(5) ここが私たちのお城
ユニバーシティ・ルームが新人キャストを魔法にかける場所であるなら、今の従業員食堂は魔法を解く場所の様だった。もちろん、わざとそうしているわけではないが、結果的にそうなっている。殺風景で飾り気もない空間は、いちおう清潔な分だけマシといえなくもないが、ユニバーシティ・ルームとの落差は誰の目にも明らかだった。
従業員食堂のレジ係のキャストも、別に無礼ではないが「コンビニの深夜の店員」といった感じの対応で、さくらや美咲は田所や佐藤との違いを目の当たりして少々面喰っていたようだった。
時間的にすぐに用意できるのは鶏から揚げのA定食、うどん・そば、あるいはカレー。どうやらカレーが好きなこまちは、よろこんでカレーを注文、さくらや久保田はうどんを注文。残りはみんなA定食を頼んでいた。
みんなで同じテーブルに座り、みんなでいただきますをいって食事を始める。
さくらは、うどんを一口すすると、なんだかどこかで食べた味だと思った。すぐに関西の有名食品メーカーのインスタント品の味だと気が付いた。このうどんスープなら家の台所の棚に常備してあるし、高校受験の際にラジオを聴きながら深夜に何度も食べた記憶がある。
悪くはないし、うどんはちゃんとしているから別にいいか、とは思ったが、もうちょっと工夫があればいいのに、とも思った。いずみは、一口から揚げをかじってから、なんだか表情がくもっていた。美咲が「なんか、油っぽいね」とささやくと小さくうなずいていた。
ただ一人例外がいた。
大好きなカレーを目の前にして、こまちはうれしそうにしていた。
そして、スプーンで一口……
その瞬間、目を輝かせた。
「絶品!」
なに、どうしたの? と隣に座るつばさが疑問に思った。こまちが「一口!」と勧めるので、カレーをお箸でちょっとすくって食べた。こまちの奥に座る田澤がそれを不思議そうな顔でみていた。つばさは「ふぁ!?」と変な声を上げて驚いた。
「なんでカレーだけやたら美味いんだ!?」
レストランの味だぜ、これ? と不思議がっていた。具材は学食でもよく見かける典型的なポークカレーなのだが、なんというか、匂いからして専門店のそれだった。周りをみるとカレーを食べているキャストが多いみたいだった。だが、田澤が気になったのは他の事だった。
「いや、確かにおいしそうなんだけどさ……さすがに毎日カレーというのは……」
こまちが「毎日!?」とうれしそうなのは、多分例外だろう。
普通に考えて、カレーだけおいしくてもほかの料理がまずいなら、それこそ「まずい」のではないか、と田澤は思った。いくらカレーが好きと言っても(こまちは例外として)普通は同じ料理ばかり毎日食べる気はしないだろう。
つばさが「カレーをこれだけつくれるのに、どうしてほかの料理はイマイチなのかな?」とひそひそ田澤と話していた。
別にがっかり、というほどではないが正直にいえば、多少期待外れな感はある。さくらはそう思うのだが、左に座るいずみは「まあ、社食なんてこんなもんでしょ。あるだけマシ」とあまり気にせず食事を続けていた。
「テーマパーク」の裏側なんてこんな感じなんだね、裏側もなんか楽しいのかもって思ってたのに
広森と並んでいた舞が、そんな感想を口にしていた。
困ったように笑っていた広森だが、特に反論はないようだった。
SVはそのみんなの様子を眺めていた。食事は士気にかかわることだし、気分転換にもなる。とはいえ、自分の管轄ではないのよねぇ……
まあ、現実は現実として受け止めてもらおう。
そう結論付けた。
アウローラのメンバーはここに遊びに来ているのではないのだから。
**
食事のあとに、エンターテイメント棟に並んでいるセキュリティ棟に向かい、IDカードの顔写真を撮影する。
一人ずつ専用のカメラの前に座って写真を撮るだけなのだが、その時に「はい、じゃあ笑って~!」と指示される。美咲やいずみ、広森などは問題なく終わるのだが、さくらは笑顔をがぎこちなく、舞は緊張で顔がこわばり、藤森に至ってはなにか悪いものでも食べたのか? というような顔なので何度かとり直しさせられていた。
セキュリティ棟は消防車や警備用のパトカーなどがあり、警察官みたいなコスチュームを着たキャストが何人かいるのでみんな少し緊張していた。だが、何事も例外があり、こまちとつばさだけは珍しがってテンションが高くなっていた。
写真撮影がおわるとまたユニバーシティルームに戻り、午前中の授業内容の確認テストが行われた。テストとはいっても午前中に教えられたことを確認するだけなので、さくらや広森は時間が余るぐらいだったが、美咲はテストの類が苦手なのか、時間いっぱいかけて回答していた。
とはいえ、間違えるようなものでもないので全員が全問正解だった。
「今日の私たちの役割はここまでです。この後はSVさんからいろいろ教わると思いますので、頑張ってくださいね」
クラスの最後にみんなの前であいさつする田所と佐藤は、とりあえず最後まで終えたというほっとした表情だった。
ぱちぱちという拍手が聞こえた。
さくらが笑顔を浮かべ、ちいさく手を叩いていた。それにつられるようにみんなが拍手を始めた。2人のトレーナーは自分たちに拍手が向けられていることに気が付いて、照れたような顔を互いに向い合せていた。田所はちょっと感動していたようだった。
かくして、復活後初めてのユニバーシティクラスは終了した。
**
パークの伝統の一つに、バックステージを集団で移動する際には1列か2列で並んで歩く、というものがある。久保田とSVを先頭に、学校の引率よろしく2列で並んで歩く。目的のエンターテイメント棟は目の前なのだが、あえて社内文化になじんでもらうためだ。田所と佐藤の姿が見えなくなってから、SVが秘密をばらした。
「今だから手の内明かすけど、あのお姉さんたち、今日が初舞台だったのよ」
