マサの夏

領家るる

小学4年生の夏休み

苦い夏

「シャボン玉って、花火みたい」

 少女は勝手に庭先に入り、あろうことかマサの隣に腰をかけた。縁側に並んで座ると、風もないのに風鈴が、ちりんと鳴く。数刻前に祖母が焚いた線香の煙が鼻先を掠めて、マサは息を吸った途端に咳こんだ。だからシャボン玉を作ることができなかった。

「ほら花火!」

 少女の風鈴のような声に吊られて顔を上げると、さきほど作ったシャボン玉が、ぽん、と弾けた。何かに触れずとも、気まぐれに消えていく。 

「全然、花火っぽくないじゃん。」

 マサは鼻腔を擦る線香の煙を何とか吐き出そうと躍起になりながら、少女に毒吐いた。

「花火なんて、もっと、音だって、するし、煙、だって出るじゃん!耳とか目に、跡がついたみたいにさ、ずっと残るし。ヨインっていうんだぜ、そういうの。シャボン玉にはヨインないじゃん。消えるだけだよ。」

 途中から喋ることに夢中になり、マサは妊婦のような呼吸の仕方を置き去りにした。中学受験の勉強で覚えた熟語を得意げに使ったものの、少女には些か難しく、しきりに首を傾げていた。仕舞いには「ふうん…」と適当に流され、少女の瞼は再びシャボン玉を探し始めた。

しかし、青空の何処にも見当たらなかった。

「俺まだ、作ってないし。」

 意を介して貰えず、ジレンマが滲む言い草をした後、マサは薬液に吹き具を浸し、今度は少女に向けて吹いてやった。透明で丸い泡がいくつもふわふわ飛んでいく。

「やったぁ!」

 少女は嬉しそうに声をあげ、両掌を伸ばしてシャボン玉を包もうとした。しかし触れた途端に消えていく。何度も果敢に取り組んだがついに叶わず、やがて諦めて腕を下ろした。ところがその時、マサは少女の腕に張り付くシャボン玉に気づいた。半円のドーム型でふるりと揺れている。

「すごい!このシャボン玉固い!うまく作ればこんな風に割れないものもできるんだ!もっと作って!」

「どうやって上手く作ればいいの?」

 マサは作った張本人だが、偶然の産物を量産することはできない。少女は首を捻って考えた後、

「私のために作ればいいのよ。シャボン玉を捕まえられますようにって、お願いしながら。そしたら消えないシャボン玉が作れるよ、こんな風に。」と、目を輝かせながら言った。

 マサは急激に恥ずかしさを覚えた。耳まで真っ赤になり今にも噛みつきそうな形相になったが、少女相手だと思って言葉を飲み込んだ。けれどもかきむしりたくなるような感情をどうしても吐き出したくて、代わりに思いっきり吹き具を吹いた。勢いよく放たれたシャボン玉が風に流れていく。

「あの一番大きいの、きっと割れないものよ!」

 少女は意気揚々と立ち上がり追いかけて行った。マサが再び薬液に吹き具を付ける間を挟んで顔を上げると、少女はどこにもいなかった。


「マサくんや、スイカ食べるかい?」

 擦り足で畳を鳴かせながら祖母がやってきた。マサは振り向きついでに廊下の奥を覗いたが、やはり少女の姿はない。

「…うん。」

 マサはシャボン玉の薬液と吹き具を縁側に置いて、サンダルを脱ぎ居間に上がった。さっきから呼吸を苦しめてきた線香を一瞥すると、まだ煙をくゆらせている。マサは鼻を摘んで仏壇を避け、壁沿いを歩くことにした。その時、長押に掛けられた額縁にシャボン玉が張り付いていることに気づいた。あの少女の腕と同じように、ドーム型になってふるりと揺れている。しかし瞬く間に弾けて消えてしまった。

「どうしたの?」

 祖母は額縁を眺めているマサの横に並んだ。マサはこの額縁の中にいる少女を知っていた。

「ばあちゃん、俺、この子知っているよ。」

 マサは逡巡しながら、どんぐりのような丸い目を祖母に向けた。マサから思いがけない一言を聞いて、祖母は首を傾げたが、しばらくして嬉しそうに、嬉しそうに、微笑んだ。


 マサは鼻をつまむことを忘れた。額縁の中にいるのが故人だと知っているが、嬉しそうに微笑む祖母の表情を見ていると、怖いと思わなかった。怪談みたいに不思議で、夏の陽気みたいに暖かい。収まりどころが解らない感情の名前は、国語の教科書ではわからない。

「マサくん、シャボン玉は楽しかったかい?」

 廊下を先に進む祖母に問われたが、即答できなかった。けれど、マサは少し考えた後、小さな声で「多分」と答えた。

 シャボン玉の薬液よりもほろ苦い後味を残した、お盆最終日のことだった。




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