に振り向いてきた。

 槍のような銃のような武器が、あらゆる方向から草薙姫に向けられる。

 それらを無視して静葉は、今や廃墟エリアになりかけた市街地を見下ろし、見回した。

 あちこちで火災が発生し、黒い煙が、草薙姫の面前にまで立ち上って来る。

 壊れた建物から、潰れた自動車から、そして人間の死体から、発生した煙。

 何人の父親が、死んだだろう。

 息子を、娘を守るために格好を付けて死んでいった父親も、いるに違いない。

 息子を、娘を守る事が出来ず、絶望の中で生き残ってしまった父親たちも。

 軽く、静葉は頭を振った。死んでしまった人間を守る事など出来はしない。

 今からでも、守れるものは数多くある。

 国防軍に避難誘導されながら逃げ惑う市民たち。辺津鏡の内側で怯え泣いている、大八嶋の女子生徒たち。そして。

「静葉…………うぐっ」

 叢雲姫の左手と、そこから流れ出す紫色の電光に捕われたマガツヒコ。その中で、冬樹が悲鳴を噛み殺している。

 本当は、思いきり悲鳴を上げたいに決まっている。助けてくれ、と泣きわめきたいのを痩せ我慢して、逃げろ、などと意地を張っているに違いないのだ。

 この救いようもなく愚かな男も、まあ助けてやらねばなるまい。守ってやらなければならない。

 空中に静止した斬魔刀。その長柄の上に細い爪先を揃えて立つ草薙姫に向かって、低級神たちが一斉に光を迸らせる。

 全方向から降り注いで来る、破壊の雨。

 かわそうとせず、静葉は叫んだ。言葉が自然に、頭の中に浮かんで来た。

「退魔転身……ツクヨミ・フォオオオオオムッ!」

 草薙姫のたおやかな右腕が振り上がり、繊細な指がス……ッと天空に向けられる。

 高天原の方角を指し示して立つ機械の細身を、取り巻く形に、4枚の光の翅が帯状に伸びて幾重にも螺旋を成す。

 草薙姫をくるくると包み込む、光の螺旋。

 そこに、低級神たちの放った破壊光が、全方向から一斉に激突した。

 光の螺旋が、砕け散った。

 その破片がキラキラと舞いながらも消えず、草薙姫の細身に集まって行く。

 操縦者に似てスラリと凹凸控え目な、機械の肢体。そのあちこちで、集まり貼り付いた光の破片が実体化していった。

 鎧として、だ。

 スリムな足元を愛らしく飾る、小振りな脛当て。可憐な尻の周りでふわりと揺れる、ミニスカート状の草摺。愛らしい胸の双丘をぴったりと包む、薄手の胸甲。

 華奢な両肩には鋭角的な肩当てが装着され、ほっそりとしていた機体のシルエットそのものが、幾らかは力強いものになった。

 左右の前腕には手甲が被さり、今は得物のない細腕を勇ましく飾り立てている。

 そんなふうに武装した機械の細身の周囲に、6つ。鋭利な、まるで剣のようなものが、それぞれ切っ先を別方向に向けて浮揚していた。草薙姫が身体から切り離して広げた、翼のようでもある。

