(4) ねこがいるにゃー!


 翌日の火曜日もロケは続いていた。この日の収録はアイドル役の声優がステージで使うブローチを制作する秋田市内の銀線細工工房を訪問することになっていた。

 藤森もみそのもこの日は秋田駅の駅ビルにあるクレープ屋前の円形ベンチに現地集合で、藤森はアンバサダーコスチュームを、みそのは私服を大きなバックに入れて持参していた。


 電車の時間の関係で予定よりも早く着いた制服姿の藤森は、ベンチに座ってスマホをいじっていた同じく制服姿のみそのに気が付いた。みそのは藤森の顔を見つけてにっこりとほほ笑んだ。


 「りさちゃんも早かったんだね。ちょうど退屈してたところだったんだ、わたし」

 「お、おはようございますっ あの! 今日もよろしくお願いしますっっ!!」


 藤森の顔はこれからの仕事の事を考えているのか、昨日よりはマシとはいえまだ固いものだった。藤森はまだみそのに多少遠慮があるのか、あるいは昨日のことを気にしているのか、なかなかベンチに座ろうとしなかった。


 みそのが手元のスマホをみると、まだ30分以上時間が残っている。

 目の前のクレープ屋は今注文している女子大生ぐらいのグループだけで、イートインのコーナーも2組の女子高生がおしゃべりしているだけでガラガラだった。

 それを視線を送ってみそのが確認していた時、藤森の後ろを歩いていた女子高生の2人が、少し声をひそめながら藤森の肩越しに「あの子、アーニメントの……」とささやき合っていた。藤森には気が付かなかったし声をかけてくることもなかったが、みそのは少し気になったのか立ち上がって藤森の手を引いた。


 「時間まだあるし、ちょっとお茶にしようか?」

 

 

 二人で同じイチゴチョコクレープを注文し、店の隣にあるイートインのコーナーのテーブルに座った。奥まった部屋のような場所になっていてすいているならば待ち合わせには都合がよい場所だった。藤森はまだちょっと緊張しているようだった。


 「あの、すみません。そのおごっていただいて」

 「えー、別にいいよ。言いだしたのは私なんだし」

 「あの、さっき……」

 

 にこっと笑って藤森の話を聞いていたみそのの後ろに、舞と同じ制服の女子高生が2人おずおずと何か話していた。そのうち、ロングヘアの女の子がためらいがちに「あの!」とみそのに声をかけた。みそのは藤森に見せたのと同じ笑顔をその子に向けて視線を合わせた。女の子は少し緊張していて頬が少しだけ赤くなっていた。


 「あの、フェアリーガーデンステージで、その、いつも見てます! そ、その! 私もダンスとかしてるんで、その……よかったらサインをっ!」

 「うん、いいよ。なににサインすればいいのかな?」

 

 そういわれた女の子は、実はなににサインしてもらうのか考えていなかったらしく、どーしよと友達に相談しつつ、カバンの中から色紙を取り出した。だが、その色紙には寄せ書きが書かれていて、どうやらその子向けにみんなが書いたもののようだった。

