第07話 みしゃくらパンデミック
「手洗い、忘れひゃあぁ、ラメェェェ、ザマシュゥゥウウ!」
平日の午後四時、あたしは教室にいました。
長かった授業は終わり、教室では帰りのホームルームが開かれています。
今日は週に一度の七時間授業の日で、下校時間が少し遅め。
ゆとり教育の呪縛から解き放たれた最近の高校生は、通常の六時間授業に追加で45分という狂った時間割を押し付けられて困ってしまうのです。おまけに隔週で土曜授業もあるわけですが、午前中で終わる土曜授業は生徒の評判がわりと高いのは広く知られています。
ほら、放課後に友達と遊びに行けますしおすし。
ですが、長い授業時間は悩みものです。
勉学で時間を取られすぎると、学生らしい青春ライフを楽しむ時間が足りません。
なので、腐ってキュートなJKガールは宣言します。
今をエンジョイする女子高生を代表して、学校に『青春権』を要求することを。
青春権とは、思春期の少年少女が青春を味わう権利のことです。
学校は十分な青春時間を設けて、生徒の健全な青春ライフに配慮すべきなのです。
十分な余暇を与えられた学生は、誰に命じられることもなく、仲間と部活に打ち込んだり、将来のため勉学に勤しんだり、友達同士で楽しい日々を過ごしたり、モテるためにギターを始めたり、ソシャゲにハマって人生がクラッシュしたり、少女漫画みたいな大恋愛をしたり、優しい彼氏と恋仲になったり、不覚にも妊娠したり、相手に妊娠を告げたら優しいと思い込んでいた彼氏のクソな本性が判明したり、死ぬまで後悔する黒歴史を量産します。
そう、学生には勉強以外に大事なものがあるのです。
仲の良い友達と遊んだり、趣味のBL小説の執筆に励んだり、バイト先で撮影したおバカな画像をTwitterに上げて2ちゃんねらーのおもちゃにされたり、ようするに通常の授業が長ったらしいので、少し減らせということなのです。
もちろん学生は勉強すべきです。
特に基礎勉強は大事。どんな複雑な物理法則も基礎的な足し算を知らないと始まらないのが学問であることは承知しています。
ですが、明らかにいらねぇ分野もあると思うわけなのですよ。
きっとあたしの今後の人生において高確率で役に立つことはないであろう、いとおかしい古文を暗号解読させられたり、
たぶん、文部科学省のお偉い人たちもこれら授業が役に立たないことは百も承知なのでしょうけど、それを表立って認めると叩かれるから言い出せないのでしょう。年金は破綻してないと言う社会保険庁や、戦争は負けてないと竹槍を国民に配りやがった戦前の日本政府と同じで、長引かせれば長引かせるだけ傷口が広がる現実から目を背けて、ファンタジーな勝利を言い張らないといけない立場なんだと思います。音楽の授業中にやる気のない男子生徒に『大地讃頌』を合唱させるより、将来必要になる税金の収め方や労働基準法の知識を教えてやる方が人生のためになるのは明らかですもん。ちなみに労働基準法がぼろくそに守られていない職業の代表例が教師だそうです。社会科の時間に『過労死』を扱った時、社会科教師の平山先生が「俺もいつまで持つかな……」と愚痴っていたのを思い出します。転勤で通勤時間が片道90分に伸びた平山先生はモンスターペアレントに自宅を把握されて、休日にチャイムを鳴らされて四時間説教を食らったという噂がありました。ちなみに自宅凸をかました保護者(生活保護家庭)のお説教内容は「登校拒否しがちな生徒を毎朝自宅まで迎えに行くのは教師の義務。最近の若いものはなっていない」でした。氏ねばいいのに。
お話がズレましたが、やはりいらねぇ授業は切り捨てるべきかと。
人間というのは知的探究心が強い生物なので、知識が必要になったり、興味が湧いたら、勝手に自分で調べるので問題なしです。
あたしを始めとした腐女子が新選組や日本刀にやたらと詳しいのは、四乃森蒼紫とブラウザゲームのせいであって、決して学校の授業で歴史に興味を持ったわけではないのです。
というか、多忙を極める教師を助けてあげて欲しいのです。
先月の残業が120時間を突破した、物理の中林先生。
お仕事が忙しすぎて、七歳年下の奥さんと別れ話が出てるのです。
「皆しゃまぁぁ、ご存知ザマシュゥゥウウ?」
諸行無常のいとおかし。
世のあはれさを嘆くあたしの前で、ベテラン国語教師のザマスが叫んでいます。
それに耳を傾ける生徒たちは、一様に不機嫌そうです。
顔はクールで、ハートは殺伐。
無言の祈りは、さっさと終われ。
帰りのホームルームの教室には、ある種独特なオーラが満ちています。
――さっさと帰らせろ。