 6門の、浮揚砲。

 叢雲姫が使っていたものたちよりも、全て一回り大型だ。

 草薙姫の身に生じた変化は、それだけではなかった。

 頭頂部から後頭部にかけて、ピッ……と光の筋が走る。

 その筋が、割れ目に変わった。ヘルメット状の頭部装甲が、真っ二つになって左右に落ちて行く。

 ふわっ、と何かが溢れ出した。黒く、艶やかで、豊かなもの。

 いかなる材質であるのか、静葉には見当も付かない。とにかく頭部装甲から解放されてキラキラと光沢を振りまく、それは長い黒髪だった。草薙姫の、太股に達する長さである。

「こ……これって……」

 静葉が呆気に取られている間に、さらなる変化が起こった。

 埴輪のような顔面にも一筋、ピッと割れ目が生じたのだ。

 目と口の部分にスリットの入った顔面装甲。それが真っ二つに割れて、剥離してゆく。

 美貌、としか表現しようのないものが露わになった。

 目を閉じた、美しい少女の顔である。柔らかく顎の尖った輪郭。ツンと小さく突き出た鼻に、可愛らしい唇。

 静葉に、似ていなくもない。

 埴輪そのものの顔面装甲によって今まで隠されていた、草薙姫の素顔。

 それは非の打ち所なく完璧に造型された、リアルドールを思わせる人工の美貌であったのだ。

 閉ざされていたその両目が、ゆっくりと開いてゆく。

 愛らしい睫毛が持ち上がり、澄んだ青い瞳が、ぼんやりと光を点しながら現れる。

 静葉は呆然としつつ、とりあえず声を出してみた。

「……あのう、大久保中佐?」

「ヒモロギ・システムを100パーセント使いこなしたとしても、タイプ・カンナギにはまだその先がある。と申し上げませんでしたかな」

 確かに、この中佐はそんな事を言っていたような気もする。に、してもだ。

「これって、もしかして……大久保中佐の、趣味? ですか?」

「……そのような事はどうでもよろしい。今は、貴女に戦って貰わなければならぬのです」

 そんな会話を、天照大御神が断ち切った。

『月読……いかなるつもりであるか?』

「おわかりでしょう姉上。この宮杜静葉は、そちらの心弱き巫女とは違う。我ら天津神の力を、余すところなく現世にもたらしてくれるでしょう。その力に、溺れる事もなく」

 神同士のお喋りなど、聞いている場合ではない。

 一向に減ったように見えない低級神の群れが、またしても光の一斉射を行ったのだ。空中のあらゆる場所から破壊の雨が、草薙姫に向かって降り注ぐ。

「この際、誰の趣味でもいいわ……行こっか、お姫ちゃん!」

 浮揚する斬魔刀の長柄を蹴って、草薙姫が跳躍する。

 蹴られた斬魔刀が、まるでローターのように回転をしながら飛んだ。

 直後。それまで草薙姫がいた辺りの空間で、全方向から降り注いで来た光の雨が全て激突し、爆発。一瞬、巨大な光球がそこに生じた。

 その爆発光のはるか上空で、草薙姫の細身が、優美な両足を天空に向けながら高速で錐揉み回転をする。長い黒髪が、宙を薙いで荒々しく舞う。

 その周囲で、6つの浮揚砲が、衛星の如く旋回しつつ一斉に光を放った。

 白色の閃光が6本。それぞれ異なる方向へと超高速で伸びて行く。

 それぞれ2体ずつ低級神を貫通・粉砕し、6本の光は消えた。

 代わりに12個の爆発光が、花火のように咲いた。

 一方、蹴り飛ばされた斬魔刀の方は、ローターに似た回転をして丸ノコギリの如き円形を成しながらギュルッ! と飛翔し、弧形の軌道を描いた。

 その軌道上で、低級神が5、6体。上下真っ二つの残骸と化し、臓物か機械かわからぬ内容物を空中にぶちまけながら薄れ消えていった。

 殺戮の軌道を描いて舞った乙式斬魔刀。その長柄の上に、草薙姫が爪先を揃えて軽やかに降り立つ。左右の細腕を水平に広げてバランスを取る、機械の美少女。

 その機体内から静葉は、相変わらず弱々しく飛び交い続ける円明元年式・改たちに声をかけた。

「やるわよ、みんな……退魔操撃! 蜂比礼!」

 高天原から力を召喚する必要は、もうない。力の源たる天津神は、今や静葉のすぐ近くにいる。

 草薙姫の周囲に浮かぶ全ての量産型ヒモロギ・システムに、その力が流れ込む。

 弱々しく空中を漂う、円明元年式・改の群れ。

 それらが一斉に、眼光を宿した。

 虚ろだった機械の埴輪の顔面。そのスリット状の目が、次々に光を宿してゆく。

 彼らがただ持っていただけの突撃銃が、ハンドガンや徹甲ナイフが、対巨大物ロケットランチャーが、戦闘的に構えられ始める。

 そんな円明元年式・改の部隊に、まだまだ大量に群れる低級神たちが武器を向けた。槍にも銃にも見える得物。

 それらが光を放つよりも早く。元年式・改たちの構えた各種銃器が、咆哮した。

 銃砲弾とエネルギーの融合体が、白色の嵐となって吹きすさぶ。

 射撃体勢にあった低級神たちが、次々と砕けて散った。

 なおも容赦なく突撃銃やハンドガンをぶっ放しつつ、何機もの元年式・改が翼を広げ、推進エネルギーを噴射しながら空中を駆ける。カトンボが突然スズメバチに変わった、という感じである。

