第213話

「なにか必要なものがあったら、買って持ってくるけど?」


 私がいうと、それならと丹波はいった。


「おれの部屋からリュックを持ってきてくれないか。そこに全部はいっているから」


 私は驚いた。丹波がそういって自分の部屋を私に教えてくれたからじゃない。


 丹波が教えてくれた「おれの部屋」というのが、じつはあの廃雑居ビルだったからだ。


「なんで?」


 私がいうと丹波は説明してくれる。


「アパートなんか借りたら、それこそおれの居場所が連中にばれるだろ。不動産とあの手のやつらはずぶずぶなんだから」


 それであのあきビルを勝手に拝借していたらしい。


 ただの寝床として利用するだけなのでリュックひとつを持ちこんで、そこに荷物一式がはいっているのだという。


 ひとりになれる、自分だけの場所か。


 あのときの丹波の言葉には、そういう意味もふくまれていたのだ。


 それにしても、そんな場所に昨日私をつれていったなんて。そう思うと、不謹慎ながらにやついてしまう。


「もしかして下心とかあった?」


 嬉しくてついついよけいな言葉を吐いた。


 丹波は返事をしなかった。また麻酔による眠気の波がきたのかもしれない。


「わかった。じゃあ、いってくる。おとなしく待っていて」


 そういって私は数歩先の扉にむかう。


「ああ、悪い」


 そんなせりふがかすかにきこえた。


 それが私が丹波と交わした最後の言葉だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る