そう願ってやまない生徒の無言の圧力が、ピリピリとした緊張感を作ります。
ツインテールの毛先を無意味に撫でながら、あたしは思うのです。
帰りのホームルームって、べつに毎日やる必要はねぇだろ、と。
プリントを配ったり、大事な連絡事項があったり、男子が掃除をサボりますと訴えたり、女子が廊下を歩く時に横一列になるのが邪魔ですと訴えるなど、些細な雑用を済ませたり、クラスの男女仲を険悪にするのには、こういった柔軟性のある時間があってもいいと思いますけど、特に用がないなら省略して構わないと思います。
最悪なのは、融通の効かない担任です。
内容の薄い数分間スピーチを、義務のごとく毎日しやがるタイプです。
「みしゃくら風邪にぃわぁぁ、よぼょぉが、だいじにゃにょぉザマシゅぅぅ」
はい。
あたしの担任ザマスは、ズバリそのタイプでありまして……ちっ。
イライラ舌打ち、ユサユサ貧乏。
床をトントン、リズムを刻んで、カバンの金具を、カチャカチャ開け閉め。
あたしの態度から見て取れるように、教室中がイラつくのです。
これは全国共通だと思いますけど、学校生活における担任の諸注意の八割はわざわざ言われなくても、分かってやっていることだと思うのです。
やれ事故に気をつけろだの、やれ高校生としての自覚を持てだの、やれ夏休みにハメを外すなだの、ハメる時はゴムを使えだの、小学校と中学校を通して最低七回は聞いた覚えのある諸注意の数々は、さっさと帰りたい生徒からすればある種の精神鍛錬なわけでして……イラッ。
あたしは、汚れてもいないカバンの埃を払いつつ。
心の中で「氏ねよババア」と、物騒なことを呟いてしまうのです。
ザマスの演説は、およそ三分で終わります。
年間の登校日数を二百日と仮定すれば六百分の時間を演説拝聴に費やすことになり……とか無駄な計算してたら、どうやら終わるようです。
点呼役の日直が身構えました。
担任のザマスは、お決まりのセリフで締めます。
「これにて、ホォムルームを終了しゅるにょぉザマシゅぅぅぅ」
――起立、礼。
「ね"ょぇ、遊びにいごお"お"お"んんっっ」
「い"ぐぅぅ! あたゃひぃもょ、一緒にイ"グにょぉおぉ」
「部活めんどくしゃぇぇぁ!」
「さぼりゅぉぉぉうぜょぇぇ! いっしょにしゃぼりゅにょぉぉぜぇ!」
「…………」
スタート放課後、ステキな時間だ。
起立→ 礼の合図でレッツゴー!
ダダッと、気持ちのボリューム回して、
アクセル全開=テンションMAX。
スタート☆放課後、ハッピー★タイム。
帰宅だ、部活だ、遊びに行くんだ。
盛り上がり過ぎに――
ザマスのため息――
ネクタイ緩めて(ルーズに行こうゼ!)、
スカート引き上げ(イケイケ、Go! Go!!)、
Let's Go Enjoy After School.
だけど、あたしはノーノーNO。
テンションダウンで沈鬱モード、呼ぶな誘うな仲間にするな。
孤独にシングルひとりでグッバイ、どこにも寄らずにまっすぐ帰宅。
それが、今日の予定なのです。
「ねょぇぇぇ! ミクちゃんはゃぁぁ?」
「………」
ユキティーの呼びかけに、あたしはスッと右手を上げます。
手のひらを相手に向けて、口を開かず無言で伝える「だが断る」の合図。
お気づきの方も多いでしょうが、皆さん言葉づかいが狂ってます。
まるで媚薬でアヘアヘ状態なエルフの女騎士みたいに……とか喩え話がマニアックですけど、たぶん現役の高校生に「あなたはエルフの女騎士とオークで何をイメージしますか?」とアンケートを取れば、男女を問わずにけっこうな確率でネタは通じるんじゃないかと思う次第です。エロゲーやエロ漫画初の文化が日本の若年層に浸透しすぎて、ジャパンの未来が楽し……ゲフゲフ、心配なのです。
そんな感じで、いま学校では「みさくら風邪」が大流行しています。
この感染症は人間の言語野に影響を及ぼし、発症者は会話の母音を長く伸ばすなど、みさくら風邪特有の独特な口調で喋ってしまうのれしゅぅぅぅぅ ←みたいになる病気で、なんというかお間抜けです。
まぁ死ぬことはないですし、一日ぐらいで治るので大した病気ではないのですが。
「ざんねょぇぇん!」
「…………」
あたしは黙って、首をコクコク。
すかさず口元に装備したアイテム、赤いマジックで×を描いたマスクを見せます。
ようするに「今日はゼッタイ喋らない」と、無言で意思表示です。
みさくら風邪に感染した人が話す言葉は、非公式に「みさくら語」と呼ばれます。
清純ピュアなJK乙女のあたしは、思うのですよ。
んなアホアホで、バカバカで、アレアレな、トチ狂った言語で喋ったら、イタイケな女の子として終わりだと。