 友達は「失礼だよっ」と小声でささやいたが、みそのは笑顔を崩さずに


 「いいよ? まだ書けるところある?」

 「すみません! すみません!」

 「目指せ全国制覇か……すごいね東北大会突破したんだ」

 「え!? あ、は、はい!」


 寄せ書きの中の空いているスペースにサインをして、みそのは笑顔で色紙を返した。


 「がんばってね!」

 「あ、ありがとうございます!」


 よほどうれしかったのか、女の子は顔を赤く染めて大きな笑顔を浮かべた。

 女の子は色紙を大事そうに抱きしめながら何度もお礼を言ってイートインコーナーを出ていくのを、手を振って見送っていたみそのが座りなおして藤森の方に顔を向けた。


 「ごめんね、なんか騒がしくして」

 「いえ! 全然! 全然です!」


 藤森は両手でクレープを持ちながら、少し遠慮しつつみそのに質問を語りかけた。


 「あの、いつもこんな感じなんですか? さっきもひそひそ言われてましたし……」

 「秋田は狭いからね、でも、いつもはこんなに続かないよ。たまたま、偶然」

 「そうなんですか?」

 「うん。私より、妹の方がもっと声かけられてると思うな。まあ、私は女の子が多くて、妹は男の子が多い感じでちょっと違うんだけど」

 「妹さん?」

 「うん。妹はさ、なんていうのかな、ほら、ろこどる? ローカルアイドル? なんかそんな感じでね。まだ中学生なんだけど、そこそこ人気あるみたいで」

 「妹さんもアイドルで……なんか、すごいですね」

 「そうかな?」

 「私の弟なんか、同じ中学生ですけど、だらだらしてて、わがままで、ゲームばっかして……」

 「いいんじゃないかな? 中学生ってそーゆーのが普通でしょ?」


 藤森の話に少しさびしそうな表情を見せた。その表情は、多分、アウローラのメンバーはまだ誰も見たことのないようなものだった。


 「わかば…妹は東京でもちょっとテレビに出たりしてるし、こっちでも雑誌に載ったりイベント出たりしててね。こんな風に二人で一緒にお茶なんかしてると話しかけられることが多くて全然落ち着かなくてね。それでも一緒に出掛けようよって言われれるけどね」

 「それは、やっぱりお二人とも人気があるから……」

 「うん。悪いことじゃないんだけどね。どっちかっていえばありがたいことだし……」


 寂しい表情を消して、みそのはいつもの笑顔に表情を戻した。


 「でも、りさちゃんとこうやってお茶できてるし、この仕事受けてよかったな。りさちゃん、なんか妹と似てるところあるし楽しいよ」

 「私、似てるんですか?」

 「うん。大事なところで噛んだりするとことかね」

 「そ、それはなんかうれしくないです~」


 みそのとの小さなお茶会のおかげか、藤森の表情はだいぶ柔らかくなっていた。

 その藤森の顔を優しそうな表情で見ていたみそのは、藤森のスマホに猫のストラップがついているのに気が付いた。


 「りさちゃん、猫好きなの?」

 「はい! 猫のキャラは好きです! ネコミミとかかわいいです!」

 「そっか、妹も猫が好きでねー、ペットショップとか行くとずっとみててさ」


 その後20分ほどSVが迎えに来るまで2人のお茶会は続いた。






 駅前でSVたちと合流し、社有のワゴンに乗って大通りを大町に向かって走り始める。距離はそれほど離れておらず、10分程度で目的の工房近くにある駐車場に到着した。


 藤森はみそのとすっかり打ち解けていて、藤森の緊張はだいぶ和らいでいるようだった。藤森が車の中でアンバサダーコスチュームに着替えている間、みそのは先に着替え終わって外でスマホをいじっていた。藤森が着替えて車の外に出ると、みそのはスマホでその店の事を調べていたらしく、その結果を教えてくれた。

 

 「ほら、銀線細工で作った猫なんだって。こっちのティアラもネコミミだし"お店には猫がいっぱいです"なんだって」

 「ホントですか!? 猫キャラがいっぱいですか!? 楽しみです!」

 「今日は楽しんでいこうね」

 「はい! 藤森りさ、ガンバリマス!」


 そのやり取りを見ていたSVが藤森に声をかけようとした。


 「あのね、藤森、無理に頑張ら……」


 その時、ADが「すみません、そろそろおねがいしまぁ~す」と声をかけ、二人がはーいと返事して、SVの言葉はうやむやになってしまった。


 「まあ、いいわよね。タイミングを見て声をかければ」


 若干の不安を覚え、首筋に手を当てたながらSVはそうつぶやいて、2人の後を追いかけた。






 パークでは城野がメインで朝礼を終わらせ、広森はフローラのメンバーとボイストレーニングを受けることになっていた。みそのが収録前に藤森の髪を直していた頃にはちょうど休憩となっていて、広森はみそのから今日の予定についてのメールを受け取っていた。藤森がクレープを持っているところの写真が添付されていて、一瞬「ぐぬぬ」と口の中でつぶやいた広森は、藤森の表情が穏やかになっているのをみて安心もした。


 なになに? と興味深そうな美咲が話しかけてきて、広森はスマホを少し傾けてその写真を見せた。


 「ちょっと心配だったけど、大丈夫そうね」

 「広森さんは心配性だなぁ。りさちゃんも、もう高校生だし大丈夫だよ」

 

