(2) さくらの迷い

 秋田の肌寒い風は太平洋沿岸には無関係だった。

 東京のお台場にあるテレビ局の近くの大きな駐車場では、アスファルトから照り返す陽炎をかき消すほどの人々で騒がしかった。夏休みに合わせたイベントとして、全国各地のローカルアイドルを集めたイベントがこのテレビ局で行われている。駐車場の入り口には看板が建てられ、


       東京ろこどるフェスinお台場


 とイベントの名称が掲げられていた。


 秋田の芸能事務所「白井プロ」のブースでは、いまや全国区で名前が知られるようになった三人の女の子からなるローカルアイドル「Figure!」の三人が東北ブースの秋田県代表として長く伸びた行列に対応していた。


 秋田の雪と事務所の「白井」からとられたホワイトのシャツとタイ、そして赤いミニスカートというコスチュームでファンの前に三人の女の子がサインや握手に応じていた。

 ブースの周りには461PROと書かれたのぼりが何本も並び、人の多さはさすがに1位というほどではないものの、はっきりわかるぐらい他のブースよりも行列が伸びている。なかなか切れないためか、最後尾に係員が付いて「本日の握手・サイン会は受付が終わりました」と書かれたプラカードを掲げて行列の伸張を阻止していた。


 イベントがひと段落して、ブース裏に設置されたプレハブの休憩所に入ると、流れるような汗を拭きながら、一番背が低くて年下に見える女の子が声を出した。


 「こんなにお客さんと握手したの、初めてです! 東京にもこんなにファンの方がいたんですねぇ」


 その女の子は胸に若葉にWAKABAと書かれたワンポイントを着けていた。向かい側に座る、ふきのとうにSATAKEと表記されたワンポイントを付けた女の子がハンドタオルで汗を拭きながら口を開いた。サイドテールの自然な金髪と脚線美はちんちくりんなわかばとは正反対の印象に見える。


 「そうね。秋田ではこんなにお客さんくることないしね。それにしても、やっぱりわかばの人気はすごいね。みんなわかばのサインほしがってたね」

 「そ、そんなこことないです! 佐竹ちゃんも、さつきちゃんも、グッズ完売したじゃないでしゅか! ふたりゅのぶんをあわしゅたら……か、かみました~」


 椅子に座ってペットボトルのスポーツドリンクを滝のように飲んでいた長い髪が美しい女の子があはは、と声をだして笑った。


 「今日も絶好調だねぇ、わかばのかみ芸ぇー」

 「げ、芸じゃないですよ~」

 「あははぁ、かんでるところぉ、かわいいょー?」


 笑い声にあわせて胸につけられたアザレアのワンポイントがSATUKIと書かれた文字とともに揺れていた。秋田県ブースでは、ちょうどその時、竿灯の演技が行われていた。窓の外にあるパーテーションの上から、鮮やかすぎるほどの青空に突き刺さっていた竿灯の先端がゆらゆらと揺れているのが見えた。


 わかばは、風に揺れる竿灯の提灯の列を見ながら、佐竹とさつきにつぶやいた。


 「今頃、秋田はどんな感じなんでしょう……」

 「きっとココみたいにお祭り騒ぎだよ。ね?」

 「うん、そうだねぇー。このイベント終わったら、わかばもぉ、佐竹ちゃんもぉ、一緒に見に行こうねぇー」 


 さつきがそう答えていると、空にもう一本、竿灯が持ち上がっていったのが見えた。空気の熱波が引くようには見えず、むしろ、もっと暑くなると空は警告するかのように大きな積乱雲を運びこんで夏の景色を完成させつつあった。




          **



 夜竿灯がはじまり、竿灯大通りや駅前の再開発地区が人でごった返しているころ。その喧騒からはだいぶ離れた泉地区の自宅に帰ったさくらは、母親に今日渡されたCDの試作品を見せていた。さすがにまだ子供の身分で許可を取らずにデビューできるはずはなく、収録に臨む前にもCDの事は話していて何度も「いつできるの?」と聞かれてた。そんな事情もあり、さくらはパッケージもされていない試作品をダイニングテーブルの椅子に座ってコーヒーを飲んでいた母親に差し出した。


 母親はCDのジャケットに自分の娘を見出すと、あらあら、ホントにCDになっちゃうのね! とさくらの微妙な顔とは対称的に笑顔を弾かせた。


 「販売されたら、そうね、おばあちゃんと、親戚のみんなと、職場のみんなと、あと誰がいたかしら~ みんなに配らないとね~」

 「そ、そんなこと、しなくていいから! ア、アイドルのCD、とかと、違うから!」


 さくらは、はしゃいでいる母親をあわてて止めに入った。




 いずみは混雑する大通りを避けて一本裏側にあたる中央通りを歩いて、秋田駅から川反近くの自宅へと帰っているところだった。


 旭川にかかる小さな三丁目橋を渡り、すずらん通りの看板の下を通り過ぎて小さな商店街に差し掛かる。竿灯祭りにやってきた観光客や祭りに浮かれる地元民などが入り混じり、普段の夜の何倍もの人通りがあってまるで大都市の歓楽街のように見えた。