 低級神たちが5体、10体と、凄まじい勢いで粉砕・撃破され、花火のような様を晒した。

「ふ……人間たちが作った人形に、我が力が実に良く馴染む」

 月読命が微笑み、天照大神が怒りの声を漏らす。

『この姉に刃向かうのだな、月読……地を穢し水を穢し、生命をも穢す者どもに、与すると言うのだな……ッッ!』

 叢雲姫の翼がバサッ! と激しく空気を打った。

 光の羽根が大量に舞い散り、球状に膨れ、そして人型に実体化してゆく。

 ただ1度の羽ばたきで、一目では数えられないほどの低級神が発生し、市街地上空に満ちた。そして槍にも銃にも見える長物を、空中の各所から草薙姫に向けてくる。

 それらが一斉に光を放ち、破壊エネルギーの雨が横向きに降り始める。と同時に。

 左右の手にそれぞれ徹甲ナイフを握った元年式・改が何機か、空中を舞った。

 白色のエネルギーを刀身から伸ばして光の剣と化した徹甲ナイフ。左右のそれらを目まぐるしく振るいながら彼らは、破壊光の豪雨に突っ込んで行く。

 振り上がり、振り下ろされ、振り回される幾本ものエネルギー剣が、光の雨をことごとく切り払い続けた。切り払われた破壊光が、一瞬だけ飛沫を残し消滅してゆく。

 そんな防御の後方から、対巨大物ロケットランチャーを構えた元年式・改たちが、一斉に砲撃を開始する。

 ロケット弾と白色エネルギーの融合物が無数、光剣を振るう僚機たちを巧みに避けつつ、蛇のような軌跡を残して宙を奔った。

 低級神の群れが、片っ端から爆炎の花火に変わっていった。

 光と融合したロケット弾。その1発が、最低でも2体の低級神を爆砕している。

 静葉の操る円明元年式・改たちの方が、個々の戦闘能力は上である。が、苛立たしげに羽ばたきを続ける叢雲姫の翼から、低級神はほぼ無限に発生し続けているのだ。

 その様を睨みながら、静葉は叫んでいた。

「退魔砲撃・足玉!」

 6本の剣のような浮揚砲が、草薙姫の周囲で一斉に発光した。

 白く輝くエネルギーの塊が、6つの砲口から間断なく撃ち出されて、流星雨のように空を駆ける。

 そして1つも市街地に落ちる事なく、円明元年式・改を誤爆する事もなく、次々と低級神たちを直撃・粉砕してゆく。

 無数の爆発が、空中に咲いては消えた。だが。

『ふん……それは何の真似であるか?』

 天照大神の冷ややかな嘲笑に合わせるかの如く、叢雲姫の周囲には波紋が浮かび続けた。退魔障壁。

 静葉の放った光の流星雨が、そこに激突しては砕け散り、まるで雪玉のように、白色の飛沫を散らせて消えてしまう。

 絶え間なく波紋状に揺らぐだけで亀裂1つ入らない退魔障壁の内側で、

『神罰なるぞ!』

 叢雲姫が、マガツヒコを左手で捕らえたまま、右手で長剣を一閃させた。

「と……っ」

 乙式斬魔刀が、サーフボードのように滑空をした。その上で草薙姫が、幾分おどけた感じに両腕を広げてバランスを取る。

 そんな草薙姫のすぐ近くを、目に見えない何かが凄まじい勢いで通り過ぎて行く。

 低級神と円明元年式・改が各々4、5体ずつ。その不可視の激流に呑まれ、ズタズタに砕け散った。

