第8章 地獄神楽

 叢雲姫の周囲に浮かぶ、5門の浮揚砲。

 うち1つは大八嶋女学院に向けられ、1つは生身の真北冬樹に向けられている。

 あまりにも信じ難い光景に、静葉の頭の中は真っ白になっていた。何もかもが、消し飛んでいた。

 怒り、以外の何もかもが。

 空白になりかけた頭の中で、脳漿が沸騰しそうなほどに煮えたぎる。

 草薙姫の機体が、激しく揺れた。

 とてつもない量のエネルギーが、高天原から降って来たのだ。静葉の怒りに、呼び寄せられたかの如く。

退魔覚醒たいまかくせい! 死反玉まかるがえしのたまッうぉおおおおおおおおっ!」

 エネルギーの奔流が、草薙姫の機体内を凄まじい勢いで駆け回る。

 静葉の精神を圧倒・支配してしまいかねないほどのエネルギー。

 だが今、静葉の内で燃え猛っているのは、静葉自身の激情だ。天津神々とて、これを支配する事など出来はしない。

 怒り狂っているのは神々ではなく、静葉自身なのだから。

「あたしに力を貸しなさい、八百万の神様たち……!」

 草薙姫の背中から、白色のエネルギー光が、昆虫の翅の形に伸びてゆく。

 今、静葉は理解した。

 神々とは、助力を請う対象ではない。この迸るような怒りの気合いで、従え御するものなのだ。

 またも軽々しく死反玉を発動してしまって、後で大久保中佐に怒られるかも知れない。殴られても構わない、と静葉は思う。草薙姫から降ろされてしまったとしても、まあ仕方がない。

 四条美鶴を、叢雲姫を止めるには、退魔覚醒が必要なのだ。

 それで本当に神が降りて来てしまったら、自分が従えて見せる。

 それだけの気合いを、静葉は唇から迸らせた。

「退魔斬撃、八握剣! でぇええええいやッ!」

 草薙姫の細身が、空中で激しく翻る。乙式斬魔刀が超高速で一閃。

 叢雲姫の周囲で、5つの浮揚砲身全てが真っ二つになった。

「なっ……! 何をするの静葉……」

 美鶴が狼狽している間に、草薙姫は空中を駆けていた。

 静葉が加速衝撃を感じている暇もなく、草薙姫は叢雲姫の面前に到着していた。

 取り巻きの浮揚砲を失っただけで哀れなほどか細く見える機体。その喉元に、斬魔刀を突き付ける。

 無論、人型戦闘機の首など斬り落としたところで操縦者に何かダメージが行くわけではないのだが、美鶴は怯えていた。

「じっ……自分が何をしているのか、わかっているの静葉……! 私に刃を向けるという事は、大斎様たちに……」

「あたしはねえ、あんたと話がしたいって言ってんのよ美鶴先輩。大斎様じゃなくてね」

 敬語を、静葉は保てなくなり始めていた。

「一体全体、何でこんな胸くそ悪い事になってんのか説明して欲しいんだけど。大斎様の受け売りじゃなく、美鶴先輩の言葉でねえ」

 ちらりと、センサー・アイをマガツヒコの方に向ける。

 操縦室の開閉装甲は、すでに閉じていた。

 その内部から真北冬樹は今、何を思って、タイプ・カンナギ2機の睨み合いを見守っているのか。

「そいつが、男のくせに黄泉醜女と戦えたりヒモロギ・システムを使えたりしてる……何もかも、そこから始まってるように思えるのよね。その辺どうよ美鶴先輩?」

「……貴女に語る事など、何もないわ」

「あたしが聞きたい説明」

 草薙姫が、右手だけで長柄を持ち、左手をぐっと握り拳にした。

「……以外の事、一言でも喋ったら。操縦室に生玉いくたまぶちこんじゃうからね」

 その左拳が、ヴォンッと白い光を発する。

 美鶴が息を呑む音を、静葉は確かに聞いた。

 本当にやるかも知れない、と静葉は思う。しっかり気を張っていないと自我を吹っ飛ばされかねないほどのエネルギーが今、草薙姫の中で暴れ回っているのだ。それを怒りにまかせて叢雲姫の操縦室に叩き込んでしまわずにいられる確かな自信が、静葉にはなかった。

「おい、やめとけ」

 冬樹が口を挟んできた。

 それ以上を言わせず静葉は、叢雲姫に突き付けていた斬魔刀をマガツヒコに向けた。

 黒い機体の胸部、操縦室の辺りに、切っ先が微かに触れる。

「あんたは黙ってなさい。あたしは今、美鶴先輩と話してんの」

 冬樹が、美鶴を庇おうとする。それは何故か。

 とにかく、おかしな人型戦闘機を持ち出してまで復讐をせずにはいられなくなるような事を、四条美鶴は真北冬樹に対して行ったのだろう。恐らく、大斎の命令で。

 そして冬樹の復讐の対象は、実行者である美鶴ではなく、命令者である大斎たちなのだ。

 四条美鶴など眼中にない、という事である。どころか、庇おうとしている。

「悔しくないんですか、先輩……」

 草薙姫の左手にエネルギー光をくすぶらせたまま、静葉は呻いた。

「あんた、この男にバカにされてるって事ですよ。悔しくないんですか、ねえ」

 お人形ちゃん。先程、冬樹は美鶴に対してそんな事を言っていた。

 何を言われても、今の美鶴に言い返す資格はあるまい。

「四条美鶴、今のあんたは男以下です」

 草薙姫の左パンチを本当に叩き込んでしまいそうな自分を抑えつつ、静葉は言った。

「大斎様の命令なら、どんな汚らしい事でも平気でやる、奴隷。犬ころ、操り人形……ああもう言葉じゃ言えないわ。とにかく口にするのもアレなもんに成り下がっちゃって、ちょっとねえ悔しくないの? 情けないと思わないわけ? ねえちょっとおおおおおおッ!」

