ミステリーイベント

1 寝かせてほしい

 アルバイト先のコンビニからの帰り道。白い息を吐きながらいつもの道を俺は歩いている。現在時刻は朝六時半。日が登り始めたばかりなので辺りはまだ仄かに暗い。

「ふぁ~」

 大きな、そして長い欠伸が出た。今日で何回欠伸をしただろうか。回数は数えてないが間違いなく最高記録であり、今もまだ更新中。こんなに眠くなるほど疲れたのは久しぶりだった。

 それもそうだ、今日までなんと九連勤。シフトの交換や急遽休みの人の代わりが重なってしまったのだ。さすがにキツかった。ウチのコンビニの深夜勤務は作業が多く、レジ会計をしながらだと勤務時間ギリギリ、もしくは残業するときがある。だが今日は来客がかなり少なく、作業が早めに終わり、特にやることもなく暇な時間を過ごしていた。おかげで暇疲れ、そして九連勤最終日も加わり一気に疲労がのし掛かってきた。体が鉛のように重く、途中で買った牛丼弁当の袋が気のせいかいつもより重い気がする。

「早く帰って寝よう」

 もう一度欠伸をして、目に溜まる涙を拭いながら自分のアパートを目指した。


 

 K県H市にある二階建ての賃貸アパート。ワンルームで家賃三万強。築三十年と古く、外壁は所々破損や錆が目に映る。隣室との壁も薄くちょっと騒げば筒抜けなので隣人トラブルも少なくなく、水トラブルだって度々あった。すぐ目の前には田んぼがあり、夏になると蛙のやかましいコーラスが響き渡る。トラブル、鳴き声と最初はストレスに悩んでいたが、数年も住めば愛着が芽生え今では風情のあるアパートとさえ思うようになった。二階へと至る階段を登ると、足下からお帰りとキィキィ語りかけてくる。これも風情の一つと感じていた。

 階段を上りきり一番奥の部屋へ向かう。表札には『森繁悟史』と自分の名前が書かれた紙が色褪せ、ここに長く住んでいることを物語っている。ポストの郵便物を取り、鍵を開けて中へと入る。

 ワンルームの部屋に入ると真っ先に中央にあるソファーに前から倒れ込む。もうすでにクッション性が無くなっており、ただの布を被った長椅子と化している。一昨日溢したコーヒーの匂いがまだ残っており、もう二年も使っているからそろそろ買い替えるかな、と思った。

 横になったことで眠気が襲い始め、意識が遠退いていく。しかし眠りに落ちる直前、一瞬の寒気と共にある存在を感知した。

 またか......。

 せっかく眠れると思ったが、今日もどうやら行かせたいらしい。さすがに休みたい。

「今日は疲れてるから勘弁してくれ、レイ」

 そう言うと空中のある一点で変化が起こる。

 目線の先の壁には写真を張ったコルクボードが掛けられているのだが、その手前でもやみたいなものが現れ始める。最初は十センチ程の薄い蒸気だったが次第に煙ぐらいの濃度になり、さらに上下へと範囲を広げていく。それからも変化は続き、やがてその靄は頭、腕、胴体、脚を形成し、最後には人の形へと変わった。

 セミロングの髪にぱっちりした目。小顔でスラッとした体型にワンピースを着ている。外見から見れば美人と言っても差し支えない。

 彼女の名は風神レイ。その正体は幽霊だ。憑依霊として俺に取り憑き、一緒に生活(同棲?)をしている。

 憑依霊とは生きているものに取り憑くが、人だけでなく動物にも憑くことがあるらしい。目的を達成するためや人に害を与えるために取り憑き、彼女の場合は前者だった。その目的のため、事あるごとに俺を駆り出そうとする。顔を向けると彼女は腕を伸ばし玄関を指差す。

「さすがに体力が持たん。明日でいいだろ?」

 ブンブンと頭を降り再度玄関を指差す。

「バイトでヘロヘロなんだよ。頼むから今日は......」

 何度も腕を突き刺し、外へ出るよう急き立ててくる。もし台詞をつけるなら、『早く、タイムセールが終わっちゃう!』とでも言っているようだ。なぜレイがこうも外に行きたがるのか。ただ散歩したいからとかそんな単純な理由ではない。

 それは調査をするためだ。レイが幽霊となったのはもちろんすでに死んでいるからだが、事故死や病死ではなく誰かに殺された......らしい。らしい、というのは記憶が曖昧だからだ。眠っているような感覚から意識を取り戻したときに幽霊になっていると気付き、そこで自分は殺されたんだと認識した。しかしその時の記憶がほとんど抜け落ち、誰が自分を殺したか、そして自分の名前すら覚えていなかった。風神レイと名付けたのは俺で、唯一覚えているのは殺した相手が男であることと、銀色に光る何かを身に付けていたという二つのことだけ。そして、その二つを手掛かりに自分を殺した犯人を探し出すため、彼女は自ら調査をしている。