 竿灯大通りから聞こえる祭囃子がいずみの耳に微かに流れてくる。

 いずみは自分が所属していた芸能事務所のあるお店の前を通り過ぎようとしていた。ガラガラと戸が開く音が聞こえ、事務所の下にある郷土料理のお店から2人の子供を連れた母親が出てきた。子供の一人がはしゃいでいるのか母親から手を離して先に行こうと小走りした。母親が片方の女の子の手を引きながら声をかけた。


 「だめよ! あおいちゃん! 迷子になっちゃうよ!」


 その声に、いずみは立ち止まって振り向いた。


 自分がどんな表情をしていたのかは、いずみ自身にはわからなかった。

 母親から少し先に進んで待っていた「あおいちゃん」に、母親と女の子は追いついて三人は手をつないで人混みの中に消えて行った。


 いずみは自分自身の行動に、ある意味で驚き、ある意味で呆れながら顔を苦笑させた。


 よくある名前だし、別になにもおかしなことじゃないのにね……


 いずみは振り返って本来の進行方向に体を向け、もう一度自宅への道を歩き始めた。 



          **

 

 

 前日とは打って変わって竿灯まつりの2日目は夏日となった。

 ギラギラと白い光が地上を加熱して、アスファルトから熱のこもった陽炎が街のあちこちでゆらゆら立ち昇っていた。


 午前中はそれでもまだ東北日本海沿岸らしく涼しい風が街にも吹き込んでいて、千秋公園前の再開発地区にあるイベント広場に集まった観光客たちは、汗ばんだ体にそよいでくる涼風に体をほんのりと冷やしていた。


 商業施設の入ったビルと交流館の間にある広場にちょっとしたステージが仮設されて、そこに東北各県のPR大使が集まって広報イベントが行われていた。

 各県の大使が並ぶ中に、フローラの3人が混ざっていた。

 3人一組の各県の大使が、通路に設けられた屋台通りを見て回る観光客の人混みやステージ前に集まっている観衆に自分の県のPRをしている。


 岩手県の広報大使に続いて、最後にフローラの3人が整列している各県の大使の前に出て秋田県のPRを始めた。


 進行役を務める放送局の女性アナウンサーが、3人の中央に立ついずみに話しかけた。


 「みなさんは、秋田県の広報大使ではないんですよね?」

 「はい、私たちはここ秋田市にあるテーマパーク『アーニメント・スタジオ』の広報大使なんです。来年、私たちのパークは地元秋田、そして東北の皆さんに支えられて30周年を迎えます。私たち以外にも広報大使・アンバサダーが活躍していますが、今日は私たち『フローラ』の3人が代表してごあいさつに伺いました」


 うふっ と完璧なモデルスマイルを披露し、会場の拍手がコンクリートの壁に反響した。スラスラとスピーチするいずみの後ろで美咲とさくらも微笑んでいたが、さくらはいつもより表情が硬いように同行していたSVは思った。


 そのさくらにアナウンサーがマイクを向けてきて、さくらはピクリと眉を動かし笑顔を引きつらせていた。


 「さくらさんにとって秋田の魅力はなんですか?」

 「え? ええ!? あの、そうですね……自然がいっぱいあって、おいしいものがたくさんあること、です……えへへ」


 ありきたりな回答をありきたりな表情でさくらは答えた。

 話が膨らまずに女子アナは笑顔を浮かべながら、それでも次の会話をどうしようかと一瞬悩んだようだった。

 空気を読んだいずみが、即座に女子アナとさくらに助け船を出した。


 「さくらはお花が好きなんですよね? よく自転車に乗ってお散歩するんでしょ?」

 「そうなんですか?」

 「あ、は、はい! あの、市内の川沿いに、桜並木がいくつかあって、あ、八橋の方には菜の花も咲いてて、それが、春の楽しみ、なんです」

 「あ、さくらさん、お名前がさくらだから桜がお好きなんですね」

 「えぇっと、あ、あはは、そうですね、同じ名前ですから……」


 最後の答えは嘘だった。もちろん嫌いではないが桜が特別好きというわけではない。正直に言えば青色が好きなのでリンドウなんかの方が好きなのだが、女子アナの話に合わせてそこは黙っていた。さくらの困惑を察したいずみが、あざといぐらいの笑顔を浮かべてフォローを続けた。