 さくらのストレッチを手伝ってあげながら、いずみが広森に顔だけ向けた。


 「そういえば、今日は大町で収録なんでしょ? 銀線細工の工房っていくつかあったよね、あのあたり」

 「そうね、"さたけ銀線細工工房"ってところだけど知ってる?」


 自分の下で微かに悲鳴を上げるさくらの背中を抑えながら、いずみは「あー」と声を上げて答えた。


 「大町のあの少し古い感じのお店だよね。コーヒーとか出してるお店の隣の。ほら、時々情報誌に出てる"猫のいる工房"だよ」

 「……猫?」


 広森が急に不安そうに首を傾げたので、いずみとさくらが不思議そうな顔をした。

 さくらは汗を浮かべた額を少しだけ動かして、視線を広森に向けた。



 「りさちゃん、猫、好き、でしたよね」


 それはみんなの共通の認識なのだが、実のところフェアリーリングのメンバーの認識とは少し異なる。広森が本格的に不安そうな顔をしながらそのことを口にした。


 「りさちゃん、猫が大の苦手だったはず……」

 「えー!?」


 3人の声がトレーニングルームに響き渡った。






 藤森達の向かう工房は見た目は古く見えるが実際には最近建てられたものだった。店の部分と別れていて、工房のショーウィンドウにはみそのがスマホで見せてくれた銀泉細工で作られた猫が飾られ、他にもいくつか猫グッズが展示されていた。


 藤森は目を輝かせながらショーウィンドウを眺め、みそのに笑顔を向けた。

 みそのも笑顔を返して、「かわいいね、これ」と声をかけた。藤森は嬉しそうにうなずいて見せた。そして、藤森とみそのは工房の玄関から中に入り、声をそろえて「こんにちわー!」と挨拶した。


 昨日ほどではないとはいえ、やはり若干緊張していた藤森だったが、工房の中には作業をしている怖そうな職人のおじさんと、ちょっとヤンキーっぽい若い職人さんが作業しているのを見つけ、声に反応して向けられたその視線に少し押されてすこしオドオドしてしまった。

 その中で一番偉いように見える、職人のおじさんが2人に鋭い視線を向けたまま取材クルーたちに声をかけた。


 「ああ、どうも。……奥へどうぞ」

 「あ、あの。今日はよろしくおねがいします!」

 「ん? ああ、よろしくどうぞ」


 藤森の言葉に愛想なく答えた職人のおじさんに、肌にピリピリする何かを感じながらついていく。ガラガラと曇りガラスの引き戸をおじさんがあけた。

 藤森は視線をなんとなく地面に向けて歩いていたが、奥の部屋に入り顔を上げた。

その部屋は職人さんたちの作業スペースの部屋で、木製のシックな作りの机と引き出しのたくさんついた収納が置いてあった。机の上には透明なビニールかなにかのマットが敷いてあった。そして……


 「あー、猫がいるんだね。だから猫グッズ作ってたんだ」

 

 猫好きな藤森に、みそのがそう教えてあげた。


 緊張がほぐれるかと思ったのだが、藤森は首からギギギ……と金属音でも鳴りそうな様子で引きつった笑顔を向けてきたので、あれっ? と思った。

 その2人に挨拶するように、キジトラやらタービーやら長毛やらの猫たちが、部屋のテーブルや棚、キャットタワーの上などから視線を送っていた。


 一匹の、まだ若いメスの子猫がみそのの脚にすりより、匂いを嗅いでいた。

 みそのがかがみ込んで「子猫だー 女の子かな? 美人さんだねー」と頭を撫でながら藤森に視線を送った。


 「ねえ、りさちゃん、この子まだ子猫だよー」

 「ソ、ソウデスネ、コネコカワイイデスネ」

 「りさちゃん、大丈夫? 緊張してきた? ほら、子猫いるし、癒されちゃいなよー」

 「フハハ……ソウ、デスネ。キ、キンチョウシテタラダメデスヨネ」


 藤森のいつもでは絶対ありえない笑い声に、みそのの頭の周囲にいくつもの疑問符が公転しはじめたが、昨日の今日だしまあ緊張も仕方ないよねと考え直した。




 収録がはじまり、カメラが回り始める。

 藤森がカタカタと微妙な音が聞こえてきそうな様子でレポートを開始した。


 「こ、こちらの工房では、ぎんしぇん細工を作っています。工房の職人さんがひとつひとつ手作りで作っています。銀の輝きのキラメキの光の反射がきれいで、きれいで美しくてびゅーてふるってカンジデスヨ……フヒ」


 右の口角が上がったいびつな笑顔をうかべ、昨日よりも明らかに状況が悪化してしている。ディレクターがストップをかけた。


 「ダメダメ! 藤森ちゃん、言葉が盛大に馬から落ちて落馬してるし、これじゃつかえないよ」

 「す、すみませ~んっ!!」

 