すぐ後ろにいたさくらが驚いていた。
「えー! そう、だったんですか!」
「上手かどうかでいえば、まあ、あれだけど、でも、拍手したくなったでしょ?」
さくらはうんうんと全力で同意していた。
久保田が人差し指を上に向けて、
「『毎日が初ステージ』の実践ですね」
とウィンクまじりで指摘すると、なるほどーという声がみんなから上がった。
エンターテイメント棟に到着すると、車で移動するダンサーたちが並んでいた。これからグリーティングに向かうのかココとミミもちょうど出ていくところで、ダンサーと一緒にメンバーに手を振ったりなんかする。
舞が素直に感動していて、身振り手振りでミミと何か会話していた。
SVはみんなをエンターテイメント棟と向かい側の本社D館の玄関に案内する。玄関の上には渡り廊下があり、入り口のドアには「関係者以外立ち入り禁止」の看板が貼ってあった。玄関から入ってすぐのところに階段があり、そこをみんなで上ってゆく。オフィスのある2階まではエレベーターホールは開放的な作りで、2階から1階を見ることができた。
SVがいうには「エレベーターをつかってもいいけど、体力錬成のためにも基本階段をつかいましょう」とのこと。
1UP2DOWNという考え方で、その範囲では階段を積極的に使いましょう、ということらしい。
2階の階段正面のオフィスのドアを久保田が開け、どうぞどうぞと中へと促した。そのオフィスは、大きな窓とその近くの応接スペース、そして、4つの机と書類などを入れた金属製の棚が置かれた普通のオフィスという感じだった。
机のうち1つは誰も使っていないようで、部屋の向かって右側には大きなホワイトボードの予定表が設置されていた。
部屋に入ってすぐ右側に扉があり、もう一部屋ありそうだった。SVがホワイトボードに近くにたって、腰に手をあてながらみんなに説明する。
「ここがみなさんの職場になる"アウローラユニット・オフィス"になります」
そして、右側のドアを指差す。
「みんなが出勤して着替えるのはこのロッカールームね。全員分のロッカーがあるからきれいにつかってね」
SVがドアをあけ、みんな中に入る。壁に沿ってコの字にロッカーが配置され、中央にはシンプルなテーブルとイスが置いてある。久保田が部屋の中にはいり、みんなに声をかけた。
「ロッカーに名前が書いてありますから、自分のロッカーに荷物を入れてくださいね。鍵はついているものをそのまま使ってください」
全員が荷物を入れたところで、今度はみんなを連れて廊下に出る。SVが全員いることを確認したところでみんなの前に立つ。玄関の上にあった渡り廊下がその後ろに続いていた。
「この向かい側にある通路はさっき見たエンターテイメント棟の2階につながっていますが、この通路のこの線……」
床を指をさすと線が引いてある。
「この線から向こう側はエンターテイメント部とセキュリティ部のキャスト以外は立ち入り禁止です」
壁を見ると
"エンターテイメント関係者専用・これより関係者以外の立ち入りはご遠慮ください"
という看板がかかっていた。
「後日見に行きますが、あの先には"サウンドコントロール"、"コスチューミングルーム"、"メイクアップルーム"があります。レッスンルームなんかもね」
美咲がさくらのうしろから背伸びして覗き込んでいた。
「休憩する場所やシャワーなどはエンターテイメント棟にあります。以上、ここまでバックステージのウォークスルーでした。何か質問は?」
舞が手をこわごわ上げた。
「さっき見たダンサーさんたちはここに来ないんですか?」
「あのキャストたちは同じエンターテイメント部の"パフォーマンスユニット"に配属されています。彼らのオフィスやロッカールームは向こう側です」
渡り廊下の奥の方を手で示した。
「あと、言っておきますがココやミミの中の人などいない。これはよいこのお約束ですのでよろしく」
あ、はい……という雰囲気がみんなに広がった。
舞とさくらの二人だけはうんうんと頷いていた。
オフィスの方に誰かがいるのにSVが気が付いた。スーツ姿の人のよさそうな50代ぐらいの男性でSVは頭をさげて、「ここで、ご紹介いたしましょうか?」と尋ねた。片手をあげて、やわらかい表情のその男性は、みんなの前に立ってにっこりと笑った。
「みなさん、はじめまして。エンターテイメント部長の
みんなは「こんにちはー」とあいさつをする。
広森が遠慮しがちに質問した。
「あの、部長、ということは、ひょっとして……」
「はい、みなさんの所属するエンターテイメント部の責任者、ということになります」
久保田がコホン、と小さく咳払いした。
「みなさん、失礼のないように、ね?」
お行儀がいいのか、部長という身分に驚いたのか、みんなは「はい! よろしくおねがいします!」と声を揃えて返事した。部長がはい、よろしくね、と返事をすると、みんなに視線を向けた。
「これから皆さんは、ショーやグリーティングに出演するわけですが……」
少し間をおいてから、みんなに質問する。
「このパークのショーをちゃんと見たことありますか?」
舞と美咲、それにさくらが手を挙げた。だが、残りは誰も手をあげない。
部長は、おやおや、という顔を見せた。そして、SVに顔を向けた。
「では、こうしましょう。もうすぐキッズショーが始まりますから、それをみんなで見せてもらいましょう」
SVが「わかりました」と応じた。
そのやり取りをみていたみんなの表情が明るくなった。タダでショーが見れる、というお得感もあるが、いかにもテーマパークで働いているというイベントなのが純粋にうれしいのだろう。舞だけでなく、さくらや美咲も嬉しそうだった。
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