「…………大斎様の御下命があったから、ではないわ…………」

 静葉の怒声にかき消されてしまいそうなほど細い声で、美鶴は応えた。

「私は、私の意思で……真北冬樹と嵯峨野哲弘を、殺したのよ」

 嵯峨野哲弘。写真の中で美鶴とくっついていた、背の高い綺麗な少年の事か。

「約1名、殺しても死ななかったみたいだけど」

 草薙姫のセンサー・アイをちらりと一瞬マガツヒコに向けつつ、静葉は続けた。

「……とにかく何で、その2人は殺されなきゃいけなかったのかしらねえ?」

「彼らが、大八嶋学院の……首席だったからよ。男でありながら」

「落ちこぼれて退学くらった、わけじゃなくて?」

「天津神々の力を召喚し、攻撃力として発現させる事……試作型ヒモロギ・システムを使いこなす事……全てにおいて大八嶋高等部の女子生徒は、真北冬樹と嵯峨野哲弘の足下にも及ばなかったわ。この私も含めて、ね……」

 静葉は驚かなかった。驚きなどという段階は先程、真北冬樹が黄泉醜女を仕留めて見せた時点で通り過ぎている。

 高天原から力を召喚する事。それに関しては、一般的には確かに、女性の方が優れた適性を持っているのだろう。実際、大八嶋学院男子生徒の大部分は、落ちこぼれて学院から去っているのだから。

 落ちこぼれずに残った2人……真北冬樹と嵯峨野哲弘が、男にあるまじき適性を発揮してしまった。

 男でも、神々の力を使う事が出来る。それが、この2名によって証明されてしまった。

 だから彼らは、生きていてはならなかったのである。

「タイプ・カンナギが完成するまでは、2人の力が必要だった。試作型ヒモロギ・システムによる各種データ収集のために……哲弘も、真北君もね、本当によくやってくれたわ。私では、あんな欠陥だらけの試作品で実戦試験など出来なかった。私たちがこんなに使いやすいタイプ・カンナギの完成品に乗れるのは、哲弘と真北君のおかげ……」

 美鶴の声が、震えた。笑っているようでも、泣いているようでもある。

「どんなに感謝しても、足りないわ……だから、せめて苦しむ事なく楽に死なせてあげるつもりだった……」

「……悪いな、生き残っちまったよ」

「もう1度、死んでちょうだい真北君……お願いよ静葉、その男を殺して。わかるでしょう、真北冬樹を生かしておいてはならないという事」

「……もういい、黙って」

 暗いものが今、静葉の胸の内で禍々しく渦巻いている。

「神々の力を行使出来るのは、巫女だけでなければならないのよ。巫女が、女が、人々を導き守る理想社会を維持するために……」

「わかったから。もう黙って下さい先輩……」

「お願いよ静葉、真北冬樹を殺してちょうだい……男の上に立つ。私たち女の、時代を超えての理想が今ようやく実現したというのに、その男1人のせいで台無しに」

「黙れこのクソ女!」

 そんな陳腐な罵り文句しか、今の静葉の頭では思い付かない。

 これが、こんなものが。時には頬を赤らめてまで憧れた四条美鶴の、本当の姿なのか。

 その思いが、制御宝珠を通じて草薙姫に伝わってしまう。

 機体の左手が、動いた。エネルギー光を宿した左拳が、叢雲姫の操縦室へと叩き込まれる……寸前で止まった。

 止められていた。

 マガツヒコの武骨な片手が、草薙姫の左腕をがっしりと掴んでいる。

「……やめろ。四条は殺させねえ」

「…………」

 静葉は言い返さず、ただセンサー・アイ越しにマガツヒコを睨み付けた。

 思い浮かべてしまうのは、あの写真である。

 この3人、本当に仲良かったんだ。見せてくれた松永は、そう言っていた。失われてしまったものを懐かしむ口調だった。

 何故、失われてしまったのか。それは四条美鶴によって破壊されたからだ。

 かけがえのないものを、美鶴は自身の手で破壊してしまったのだ。自分の意思で、などと言っているが間違いなく大斎たちの命令で。

「何故……」

 美鶴は呻いた。

「ねえ真北君、どういうつもりなの……? 何故、私を庇うの? 貴方は私を憎んで」

「美鶴を、頼むぜ」

 聞き苦しい絶叫になりかけた美鶴の言葉を、冬樹が断ち切った。

「……哲弘の、最後の言葉だ」

「哲弘の……」

 美鶴の声が、かすれた。

 箍が外れてしまった人間の声だ、と静葉は感じた。

 冬樹にそんなつもりはなかっただろう。だが今の彼の言葉は間違いなく、美鶴をある所へ追い込んでしまった。追い詰めてしまった。

 何の根拠もなく、静葉はそんな事を感じた。



「てつひろ……が……」

 そんな事を言うはずがない、と美鶴は思った。

 哲弘は、自分を憎みながら死んでいったに決まっている。

 真北冬樹が美鶴を憎んでいる、以上に哲弘は、恋仲であった少女の裏切りに絶望し、憎悪の念を抱きながら死んでいったに違いないのだ。

 その哲弘が、心の中から美鶴に語りかけてくる。

 心配するなよ美鶴。お前がこいつを使う前に、俺らが問題点出し尽くしてやるからさ。

 まいったよ冬樹の野郎、本気でぶん殴りやがって。俺もついついエキサイトしちゃってさあ。え? もちろん俺の勝ちよ。俺の方が1発多くパンチ入れたの見てただろ? ちゃんと見てろよー。

 ……言いたかないが美鶴、お前ってほんと料理下手だよなあ。カレーなんて箱に書いてある通りに作れば、それなりのもんが出来上がるようになってるんだぞ普通。ここまで不味くするってのは一種の才能、って言うか冬樹より下手ってのはどうなのよ?