 微塵切り、である。飛散した機械の生首や手足、胴体の破片に、ぞっとするほど滑らかな断面が残っている。

 遠くまで伸びる、不可視の斬撃。

 それを辛うじて回避した元年式・改が1機、やや下方から飛来して草薙姫の傍に浮いた。手に、何かを持っている。

 弓である。叢雲姫が、恐らく変化の最中にどこかへ落としていたのであろう甲式破邪弓。

 恭しく差し出されて来たそれを、

「ありがとう」

 静葉は、草薙姫の左手で受け取った。

「……借りるわよ、叢雲姫」

 どうやら助けてやれそうにないタイプ・カンナギ甲式に、届かぬ言葉をかけながら。静葉は、受け取った破邪弓を1度、愛機の頭上でくるりと回転させた。

 そして草薙姫の右手で弦をつまみ、引く。矢のつがえられていない長弓が、叢雲姫に向けられる。

「退魔弓撃……」

 両の細腕でキリッと引き伸ばされた破邪弓に、光が生じた。

 草薙姫の右手から左手へと、矢の形にまっすぐ伸びた可視エネルギー。その白色の輝きが、急激に増してゆく。

「道反玉!」

 静葉の気合いと共に草薙姫が弦を手放し、伸びきっていた破邪弓がバチイィッ! と勢い激しく元の形になる。

 大型ミサイルほどに膨張した光の矢が、叢雲姫に向かって一直線に宙を裂いて行った。

『む……っ』

 天照が、微かに呻く。

 もう1撃、目に見えぬ斬撃を放つべく長剣を振り上げた叢雲姫の面前で、光の破片が大量に飛散した。

 静葉の放った極太エネルギーの矢と、天照大神の退魔障壁。その2つが、一緒くたに砕け散ったのだ。

 間髪入れず、草薙姫の周囲で浮揚砲6門が一斉に閃光を放つ。細く鋭利な6本の光が、叢雲姫一体に超高速で集中して行く。

『おのれは……ッ!』

 爆発。その中で、叢雲姫の巨体が激しく揺らいだ。細かい金属屑が、大量に飛び散る。

 叢雲姫の、装甲の破片だった。

 ついに直接のダメージを負った機体に向かって、なおも容赦なく、6門の浮揚砲が光を迸らせる。

 迸り続ける6本の破壊光が、少しずつ太さを増しながら叢雲姫を灼く。

 灼かれ続ける機体から、左腕がちぎれ飛んだ。

 残骸同然のマガツヒコが、喉に叢雲姫の左手をこびりつかせたまま墜落して行く。

 真北冬樹は、生きているだろうか。マガツヒコの操縦室内で、もしかしたら重傷を負っているかも知れない。

 だが今は、彼の状態を気遣っている場合ではなかった。

『ぐうぅっあああ人間風情が! 巫女風情がああああああああッッ!』

 悲鳴のような怒声。天照大神の……あるいは、四条美鶴の声である。

 今、自分は、あの先輩を殺そうとしている。

 6本の光に灼かれ続ける叢雲姫をじっと見つめながら、静葉は強く思った。

「ごめんね、叢雲姫……」

 四条美鶴が死ぬ。それは自業自得だと思い定める事にした。

 叢雲姫の、右腕もちぎれた。ちぎれた右前腕が長剣もろとも、粉々になって消滅する。

 6本の破壊エネルギー光が集結する事で生じた、巨大な爆炎の中。両腕を失った叢雲姫が、なおも装甲の破片を飛び散らせながら苦しげに反り返った。その全身の至る所で露出した内部機械類が、放電状の火花を発しつつ次々と爆発し消し飛んでゆく。