 SVが心配そうな表情で、藤森の肩に手を置いた。


 「藤森、いっかい深呼吸しよっか?」


 スーハ―、と呼吸する藤森の様子をみそのといっしょに見守って、多少落ち着いた時を見計らってSVがもう一度、すこし、いつもよりやさしめに声をかける。


 「大人の人相手だと緊張するかしら? 無理して完璧にしようとしなくていいからね?」


 みそのも心配しているようで、藤森の頭をなでながら言葉をかけた。 


 「そうそう、私もいるんだし、多少なにかやらかしたって映像的においしいから大丈夫だよ?」


 だが、逆に両手を力いっぱい握りながら藤森はみそのに答えた。


 「いえ! き、昨日の分もあるし、挽回するようガンバリマス!」

 「そう……頑張りすぎないようにね?」

 「はい! がんばって頑張りすぎないようにがんばります!」

 「……」


 ふん! と鼻息荒く決意を固めた藤森だった。

 みそのには藤森がどう見ても無理しているようにしか思えないので、なにか、和ませようとあたりを見渡した。畳を敷いて一団高くなっている作業スペースに座って様子を眺めていたさっきの子猫に「ちょっといい?」と声をかけ、ひょいっと抱きかかえる。


 猫が好きな藤森なら、少しは喜ぶだろう。そういうある意味ごく当然の判断をして、みそのはその猫を藤森のそばまで抱きかかえていった。


 「ほら、この子もずーっと見ててくれてたよ。りさちゃんがんばれーって」


 猫の前足をもって、軽く「おー」と振って見せた。猫もおとなしく身を任せて一言「にゃー」と鳴いて見せた。猫はあまり嫌がっておらず、腕の中でみそのの顔を見上げてから、藤森に視線を移した。その藤森の表情は大好きな猫の前で、なぜか先ほどよりも表情が硬くなっていた。


 「ハハハ、ネコチャンカワイイデスネ」

 「あ、あれ?」


 ずいぶん前に公転軌道から離脱したはずの疑問符が、またしてもみそのの周囲を列になって公転しはじめた。

 いっそ私が交代した方がいいのかな……と考えたみそのだったが、やはりそれは藤森のためによくないと考えて、そのことは藤森には言わなかった。




 収録が再開して、藤森はもう一度最初からレポートをやり直した。

 NGを出したことが伝わったのか、職人さんたちの視線もが藤森に集中して、ますます緊張感が増幅していた。


 「……というわけで、秋田では県指定の文化財の指定を受けているんです! では、工房の様子を覗いてみましょう!」

 「……よし! OK!」


 ディレクターのOKで深い深いため息をついた藤森だった。表情は硬かったが、このシーンはナレーションベースで映像を差し込んだりするのでその点は何とでもなりそうだった。ディレクターはそう判断して、次のシーンの収録に進もうと考えた。


 ぎこちなく入り口近くにある作業スペースに移動した藤森達の後を、みそのの腕から降ろされた子猫もしっぽを立ててついてきた。

 並んで立ちながら収録を始め、リポートをする二人の足元にその子猫が近づいてきた。奥の部屋から興味深そうに他の猫たちも覗き込んでいた。

 

 引きつった笑顔を浮かべて藤森が話し続けた。


 「ね、ねこちゃん達がたくさんいます。みんなカワイイデスネ。私も猫ちゃんが大好きなので、とってもウレシイデスイリグチノホウデモネコチャンノブローチガががががGA」


 藤森の顔がみるみる青ざめ、みそのが話しかけたことに反応が無くなって、口を横一文字にしたままになった。みそのがさすがに異変に気が付いた。


 「ど、どうしたの、りさちゃん?」

 「フ、フヘへ」

 「??????」


 その時、子猫は藤森に摺り寄せた頭を上げて、親愛を示す挨拶をするつもりで足をペロっと舐めた。工房のおばさんが猫に気が付いて「ダメよ。邪魔しちゃ……」と手を出して奥に引っ込めようとした時だった。




    のひょわぁぁぁぁぁ―――――――――――――!!!!!!





 藤森の口から最大出力の悲鳴が盛大に響いて、工房内の猫たち全員が立ち上がり、職人さんたちが何事かと覗き込んできた。


 ―― 工房の中の空気が瞬時に凍りついたことは言うまでもない。






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