 そろそろ問題点も出尽くしたとこだが美鶴。お前には、こいつを使って欲しくないなあ。ちょいとヤバいんだよ、このシステムは。

 なあ美鶴、冬休みになったら草津でも行こうぜ? スノボ教えてやるよ。お前ってウインタースポーツ全然駄目だろ。なぁ美鶴、みつる……。

「黙って……お願いよ、哲弘……」

 制御宝珠から両手を離し、美鶴は頭を抱えた。

「貴方はもう、この世にはいないのよ……私が、殺したのよ……私が……」

「……そう。嵯峨野君を死に至らしめたのは貴女なのよね、四条さん」

 心の中からの声、ではない。現実に、叢雲姫の通信機能を通して語りかけられてきた声である。

 冬樹の声でも、静葉の声でもない。

「大斎様……」

「気に病む事はないのよ四条さん。貴女は、天津神々の御心にかなう事をしたのだから」

「男が女の上に立つなど、許されない事……それが天津神々の御心」

「何故ならば。高天原の神々を統べる御方は、女神であらせられるのだから」

 この世でもっとも尊きものの御名を、美鶴は呆然と、陶然と、呟いた。

天照あまてらす……大御神おおみかみ……」

「かの女神を、この現世にお呼びするため……四条さん。貴女の力が必要です」

「神々の長たる御方は女神……これこそ、世を統べるのは女でなければならない事の証」

「その証を、現世の人々に広く知らしめるべく。さあ、天照大御神をお招きするのです」

「女が、巫女が、世の人々を導く。その理想社会を、天津神々の女帝たる御方に、永久にお守りいただくのです」

「理想……社会……」

 操縦席の中で身を丸め、頭を抱えたまま、美鶴は呟き微笑んだ。

 そう。女が人々を平和に導く、理想の世界。その実現のためには、たとえ何であろうと犠牲になって当然なのだ。

 当たり前ではないか。自分は何を、思い悩んでいるのか。

「……退魔……覚醒……」

 美鶴は呟いた。

 誰かが、何か叫んでいるような気がする。冬樹か、静葉か。それとも哲弘か。

 構わず、美鶴は唱えた。

「まかる……がえしの、たま……ぁ……ぁああああああ」

 叫んでいるのは、叢雲姫の機体だった。ヒモロギ・システムが悲鳴を発している。

「よくやってくれたわ、四条さん……!」

 大斎たちが幾分、落ち着きを欠いた声を出した。

「ああ、開く……現世と高天原を繋ぐ、道が……」

「四条さんが道を開いてくれた今……さあ皆さん、ここからは私たちの役目ですよ?」

「ええ、お呼び奉りましょう……天照大御神を」

 天照大神あまてらすおおかみが降りて来れば。女が男の上に立つこの理想社会は、磐石のものとなる。

「高天原に、神留まり坐す……」

 大斎たちが、大祓詞を唱え始めた。

「皇親神漏岐、神漏美の命以て」

「八百万神等を、神集えに集え賜い、神議りに議り賜いて……」

 心の中から哲弘が相変わらず、美鶴に何か語りかけてくる。

 その声を、大斎たちの涼やかな大祓詞がかき消してくれる。

 叢雲姫が、またしても悲鳴を上げた。いや、悦びの絶叫かも知れない。

 高天原より今、降臨しつつある強大にして神聖なるものを、ヒモロギ・システムが歓喜しながら迎え入れようとしているのだ。叢雲姫の中に……そして美鶴の中に。

 頭の中が真っ白になってゆくのを、美鶴は陶然と感じた。

 あらゆるものが消去されゆく脳に、大祓詞が心地良く染み込む。

「我が皇御孫命は、豊葦原水穂国を安国と平けく知ろし食せと事依さし奉りき」

「此く……依さし奉りし……」

 美鶴も、合わせて唱え始めた。

 頭を抱え丸まっていた姿勢が、いつの間にか直っている。

 美鶴は今、操縦席の中でまっすぐに背筋を伸ばし、両手をぴったりと左右の制御宝珠に張り付けていた。

 神々しい力が、叢雲姫の機体の隅々にまで満ちて行く。そして制御宝珠を通じ、美鶴の中にも流れ込んで来る。

「国中に荒振る……神等をば……」

 もうすぐだ。もうすぐ、高天原の女皇たる神が、八百万の最高位に立つ女神が、降りて来る。

 女が世の人々を導く理想社会が、神の力により永遠のものとなる。だが。

「神……問わしに、とっ……問わし、賜い……」

 綺麗な唇から滞りなく流れ出ていた大祓詞が、途切れ始める。

「…………助けて…………」

 大祓詞ではない言葉を、美鶴はいつしか口にしていた。

「助けて…………哲弘…………」



「ちょっと何やってんのよ!」

 そんな口のきき方が許される相手ではないのだろうが構わず、静葉は怒鳴っていた。

 少女の怒声には何も反応せず大斎たちは、流暢に大祓詞を唱え続ける。

 女が世の人々を守り導く、理想社会。

 そんな事を巧みに囁いて、美鶴に嵯峨野哲弘を殺させたのだろう。この、大斎などと呼ばれる薄汚い老女たちは。

 冬樹が何も言わず、マガツヒコの大型突撃銃を神祇本庁庁舎に向ける。

 同じく無言で、静葉は乙式斬魔刀を一閃させた。マガツヒコに向かってだ。

 黒い機体がひらりと舞い、草薙姫の斬撃を軽やかにかわす。

 第2撃をとりあえず加えようとせず、静葉は言った。

「1発ぶん殴るだけならともかく……殺す、ってんならね。そりゃあ止めるわよ」

「……そうだな。じゃ1発ぶん殴るだけにしとくわ」

 マガツヒコの左拳が、庁舎に向けられる。前腕と上腕の間から、噴射エネルギーの赤い光が漏れ始める。

 静葉は草薙姫を飛翔させ、少しだけ開いていた間合いを一気に詰めた。

