20 無力な自分

 部屋に戻りベッドに横になると、それがスイッチであったかのように俺はすぐさま眠りについた。本当はレイが出てくるまで待ちたかったが、疲労が限界を超えたようだった。

 眠っている間、俺は夢を見た。

 


 あれ、ここは?

 見覚えのある光景だった。右に川が流れ、左には商店街が続いている。その途中にある寂れた看板には『○○工務店』の文字が書かれている。そうだ、ここはいつも俺とレイが調べに行く図書館への道だ。

 いつも利用する図書館には新聞や雑誌がだいぶ古いものから置かれ、パソコンもあり、情報収集の拠点、いわば俺達のであった。

 後ろから声が聞こえ、振り向くと女子高生三人が店の前にある長椅子に座って笑ってお喋りしている。

 見覚えのある三人に意識を向けていたが、向こうからこっちに歩いてくる人物を見たらそちらに釘付けになった。

 。ズボンの後ろポケットに両手を突っ込み、眠そうに、そしてだるそうにこっちに近付いてくる。

 これは......過去?

 今見ている光景は俺が経験した過去のものだった。

 そうだ。この時俺は夜勤明けでレイに急き立てられて渋々図書館に向かっていたのだ。

もうすぐ女子高生達の前を通りすぎる。

 そういえば、俺はここで......。

 記憶を遡り思い出したときには、歩いてきた過去の俺は女子高生達の前まで来た瞬間、足を引っ掛けた。バランスを崩し、前のめりに倒れ始める。後ろポケットに手を突っ込んでいたので受け身が取れず、腹から盛大にこけていた。この子達どこかで見た制服だと思ったら、あのとき笑っていた子達だ。

 見ると女子高生達は明らかに笑っていた。失礼と判断して顔を後ろに向け、声を必死に殺しているが、身体がプルプル震えている。

 倒れた俺は恥ずかしくなったのか慌てて立ち上がり走り去ろうとする。

 バカ、止まれ! そのまま行ったら電柱に--。

 そう呼び掛けるがその場からすぐに去りたかった過去の俺は前をよく見ておらず、電柱に頭をぶつけていた。

 --ぶつかるんだよ。あ~もう、俺のバカ......。

 情けない姿に顔を覆ってしまう。

 ここまで見て理解した。今俺は過去の世界にいるようだ。ただ肉体が存在せず、意識だけ過去に飛ばされているような感じだ。

 声が届いていないことから、どうやら未来の人間は過去の人間に干渉できないようだ。

 まるで、幽霊みたいだ......。

 幽霊という言葉を使った瞬間、そこでハッとして過去の俺の横を目を凝らして見てみた。そこにはレイの姿があった。電柱に頭をぶつけて唸る俺を哀れに見る、いつもの様子の彼女がいた。

 元気な姿を見せているレイに安心したが、それは当然だった。これは過去のものだ。頭を抱えて苦しんだ今のレイではない。たとえ過去でも元気なレイを見て、俺はいくらか心が軽くなったのを感じた。彼女はついさっき消えたのだが、まるで何年ぶりかに会えたような気持ちになった。

 無事でいてくれよ、レイ......。

 過去のレイに投げ掛け、それが今のレイに届けばいいなと思った。

 


 過去の俺達は並んで図書館へ向かい、俺はその二人の後を追った。

 図書館に着いた過去の俺はいつもの場所の椅子に腰掛け、早速調べ始めた。特に変化もなく机に向かう俺の姿があるだけだった。何回かトイレに立ち上がるが、それ以外に動きはない。

 時間は流れ、帰りの時間になった。途中二、三回寝たような気がするけど、まさか五回も寝ていたか。

 過去の俺を眺めていたら船を漕いだり机に伏せて寝ることがあった。この時はかなり眠くて何回か寝たというか意識が飛んだ記憶はあったが、回数は一致していなかった。そりゃ、レイも怒って当然だわな。

 この日アパートに帰るとレイと言い合いになったのだ。もっとシャキッとして調べろ。眠かったんだからしょうがないだろ。眠気なんか気合いで吹き飛ばせ云々。 

 戻ったら謝ろう。そう思っていると過去の俺は立ち上がり、帰り支度を始めた。

 言い訳するなよ。どう見てもお前が悪いからな俺。帰ったらすぐに謝れよ俺、と過去の俺に説教するが声は届かず、今からアパートに戻りレイと言い合うという過去を変えることは出来ない。

 でもまさか、自分に説教する日がくるとは思わなかった。

 もし過去の自分に会えたら、という仮題が学校で一時期取り上げられたような覚えがあった。『誉める』『ぶん殴る』『忠告する』等と周りは言っていたような気がするが、全部不可能だなと今になって思う。

 姿が見えない、声が聞こえない、触れない。でもこの事を論文かなんかで発表したらなんかすごいことになるんじゃ......。

 論文はおろか、作文すらまともに書けたことがないのに何を言っているのだろうか。しかもこれは夢の中なのだか、俺がそれと気付くのはもう少し経ってからだった。

 過去の俺が出入り口に向かって歩きだした。

 過去の俺よ、止まれ! と両手を向けて念を送ってみた。すると本当に過去の俺が止まった。

 ......嘘。マジ?