 「秋田では関東よりも桜が咲くのが遅れて、ゴールデンウィークぐらいに満開になるんです。東京にお住まいの方も連休ごろに秋田にお越しいただければ、満開の桜をもう一度お楽しみいただけますよ」

 「そうですね~。東北では少し遅めに咲きますからね」

 「もちろん、秋田だけではありませんよ。東北には桜の名所がたくさんあります。青森の弘前城、岩手の北上展勝地、そして、宮城の船岡城址公園、どこの桜もとてもきれいなんですよ、うふふ」


 話で触れられた3県の広報大使が自分たちの県のプラカードを揚げて反応した。青森の観光大使は元々もっていた弘前城公園の写真パネルを持ち上げて見せた。その反応は観客の拍手を呼んだ。

 いずみのアドリブが場の空気を暖め、イベントは滞りなく順調に進んで予定通りの時刻に終了した。


 イベントが終了し関係者用のテントに移動するタイミングで、いずみの発言のおかげで少しだが宣伝機会を得た3県の大使がフローラのメンバーに挨拶しに来た。他の観光大使は全員自分たちより年上で、3人とも丁寧に対応するよう心がけた。そのおかげか、各県の大使の間でフローラたちの評判はよかった。

 

 岩手県の大使たちを笑顔で手を振って送り出すと、さくらはほっとしたため息をついた。そして、いずみに視線を送った。


 「いずみちゃん、ごめんね。フォロー、させちゃって」

 「え? いいよ別に。まさかあの女子アナがアドリブ入れてくるとは私も思わなかったし。美咲はどうだった?」

 「んー、どうせなら私に聞けばよかったのに。ご飯とかお菓子の話ならいくらでも話せるのにぃ」

 

 そう3人と会話しながら、いずみはさくらの表情に迷いがあるように感じた。

 美咲がちょっとトイレ~といってテントから出てゆき、SVがスマホをもってテントの外に出てゆくとテント内を軽く見回し、いずみはパイプ椅子を動かしてさくらの隣に座った。


 「どうしたの? なんか、今日あんまり元気そうじゃないね」

 「そう、かな? そう見えた?」

 「うん。見えた」

 「えっとね……その、私たち、パークのアンバサダーだよ、ね?」

 「もちろん」

 「今日、ステージで、全然、パークの宣伝してなかった。秋田の宣伝しか、してない」


 さくらの言いたいことが今一つ掴めなかったいずみは、少し心配になった。


 「こういう仕事、嫌? 」

 「ふぇ!? い、いやとか、じゃないよ? ただ……気になって」


 さくらは、両手でミネラルウォーターのペットボトルをひざの上に持ちながら、視線をそこに固定していた。


 「秋田には、他にもローカルアイドルいるみたい、だし。広報レディーの人もいるって聞いて。その人たち、私たちがこのイベントに出たから、ここにいれないんじゃ、ないかなって」

 「まあ……そうね、それはあるかもしれないけど」

 「だからね、私、ひょっとして……」

 

 さくらは視線をあげて、いずみに向けた。ただ、うまい言葉が見つからないらしく、「え…と」と言ったきり、困ったように視線をそらした。


 そこに美咲が戻ってきた。さくらとは対称的に明るい顔をしていた。

 

 「ねえねえ、そろそろパークに戻ろうって。でねでね、その前にSVさんがね、屋台村でお昼おごってくれるって!」

 「そうなんだ。だって、さくら?」

 「うん。そうだね、もう、お昼だもんね」


 SVがテントの中に入ってきた。スマホを胸のポケットにしまいながら三人に声をかけた。

 

 「まあ、そういうことだから、3人とも私服に着替えてね」

 

 はーい、という3人の声がテント内に響いた。


 美咲が早速着替えだしたので、SVは「あら、私一応男だけど、サービスしてくれるのかしら?」と声をかけると、「ああ、そうだった、忘れてた」と美咲が答えて、スカートのジッパーをもとに戻した。そのやり取りを見ていたさくらと、いずみは視線を交わして苦笑していた。

 そして、いずみはさっきのさくらの話を思い出した。


 「さくら、さっきの話、なんだったの?」

 「……ごめんね、変なこと、いって。たいした話じゃないから、忘れて?」

 「そうなの? さくらがいいなら、それでいいけど」


 美咲が「ふたりとも着替えないのー?」と声をかけてきたので、さくらは美咲のそばにいって自分の私服の入ったバッグを開けながら、美咲と雑談を始めた。

 その様子を見ていたいずみは、さくらがいつもの調子で美咲と話しているのを見て表情を緩め、自分もバッグを取りに2人の方へと近寄って行った。

  

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