 細身の機体が、妖精の如き光の翅を震わせながら、マガツヒコに斬り掛かる。

 左拳の発射を諦め、冬樹はマガツヒコの両手で銃剣を構えた。先端の徹甲ナイフが、斬魔刀の穂先を受け止める。

「……やっぱ、駄目か? ブチ殺しちゃ」

「やめときなさい。あのクソババア……ごほん。大斎様たちにはね、いつかあたしのやり方で落とし前つけさせるから」

 センサー・アイ越しにマガツヒコと睨み合ったまま、静葉は言った。

「……とりあえず。それまでは生かしといてあげなさい」

 全てを、静葉は理解した。

 ヒモロギ・システムも、タイプ・カンナギも。神の力、ではなく神そのものを呼ぶために造られたのだ。

 八百万の頂点に立つ女神……天照大御神を、この現世に召喚する。ただ、それだけのために。

 降臨して来た女神の威を借りて、今までにも増して絶対的な権力を振るう。

 大斎たちの思惑は、そんなところであろう。

 そんな事のために四条美鶴は、少なくとも1人の人間を殺している。冬樹にとっては、かけがえのない1人。

 静葉も、父を殺された。だから黄泉醜女が許せない。今まで何百匹も狩り殺してきた。

 それと同じ事を冬樹がやろうとしている、のだとしたら静葉に止める資格はない。

「……なくても止めるわよ、真北君」

 斬魔刀と銃剣をギリギリと噛み合わせたまま、静葉は言った。

「大斎様たちは、殺させない……」

「良い心がけです、宮杜さん」

 通信機能越しにとは言え、大斎に声をかけられた。褒められた。本来ならば、名誉ある事なのであろう。

「真北冬樹を、そのまま止めていなさい。あと少しで、天照大御神が現世にお降りになられます。その暁には貴女を、私たちに続く地位に……」

「あたしに話しかけんじゃないってのよ、この老害女ども」

 せめて敬語を使おうと静葉は思ったが、無理だった。

「あんた方はねえ、一生かけて落とし前つけなきゃなんない事をやらかしたんだから。死んでチャラなんてのは許されないから……守ってあげてるだけ」

「……何を言っているのかしら? 宮杜さんは」

「守ってあげるから黙ってろってのよおおっ!」

『……それで良い』

 大斎ではない何者かが、通信に割り込んで来た。

 男の声。だが冬樹でも大久保でもない。

『それで良いぞ、人間の巫女よ……いや、まだいささか怒りの念が強過ぎるか?』

『あと少しで良い。怒り憎しみを抑えられんか、巫女よ。お前なら出来るはずだ』

「…………誰?」

 どうやら2人いるらしい男の声は、それには答えてくれなかった。

 代わりに、というわけではなかろうが大斎の1人がわめく。

「宮杜静葉……あっ、貴女は! 一体誰に向かって何を言っているのか」

「放っておきなさい小川さん。それより大祓詞を止めては駄目よ」

 他の大斎たちは冷静だった。

「そうよ。天照大神が御降臨なさりさえすれば、宮杜静葉などどうにでも出来るわ」

「言ってくれんじゃない……!」

 静葉が激昂しかけた、その時。

 美鶴の、細い声が聞こえた。

「……助けて……哲弘…………」

 おかしな具合に糸の絡まった操り人形、といった格好を、叢雲姫はしていた。

 奇妙な方向にねじ曲がった細腕が、今にもちぎれてしまいそうだ。

『いかん、姉上が! そちらへ降りて行かれる!』

 よくわからない男たちの声が、またしても通信に入り込んで来た。

『おい巫女よ、その荒ぶる怒りと憎しみを早く静めろ。さもなくば力を貸してやれん』

「いやだから誰なのよ、あんたたちは」

 静めようと思って静まるものなら苦労はない、などと言い返している場合ではなかった。

「あ……あああッ、ぎゃうぅぁあああああああああああ!」

 耳を塞ぎたくなるような絶叫を、美鶴が発したのだ。

 叢雲姫の背中から、パァッ……と光が広がった。

 光の、翼。1対のそれが、叢雲姫の細身を背後からゆっくりと包み込む。

 浮揚砲を失っただけで哀れなほどか細く見える機体が、光の翼に包まれ隠されてゆく。

 繭、のようでもある。

 光の繭の中で叢雲姫は今、とてつもなく禍々しいものに変わろうとしている。静葉はそう感じた。

「美鶴先輩……」

「おい四条……!」

 静葉の声も冬樹の声も、美鶴にはもはや聞こえていないようだった。

「うっぐ、あぁああ……たっ高天原に、神づまり……」

 まるで何かから逃避するように、美鶴は大祓詞を口にしている。

「す、すめむつ神漏岐……神漏美のみこと、以て……」

「やめろ、四条……」

 草薙姫と刃を交えたまま、冬樹が呻く。

 この少年とこんなふうに武器を押し付け合っている場合ではない、と静葉も思う。だが一体どうすれば良いのか。

 光の繭もろとも、叢雲姫を叩き斬るべきか。

 先程やりかけた四条美鶴の殺害を、実行するべきなのか。したとしても、また冬樹が止めるだろう。

 そんな思考に捕われ結局、静葉が何も出来ずにいる間も、美鶴は大祓詞を唱え続ける。

「我がすっ、皇御孫命は……とよ、あしはらの、水穂国を……」

 いや、もはや四条美鶴ではない。静葉はそう感じた。

「豊葦原水穂国を……ようも……」

 繭が割れた。光の翼が、バサッ……と開いた。

 白色のエネルギー光で組成された翼が、羽ばたいたのだ。

「ようも……ここまで穢してくれた……っ! 人間どもォオオオッッ!」

 マガツヒコが動いた。同じように、草薙姫も動いた。

