姫路涼シリーズ

姫川真

姫路涼の雨傘



 雨は嫌いだ。服が濡れるからレインコートを着たり傘を差したりしなくてはいけないし、暗い空は人の気持ちを暗くさせる。そして何より、外で思い切り身体を動かすことが出来なくなってしまう。


 雨の中で身体を動かせばいいだろう。と言われてしまえばそれまでかもしれないけれど、あえて抵抗するなら雨に濡れて風邪をひいたらどうする。


 雨が大切だと思う人がいることくらい僕も重々承知しているけれど、それでも僕は声を大にして叫び続けるつもりだ。


「雨なんかこの世から無くなってしまえ」


 と。




「そうですか、それは困りましたね」


 ちょっと大きな都市の真ん中にあるファストフード店の窓側のカウンターで僕が窓に滴る雨粒を眺めて憂鬱な気分になっていると二つの空席を挟んで左隣に居る女性がそう呟いた。


「雨が無くなったら困ってしまいます」


「あの」


「申し訳ありません、先ほどの『雨なんかこの世から無くなってしまえ~』って呟きが聞こえてきたものですから」


 そんなにふんわりとした言い方をした覚えはないのだが。それ以前に口に出した覚えもない。


「あの、声に出ていました?」


「えぇ、それはもうばっちりと。聞こえたのは私だけですが」


 辺りを見渡すとざわざわとしたざわめきは耳に入って来るものの、隣の女性以外僕に視線を向けている人は見当たらなかった。


「お隣、よろしいですか?」


「どうぞ」


「失礼します」


 女性は自分の購入した商品が乗せられたトレーを持って一度席を立った。僕もトレーを持って一つ左隣の席に移った。


「雨、好きなんですか?」


「はい、雨も飴も大好きです。特に飴は良いですよ、考え事をしている時に舐めていると頭がさえて色々な考えが頭の中を飛び交います」


「そうですか」


「え?」


 女性は随分と素っ頓狂な声を出した。


「どうしました?」


「いえ、雨と飴をかけた冗談のつもりだったのですが、突っ込みが入らないのでついつい話し込んでしまいました」


「そうでしたか、気が利かなくてすいません」


 本気で話しているものだと思っていた。


「それにしても雨が好きだなんて、えっと、なんというか珍しい? うん、珍しいですよね」


 僕の貧相な語彙力では変人と言う言葉をオブラートに包むにはこれが限界だった。


「よく言われます。変わっているとも言われます。確か、変人と言われたこともありますよ。変人は言い過ぎだと思いませんか?」


「そ、そうですね。好みは人それぞれですし、それで変人扱いは酷いですね」


 自分で自分の首を絞めているようで息苦しい。いっそこのまま本当に自分の首を絞めてしまいたい。


「雨は昔から好きでした。もちろん飴も。雨は人の心を暗くすると思われがちですが、私は幼いころから雨の日だけは妙に気分が高揚してよく周りを困らせていました」


 女性はふんわりとした口調でそう語り上品な笑みを見せた。そして、「今は晴れている日の方が周りを困らせてしまいますけど」と話にオチを付けるように「ふふっ」と笑ってそう付け加えた。


 それから女性はこんな話をしてくれた。


「雨と言うと、こんなエピソードがありました。ある雨の日、山の奥の田舎に帰省するために一日二便しか走らないバスを待っていた男性はバス停で雨宿りをしていた女性と出会ったそうです」


「あの、その話は長くなりますか?」


「お急ぎでしたか?」


「いえ、急ぐどころか暇という言葉では言い表せないほど暇で仕方ないですが。少しお手洗いに行きたいと思いまして」


「そうですか、では遠慮せずに行って来てください」


「失礼します」


 僕は本当に失礼とは思いながらもトイレに向かい用を足し、手を洗った。そこでふと、女性の語っていた話がどこかで聞いた事のあると思い出し、それがいつどこで聞いたのか分からないまま席に戻った。


「あれ?」


 席に女性の姿は見えなかったがテーブルには女性のものと思われるとても達筆な字で『使用中しようちゅうです』と書かれた紙ナプキンが置かれていた。『使用中』に『しようちゅう』と振り仮名が降ってあるのは万が一子供が来た時に読めるようにと言う女性の配慮なのだろうか?


 三分、四分と経っても女性は戻ってこなかった。僕と同じようにトイレに行ったにしては少々時間が経ちすぎているような気がするし、ほとんど手が付けられていないファストフードと女性の持ち物と思われる水色の傘が置かれているという事は帰ってしまったという事は無いだろう。


 別に女性に何かを盗まれたという訳ではないのに淡々と女性の行方について推理していると「お待たせしました」と、トレーにホットコーヒーのカップを二つ乗せて女性が戻って来た。


「話が長くなると思ったので、飲み物を用意しました」


「わざわざ申し訳ありません、おいくらですか?」


「そうですね、二百十円で」


「定価で取るんですね」


「冗談です。私だって立派に働いて社会に貢献していますからね。二百十円くらい痛手にはなりません」


 その言葉は二十代にもなって学生と言う身分に縋り付き、休日は電気代節約の為に外をうろついている僕にとって耳の痛い言葉だった。僕も二百十円を難なく奢れる大人になりたい。