 念が通じたと思っていたが、そうではなかった。隣のレイが付いてくるように手招きしている姿が見えた。

 何だ、レイに呼ばれただけか、と過去の俺はレイの後を追っていく。しかし、こんなことがあっただろうか?

 記憶を遡るがこんな行動をした覚えはなかった。

 レイに招かれ、過去の俺はある場所に連れていかれた。そこはミステリーコーナーだった。UFOや未確認生物、宇宙のミステリーと子供から大人まで読める本がズラッと並んでいる。

 レイはその棚のある一点を指差していた。過去の俺はそこに手を伸ばし、本を引き出す。それは黒いファイルだった。

 最近見たような気がすると記憶を探り、俺は思い出した。

 あれって、水澤のファイルじゃないか?

 過去の俺が手にしているのは、間違いなくさっき水澤の部屋で見たファイルだった。なぜあれがこの図書館に......。

 頭が混乱して思考が追い付かない。その間に過去の俺はファイルを開こうとしていた。

 駄目だ! そのファイルを開くな!

 そう叫ぶが聞こえるはずもなく、過去の俺はファイルを開いた。記事を読んだ過去の俺は目を見張り、レイは驚愕し頭を抱え苦しみだした。ついさっきの状況と同じことが引き起こされた。

 レイ、しっかりしろ! レイ!

 俺は届かない叫びをあげ、過去の俺もレイに声をかけている。そして次の瞬間異変が起こった。

 本棚から本が飛び始めた。それも二冊三冊どころの話ではない。何十冊という本が勢いよく棚から飛び出し、空中をものすごい速さで飛び交っている。ポルターガイスト現象が起きたのだ。だが、これまでの比じゃなかった。

 ただ飛ぶだけではなく、床や壁に叩きつけられ、次々と椅子やテーブルをなぎ倒していく。さらに飛び交う本は増え続け、ボロボロになった本が紙片を撒き散らし、紙吹雪も引き起こしていた。その光景はまるで自我を失った鳥達が、羽を撒き散らしながら暴れ回るようだった。そしてそれはレイの苦しみを如実に表していた。

 レイはいまだに頭を抑え、苦しみから逃げるように振り回している。過去の俺がレイに近付こうとするが本の飛行に阻まれ動き出せない。

 すると今度は椅子が持ち上がり、過去の俺目掛けて飛んでいった。避けようとはしたがうまくかわせず、椅子と共に後方へ吹き飛ばされた。

 過去の俺も心配だったが所詮は俺だ。それよりも今はレイだ。

 レイ、落ち着いてくれ! 頼む!

 本が飛び交うことで風が巻き起こり、肉体の無い俺でも踏ん張らないと吹き飛ばされそうだった。

 何か手はないかと考えたとき、レイが大きく身体を反らした。その途端風や本の飛行が弱まり、次第に止まった。レイは床に倒れ、それと同時に空中の本達が雪崩落ち始めた。

 レイの元に駆けつけたかったが、どういうわけか一定の距離から近付くことが出来ない。

 何とか近付こうともがくが、まるで磁石の同極同士による反発の力が働いているように距離が縮まることはなかった。

 するとレイの身体に変化が訪れた。彼女の身体が徐々に消え始めたのだ。だがいつもの消え方と違う。これは姿を消すのではなく存在が消えているのだと直感した。根拠はないが、なぜか確信のようなものを感じ取った。もう会えなくなると......。

 レイ、待てよ! レイ!

 何度も呼び掛けるが、レイは目を覚ますことはない。レイの身体はどんどん見えなくなっていく。

 ちょっと待てよ、嘘だろ?

 俺の願いも空しく、レイの身体は完全に消えた。

 レイ......。

 姿が消えた後も、俺はレイが横たわっていた場所を見続けていた。また出てくるのではないかと。しかし、いつまで見ていても彼女が現れることはなかった。

 俺は呆然と見つめ続け、頬が冷たく感じた。手で触れると濡れており、目から涙を溢して泣いているのだと気付いた。

 

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