 その破壊が操縦室に及ぶのは、もはや時間の問題だ。

「せいぜい、あたしを恨んで下さい美鶴先輩。何なら化けて出てくれても構いませんよ?」

 もはや届かぬであろう言葉を、静葉は呟いた。

「出られるもんなら、何度でもね。何度でも……黄泉に、叩き返してあげます」

 操縦者の言葉と共に、草薙姫がもう1度、甲式破邪弓を引く。

 弦をつまむ右手から光の矢が伸び、つがえられながら膨れ上がって太さを増す。

 爆炎の中でひび割れながらも、なかなか原形を失わない叢雲姫の胸部装甲。そこに静葉は、破邪弓の狙いを定めた。

 操縦室を撃ち抜いて楽にしてやる。四条美鶴に対し自分がしてやれるのは、それだけだ。

 そんな静葉の思いを宿し、光の矢が、つがえられたまま、なおもヴォンッ! と膨張・巨大化した。その時。

「やめろ……頼む、やめてくれ……」

 声がした。真北冬樹の声。

 墜落したと思われたマガツヒコが、残骸同然の姿のまま、しかし弱々しく低空を浮揚し、消える寸前の炎のような赤い光を全身から漏らしつつ、こちらを見上げている。

 そんな亡霊の如き機体の中で、冬樹がなおも言った。

「頼む……四条を、殺さねえでくれよ……」

「あんた……」

 こんな泣きそうな声を出せる男だったのか、と静葉は思った。

「哲弘と、約束したんだ……だから、頼む。四条を、助けてくれ……」

 嵯峨野哲弘という人間を、静葉は知らない。どういう人間とどんな約束を冬樹が交わしたのか、それは静葉の知った事ではない。

 今、最優先で行うべきは、人間を滅ぼそうとする女神を一刻も早く現世から追い出す事。それを静葉は、頭ではわかっている。だが。

 大型ミサイルほどに膨れ上がっていた光の矢が、少しずつ縮んでゆく。

 叢雲姫を小刻みに破壊し続ける6本のエネルギー光も、次第に細く弱くなりつつある。

「ちょっと月読様!」

 怒声を張り上げる静葉に対し、月読命は穏やかだ。

「私が力を弱めているわけではないよ。そなたの心が、揺らいでいるのだ」

「何よそれ……」

 揺らいでいるはずはない。自分は今、四条美鶴を本気で殺そうとしている。その事に、何の躊躇いもない。心が、揺らぐはずはないのだ。

 なのに。6門の浮揚砲から迸る光はなおも細く、弱々しくなってゆく。

 力の弱まりつつある破壊光6本に圧されながらも叢雲姫が、

『ぐっ……うぁあああ負けぬ……地を穢し、水を穢し生命を穢す者どもに! 我ら天津神が敗れるわけにはゆかぬ、うぉあああああああああっっ!』

 両腕を失った身体を暴れさせ、光の翼を荒々しく羽ばたかせる。

 そんな叢雲姫に、何かが激突した。

 炎の塊、のように最初は見えた。

 マガツヒコだった。消える寸前の灯のようだった赤い光が、その全身で烈しく燃え盛っている。

 残骸同然の機体が、火の玉のようになって空中を突進し、叢雲姫にぶつかったのだ。

 何が起こっているのか静葉には一瞬、理解出来なかった。

 体当たりを喰らった叢雲姫が、吹っ飛んで行く。その機体から右足とそして頭部がボロボロと崩れ落ちるが、操縦室を含む胴体部分の原形はまだ失われていない。

 そして。今まで叢雲姫を灼いていた6本の破壊光は、マガツヒコに集中していた。

 頭蓋骨のような素顔が半ば以上露出していた頭部、が跡形もなく消し飛んだ。

 残った片足が、百足のような尻尾が。その他様々な細かい破片が、飛び散って行く。

「ばっ……馬鹿!」

 青ざめ叫びながら静葉は、制御宝珠から両手を離した。浮揚砲への力の注入が止まり、6本の光が消え失せる。

 マガツヒコも、消え失せる寸前といった状態だった。

 完全に胴体のみとなった機体。装甲と呼べるものはほとんど失われ、内部機器類も半分以上が残骸に変わり、もはや人型のかけらすら残さぬ有り様。でありながら、その場に浮揚している。