セリフの語尾に「にょぉぉぉぉ」とか付けて話したら、あたしが中学時代にカワイイと思って「あひる口」を作っていたのに匹敵する、黒歴史ノートに新たなページを刻んでしまうのです……あひる口って無理して作ると唇が痙攣してプルプルするんですよね……はい、中学時代の一時期アダ名が「ひょっとこバイブレーター」でした。卒業文集にも「アダ名:ひょっとこバイブレーター」と書かれました。吉川君のネーミングセンスは異常です。あまりにムカついたので、脳内BL妄想でハードプレイの犠牲者になってもらいました。
誘い受けから、一転攻勢。
アレを使ってあんかけチャーハン、アレを縛ってホイホイチャーハン。
パンパン♂、アーッ♂アーッ♂、新日暮里ッ!!
……
…………報復BLって楽しいのです。
……
そんなエピソードからも垣間見れるとおり、どうもあたしはおしゃれやイメチェンと相性が悪いようで……ツインテールで初音ミクになろうとしたら「イマイチ萌えない春日ミクク」になり、上目づかいで女子力アピールしたら「白目ムク」になったりと、おしゃれなキュートにチャレンジして無邪気なプリティーガールを演出すると、世にも奇妙な物語シリーズの主人公に匹敵する超高確率な悲惨オチを迎える定めの下に生まれたようなのです。
それゆえ、あたしはみさくら語なんて喋りませんし、さっさと帰宅します。
とくに、部活動なんてもってのほか――
「がすがざぁぁぁょん……」
なのですが、絡まれたくない人に擦り寄られました。
「あ"どですにょぇ……わ"だしぃ……ひっぐ」
涙を流してえづくのは、美少女だけど根暗な性格、顔はいいけど闇が深くて、巨乳で卑屈でぼっちでコミュ障、猫飼いたくても実家の賃借がペット禁止でしかもアレルギー持ちな処女で友達ゼロの喪女だけど妄想彼氏は常に五十人以上キープしている逆ハーレム願望と性欲が強い地味な女の子に加えて過去に触れたらトラウマ発動でお馴染み、嫌な思い出ばかりな修学旅行と運動会の話題は禁句な人生のソロプレイヤーこと、ゆとり部を代表するシングル・ライフ・ランナー、略してSLRのサワキーでした。
孤独のグルメの人生版をひとりで満喫するSLRは、部室のパソコンでニコ動を鑑賞しながら「アニメ声の女がホラーゲームを実況する動画って嫌いなんですよねぇ」とか「プレミアム会員はねぇ、運営に邪魔されず自由で、なんというか救われてなきゃ」とか「キタ━(゚∀゚)━! お気に入りゆっくり実況動画の続きっ!」とか言い出す、ネットと現実世界の境界線が曖昧なニコヲタにして、オフ会に参加したら微妙にイケメンじゃない歌い手や踊り手の糞チャラ男に「ホテルに行くだけで何もしないからw」とか言いくるめられてお持ち帰りされること確実な、見た目は美少女→性格壊滅、清楚な見た目→中身はVipper、尽くすタイプ→依存するタイプという、わりと絡みたくないことキボンヌなメンヘラー系の女の子だお。
あたしは、赤いマジックで×を描いたマスクを指さします。
――あたしは喋らない
無言の意思表示でサワキーをスルーして、みさくら語の飛び交う教室を出ます。
ですが、学校の廊下で。
「――ッ!?」 ← あたしを見つけてビクッと震えたオリミー
「――っ!!」 ← 体をこわばらせるあたし
お顔をマスクで隠した、ハーフ美少女に出会いました。
あたしと遭遇して後ずさるのは、銀髪碧眼を持つチビガキです。
見た目が幼女な痴女キャラで、容姿端麗、まさに美幼女、ロリロリ&エロ担当、ブラのパッドは脅威の7枚、パンツは常に女児用、牛乳飲んだ、背筋鍛えた、最近は豆乳も飲み始めた、だけど背は伸びない、胸も膨らまない、胸囲の格差社会の敗北者、同情するなら乳をくれでお馴染み、実は武闘派の手乗り退魔師、オリミーと遭遇しました。
あたしは思うのです。
――このロリ、みさくら語で喋らせたい。
サワキーも思うのです。
――このロリ、みさくら語で喋らせたい。
あたしとサワキーは、アイコンタクトで意思疎通をはかって、
「っッ!?」 ←バタバタと抵抗するオリミー
「………」 ←ロリの首根っこを押さえるあたし
「………」 ←ロリの腕をつかむサワキー
両脇から、がっしり。
小さなオリミーを捕縛して、体格差を武器に喋らせるのです。
「おっおふたりゅとみょぉ、なっなににょ、なゃしゃるつもりですにょ!?」
「プッ…クスクス」
「ぷひっっ…くぷっ」
パチ臭いお嬢さま言葉で、みさくら語をしゃべると……
ぷっくく、間抜けなのです。
あたしとサワキーが、小さな笑いを懸命に堪えていると、
「みぃんにゃ~ぁん☆ げょんきゅぃ~♪」
うわっ!