「それで、どこまで話したでしょうか?」


「女性と出会った所ですね」


「そうでした。その雨宿りしていた女性を男性は不思議に思ったそうです。何故って? その女性は荷物を全く持っていなかったからです。鞄も、ポーチも、食料さえも。男性は女性に問いました。『あなたは何処から来て何処に行くのですか?』と。すると女性は不思議なほど美しく微笑んでこう言ったそうです『何処かからやって来て何処にも行かない』と。男性は女性を不憫に、いいえ、とても愛おしく感じました。独り行き場を失くした女性に一人で上京したものの仕事を失い独りになった自分を重ねたのでしょうね。二人はバスが来るまでの間、自分の嫌な所を言い合って笑い合いました。そして」


「二人は男性の田舎に向かうバスに乗り、二人は後に結婚。独りだった二人は家族を得た。ですよね?」


 女性の言おうとしていたオチを簡潔に言ってしまった僕はやってしまったと思いながら女性の顔色を窺った。


 女性は怒るどころか満面の笑みホットコーヒーを啜りコーヒーの苦さで眉間にしわを作っていた。


「この話をご存知でしたか。それと、コーヒーはやはりミルクとお砂糖をたっぷり入れるに限りますね。これは苦くてたまらない。こんなものを好んで飲んでいる男性は頭がおかしいと思いませんか?」


「さぁ。僕はブラックが得意なもので。きっと、あなたが雨を好きなのと同じ理由ではないですか? ブラックが好みだと言う人もいれば苦手だと言う人がいる」


「その話に戻りますか? だとしたら、私は変人と呼ばれても良いような気がしてきました」


「そう言えば『水色の雨傘』ですよね? さっきの話」


「よくご存じで。雨と言えば『水色の雨傘』晴れと言えば『黄金色の麦わら帽子』雪と言えば『白色のニット帽』です」


「『白色のニット帽』?」


 水色の雨傘と黄金色の麦わら帽子は僕の大好きな作家の一人である真矢咲先生が今年出版した小説だ。女性の語り方に魅了されて最後まで気付かなかったが、さっきの話は『水色の雨傘』の簡潔な内容だった。ブラックコーヒーの話は『水色の雨傘』の続編にあたる『黄金色の麦わら帽子』で男性が好き好んで飲んでいることと関連付けた話なのだろう。ただ、白色のニット帽と男性が女性に会う前日談に関しては何のことだかさっぱりわからなかった。


「あ、それは、なんというか」


 女性は明らかに動揺していた。


「もしかして」


 不思議に思っていたことの答えをほとんど全身で答えているような動揺の仕方をしている女性に尋ねようとすると、僕と女性の間に細く白く長く、それでいて水が滴っている綺麗な腕が伸びてテーブルを叩いた。


「見つけましたよ、先生。雨の日は脳細胞がグルグル働くから仕事に向いていると言ったのは先生ですよ。晴れて筆が進まなくなるのは目に見えていますから雨が降っているうちに新作を書き進めてください。新作の締め切りが迫っているんですよ」


 突然現れた女性は恐らく作家の真矢咲先生と思われる女性を引っ張るようにファストフード店から出て行った。








 真矢咲先生と思われる女性とファストフード店で出会ってから一週間後。


「雨なんかこの世から無くなってしまえ」


「それは困りましたね。飴、いかがですか? 地方のサイン会で編集さんが買って来たジンギスカン味の飴ですが」


「結構です。というか、雨ですけど仕事はまたサボりですか?」


「会って二度目だというのに随分と失礼な人ですね」


 会って二度目の人に未開封かつあまり美味しくなさそうな飴を勧める人に言われたくないが、その気持ちはぐっと抑えて一週間ぶりの再会となる女性の顔を見た。間違いない。やっぱり、あの人だ。


「仕事は先週終わりました。先週ネタバレをしてしまったので拡散される前に書きあげましたよ」


 書き上げた。確か、女性に会った翌日に真矢咲先生の新作『白色のニット帽』の発売が決定したとネットニュースで見た。


「著者兼本ですが、良ければどうぞ」


「ありがとうございます」


 女性から受け取ったのは発表されたばかりの『白色のニット帽』の文庫本だった。女性からのサプライズはそれだけではなく表紙をめくると真矢咲先生のサインがあった。


「やっぱり真矢先生でしたか」


「隠すつもりは無かったけれど興味が無い人に言う必要もないですから」


 そんな風に作者と読者で本には全く関係のない談笑をしていると、僕と真矢先生の間に細く白く長く、それでいて水が滴っている綺麗な腕が伸びてテーブルを叩いた。デジャヴ?


「先生、締め切りは既に迫っているって先週話したじゃないですか」


「新作と言うのは『白色のニット帽』の事では?」


 真矢先生の質問に編集担当をしているのだろう女性は優しく微笑んで答えた。


「その締め切りは三ヶ月も前に終わっていますよ。いっそこの場で書いてくれて構いませんから早く仕事してください」


 なんか、不憫だ。僕も時間に追われることはあるから分からなくもないが、男性のように愛おしさを感じることは出来ない。


「真矢先生、お仕事大変そうなので失礼します。サイン本ありがとうございます」


 僕は涙目の真矢先生に別れを告げた。


 僕が次に真矢先生を見るのは次の雨の日だが、この時の僕はまだ知らない。



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