第148話

「今年の三月かな。その日もケンカをした。もっとも、街でリンチを見つけて、それをとめにはいったから、どちらかといえばおれがケンカを売ったかたちになるな」


 恥ずかしそうに言葉を続けた。


「女づれの、にやついた野郎だった。そいつを半殺しにした。だが、それがまずかったらしい」


 困ったように頭をかいた。


「どうやらそいつ、やばいすじのやつでさ。本職ってやつ。その跡取あととりかなんかで。その夜、おふくろとふたり暮らしをしていたアパートに火炎ビンを投げこまれたんだ。さいわいぼやですんだが、さすがにまずいと思った。だからすぐにそのアパートを引き払って、おふくろはアメリカのばあさんの家に逃げてもらった。おれは、やつらの目をおふくろからそらしておれだけにむけるために、しばらくこっちに残ることにした」


 火炎ビンとはおだやかじゃないが、とにもかくにも丹波は自分をおとりにして母親を守る選択をしたらしい。


 私のときもそうだ。丹波は自分に責任がある場合、とばっちりをくらいそうになっている人間をどうにかして自分から遠ざけようと考えるようだ。


「それで、引越してひとり暮らしをして、この学校にきたっていうわけ」


 その距離が絶妙なのだと丹波はいった。


 完全にゆくえをくらまさず、近くにいるかもしれないという感じを相手につたえることで、アメリカに逃げる母親への注意をやばい連中からそらしたのだ。


「それじゃあ」


 私はたずねる。


「丹波は今も、その人たちから逃げているさいちゅうっていうこと?」


 丹波は悪びれずうなずく。


「黙っていて、ごめん」


 あやまられたって、どうするようなものでもない。


 あのとき電話で矢野にいった言葉もふくめて私はそれを責めるつもりはもうなかった。それが丹波の全部の事情だったのだ。


 なるほどと思った。「関係ない」の言葉のなかには、もともとそんな事情が全部ふくまれていた。


 だが。


「あきれた」


 私はいった。

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