みさくら語×モドキん語っ!!
キモいのですっ!
あまりのクレイジーさに、あたしはマジでドン引き!
こちらに向かって走り寄ってきたのは、スマイル一番、猟奇な二番、惨事のあやつはグロ担当でお馴染み、二宮金次郎をバラして校内各所に埋葬し、人体模型のパーツを本物と入れ替え、バレンタインデーに送るハート型のチョコは生の心臓をチョコでコーティングしたリアル志向な天然系の乙女キャラにして、あなたに
あたしたちは、モドキん語とみさくら語が夢のコラボした悲劇に耐え切れず、廊下につっぷして笑いをこらえます。
そんな異常な光景に、歩み寄る人影が、
「クククッ、ゆとり部のメンバーよ。廊下で何をしべひゃふ! なぜ殴りかかる!」
空気を読むのです! この役立たずさん!
どーせ「バカは風邪を引かない」というオチでしょう。
なるほど。確かにそのオチに正当性があるのも認めます。
納得のできる落とし所であるのも分かります。
だ・け・ど、!!
あえて、あたしは言いたいのですっ!
変態キャラのゆとり先輩が、マトモでどーすんですか、と!
お約束を政治家の公約のごとく破るゆとり先輩に、めらめらとドス黒い殺意の波動が芽生えたあたしは、
――ドゴっ。
バールのようなモノで、ゆとり先輩を瞬殺しました。
余談ですが、バールのようなモノを持ち運ぶ専用のバックを買いました。
てへっ、便利なのです。
「あらぁん☆ ゆとりくん死んじゃったみたいにょ♪ なょらぁ~☆ えへへょ♪ ゆとりくゅんの死体をょぁぁ☆ わたしがお持ち帰りしちゃっにょぉー♪」
ただでさえラリってるモドキん語にみさくら語が混ざると、もはやカオスを通り越して狂気を感じるほど。
あたしは、モドキんさんに「許可します」とアイコンタクトすると、
――カツン、カツン
何者かが、静かに廊下を歩む音。
振り返れば、穢れなき美を振りまく大和撫子の御姿がありました。
決して屈しないと思わせる、清純なる黒髪の乙女は……って、
それだけは、ダメなのですっ!
みさくら語でしゃべるカスミン先輩なんて……絶対嫌なのですっ!
他の部員は最初から壊れているので、いくらキャラが崩壊しても構いません!
でも、カスミン先輩だけは綺麗なキャラのままでいて欲しいのですっ!
カスミン先輩を止めないと……
だけどあたしは……
喋れなくて……決めました!
あたしは、赤いマジックで×が書かれたマスクを。
――バッ!
勢い任せで剥ぎ取って、ひとつ深呼吸。
覚悟を決めて、呪われし言葉を紡ぐのですっ!
「しゃべっちゃだめにゃにょれすぅぅぅ! カスミェン先輩ょ!」
「どうして?」
「にょぇ? カスミェン先輩ェ……みしゃくりゃ風邪にょ?」
「うがいと手洗いしてるから」
「良かったにょれしゅぅぅぅ……、カシュミン先輩ェが穢れにょくてぇぇ……」
「春日さん、どうしたの?」
いつもの無表情はそのまま、首を傾げるカスミン先輩。
みさくら語で喋ってしまい、薄っぺらいプライドが壊れたあたし。
「よかったにょれす……」
涙をダラダラ流しますけど、もうどーにでもなるのです。
羞恥心が消えたあたしは。
このあと、部員のみんなと楽しい放課後を過ごしましたとさ。
めでたし、めでたし、なにょぉぉぉ。
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