 2体揃って、大八嶋女学院の校舎前に着地する。冬樹が何をしようとしているのか、静葉にはわかった。冬樹もまた、静葉のやろうとしている事を理解しているであろう。

「退魔障壁……」

「辺津鏡!」

 互いに行動を理解し合った2人の声が、連なった。

 草薙姫とマガツヒコ。2機を中心とした一帯を、光の防護膜がドーム状に包み込む。

 大八嶋女学院全体を覆う、巨大な退魔障壁。

 そこに、凄まじい衝撃が叩き付けられて来る。光の翼の羽ばたきが、もたらした衝撃。

「あう……っ」

「うぐっ……!」

 静葉と冬樹の呻きが、重なった。

 それは、凄まじい衝撃、としか表現出来ないものだった。

 静葉に今わかるのはただ1つ。退魔障壁の外側で、とてつもない破壊が行われている。という事態だけだ。

 校舎の中では、巫女装束姿の女子生徒たちが恐慌に陥り、泣き叫んだり逃げ惑ったりしている。

 巨大なシャボン玉のようなエネルギー防護膜に、亀裂が走った。

 そう見えた時には、退魔障壁は砕け散っていた。

 光の破片が、ガラスのようにキラキラと舞い、消えてゆく。

 破壊は、とりあえずそれで止まった。大八嶋の校舎は無傷である。

 だが。その周囲は今や、廃墟エリアと見紛うばかりだった。呆然と、静葉は呟いた。

「……何……これ……」

 草薙姫の眼前に、うず高く積まれた瓦礫の山。これは何なのか。

 神祇本庁庁舎、だとでも言うのか。あの城郭の如き白亜の巨大建造物の、成れの果て。

 庁舎ばかりではない。神祇本庁関連施設は、壊滅と言ってよかった。

 大八嶋女学院、以外の建造物は全て、黒煙を立ち上らせる瓦礫の塊と化している。映像を拡大すれば、神祇本庁職員の遺体も大量に発見出来るだろう。

 罪のない職員らは無論、8名の大斎とて、生きているわけがなかった。

 上空に静葉はセンサー・アイを向け、睨んだ。

 もはや叢雲姫とは呼び難いものと成り果てた異形が、光の翼を広げて浮揚している。

 華奢な少女のようだった細身は、今やマガツヒコを一回り上回る巨体と化していた。胸も尻周りも左右の太股も、機械でありながら肉感的に巨大化し、力に満ち溢れている。

「愚かなる者どもよ……」

 美鶴が言った。中身はもはや四条美鶴ではないが、喋っているのは美鶴の口である。

「このような出来損ないの器に、私を呼び入れるとは……まあ良い、出来損ないで充分よ。うぬらに罰を与えるには、な」

 豊かな乳房の形をした胸部装甲を天に晒すが如く、叢雲姫が両腕を広げる。

 しなやかな二の腕の先にあるのは、甲殻動物を思わせる巨大な前腕。そこから、草薙姫など一撃で引き裂いてしまえそうに鋭利な五指が生えている。

 天空を仰ぐ顔は、端整な埴輪のままだ。

 高天原を見つめていると思われるスリット状の両目は、ただ清浄な青い光を漏らすだけである。

「……やってくれやがったな、四条」

 冬樹の低い声が、震えた。

 マガツヒコの赤く輝くセンサー・アイは、瓦礫の山と化した神祇本庁庁舎をじっと睨んでいる。

 復讐の対象を、横取りされた。それは確かに許せない事であろう。

 そんな冬樹よりも、しかし今は間違いなく、静葉の方が怒り狂っている。

「美鶴先輩……あんた……」

 敬語など、とうの昔に保てなくなっていた。先輩、と付けてやるのが精一杯だった。

「あたしが、ぶち殺してやりたいの我慢して……ガマンして生かしといてあげようとしたのに……何で、あんたが殺しちゃうわけ……?」

 大斎たちは、死んではならなかったのだ。死が許されるほど、彼女らの罪は軽くない。

 愚か、としか言いようがなかった。

 現世に召喚された神が自分たちの思い通りになってくれるなどと、何故考えられるのか。

 女神だから女の権力を守ってくれるなどと何故、疑いもなく信じる事が出来るのか。

 大斎たちのその愚かさのせいで、罪のない神祇本庁職員が大勢、いやほぼ全員、死んでしまった。

 今の破壊がもし市街地にまで及んでいるとしたら、死者の数は果たして何百人、何千人になるのか。万に達するのではないか。

 その見知らぬ何千人よりも自分は、大八嶋の女子生徒たちを守った。自分に近しい者たちを、優先させてしまった。

 静葉は思う。何千人もの人間を守ってやれなかった、などと考えてしまうのは自惚れであろうか。おこがましい、というものだろうか。そうかも知れない。

 それでも。守れなかった、見殺しにしてしまった。それは事実なのだ。

 巫女でありながら。女だけではなく男も守ってやらなければならない身でありながら。タイプ・カンナギという強大な力を持ちながら。

 目の前でこれほどの破壊を行われ、数えるのも嫌になるほどの人間を殺された。

「ねえちょっと……何で、あんたがそんな事するわけ? 四条美鶴……」

 守れなかった。せめて、仇を討つ。静葉の中に今あるのは、それだけだ。

「ぶ……………………ッッッッ殺す!」

『駄目だ! それでは!』

 声がした。

 自分たちの正体を一向に明かそうとしない何者かが、図々しくも静葉を教え諭すような口調で語りかけてくる。

『そなたの怒り、決して邪なものではない。それはわかるが、だからと言ってその怒りに身を任せてしまっては、今の姉上のようになってしまう。それは、それだけはならん』

『何という……』

 もう1人の、名も知れぬ何者かが言う。