 肋骨そのものの形をした内部フレームに包まれながら、ぼんやりと赤い光を発しているもの……固く扉を閉ざした操縦室と、そしてヒモロギ・システム。

 一固まりとなって心臓の如き体を成したそれらが無傷である、とは言え、もはや人型戦闘機とは呼べぬ姿と成り果てたマガツヒコに、静葉はなおも罵声を浴びせた。

「この馬鹿! 阿呆! 一体何考えてんのよマヌケ野郎!」

「バカでも何でもいいからよ……頼むよ。四条を、殺さねえでくれや」

 冬樹は微かに笑っているようだ。

 あと一瞬、静葉が砲撃を止めるのが遅かったら、内部フレームも操縦室も消し飛んでいただろう。それがわかっていて、この男は笑っているのか。

「男ってのは……ッ!」

 愚か、という言葉では表現しきれぬほど愚かな生き物。

 もし今、生身で面と向かっている状態であったら、迷う事なく静葉は手を出していただろう。冬樹の顔の形が変わるまで、ぶん殴っているところだ。

 いや、そんな事はどうでも良い。

 叢雲姫。マガツヒコよりは幾分、人型をとどめた状態のまま、ゆっくりと墜落しつつある。頭部も両腕もなく、ひび割れた胴体の他に残っているのは左脚だけという姿。

 そこへ破邪弓と浮揚砲を向け、ぶっ放す。自分が今やるべき事は、それしかない。と、静葉は頭ではわかっていた。

 わかっている通りに、しかし草薙姫は動いてくれない。浮かぶ残骸と化したマガツヒコと、ただ向かい合っているだけである。

 左右の制御宝珠に両手を当て、静葉は呻いた。

「動いてよ、お姫ちゃん……お願いだから、ねえ……」

「動かぬよ。この人形は、そなたの心の奥底を理解しておる」

 微笑混じりの声で、月読命が言った。

「なけなしの殺意をせっかく振り絞ったところ、その真北冬樹なる者に邪魔をされてしまったのだ。もはや殺せはせぬよ宮杜静葉、そなたは誰も」

「ふざけた事……!」

「良いではないか。弱き巫女が、弱き故に犯した罪。生かして償わせるが良い……姉上!」

 突然、月読命の口調が厳しいものになった。

「おわかりであろう、貴女の負けだ。それなる巫女を解放し、高天原へお帰りなされよ!」

『月読……おのれは……』

「現世への御顕現を急がれるあまり、たやすく支配出来る心弱き巫女を器となされた」

『その時点で、姉上の負けという事だ!』

 須佐之男命も、叫んでいた。

『さあ早く、その巫女を解放してやれ! 誰がどう見ても、この場での姉上の勝利はもはや有り得ぬ!』

「潔く己の敗北をお認めになるのも、天津神の気高さというものですぞ」

『……そのように、うぬらがいくら肩入れしたところで……人間どもは変わらぬ』

 天照大御神が、呻いた。

『何も変わらずに地を穢し、水を穢し、生命を穢し続けるであろう……月読に須佐之男よ、そなたらもいずれわかる。守るに値せぬ者ども、それが人間であると』

「……姉上、我らはずっと人間たちを見てきたのです。見放すならば、とうの昔に見放しておりますよ」

 月読のその言葉に、天照はもはや何も応えなかった。

 墜落しつつあった叢雲姫の残骸を、2機の円明元年式・改がそっと受け止めている。

 完全に、残骸だった。今の叢雲姫には、もう何者も宿ってはいない。

 低級神の群れは、消え失せていた。最初から存在しなかったかのようにだ。

「姉上が、高天原へお帰りになられた」

 ほっ、と息をつきながら月読命が言う。

「礼を言うぞ宮杜静葉。姉上を、どうにかお止めする事が出来た」

「とりあえず、今日のところはね」

 静葉も、息をついた。

「お礼を言わなきゃいけないのは、あたしたちの方だから……ありがとう、神様たち」

『俺は何もしておらんがな』

 不満そうに、須佐之男が言う。何か軽口で応えてやろうとしながら、静葉は気付いた。

 まだ全てが終わったわけではない、という事に。

 草薙姫のセンサー・アイを、正面に向ける。

 もはや機体とは呼べぬ、操縦室とヒモロギ・システムに残骸がこびり付いただけという状態のマガツヒコ。

 その中から真北冬樹が視線を返して来るのが、静葉にはわかった。

「……で。あんたはこれからどうするわけ? 冬樹君」

「……どうすりゃいいんだかなぁ、まったく」

 冬樹が笑っている。重く、暗く、禍々しい笑い。

 心臓のような操縦室及びヒモロギ・システムが、ぼぉ……っと赤い輝きを強めた。冬樹の心に、呼応するかの如く。

 試作型らしいそのヒモロギ・システムは、高天原ではなく黄泉国と繋がっている。戦いが終わったはずの、今もまだ。

 いや。真北冬樹にとっては、まだ何も終わってはいないのではないか。

「ったく、俺がブチ殺す予定だったババアどもは四条に殺られちまうしよォ。なあ静葉ちゃん、俺一体どうすりゃいいと思う?」

『……悩む事はないわ。その憎しみの心、猛るままに行動をすれば良いのよ。貴方は』

菊理媛命くくりひめのみこと……そなたがおるのか!」

 冬樹に囁きかけている何者かに、月読命が怒声に近い声を浴びせる。

『お懐かしゅうございますわ、月読大神つくよみのおおかみ須佐之男大神すさのおのおおかみ。どうか御喜び下さいませ。貴方がたの母君が今、この現世に御顕現あそばされます……ふ、うっふふふふふ。待ったわ、この時を。真北冬樹、貴方のその憎しみが、行き場を失うほどに高まり昂る時を』

