風見 新

第1話

彼女はいつも速足だ。



ゆっくり歩く私を抜き去っては、また私の後を追いかける。


何度も何度もそれを繰り返しては、彼女はいつもこう言うのだ。


「また少し、先で会いましょ。」


と長身の体を優雅に翻して、再び速足でスタスタと矮躯な私の前を歩いていく。


まるで嘲笑うかのようなその行為に、しかして私はそれほど嫌悪感を抱いてはいなかった。


それが彼女の歩き方であって、彼女らしさであると知っていたから。


だから、私はいつも彼女の背中を追っては追いかけられるのだった。


そんな私と彼女が同じ場所で時を過ごす時間は随分と短い。


互いに休みなどなくずっと働き続けてきたためか、いつの間にかそれが当たり前のことになっていた。


しかし、私の心中には密かに彼女に追い付きたいという気持ちがあった。


彼女の歩調にあともう少しでも追いつけば、それだけ彼女と同じ時間を過ごせる。


と恋心にも似たそんな気持ちを少しでも満たすために思いを馳せるようになったのだ。


今思えば長い彼女との付き合いは、もはや夫婦のそれに等しいはずだ。


短い時間とは言え、彼女とは毎日顔を会わすし、言葉も交わす。


だからこそだろう、それだけでは次第に満足できなくなってしまったのだ。


しかし、そんな私の淡い思いに彼女は微塵も気づくことはなく、また私もその思いを打ち明けるなんてお恐れた真似は出来なかった。


だから、今日も彼女はゆっくり歩く私を抜き去っては、また私の後を追いかける。


「また少し、先で会いましょ。」


決まってその言葉と共に。


それから、数十年の月日が流れた。


相も変わらず、私の前を彼女は歩く。


それでも、一つ変わったことがある。


時々、私達二人で休日を取るようになったのだ。


今まで、休みなくずっと働いてきたのだ。


力も体力も落ちてきている。


それくらいのことには、目をつむってもらいたいものなのだが中々世間はそれを許してはくれない。


私達が休みを入れるとすぐにまた職場に戻され、働かされる。


そんな事が続くようになってから、また少しの月日が流れた。


私も彼女もついに限界が訪れた。


足腰にはこれまでの疲労が溜まり、体はもうこれ以上動かない。


そんな時のために私たちはある一つの約束を立てていた。


『初めて会ったあの場所で、最後の時を刻もうと』


そこは、私たちの世界でも最も高い所にあって、始まりと終わりの場所でもあった。


私はその約束を思い出し、目的の場所へと向かう。


彼女はまだ近くに見えない。


私はそれでも歩みを止めず、彼女を待った。


絶対に彼女はやってくる。それはこれまで彼女と接してきて、確かに分かる事実だ。


すると遠くで昔よりも少し遅い歩調の彼女が歩いてきた。


一定のリズムを刻み、まるでスッテプでも踏むような歩き方は今でも変わらない。


ゆっくり歩く私の背後に着いてそして同時に目的地にたどり着いたのだ。


私達は抱きしめ合うように重なり合い、ふたりでその歩みを止めた。


最後の時を共に過ごし終えた長針の彼女と短針の私。


これでようやく、彼女と一緒にいれる。


今まで共に刻んできた時間の流れを感じつつ、私たちは強く強く抱き合って最後のこう言うのだった。


「「お帰りなさい」」と。

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風見 新 @mishinn

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