『何という、禍々しくも痛ましい……あのような力弱き巫女に、天津神を……それも、よりによって姉上を宿らせようなどと』

『だから、あのような出来損ないになってしまうのだ。まったく人間たちは……まあとにかく姉上! 我らの声を聞いては下さらぬか』

 力弱き巫女、というのは美鶴の事であろうか。

『……ふむ、聞いてくれようぞ月読つくよみそれに須佐之男すさのお。うぬら、この姉に何を申すのか』

 天津神に乗っ取られて自我を失い、己がしでかした事から逃避してしまう。確かに、力も心も脆弱な巫女と言えるか。

 そんな先輩を、しかし静葉は目標としていたのだが。

『まずは、その力弱き巫女を解放してやっては如何か』

『そうとも。このままではその巫女、姉上に潰されてしまうぞ。かわいそうではないか』

 月読・須佐之男と呼ばれたものたちが、そんな事を言っている。

 天照大御神あまてらすおおみかみ月読命つくよみのみこと須佐之男命すさのおのみこと……日本神話における3柱の貴神が今、ここに集っている。という事なのだろうか。

『……人間どもを哀れむ心など、私はとうの昔に失っている』

 天照大神が、美鶴の口で応えた。

 巨大化・異形化した叢雲姫が、言葉と共にゆっくりと降下して来る。

『月読に須佐之男よ、そなたらには見えぬか。この穢れたる有り様が』

 巨大な両足が、先程まで神祇本庁庁舎であった瓦礫の山を踏み付けて着地する。

 草薙姫を引き裂いてしまえそうな手が、周囲の街並をぐるりと指し示す。

『見よ。人間どもの手によって豊葦原は、今や黄泉国よりもおぞましき場所となってしまった。己が欲望のおもくむままに地を穢し、水を穢し、数多の生命あるものを殺めたる人間どもの罪を、うぬらはどう見るのか月読に須佐之男よ』

『お考え下さい姉上。かつて多くの国津神々くにつかみがみを殺戮した我ら天津神に、人間たちを悪し様に言う資格がありましょうか』

 どうやら月読命らしい方が言い、須佐之男命がそれに続いた。

『姉上。難しい話をする前に、まずはその哀れなる巫女を解放してやろうではないか』

『そうはゆかぬよ。我ら天津神がこの現世にて力を振るうには、非力なる者であっても巫女がおらねばならぬ。このような出来損ないであっても、神籬ひもろぎがなくてはならぬ』

 瓦礫の山を踏み付けていた巨大な足が1歩、ずしりと踏み出した。

 草薙姫とマガツヒコ、そして大八嶋女学院の方に向かってだ。

『地を穢し、水を穢しただけでは飽き足らず、このような笑止なるものを造りて我ら天津神の力を利用せんとする人間ども……滑稽である。が、笑って許してやる気に私はなれぬ』

「……許して、もらおうなんて! 思っちゃいねええええ!」

 冬樹の怒声と気合いに突き動かされるように、マガツヒコが駆け出した。

 ゆったりと歩み寄って来る叢雲姫の巨体に銃剣を向け、黒い機体が姿勢低く疾駆をする。

 赤く輝く徹甲ナイフが、下方から叢雲姫に突き込まれる。そして、止まった。

 銃剣の切っ先が、叢雲姫の下腹部に触れる寸前で止まったのだ。その瞬間、波紋のようなものが生じたのを静葉は見逃さなかった。

 退魔障壁……と同質のものが、今の叢雲姫の周囲には常時、張り巡らされているようである。

『黄泉の力に穢されたる神籬か……人間ども、つまらぬものを造りおる』

 天照が嘲笑う。だがそれは、

「黙れよ四条。俺ぁ今日ほど、てめえに対して頭に来た事ぁねえ」

 冬樹には、美鶴の声にしか聞こえないようだ。

「あっさり神様なんぞに乗っ取られやがって……てめえが、てめえじゃなくなっちまう。だから、哲弘は……」

 マガツヒコが跳躍した。叢雲姫の頭上を飛び越え、振り返りつつ翼を開き、空中で静止。いや止まってはいない。黒い機体が、空中で踏ん張るように腰を落とし、叢雲姫に向かって左拳を突き出す。

 その左拳が、

「だから! 哲弘はなあああああああッッ!」

 冬樹の怒りを宿し、発射された。

 拳を握った左前腕が、推進エネルギーを噴きつつ、叢雲姫の後頭部に撃ち込まれる。

 いや。直撃まであと1、2メートルという所で止まった。

 マガツヒコの左拳はギャリギャリと回転しながらも、その1、2メートルの距離を詰める事が出来ずにいる。

 くすぶるような回転に合わせ、空間の波紋が揺れ続けた。退魔障壁。

 切り離した左拳をそこに押し付け回転させつつ、マガツヒコは次の動きに入っている。右手だけで銃剣を高々と振り上げながら、空中で身を反らせているのだ。

 胴が真っ二つになりそうなほど反り返った黒い機体が、

「退魔、斬撃! 八握剣おらぁあああ!」

 一気に前屈し、右腕を振り下ろす。一閃した銃剣が、赤い光の弧を大きく空中に描く。

 描き出された光の弧が発射され、叢雲姫の退魔障壁に激突する。マガツヒコの左拳に圧迫されて波紋が浮かんでいる辺り、である。

 その波紋が、亀裂に変わった。

 冬樹の放った八握剣は綺麗に砕け散り、キラキラと飛散しつつ消えてゆく。

 消えゆく光の破片を蹴散らすように、マガツヒコは急降下を敢行していた。広い翼から推進エネルギーを迸らせつつ、片腕の黒い機体が空中から叢雲姫に向かって突っ込んで行く。

「退魔砲撃! 生玉ッ!」

 冬樹の気合いと共に、マガツヒコの左腕が勢い激しく繋がった。回転する前腕部に、二の腕が叩き込まれる。と同時に、凄まじい量のエネルギーが、マガツヒコの全身から左手に流れ込んで行くのが静葉にはわかった。