「うるせえぞ、畜生……おい静葉!」

 苦しげに、冬樹が呼び捨てる。

 静葉が腹を立てるよりも早く、冬樹はなおも言った。

「撃て……俺を殺せ! 早く!」

「……何言ってんの?」

「さっきも言ったろ! 殺さねえと、止まらねえんだ……よ……ッ! うぐっ、ぅぉおおおおあああああああああああ!」

 悲鳴のような咆哮のような、冬樹の叫び。

 それと共に、残骸をまとった操縦室とヒモロギ・システムが、激しく燃え上がった。

 真紅のエネルギー光。マガツヒコの操縦室から、あるいはヒモロギ・システムから、凄まじい勢いで溢れ出している。

「ちょっと冬樹君……」

 思わず草薙姫の片手をかざしながら、静葉が息を呑む。月読命が、言う。

「撃てぬか、静葉。あやつ自身の言う通り、ここで撃ち殺してしまうのが最も良い……のだが、そなたにそれは出来まいな」

「……菊理媛命って?」

「黄泉大神・伊邪那美命に仕えし巫女神みこがみだ。あの真北冬樹を、黄泉国と繋げておる者よ」

「なら、そいつだけ始末すれば」

「出来ぬ。我らと同じだ。殺す事の出来る肉体を菊理媛くくりひめは、現世には持っておらぬ」

 そんな会話の間にも。中枢部分だけとなったマガツヒコを包み込む真紅の輝きは、燃え上がるように強さを増してゆく。

 黄泉国から際限なく召喚され続ける、赤色のエネルギー光。

 美鶴が先程、天照大御神をその身に宿らせてしまった時と、感じが似ている。と言うより同じだと静葉は思った。

 天照ではない何者かが今。冬樹に、マガツヒコに、宿ろうとしている。そして、現世に顕現せんとしているのだ。

黄泉大神よもつおおかみだぞ……」

 喉の潰れそうな声で、冬樹が呻いている。

「同じ女神様でもなぁ、天照あたりとは格が違う……出て来ちまったらもう絶対に止められねえ、だから早くっ……ぐぅああああああああッッ!」

 叫ぶ冬樹を嘲笑うかのように菊理媛が、耳で聞くものではないらしい声を発した。

『本当に、貴方の憎しみは素晴らしいわ真北冬樹。行き場を失ったまま燃え盛る、その憎悪の念が、現世と黄泉との間に道を開く。黄泉大神が通り給う道を、ね。

 さあ心して御迎え奉るのです人間たちよ。伊邪那美大神いざなみのおおかみが今、この現世へと御還りになられます。地を穢し水を穢し、生命を穢さねば在る事の出来ぬ、哀れなる生き物たちよ、そのようにして苦しむ事はもうありません。

 安らけき黄泉の静寂の中で、お眠りなさい人間たち……母なる黄泉大神に抱かれて、赤児のように』

「黄泉大神が……黄泉帰る……」

 息を呑みながら、静葉は呟いた。

 先程、大斎たちが、叢雲姫及び四条美鶴を用いて行った事。それを今、菊理媛命が、マガツヒコ及び真北冬樹を用いて行おうとしている。ただし、召喚されるのは天照大御神ではない。

 黄泉大神・伊邪那美命だ。

 この現世において、かの女神を宿らせる。そのための器として用意されたのがマガツヒコであり、そこに黄泉大神を呼び込む役目を負わされたのが真北冬樹。もちろん彼自身、そんな役目を引き受けたつもりなどないであろうが。

「しっかりしなさい冬樹君! あんた今、美鶴先輩と同じ事になっちゃってんのよ!」

 静葉は怒鳴った。

 神々に全てを委ねるしかなくなって天照大神を召喚してしまった、先程の四条美鶴と同じく。

 今の冬樹は、行き場を失った憎悪の念を、黄泉大神に託すしかなくなってしまっている。

 何故、冬樹の憎しみは行き場を失ってしまったのか。

 復讐の対象であった大斎たちを、自分の手で殺す事が出来なかったからか。

 いや違う、と静葉は確信した。

 仮に冬樹自らが大斎たちに手を下していたとしても、この凄まじい憎しみの念が消滅する事はなかっただろう。やはり行き場をなくし、燃え猛っていただろう。大切なものを奪った、その犯人を自ら始末したくらいで消え失せるような、生易しい憎悪ではない。何をしても、何が起こっても、冬樹のこの憎しみは絶対に消えない。