 だが問題が三つあった。

 一つは手がかりが極端に少ないこと。男で銀色の何かを身に付けているということしか情報がなく、犯人を見つけるなどはっきりいってかなり難しいと思う。おそらくアクセサリーか何かだと考えられるが、銀色のアクセサリーを身に付けた男などいくらでもいる。都心に行けばそんな男達が三十秒に一回は見れるんじゃないだろうか。それに毎日それを身に付けているわけでもない。

 もう一つはレイ自身が調査をできないこと。当然ながら幽霊である彼女は物に触れなければ、人に尋ねることもできない。霊感がある人なら見えるかもしれないが、そうそう都合よくいるわけでもなく彼女一人では手をつけられない。

 さらにレイは喋れない。人や動物が喋ったり鳴いたりするのは声帯があり、振動させることで声や音となって聞こえる。鳥類には声帯がないが、替わりに鳴管という器官がありそこから鳴き声をあげている。しかしそれは肉体がある、生きているからこそ機能しているのであって、肉体のないレイには声が出せない。よく分からないが、俺は幽霊とは魂だとか思念体だと認識しているので、声は出るはずがないと思っている。ホラー番組で幽霊の声を録音したビデオやテープが流れるが、あれはデマだ。なぜなら目の前に現物がおり、今日まで彼女の声を聞いたことがないからだ。では目が見えるのと耳が聞こえるのは何故かとも思うが、正直さっぱりわからない。

 最後の一つは俺とレイは一定以上の距離を離れられないこと。俺が行くとこすべてに彼女は付いてくる。さすがにトイレや風呂まで一緒ではないが、アパートにいれば彼女は部屋から一歩も出ることはできない。

 つまり、レイが調査をするためには必然的に俺も動かなければならない。どこに行くか、どうしたいのかは彼女が決められるが調べるのは俺なのだ。人に尋ねるのも資料を漁るのも彼女ではなく全部俺がやらなければならない。これまで何度も行い、俺自身もできるだけ彼女の力になろうとしているが今日に関しては白旗を揚げたい。

「たのむよ。俺にも限界ってもんがある。明日また調査に行くから」

 次第にレイは両腕を振り、地団駄まで踏み始めるが幽霊だから音は出ない。

 住民に優しい地団駄だな~、と思いながらその様子を見ていると、レイは突然動きを止め、棚の方へと向かう。

 何だ? と見ているとレイは棚に飾ってあるガラス瓶を見ていた。ある雑貨屋で見つけたもので、本来は花瓶として使うらしいが形や色が気に入り、花は入れず置物として棚に飾っている。するとその花瓶がゆっくりと動きだし、空中をふよふよ浮き始めた。

 地球には重力が存在する。どんな物も重力には逆らえず、下へと引っ張られるのが理だ。だが、花瓶はそれを無視してレイの前で落ちることなく浮いている。まるで花瓶自身がその理を打ち消しているように。

 レイが一瞬こちらを見て、手を叩く動作をした途端、打ち消していた力がなくなったかのように、花瓶が重力に従い落ちた。

「わあぁぁ!」

 ヘッドスライディングで飛び込み、ギリギリで受け止めた。あとホンの数センチずれていたら間違いなく割れていただろう。しかし、なぜ花瓶が突然浮き出したのか。

 それは、ポルターガイスト現象。

 人が触れずに物が浮いたり動いたりする現象。主に霊の仕業と言われている。つまり、霊であるレイがやったのだ。

 勘弁してくれよ。これ意外に高かったんだぞ......。

 割れなかったことにホッと胸を撫で下ろし、花瓶を元の位置に戻す。振り向くと彼女は手を腰に当て睨み付けていた。

「調査をやめるとは言ってないだろう。俺も嫌な訳じゃない。ただ今日は本当に疲れてるんだよ。疲れたままでやっても効率悪いだろう?」

 なんとか納得してもらうためレイに説明する。

「気持ちが分からないでもない。一日も早く犯人を見つけたいという気持ちも理解している。でも今の俺の状態じゃまともな調査なんてできないよ」

 その後も説得を繰り返し、レイは溜め息をつくような仕草をした。どうやら諦めてくれたらしい。とりあえずホッ、とした。

 ソファーに戻って座り、やっと一息つけると安心する。グゥ~、とお腹がなったので、買ってきた牛丼に手を伸ばす。今日のはおろしポン酢をトッピングした弁当だ。この大根おろしの絶妙な辛さが舌を刺激し、俺の好物の一つだ。割り箸を取りだし食べようとするとレイが何かを尋ねるように俺を見ていた。

「どうした、食べたいのか?」

 レイは首を振る。まあ当然だ。幽霊が食事をするはずがない。皮肉のように聞こえるが冗談で言っているので、レイも機嫌を損なわず顔を横に向けた。目線を追うとその先にコルクボードがあり、そこに画鋲で止めてある招待状を見ていると気付いた。

「ああ、イベントのことか」

 レイが頷き、一口牛丼を食べてから答えた。

「まあ、行ってみるしかないよな」

 それはあるミステリーイベントの招待状だった。ひょんなことからバイトの先輩から貰い、一週間後に開かれることになっている。

 その招待状を貰った経緯を俺は思い返してみた。

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