 そのエネルギーが、ドリルの如く回り続ける拳から奔り出して退魔障壁を圧す。

 叢雲姫の巨体が、ゆらりとマガツヒコの方を振り向いた。両目のスリットから漏れる青色の眼光が、カッ! と強まる。

『黄泉の人形風情が……』

 砕け散る寸前までひび割れていた退魔障壁。その亀裂が拭い去ったように消え失せた。

 修復、だけではない。退魔障壁そのものが一瞬、風船のように膨れ上がったのが静葉には見えた。

「ぐおおっ!」

 膨張した退魔障壁に打ち据えられ、マガツヒコの機体が空高く吹っ飛ばされて行く。

 飛ばされながらも翼を開き、空中で踏み止まる。

 マガツヒコに銃剣を構え直させながら、冬樹が罵った。

「俺ぁな、四条と話してんだよ。神話の時代から生きてやがる若作り婆様、あんたは引っ込んでてくんねえかなあ」

『死にたいか、人間……良かろう』

 叢雲姫が、ふわ……と光の翼を広げた。そして軽く羽ばたいた。

 先程のような破壊、は起こらない。単なる飛翔のための羽ばたきだった。

 グラマラスな巨体が、軽やかに空中に舞い上がる。何枚もの羽根が、ひらひらと散った。

 光の翼から抜け落ちた、光の羽根。それらを舞い散らせながら、叢雲姫がゆっくりと上昇して行く。

 そして空中に踏み止まっているマガツヒコと、高度を合わせる。

 異形の人型戦闘機が2機、空中に立って睨み合う格好となった。

 その睨み合いよりも静葉は、ひらひら舞い続ける光の羽根たちの方に気を取られていた。ゆったりと降りながら、それらが少しずつ輝きを強めてゆく。

 光の羽根が、ぼぉっ……と光の球体に変化しながらユラユラと、草薙姫を空中から囲みつつある。4つ、5つ。いや7つ9つ、10以上。

 数えるのを静葉が諦めた、その時には、それらはすでに光の羽根でも球体でもなくなっていた。

 巨大な、光の人型。

「こいつら……!」

 人型戦闘機の群れ。一瞬、静葉にはそう見えた。

 円明元年式ほどの大きさの人型が、白く輝く衣をまとっている。男性神職の斎服、に似た装いである。

 巨大な神主、とでも表現すべきそれらに、顔はない。首から上は、まるで真珠のようにつるりとした球体だ。

 そんな姿をしたものたちが、空一面に浮かんでいた。

 叢雲姫が大量にまき散らした光の羽根。それらが全て、白い斎服を着た人型戦闘機、のような何かに変化し、浮遊しているのである。15、6メートルもの巨体でありながら、海に漂うクラゲの如く重さを感じさせず宙に浮き、人間の街を見下ろす白い姿の群れ。

 どこか天使のようでもある。人間に裁きを下す、神の使い。

 天照大神が、美鶴の声で嘲笑う。

『出来損ないの器では、出来損ないしか造れぬか。人間どもを裁くには充分であろうがな』

 日本神話の一部を、静葉は思い出した。

 天照、月読、須佐之男。この3貴神はもともと伊邪那岐命が、禊の際、目や鼻を洗う事によって生まれた神々である。

 その天照や須佐之男も、剣や勾玉を砕いてその破片から幾人もの神を生む、といった事をしている。

 天津神々には、格下の神を生み出す力があるのだ。

 この斎服を着た人型戦闘機のようなものたちは、神なのか。

 伊邪那岐命が3柱の貴神を生み出したように、天照大御神がその身から分かち化生させた、名もなき低級の天津神々。

 機械か生命体なのかも判然としない彼らは皆、その手に奇妙なものを携えている。細長く鋭利な、槍にも小銃にも見える、恐らくは武器。あるいは兵器。

 それらが、ぼんやりと光を発している。輝きが、強まってゆく。

 先程と同じく、何を考える事もなく静葉は叫んでいた。

「退魔障壁、辺津鏡!」

 巨大な光のシャボン玉が、大八嶋の校舎を草薙姫もろとも包み込む。

 その表面に、大量の波紋が生じた。光の雨、としか表現出来ない光景だった。

 低級神の群れが銃の如く構えた武器。そこから迸り出た光が、凄まじい勢いで市街地に降り注いでいる。

 ビルが、砕け散った。自動車が、何台もまとめて舞い上がる。粉々になったアスファルトもろともにだ。

 当然、人間が1人も死んでいないはずはなかった。

「やめ…………ッッッ!」

 絶叫を、静葉は必死に呑み込んだ。1度でも叫んだら自分は間違いなく、怒りと憎悪で我を失う。

 今は自我を保ち、校舎を守る辺津鏡を維持しなければならない時だ。

 静葉の力では、大八嶋女学院を守るだけで精一杯なのだから。

「やめろ四条! やめやがれ!」

 静葉の代わりのように叫びながら冬樹が、マガツヒコの突撃銃をぶっ放した。赤く輝く銃弾が、筋となって奔る。

 光の雨を降らせていた低級神が何体か、次々と砕け散った。肉片か金属片かわからぬものが、空気に溶け込むが如く消えてゆく。

 別の何体かが、マガツヒコの方を向いた。

 それまで市街地に降り注いでいた破壊の光が、複数の方向からマガツヒコに向かって迸る。

 黒い機体が、高速で翻った。両の翼がマントの如くはためき、百足に似た尻尾が螺旋状に舞う。それと共に銃剣が一閃。

 低級神たちの放った光が、その斬撃に弾かれ、または尻尾に打ち返されて、ことごとく、あらぬ方向へと飛んで行く。

 そして、低級神たち自身を直撃する。

 槍のような銃のようなものを構えた彼らが、次々と爆発光に変わっていった。白い破片が、散りながら消えてゆく。

 それらの爆発を避けるように飛翔しつつ、他の低級神たちがマガツヒコに迫った。

 クラゲの如く浮遊していた斎服姿の群れが、いきなり鮫を思わせる高速で空中を泳ぎ、マガツヒコとの間の距離を詰めて行く。射撃は弾き返されると見て接近戦を挑もうと言うのか、あるいは至近距離から光の雨を浴びせるつもりか。