 嵯峨野哲弘が生き返りでもしない限りは、だ。

「…………わかってんだよ…………」

 冬樹が笑った。

「今更、何やったって哲弘が生き返るワケじゃねえ……んな事ァなあ……わかってんだよ……わかって…………何で…………」

 笑いながら、怒り狂っている。

「何で…………生き返らねえんだよ…………ッッ!」

 マガツヒコを包む赤い光が、燃え上がり、膨張し、渦を巻いて伸びた。まるで太陽のプロミネンスのように。

 乙式斬魔刀に乗った草薙姫が、サーファーの如く滑空し、その凶暴なプロミネンスを回避する。

 そうしながら、青く澄んだセンサー・アイをマガツヒコに向ける。

 太陽のように燃え盛る、赤色光の塊の中。胴体の残骸、としか言いようのなかったマガツヒコの機体から、何かが伸びて揺らめいている。

 四本の、細長いもの。金属のフレームか、生体的な骨格なのか、その中間か。

 材質はともかく……四肢、である。

 その異変・再生を促進するかの如く。菊理媛が、唱えている。

『黄泉大国に神留り坐す……皇親神漏美の命以て……』

「……てつ……ひろ……ぉ……」

 冬樹が声を漏らす。

 それは、燃え盛る赤い光の中でマガツヒコが呻いている、ようでもあった。

 人体が炎上している様を、巻き戻して見るかの如く。マガツヒコは今、人型を取り戻しつつあった。

 四肢の骨格には、機械か筋肉か判然とせぬものが絡み付いて手足の形を成しており、首から上でも、材質不明の頭蓋骨が牙を剥いている。炎の中で叫ぶかのようにだ。

 そんなマガツヒコの近くに、ゆらゆらとした白いものが浮かんでいる。

 人型戦闘機サイズの、白い人影。白色の衣をまとった若い女、の姿に見えなくもないそれが、なおも耳に聞こえぬ詠唱を続けた。

『八十禍津日神等を神集えに集え賜い、神議りに議り賜いて……

 豊葦原水穂国を安国と平けく知ろし食せと、事依さし奉りき……』

「黙れ…………」

 呻きながら冬樹は、歯を食いしばったようだ。

「……黙り……やがれぇええええええええ!」

 血を吐くような叫び、と共に。白い人影が、吹き飛ばされたかのように消えた。

 太陽の如く燃え猛っていた真紅の光も、今まで幻であったかのように消えていた。

 異変が全て消失し……1つの異形だけが、そこに残されている。

「ふぅっ……ぉおおお……」

 冬樹の息吹に合わせて、それが微かに、巨体を震わせる。

 凶暴に荒れ狂い膨張していた赤色のエネルギー光、を全て吸収してしまったマガツヒコ。

 その姿は、今や残骸ではない。

 闇そのものを練り固めたかのような黒と、噴火寸前のマグマを思わせる赤。その禍々しい色合いが、まず静葉の目に入った。

 暗黒それ自体を鋳造したかの如き甲冑。その所々で、煌煌と輝く赤色が筋状に走っているのだ。

 大破前のマガツヒコを一回り上回る、巨大な甲冑姿。その顔面には、のっぺりと無機的な埴輪の仮面が被さっている。

 その目と口のスリットからは爛々と輝く赤い光が漏れ出しており、悪鬼の頭蓋骨そのものの素顔が激しく眼光を燃やしているのが明らかだ。

 荒ぶる素顔を覆い隠す顔面装甲の周囲にあるのは、吹返を広げて鋭利な鍬形を立てた、兜である。

 全身の様々な部分で赤色を燃やす、禍々しい暗黒色の鎧武者。

 そんな変貌を遂げたマガツヒコに対し、

「何という……」

 月読命が、息を呑んでいる。

「母上の御力を……溢れ出さんとする、黄泉の邪気を……あやつ、全て呑み込んで……」

『全て、己のものとしてしまいおった……これが……』

 須佐之男命の口調も、同じようなものだ。

『これが……人間の、憎しみの力か……』

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