 どちらもさせず、冬樹もマガツヒコを飛翔させていた。

 低級神の1体が、ボォッと白く輝く鋭利な長物を、叩き付けるように振りかざす。振りかざしながら、砕け散った。

 白い破片を蹴散らしながら、百足のような尻尾が舞う。

 ほぼ同時に別の低級神が2体、それぞれ縦に、横に、真っ二つになった。合計4つの残骸が、機械か臓物か判然とせぬものを空中に垂れ流しながら消えてゆく。

 マガツヒコが縦横に回転させる銃剣の動きを、静葉は辛うじて視認出来た。

 槍または小銃に似たものを振り上げ、あるいは突き込もうとしていた低級神が、さらに2体。マガツヒコの左右でズタズタに叩き斬られ、飛び散って消えた。別の1体が、百足の如き尻尾に打ち据えられて粉々に消滅する。

『黄泉の人形風情が……天津神を相手に、ようも戦う』

 低級の神々をまき散らすだけだった天照大御神が、興味深げに言葉を発した。

『……良かろう、戯れてくれる』

 叢雲姫の背後に低級神が1体、浮かんでいる。何かを、両手で恭しく携えながらだ。

 1振りの、人型戦闘機サイズの巨大な刀剣だった。

 今は鞘を被っている。その鞘の部分を低級神が両手で捧げ持ち、柄が叢雲姫に向かって差し出されているのだ。

『生ける身でありながら黄泉の穢れに染まりし者よ……人間どもの中でも、うぬのような輩が私は特に許せぬ』

 差し出された柄を、叢雲姫の右手がゆっくりと握る。

『悪しき感情、悪しき欲望おもむくままに、悪しき力を振るう。そのようにして人間どもは豊葦原をここまで穢してきたのだ。天津神を統べる者として、この天照……うぬらを許しておく事は出来ぬ』

「四条てめえ、いい加減にしろよ」

 また1体の低級神を叩き斬りつつ冬樹が、全く会話になっていない事を言った。

「おめえが、こういう事やらかすんじゃねえかって……哲弘はな、ずうっと心配してたんだぞ。だからアイツは、ヒモ・システムなんてもんには反対してた……そりゃそうだ。神様の力なんて物騒なもの、おめえが使いこなせるわけねえもんなあ四条」

『その通りよ。我ら天津神の力を、うぬら人間が使おうなどと……操ろうなどと』

 天照の、あるいは美鶴の声が、低く重く震えを帯びる。

『己が欲望を満たすために……地に、水に、さらなる穢れをもたらすために……我らの力を……利用、しようなどと……!』

 低級神が恭しく掲げた長剣。それが、スラ……ッと引き抜かれてゆく。

 発光しているかの如く白い、両刃の刀身が露わになった。

 それに対抗するようにマガツヒコが、銃剣の切っ先を叢雲姫に向ける。

「俺ぁ許さねえぞ四条……」

 赤熱する徹甲ナイフが、冬樹の言葉と共に高々と振り上がった。そして。

「神様なんぞに乗っ取られて、自分をなくして、それで哲弘の事、忘れちまおうなんてのぁなあああああああああ!」

 銃剣が、思いきり振り下ろされる。上から下へとまっすぐ描き出された赤い光の弧が、そのまま発射された。

 退魔斬撃・八握剣。

 それが、叢雲姫の眼前で砕け散った。赤いエネルギーの破片がキラキラと飛散する、と同時に叢雲姫の目の前で、空間が波紋状に揺らぐ。

『かくも弱々しき黄泉の力で、よくぞ私に刃向かった……』

 天照の嘲笑と共に、叢雲姫が1歩、マガツヒコに向かって踏み込んだ。空中に、見えない足場でもあるかの如くだ。

『褒美よ。天津神の剣、受けるが良い』

 グラマラスな巨体が、翼をなびかせて軽やかに翻る。光の羽根が、ひらひらと舞い散る。

 両刃の長剣が、斜めに一閃した。

 切っ先がマガツヒコに届く距離ではない。刃から何か、退魔斬撃のようなものが放たれたわけでもない。少なくとも、目に見える形では。

 だが、冬樹は叫んでいた。

「退魔障壁、瀛津鏡……ッぐ!」

 光の楯が、マガツヒコの眼前に出現した。そして砕け散った。

 防御の形に構えられた銃剣が2つに折れ、と言うよりも切断され、落下してゆく。それを握る両腕、もろともにだ。

 二の腕の半ば辺りで、マガツヒコの両腕は断ち切られていた。

 そこへさらなる斬撃を加えようとはせず、叢雲姫が軽く片手を上げる。

 取り巻きのように浮揚していた低級神の群れが、一斉に武器を構えた。槍のような小銃のようなそれらが、光を迸らせる。

 破壊をもたらす無数の閃光が、空中でよろめくマガツヒコに超高速で集中して行く。

 両腕を失った黒い機体。そのあちこちから、装甲の破片が飛び散った。

 肩で、胸板で、腹部で、内部機器が露わになり、そこへも容赦なく破壊の光が幾筋も突き刺さる。

「冬樹君!」

 静葉は叫んだ。叫ぶ事しか、今は出来ない。

 低級神の群れが無差別に降らせ続ける光の雨が、大八嶋女学院を包む辺津鏡に容赦なくぶつかって来る。

 今は、この退魔障壁を維持し続けなければならないのだ。

 両腕、のみならず片足をも失ったマガツヒコが、炎と煙を引きずりながら墜落して行く。

「冬樹……くん……」

 通信機能越しに、静葉は呼びかけた。応えはなかった。

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